人気の投稿

2014年12月27日土曜日

安部公房作曲の音楽:YouTube

安部公房作曲の音楽

YouTubeに、1985年の安部公房によるシンセサイザーの曲音の聴ける対談がありましたので、URLを引用して、お伝えします。

http://youtu.be/2RttZ3J5_YE

安部公房が鐘の音のようでしょうという、そのような音を聴くことができます。

何故自分で作曲をするようになったかという、その理由も説明されております。


もぐら通信(第28号)を御届け致します。


こんにちは、


もぐら通信(第28号)を御届け致します。次のURLからダウンロードすることができます。


今月号も、

1。ニュース&記録&掲示…page 2
2。目次…page 3
3。SFを創る人々*その1 安部公房氏:大伴秀司…page 4
4。レストランキャンティ(CHIANTI)と安部公房:岩田英哉…page 9
5。うずめ劇場公演、ネストロイの喜劇の二本仕立て『昔の関係』と『酋長、
  夜風』を観劇する:編集部…page 14 
6。もぐら感覚22:ミリタリー•ルック(後篇):岩田英哉…page 16
7。読者からの感想...page 32
8。編集者通信:何故川端康成は安部公房の『壁』を芥川賞に推したのか?
                              …page 349。編集後記:…page 37
10。次号予告... page 38

など、興味深い記事が満載です。

今月ものんびりと、ゆるやかに、安部公房との関係をお楽しみ下さい。

では、また次号まで、

もぐら通信

2014年12月26日金曜日

「10代の安部公房を読む会」(第3回)を開催します

「10代の安部公房を読む会」(第3回)を開催します

第1回の参加者の中から声が上がり、楽しかったのもう一度やりましょうということから、次の要領にて、第3回の同会を開催致します。

出席ご希望の方は、来年2015年1月9日(金)までに下記(7)「備考」欄にあるメールアドレス宛に御連絡下さい。

(1)日時:2015年1月10日(土)13:00~17:00
(2)場所:八王子市南大沢文化会館 第4会議室
(3)会費:会議室利用代金の1100円を参加者の人数で割ることに致します。
(4)アクセス:京王線(相模線)南大沢駅徒歩2分:
(5)対象作品:『詩と詩人(意識と無意識)』
(6)申込期限:来年2015年1月9日(金)まで
(7)備考:前回同様に輪読の形式とし、各人が一段落ごとに音読して、安部公房の声に耳を傾け、その文字と行間の意味を読み取ることを致します。

この20歳の論文は、10代の安部公房の思想の集大成であり、同時に10代の詩、それから『無名詩集』の詩の重要な註釈と解説(であるばかりか、その後の晩年に至るまでのすべての作品成立の基礎)になっておりますので、安部公房という人間を理解するために、全集第1巻に収められている10代の安部公房の詩をも併せて読み解くことに致します。

前回第2回で、3時間かけて、この作品の最初の3ページを読み込みました。全集第1巻のページ数で行きますと、106ページまでに当たります。

次回第3回は、106ページの下段左下の「諸々の声は」から始まります。4時間の時間を予定しています。

新しく参加なさる方は、あらかじめ最初の3ページをお読みになってご参加下さい。

勿論、最初に前回の3ページの復習を簡単にしてから、4ページ目に入ろうと思います。

多分3回目でも終りませんので、更に隔月としてか、何度か連続的に会を開催することを考えております。この頻度は出席者に当日相談を致します。安部公房全集第1巻をご持参下さい。お持ちでない方には事前に資料を御届けしますので、次のアドレス迄:eiya.iwata@gmail.com


また、2次会を近くの焼き鳥屋「おっけい」本店(看板は焼き鳥屋ですが、本当は鮮魚が抜群に美味い)で予定しております。予算は、一寸高めで申し訳ないのですが、3000円から4000円未満です:http://tabelog.com/tokyo/A1329/A132904/13046158/

2014年12月14日日曜日

ネストロイの喜劇の二本仕立て、『昔の関係』と『酋長、夜風』を観劇する



ネストロイの喜劇に二本仕立て、『昔の関係』と『酋長、夜風』を観劇する




二日前の金曜日、12月12日の夜の部で、うずめ劇場の公演する、オーストリアの19世紀の劇作家ネストロイの喜劇の二本仕立て、『昔の関係』と『酋長、夜風』を観劇することができた。場所は両国のシアターΧ(カイ)。

二作とも、面白い劇であった。

ネストロイの作劇の根本は、この二つの作品をみると、人間同士のお互いの錯誤、誤解、行き違いをその骨子として作劇するものだと思った。

人間同士の行き違いから笑いのある喜劇を生み出すのです。これが、ネストロイの作劇法なのでしょう。話は全く荒唐無稽であるのに、舞台の役者同士の行き違いが、観客にはよくわかるように作られているし、また舞台の役者がそれぞれに、観客に直接訴えて、自分の窮状を伝えて共感を得ることなど、この作者の工夫は、わたしたち観る側にとっても実に楽しいものでした。客席からは、よく笑いが起こりました。この上演は成功でした。

また、ピアノとヴァイオリンが舞台の裾で演奏されていて、役者も歌を歌うので、これはアメリカ人ならばミュージカルという劇でもありましょう。

音楽が入り、役者の歌う姿を見ておりますと、ああヴィーンという歴史のあり、文化の洗練された、ハプスブルク家の支配したこの都に住むひとたちにとって、音楽という藝術は生活の一部になっていて、生きるために欠かせない藝術なのだと、そう思われるのでした。

実は、この作家は、わたしが学生時代にドイツ文学を学んだときに、ドイツ文学史で教わり、オーストリア文学のヴィーンの民衆劇の作家として覚えている作家なのでした。

今ネットで調べると、ネストロイという作家についての日本語のWikipediaはない。日本人は、この作家を知らないのでしょう。ドイツ語と英語のWikipediaがあります。



このWikiをみると、ネストロイは劇作家であるばかりではなく、みづから舞台に立ち、オペラの歌手としても歌を歌ったとあります。さもありなむという、楽しいうずめ劇場の舞台でした。

その作家の作品を、しかも二本も、更にしかもこの日本で、それも更にしかも日本語で、お目にかかるなどとは、全く思いもかけない、これは東ドイツ出身の演出家、そうして演劇の歴史の専門家でもあるペーター・ゲスナー氏でなければ思いもよらないネストロイという、この今の日本での選択だと思います。

この、今ネストロイを選択したということが、わたしを驚かせました。

そして、期待にたがわぬ上演でした。

舞台を見ていると、おそらくドイツ語の原文では、ヴィーン訛りや、或いはヴィーン周辺の土地の訛りも香辛料にまぶして、役者はそのセリフを口にするものなのでしょう、この台本の日本語の翻訳者は、その訛りを薩摩弁や東北弁に置き換えて、そのおかしさを誘い、楽しいセリフ劇として日本語の世界で再現しておりました。

舞台をみるということは、楽しいことなのだという当たり前のことを改めて思い出した2時間半でした。あっという間の2時間半でした。

舞台が終わって、役者の挨拶が終わってから、ゲスナー氏が挨拶に立って、うずめ劇場が今年前半に上演した安部公房の『砂の女』が、テアトロ誌上による今年の演劇ベスト5に入ったということでした。これも嬉しいことで、こころの中でおめでとうと言いました。

『砂の女』で仁木順平と砂の女を熱演した荒牧大道さんも後藤まなみさんもともに、このネストロイの二つの舞台では主役を、また主役級の配役を演じていて、安定した演技で、わたしたちを楽しませてくれました。そのほかの役者のみなさんの演技も素晴らしかった。セリフ廻しもよく熟(こな)れていて、これもよかった。翻訳もよかったのです。

同じ『砂の女』の舞台に立っていた荒井孝彦さんの姿も『酋長、夜風』では拝見することができ、お元気でご活躍のこと、なによりでした。

しかし、酋長の名前が夜風とは、何という命名でありましょう。Nachtwindという名前なのでしょう。

『酋長、夜風』では、舞台を太平洋に浮かぶ島々の中の土人の世界を舞台にして、土人の酋長、夜風の科白には、当時のヨーロッパの植民地支配、その侵略に対する辛辣な科白もあって、ネストロイという人間の人間観察と時代観察も織り込まれておりました。(南太平洋の島々の土人たち、これらの人たちにとって、ヨーロッパ人のその手前勝手な文明の侵略がどのようなものであったかは、中島敦の名作『光と風と夢』に詳しい。R.L. Stevensonを描いた素晴らしい作品です。)

しかし、素晴らしいことは、これが政治劇なのでは全然なく、全く楽しい文字通りの、そしてわたしが学生時代に教わった通りの、科白と歌と踊りとから成る、ヴィーンの民衆劇(Volkstheater)であったということです。

Theaterというこの言葉の、本来の意義を久し振りで思い出した、いい師走の夜でした。

ネストロイを選んだゲスナー氏に、声をかけて下さった荒井さんに、そして役者のみなさんに、翻訳者のみなさんに、この場を借りてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

追記:
ふたつの作品の幕間に、ロビーで飲食が供せられていて、これも全くヴィーンの観劇の作法の通りに工夫を凝らしていて、ゲスナーさんのヨーロッパ人であることの経験と知識を活かしたのだなあと思いました。

Theater(劇場)での幕間の飲食というこの贅沢を、これも久し振りに思い出した夜でした。観劇するとは、確かにこのように楽しい経験、贅沢な日常の経験なのです。


日本ならば、さしづめ、歌舞伎の舞台をみながら幕間に幕内弁当を広げるというところでしょうか。



2014年12月10日水曜日

何故安部公房が21世紀にも残る作家として宮沢賢治と太宰治の名前を挙げたのか?


山口果林著『安部公房とわたし』に、安部公房が21世紀にも残る作家として、

1。宮沢賢治と
2。太宰治

この順番で、このふたりの作家の名前を挙げる箇所があります。

「いつのことだったか、「次の世紀に生き残る作家は誰だと思う?三人挙げてみて」と聞いたことがある。安部公房は少し考えて「宮沢賢治、太宰治......うーん」三人目の名前はなかった。自分だという思いがあったのだと思う。」(同著、179ページ)

最近信州大学の友田義行先生の最新の論文『安部公房「友達論」』(岩波書店発行。『文学』2014年11月・12月号)を拝見して、なぜ安部公房が宮沢賢治と太宰治のふたりを21世紀に残る作家として、この二人の作家の名前を挙げたのかという問いに答えることができると思いました。

この論文は、安部公房という作家が、『闖入者』という短編小説を『友達』という戯曲にし、またそればかりではなく、安部公房という作家の特性として、小説を戯曲に、戯曲を映画にと、その領域を超えてひとつの作品を書き継ぎ、書き換えることを論じているものです。

この友田先生の論文を読んで、安部公房によく似た、同じ人間をすぐに思い出しました。

れが、宮沢賢治でした。

と、こうして冒頭の逸話(エピソード)に戻って考えると、宮沢賢治と安部公房の共通点は、最初の原作に手を入れて時間の中で改稿をし続けるということ、version upし続けるということ、これが、共通点です。

別な視点からみて、これが何を意味するかと言いますと、言語組織(言語作品)の方が作者をして、その作品の改訂を継時的になさしめる、変形させることを要求するという、普通の世間からみると本末顛倒のことを共有しているからなのです。

また何故太宰治を二番目に挙げたのかといますと、この太宰治という作家は、安部公房が20歳の時に『詩と詩人(意識と無意識)』で確立した安部公房という詩人生涯の思考論理、すなわち、

Aでもなく、Zでもなく、第三の客観、第三の道を求める

という安部公房の論理を、この太宰治という作家がやはり、安部公房と共有していると、安部公房がそう思ったからではないかと思います。これは、十分にあり得ることではないでしょうか。

この思考論理は、例外なく、すべての安部公房の小説、エッセイ、戯曲に現れています。

ということは、これらの日本人の作家は、孤独な作家だと安部公房が思ったことになり、同時に更に言えば、このふたりは、孤独ということで、CanettiとKafkaに通じていると、安部公房は思っていたのではないでしょうか。

さて、上の後者のこの、第三の客観を求めるという安部公房の思考論理は、実はそのまま発明家としての安部公房の発想の論理であることに最近起業家たちと話をしていて気がつきました。

慶応義塾大学の巽孝之先生が、安部公房は言語組織(作品)を書く事も発明品を考えることも実は同じ行為であったのではないかということを、久生十義という作家と対談をしていておっしゃっていて(1969年の『ユリイカ』。昭和44年8月号)、これは全くその通りの指摘であると思っております。

また、久生十義による、同じ対談の、安部公房とファシズムの関係を言い当てた発言も実にその通りで、安部公房の弱点をついて、十分にそれを説明しているものです。この発言は実に安部公房の文学の核心の問題への正鵠を射た鋭い指摘です。これはこれでまた別に論じたいと思います。これらのことは、この安部公房の広場で『安部公房の発明空間とファシズム』と題して触れましたので、お読み下さると、嬉しく思います。:http://abekobosplace.blogspot.jp/2014/11/blog-post_69.html

最後に、最初に戻りますと、21世紀にも残る作家として、三番目に名前を挙げずに言葉を発しはしなかったけれども、三番目の作家、それはやはり宮沢賢治や太宰治と同類の作家である自分自身の名前であったのではないかと思います。


2014年12月7日日曜日

『安部公房外伝』の無料キャンペーンのお知らせです



この安部公房の広場で掲載した『岡山典弘著『三島由紀夫外伝』を読む:三島由紀夫が安部公房と共有した19の主題』を『安部公房外伝』として、アマゾンのKindle本として出版しました。

いつものように、無料キャンペーンです。

期間は、明日2014年12月8日より12月12日までです。次のURLです。


この著書の中から、安部公房を中心に、三島由紀夫と安部公房の共通したところを引用して、言葉を付し、岡山さんの同著の力を拝借しながら生まれたその言葉の集積をそのまま、安部公房外伝にしようという、この本の試みです。 

安部公房と三島由紀夫は、お互いに双子の兄弟のように、合わせ鏡に映った人間同士のように、互いによく似ております。

三島由紀夫と安部公房の読者は同じ場所に立っているのだと、わたくしは思っております。

お読み下さると、誠にありがたく存じます。



2014年12月4日木曜日

もぐら通信(第28号)12月号の目次が決まりましたので、お知らせします



もぐら通信(第28号)の目次が決まりましたので、お知らせします。

1。SFを創る人々*その1 安部公房氏:大伴秀司
   (安部公房全集未収録のインタビュー記事。『砂の女』刊行翌年の旺盛な執筆活動をする安部公房の姿を、写真とともに、知ることができます。)

2。詩人たちの論じた安部公房(2):『安部公房を読む』:長田弘
3。レストランキャンティ(CHIANTI)と安部公房
4。何故川端康成は安部公房を芥川賞に推したのか
5。もぐら感覚22:ミリタリィ・ルック(2)

2014年12月3日水曜日

東京グラフィティの特集企画「ファンが選ぶ作家、監督作品ランキング」による安部公房作品ベスト10

東京グラフィティの特集企画「ファンが選ぶ作家、監督作品ランキング」の集計結果によれば、決定した安部公房の作品ベスト10は、次の通りです。


【決定ランキング】

1位:砂の女
2位:箱男
3位:他人の顔
4位:壁
5位:第四間氷期
6位:燃えつきた地図
7位:無関係な死
8位:カンガルー・ノート
9位:密会
10位:箱舟さくら丸


東京グラフィティの企画についての記事です:

http://abekobosplace.blogspot.jp/2014/11/blog-post_28.html