『デンドロカカリヤ』論
(後篇)
目次
1。リルケの『涙の壺』
2。蒸留法
2。1 話法の問題(一般)
2。2 安部公房独自の話法(個別)
3。 まとめ
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1。リルケの『涙の壺』
後篇の主題は、前篇の結末に書きましたやうに、如何にして安部公房は『デンドロカカリヤA』にある叙情を、『世紀の歌』に云ふ「蒸留法」で乾いた文体を備へた『デンドロカカリヤB』となしたのかといふ問ひに答へることです。
そのためにまづ『世紀の歌』といふ詩を吟味してみませう。
「ぼくらの日々を乾かして
涙の壺を蒸溜しよう
ミイラにならう
火を消すものがやつてきたら
ぼくら自身が火となるために!」
この詩にある「涙の壺」がリルケの『涙の壺』であることは前篇でお話しした通りです。涙の壺には、社会に対するに詩人である自分自身が涙するにつれて益々貧しくなりゆき、
「より小さな尺度として、そして最も痩せたものとして、
わたし自身を穿って、中空にし、窪ませて、他の欲求を満たすものとなす」
とあるやうな状態になり、他方、社会は、詩人が「最も痩せたもの」になるにつれて益々豊かになり、文明の壺の中にある酒について言へば、
「葡萄酒はより豊かになり、そして油は壷の中でより清澄になる」
とあるやうに、世の中の壺といふ壺には葡萄酒と油が蓄へられ文明が栄えるといふ、そのやうな文明や社会との関係にある詩人の姿を歌つた詩でありました。
この、安部公房の愛唱した詩は、空の壺と其の形といふことから、既に早や『赤い繭』の変身と変形の論理を思はせるものがあります。これを数学的に表せば、位相幾何学(topology)の世界だといふ事になります。文学と数学は、このやうに、安部公房にあつては、いつも一つになつてをります。
これに対して、『世紀の歌』といふ詩は、1949年3月15日に書かれた詩です。そして、この詩の後、同じ年の8月に、前年度に書かれた処女作『終りし道の標べに』を問題下降して「詩と散文統合の為の問題下降」に成功した作品として『デンドロカカリヤA』がある訳です。これは詩人から小説家になる移行期の作品です。
従ひ、この作品には詩の要素と散文の要素が混在してをります。中間項は、『名もなき夜のために』です。読者ご存知の通り、この小説の言葉は美しく繊細であつて叙情的な声調によつて成り立つてゐます。この叙情性をどうやつて「蒸留」するのか、その蒸留法とは何かといふことを考察する事にしませう。
2。蒸留法
安部公房が詩人として世界を歌ふときには一つの特徴があります。それは、世界と其の中にある諸物諸事諸人に対して、呼びかけるといふ事、そして次に自問自答するといふ事です。安部公房全集の中では、第1巻所収の『〈今僕はこうやつて〉』といふ19歳の時のエッセイに其の最初の例を、私たちは見ることができます。(全集第1巻、88~89ページ)
「例えば今此の庭に立つ見事な二本の樹を見給え。見る見る内に生が僕の全身から流れ出して其の樹の葉むらに泳ぎ著く。何と云うゆらめきが拡る事だろう。僕の心に繋ろうとする努力がありありと見えて来る。さあ、此処で僕達が若し最善を発揮しようとしたならば一体何うすべきなのだろうか。こんなに僕を感じさせる或るもの、そこにある秘密を見抜く可きであろうか。いやいやそんな事ではあるまい。それは限りある行為であり外面への固定に過ぎないのではあるまいか。」 [註1]
[註1]
このエッセイの全体と上の引用の箇所の分析と解読は、『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)の[註15]に詳述しましたので、これをご覧ください。
『デンドロカカリヤA』の冒頭を引用して、その声調が同じであることをご覧ください。
「 道を歩きながら石を蹴っとばしてごらん。何を考えているの?さあ言ってごらん。何処にいるの?季節は教えてあげてもいい。春だよ。路端の、石がころげて行った先の、黒くしめった土くれ。みどりいろ。何が……、何が生えてくるのだろう?いや、君の心にだよ。何か植物みないなものが、君の心にも生えてきてるのじゃないの?
空を見上げてごらん。眼には見えないラッパのような管が、君の眼からするすると延びて、天に向かって拡がらなかった?そして天が一杯、君の眼に流れこみはしなかった?」
このやうに二つの引用を比較して並べて見ると、前者の、
「例えば今此の庭に立つ見事な二本の樹を見給え。見る見る内に生が僕の全身から流れ出して其の樹の葉むらに泳ぎ著く。何と云うゆらめきが拡る事だろう。僕の心に繋ろうとする努力がありありと見えて来る。」と、
後者の、
「空を見上げてごらん。眼には見えないラッパのような管が、君の眼からするすると延びて、天に向かって拡がらなかった?そして天が一杯、君の眼に流れこみはしなかった?」
といふ文章が、全く同じ発想で書かれてゐることがお判りでせう。
見る事によって、内部が外部と交換されるのです。既に此処に、陰圧の眼を持って全てを眼から胸の中に吸い込む、しかし叙情を「蒸留」して生まれる前のS・カルマ氏を見ることができます。
ここにある呼びかけは一体何を意味してゐるのでせうか?
2。1 話法の問題(一般)
文法学の視点から結論を云へば、ここにある文法上の問題は、話法の問題です。そして、更に話法を敢へて次の3つに分けます。
(1)人称:一人称、二人称、三人称とそれぞれの単数・複数
(2)話法:誰が話してゐるのか。直接話法と関節話法。
(3)時制:その文が含む時間、即ち過去、現在、未来、そして時間のない文(非現実話法の文)
人称の問題も時制の問題も、話法の問題に含まれ、実際には話法一つの問題なのですが、ここでは、ここにある呼びかけが一体何を意味してゐるのかをより深く考へるために、人称と時制を其の外に出して三つに分けて論じます。
さて、上の3つを念頭に置いた上で、個別言語に関係なく、作家が小説を書くと其の構造は次のやうになつてゐます。
作家>話者>登場人物
注意すべきは、作家と話者は同一の者ではないといふことです。其の上で、この構図に従へば、
安部公房>相手に呼びかける話者>コモン君
といふ事になります。
この小説の話者は、コモン君に二人称で呼びかけてゐるといふ事になります。そして、安部公房といふ作者が、作品の世界に其のやうな構造を用意したといふ事です。[註2]
[註2]
この小説構造の最も複雑な小説が『箱男』です。この作者と話法の構造については、「『箱男』論~奉天の窓から8枚の写真を読み解く~」(もぐら通信第34号)で詳述しましたので、これをご覧下さい。
2。2 安部公房独自の話法(個別)
さて、それでは更に考へを進めて、この話者と話者に呼びかけられるコモン君の関係は、どのやうな関係なのでせうか?この答へがもう少し先の段落に書かれてゐます。
「ぼくらの病気はとりもなおさず、あのぼくとこのぼくが入れちがいになって、顔はあべこべの裏返しになり、意識が絶えず顔の内側へおっこちてしまう……、それが植物になることさ。」(全集第1巻、235ページ上段)
これは、「ぼく」といふ一人称の中に、もう一人「ぼく」といふ一人称がゐるといふことを言つてゐるのです。安部公房の話法は内省的であり、普通の話法とは違つて、この分複雑です。そして、これは其のまま、安部公房の終生変はらぬ作者・読者論であり、主観・客観論であり、主語・述語論であり続けました。
例へば、論ずる対象を問はず、政治的な社会現象を論ずる場合でも、同じ全集第2巻にあるエッセイ、『デンドロカカリヤA』の前年に書かれた1948年の『平和について』に於いても、「僕の中の「僕」」に向かつて、話者(この場合の話者は、小説ではなくエッセイであるので安部公房自身)が話かけ、語りかけてゐます。(同巻、57ページ)
『終わりし道の標べ』では、同じ論理が感覚の問題としては、「二重感覚」と呼ばれてゐます。(「第三のノートー知られざる神ー」、全集第1巻、363~369ページ)合わせ鏡の世界にゐる再帰的な自己のことです。[註3]
[註3]
安部公房の此の再帰的な自己については、『安部公房の変形能力17:まとめ~安部公房の人生の見取り図と再帰的人間像~』(もぐら通信第17号)に詳述しましたので、これをご覧下さい。この論考から以下に一部の引用をします。:
「安部公房は、この再帰的な人間の持つ二重感覚を『終りし道の標べに』の「第三のノート―知られざる神―」中で、高という登場人物の口を借りて、「二重感覚」とか、「二重の判断や意志」とか、また「二重の意識」とか、そして「あの感覚」と言わせております。」
これは、私の中の私、一人称の中の一人称、自己の中の(もう一つの)自己といふことであり、後者の私、後者の一人称、後者の自己は、実は前者の私、前者の一人称、前者の自己から見れば、実は三人称の役割を演じてゐるのです。
上記の『平和について』では、このことを次のやうに言つてゐます。前後の脈絡がわかると一層よく理解ができますが、引用の量と解説が多くなりますので、最小限の量に留めて引用します。
「そして実用主義的にその人間学が「君」の(僕の中の)平和を創り出すだろう。(略)「彼」のということさえ危険だ。平和はあくまでも「君」の、そして其処に於けるものだから。」
「僕の中の「僕」」を巡つて、僕と君と彼が登場するのです。これらは皆、安部公房の意識の内部の一人称、二人称、三人称でありますから、それを示すために「僕の中の「僕」」と、後者の僕には一重鉤括弧が付されてをります。この「僕」が、「君」であり、「彼」なのです。そして、これらの人称が、そのまま安部公房の小説の登場人物たちの関係であるといふことなのです。
そして、上記の3つの人称の関係は、安部公房の世界を理解するためのキーワードである存在、象徴、部屋、窓、反照、自己承認の関係と繋がつてをり、これらの用語と一緒に論ぜられてゐて、23歳の安部公房が哲学談義を交した親しき友、中埜肇宛の手紙に書いてゐる「新象徴主義哲学(存在象徴主ギ)」(『中埜肇宛第10信』全集第1巻、270ページ)といふ安部公房独自の哲学の骨格をなしてゐるのです。
エッセイ『平和について』は、謂はば(同じ年に書かれた)『終りし道の標べに』の理論篇といふことができ、ここに書かれてゐる論理を以って、そのまま『終りし道の標べに』といふ実践篇を、それも上記に引用した「二重感覚」は勿論のこと此れも合わせて、理解することができます。安部公房独自の哲学については、『安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」入門』と題して稿を改めて論じます。
閑話休題。
さて、コモン君の話です。
このやうに考へて来ますと、
「ぼくらの病気はとりもなおさず、あのぼくとこのぼくが入れちがいになって、顔はあべこべの裏返しになり、意識が絶えず顔の内側へおっこちてしまう……、それが植物になることさ。」
とある「あのぼく」と「このぼく」の関係は、
(1)「あのぼく」の中の「このぼく」なのか
(2)「このぼく」の中の「あのぼく」なのか
この二つの「ぼく」があつて、この関係そのものが既に最初から、交換関係を前提にし且つ「既にして」(超越論的に)結果してゐることが判ります。このやうな関係にある「ぼく」には時間の先後は無いのです。従ひ、「あのぼく」が「このぼく」と入れ替わり、「このぼく」が「あのぼく」に入れ替わることは、時間の無い、幾何学的な変形なのです。さうすると、
安部公房>相手に呼びかける話者>コモン君
の話法の3階層の構造の中では、
作者>作者の中の「僕」>作者の中の「僕」の中の「僕」
となり、更に一重鉤括弧との関係で考へを進めれば、
作者>作者の中の僕>「作者の中の僕」の中の「僕」
となり、いや、作者の中にも「僕」がある筈だと考へれば、世間で安部公房と呼ばれる作者の僕を一番上位の階層の一人称であるので、全ての僕に一重鉤括弧をつけて呼べば、
作者の僕>作者の中の「僕」>「作者の中の「僕」」の中の「僕」
といふ事になりませう。
これは、そのまま『デンドロカカリヤA』の世界では、
安部公房>相手に呼びかける話者>あなた(と呼びかけられる読者であるあなた)
となつてをり、安部公房の作者の僕の中の、その「僕」が呼びかける、「作者の中の「僕」の中の「僕」」といふ此処この場所にゐる「あなた」であるといふ複雑な位置にゐる(読者である)「あなた」なのです。
この関係を示してゐるのが、例へば次の箇所です。話者の声調は変はりません。
「そうすれば、そら、もう夕方だろう、あたりがすっかり冷えて、きっとぼくらの坐っているところが石段かなにかで、特別寒いからなんだと思うにきまっている。だから、気にしなくてもいいんだ。まだ植物になってはいけないというぐらい、誰でも知っている。誰も君を咎めたりしやしないよ。」(全集第1巻、235ページ上段)(傍線筆者)
ここで「ぼくら」と二人称複数に呼ばれてゐるのは、話者と「あなた」、つまり、次の下線部の「ぼくら」、即ち(B)と(C)のことなのです。
作者の僕(A)>作者の中の「僕」(B)>「作者の中の「僕」」の中の「僕」(C)
さて、ここまでが冒頭部分の人称と話法の様子です。
この冒頭の導入部と、小説の本文の開始の間に、安部公房は「コモン君がデンドロカカリヤになった話」といふ一行の立て札を立ててゐます。この趣向は既に『S・カルマ氏の犯罪』や『デンドロカカリヤB』を思はせます。
さて、この立て札または案内人の次に始まる本文の人称と話法は一体どのやうになつてゐるでせうか。本文の文章は、次のやうに始まつてゐます。
「さて、コモン君のことを思い浮べてごらん。無理だって?なに、どんな具合にでもいいんだよ。名前のとおりでいいんだよ。コモン君がコモン君さ。ぼくの友達だったんだよ。なに?君の友人だって?むろんそれでもいいさ。要するにコモン君でありさえすればいいんだよ。」(全集第1巻、235ページ下段)(傍線筆者)
「さて、コモン君のことを思い浮べてごらん。」と話者の呼びかける相手は誰なのでせうか?誰に「コモン君のことを思い浮べてごらん」と言つてゐるのでせうか?
これは、読者であるあなたに呼びかけてゐるのです。あなたは、いつの間にか、さうすると、
作者の僕(A)>作者の中の「僕」(B)>作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)(C)>「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)」の中のコモン君(D)
といふ安部公房独自の話法の構造の中で、
「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)」の中のコモン君(D)
といふ階層にゐる「コモン君」に、いつの間にか、あなたはなつてゐるのです。即ち、読者は「作者の中の「僕」の中の「僕」(C)」を通じて、「「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)」の中のコモン君(D)」がいつの間にか現れて、あなたの意識の中に入つて行くのです。いや、あなたがコモン君(D)の意識の中に入つて行くのです。
そして、このコモン君といふ主人公は、話者である「作者の中の「僕」(B)」の友達であり、しかも同時に「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)(C)」とも友達であるといふのです。
これで、話者と読者が繋がる事になるのです。
しかし、『デンドロカカリヤB』では、『デンドロカカリヤA』の冒頭の導入部にある叙情的な呼びかけは削除されてゐて、最初からいきなり「コモン君がデンドロカカリヤになった話」といふ立て札で始つてゐます。
これは、前篇冒頭に掲げたチャート「詩人から小説家へ、しかし詩人のままに」を見ますと、『デンドロカカリヤB』の前に『赤い繭』『魔法のチョーク』、そして芥川賞受賞作『S・カルマ氏の犯罪』といふ三人称で書かれた小説が並んでをりますので、その延長で『デンドロカカリヤB』が書かれたといふことを意味してゐます。とすれば、『デンドロカカリヤB』の話法の構造は、『デンドロカカリヤA』での、
安部公房>相手に呼びかける話者>コモン君
といふ構造ではなく、
安部公房>相手に呼びかけることのない話者(=単に話者としてある話者)>コモン君
といふ構造に変換されてゐることがわかります。即ち、
安部公房>話者>コモン君
といふ構図になり、話者がコモン君を語り、話者がコモン君の意識の中に入つて此れを語るといふ話法に変はつてゐます。これが、リルケ風の叙情を取り除くための蒸留法であつたといふ事になります。
しかし、忘れてはならないのは、上述しましたやうに、
作者の僕(A)>作者の中の「僕」(B)>「作者の中の「僕」」の中の「僕」(C)
といふ安部公房独特の内省的な構造は変はらないといふ事です。
また特記すべきは、この蒸留法の成功は、
作者の僕(A)>作者の中の「僕」(B)>「作者の中の「僕」」の中の「僕」(=「あなた」)(C)>「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)」の中のコモン君(D)
といふ『デンドロカカリヤA』の話法の構造の最下層の「「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)」の中のコモン君(D)」を取り去って、『デンドロカカリヤB』が成り立つてゐるといふ事です。
まとめますと、
3。 まとめ
『世紀の歌』で宣言した涙の壺の蒸留法とは、『デンドロカカリヤA』の話法の構造に於いて、
(1)「相手に呼びかける話者」を「相手に呼びかけることのない話者(=単に話者としてある話者)」に変更した事
(2)話法の最下層の「「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)」の中のコモン君(D)」の階層を取り去つた事
この二つからなるといふ事になります。
「ぼくらの日々を乾かして
涙の壺を蒸溜しよう
ミイラにならう
火を消すものがやつてきたら
ぼくら自身が火となるために!」
この蒸留法を使つて、安部公房は、ミイラになつたのです。死者として此の世を生きる事になつたのです。しかし、これは生死に関する論理としては、ニーチェでありリルケである事には変はりありません。即ち、自らが存在として時間の中に生きる者、即ち未分化の実存、即ち棺桶の内部にゐるミイラとして生きる事だといふ『世紀の歌』の志は、かうして小説の上で実現する事ができました。
棺桶といふ閉鎖空間の内部にゐて、未分化の実存として生きる(死者としてある)ミイラの此の姿は、『デンドロカカリヤB』(1949年)を書いた十三年後に刊行された『砂の女』の主人公仁木順平が、話の最後に安部公房の(リルケに学んだ)存在感覚である透明感覚を水に発見して(結末共有)、この砂の穴は存在となつたのであるから、(部落といふ社会の中にある謂はば「落とし穴」としてある)存在の中で(社会から見れば失踪者、即ち謂はば死者として)生きて行かうと決心する其の姿、即ち社会の中に存在を求めようと決心した安部公房の姿に通じてをります。
この方針は『燃えつきた地図』まで続き、この小説を書き終えた1968年の三田文学誌上での秋山駿によるインタビューでは、次回作の構想を語り、次の作品は乞食とチェ・ゲバラの話だと述べてをり、1970年の三島由紀夫の死を境に其の通りの小説を1973年に『箱男』として出し、前期20年の後半10年での社会の中に存在を求める方針を逆転させて、存在の中に社会を求めるといふ方針に転換をして、後期20年の傑作群を書いてゐるのは、読者周知の通りです。[註4]
[註4]
「『箱男』論~奉天の窓から8枚の写真を読み解く~」(もぐら通信第34号)の[註6]を引用してお伝へします。
[註6]
「この次は、すでに失踪してしまった状況で、失踪の向こうにある世界を書いてみたい。乞食とチェ・ゲバラの 話です。ぼくはふり向くことがいやなんだ」(『私の文学を語る』全集第22巻、45ページ上段)安部公房が、 ここに至るまでにどんなに苦労をしたかは『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)をお読み下さい。]
「火を消すものがやつてきたら
ぼくら自身が火となるために!」
といふ二行は、安部公房が自らの命を掛けて、文字通りに死ぬ覚悟で日本共産党員にまでなつて、言語による意識の革命、即ち存在の革命を起こさうとしたことを歌つてゐます。[註4]
[註4]
「『箱男』論~奉天の窓から8枚の写真を読み解く~」(もぐら通信第34号)の[註6]を引用してお伝へします。
[註6]
「この次は、すでに失踪してしまった状況で、失踪の向こうにある世界を書いてみたい。乞食とチェ・ゲバラの 話です。ぼくはふり向くことがいやなんだ」(『私の文学を語る』全集第22巻、45ページ上段)安部公房が、 ここに至るまでにどんなに苦労をしたかは『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)をお読み下さい。]
「火を消すものがやつてきたら
ぼくら自身が火となるために!」
といふ二行は、安部公房が自らの命を掛けて、文字通りに死ぬ覚悟で日本共産党員にまでなつて、言語による意識の革命、即ち存在の革命を起こさうとしたことを歌つてゐます。[註5]
[註5]
安部公房の考へた革命が全て言語との関係であることの詳細は、『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)をお読み下さい。
後年安部公房は当時を振り返つて、革命について次のやうに語つてゐます。もぐら通信第29号『安部公房と共産主義』より引用します。
「[註18]
ナンシー・S・ハーディンとのインタビュー、『安部公房との対話』(全集第24巻、478ページ下段)で、 安部公房は次のように、『第四間氷期』と革命について述べて言います。これは、結局、安部公房を発見した埴谷雄高の至った「存在の革命」と同じことを、安部公房は言っているのです。それを「内部の対話を誘発するこ と」と言っております。これは、その人間の意識の革命のことを、ふたりとも言っているのです。
「ーまだ話題にしていない小説のひとつに『第四間氷期』があります。あとがきのなかで、この小説の目的のひ とつは「読者に、未来の残酷さとの対決をせまり、苦悩と緊張をよびさまし、内部の対話を誘発すること」(『第 四間氷期』二七二頁)だと書かれていますが。
安部 ひとことだけ説明します。ぼくは革命というものに決して反対ではありません。しかし、強調しておき
たいのは、革命ではそれを望む人々が逆に殺され傷つけられたりすることが少なくないということです。革命家が自覚して己の幸福のためよりもむしろ革命のために進んで苦しんでいるならば、自分の命を賭ける自信や、革命で殺されてもよいと信じる意志がないならば、革命など起こせません。反対に、もしそれほどの強い意志があるならば、当然起こすべきです。それが『第四間氷期』のテーマです。」(傍線筆者)」
さて、再度まとめますと、上述の通り、『世紀の歌』で宣言した涙の壺の蒸留法とは、『デンドロカカリヤA』の話法の構造に於いて、
(1)「相手に呼びかける話者」を「相手に呼びかけることのない話者(=単に話者としてある話者)」に変更した事
(2)話法の最下層の「「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)」の中のコモン君(D)」の階層を取り去つた事
この二つといふ事になるといふ結論ですが、『デンドロカカリヤA』と『デンドロカカリヤB』の間にある『赤い繭』『魔法のチョーク』『S・カルマ氏の犯罪』の、長短を問はぬ主要な画期的な安部公房の作品は、確かに其の通りの話法となつてをり、主人公の人称はいづれも三人称となつてをります。
安部公房が詩人として世界を歌ふときには一つの特徴があると冒頭いひました。それは、現実の世界と其の中にある諸物諸事諸人に対して、呼びかけるといふ事であり、次に自問自答するといふ事ですが、『〈今僕はこうやつて〉』といふエッセイに、次の、言語で表現する事に関する安部公房の禁忌(タブー)のある事を、同じ引用箇所の後半に着目戴いて、締めくくりと致します。
「例えば今此の庭に立つ見事な二本の樹を見給え。見る見る内に生が僕の全身から流れ出して其の樹の葉むらに泳ぎ著く。何と云うゆらめきが拡る事だろう。僕の心に繋ろうとする努力がありありと見えて来る。さあ、此処で僕達が若し最善を発揮しようとしたならば一体何うすべきなのだろうか。こんなに僕を感じさせる或るもの、そこにある秘密を見抜く可きであろうか。いやいやそんな事ではあるまい。それは限りある行為であり外面への固定に過ぎないのではあるまいか。」[註6]
[註6]
このエッセイの全体と上の引用の箇所についての詳細な分析と解読は、『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)の[註15]に詳述しましたので、これをご覧ください。
詩人としての安部公房が小説家に変貌するに当たり、上で結論づけた、上記(1)の「相手に呼びかける話者」を「相手に呼びかけることのない話者(=単に話者としてある話者)」に変更した事といふ此の事実は、19歳の『〈今僕はこうやつて〉』の上記引用傍線部の考への、小説の世界での実行であつて、「相手に呼びかける話者」を招来すれば、この生命を固定させてしまひ殺してしまふ事になるといふ恐れから来る禁忌の、やはり、命を命として其のままに大切にしたいといふ気持ちが、この自然の秘密を文字とテキストの上では秘匿しようと決心したといふ事の結果であるといふ事になります。
つまり、シャーマン安部公房の秘儀の式次第といふ小説作法上の様式を遵守する限り、この点でも、即ち話法の視点からも文法的に、詩人としての命を秘匿し守つたまま、安部公房は詩人のままに小説家として生きることができるのです。
このことを可能ならしめた、上記の蒸留法のうちの(2)の「話法の最下層の「「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)」の中のコモン君(D)」の階層を取り去つた事」は何によつて可能であつたかといふと、
作者の僕(A)>作者の中の「僕」(B)>「作者の中の「僕」」の中の「僕」(=「あなた」)(C)>「作者の中の「僕」の中の「僕」(=「あなた」)」の中のコモン君(D)
といふ構造を、
作者の僕(A)>作者の中の「僕」(B)>「作者の中の「僕」」の中の「僕」(=「あなた」)(C)
といふ構造の「あなた」(=「作者の中の「僕」」の中の「僕」)を「彼」といふ三人称に変える事によつて、
安部公房>話者>三人称による登場人物
といふ構造を確立することができたからです。
これは、上に言及した『平和について』の同じ箇所を再度引用しますので、僕といふ一人称と、(二人称として呼びかけの対象たり得る)僕の中の「僕」と、(三人称として呼びかけの対象たり得る)僕の中の「僕」の3つの人称の関係について、安部公房の言つてゐる次の言葉を吟味して下さい。話の前後は無視して、論理だけを考察して下さい。
「そして実用主義的にその人間学が「君」の(僕の中の)平和を創り出すだろう。(略)「彼」のということさえ危険だ。平和はあくまでも「君」の、そして其処に於けるものだから。」
この「彼」と呼ばれて、「僕の中の「僕」」を脅かす「僕の中の「彼」」といふ三人称については、『安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」入門』と題して稿を改めて詳述しますが、今少しだけ考へて見れば、これは安部公房の小説に出てくるすべての監視者、追跡者、例えば『赤い繭』の警察官、『デンドロカカリヤ』のK、『S・カルマ氏の犯罪』の緑色の服の監視者、『密会』の盗聴者である馬と其の盗聴システム等々、あなたの思ひ出すままに、幾らでも類似の場合の登場人物の名前を挙げることができるでせう。
さて、以上のことを一言で云へば、長い道のりながら、安部公房独自の内省的な話法の中で、
安部公房>相手に呼びかけない話者>三人称の登場人物(例えば『デンドロカカリヤB』のコモン君)
といふ落ち着くべき(見かけ上は)普通の構造に、やつとこれで、なつたといふ訳です。
さて、それでは、表面上、形式上、やつと此の普通の小説の構造に至つた安部公房が、その小説の内容として一体何をどのやうに書いたのか、即ち、結末継承と冒頭共有・結末共有の成り立ちの論理の話を『安部公房の論理学』と題して、二進数の数学(ブール代数)と論理学の視点から、稿を改めてお話致します。
『安部公房の論理学』では、冒頭に掲げた話法の問題の3つの要素、即ち、
(1)人称:一人称、二人称、三人称とそれぞれの単数・複数
(2)話法:誰が話してゐるのか。直接話法と関節話法。
(3)時制:その文が含む時間、即ち過去、現在、未来、そして時間のない文(非現実話法の文)
この3つのうち、この論考では(1)と(2)の話でしたが、『安部公房の論理学』では、(3)に焦点を当てて、文法の視点から、安部公房の言語機能論と超越論を含めて、論じることにもなリます。