山口果林著『安部公房とわたし』に、安部公房が21世紀にも残る作家として、
1。宮沢賢治と
2。太宰治
この順番で、このふたりの作家の名前を挙げる箇所があります。
「いつのことだったか、「次の世紀に生き残る作家は誰だと思う?三人挙げてみて」と聞いたことがある。安部公房は少し考えて「宮沢賢治、太宰治......うーん」三人目の名前はなかった。自分だという思いがあったのだと思う。」(同著、179ページ)
最近信州大学の友田義行先生の最新の論文『安部公房「友達論」』(岩波書店発行。『文学』2014年11月・12月号)を拝見して、なぜ安部公房が宮沢賢治と太宰治のふたりを21世紀に残る作家として、この二人の作家の名前を挙げたのかという問いに答えることができると思いました。
この論文は、安部公房という作家が、『闖入者』という短編小説を『友達』という戯曲にし、またそればかりではなく、安部公房という作家の特性として、小説を戯曲に、戯曲を映画にと、その領域を超えてひとつの作品を書き継ぎ、書き換えることを論じているものです。
この友田先生の論文を読んで、安部公房によく似た、同じ人間をすぐに思い出しました。
それが、宮沢賢治でした。
と、こうして冒頭の逸話(エピソード)に戻って考えると、宮沢賢治と安部公房の共通点は、最初の原作に手を入れて時間の中で改稿をし続けるということ、version upし続けるということ、これが、共通点です。
別な視点からみて、これが何を意味するかと言いますと、言語組織(言語作品)の方が作者をして、その作品の改訂を継時的になさしめる、変形させることを要求するという、普通の世間からみると本末顛倒のことを共有しているからなのです。
また何故太宰治を二番目に挙げたのかといますと、この太宰治という作家は、安部公房が20歳の時に『詩と詩人(意識と無意識)』で確立した安部公房という詩人生涯の思考論理、すなわち、
Aでもなく、Zでもなく、第三の客観、第三の道を求める
という安部公房の論理を、この太宰治という作家がやはり、安部公房と共有していると、安部公房がそう思ったからではないかと思います。これは、十分にあり得ることではないでしょうか。
この思考論理は、例外なく、すべての安部公房の小説、エッセイ、戯曲に現れています。
ということは、これらの日本人の作家は、孤独な作家だと安部公房が思ったことになり、同時に更に言えば、このふたりは、孤独ということで、CanettiとKafkaに通じていると、安部公房は思っていたのではないでしょうか。
さて、上の後者のこの、第三の客観を求めるという安部公房の思考論理は、実はそのまま発明家としての安部公房の発想の論理であることに最近起業家たちと話をしていて気がつきました。
慶応義塾大学の巽孝之先生が、安部公房は言語組織(作品)を書く事も発明品を考えることも実は同じ行為であったのではないかということを、久生十義という作家と対談をしていておっしゃっていて(1969年の『ユリイカ』。昭和44年8月号)、これは全くその通りの指摘であると思っております。
また、久生十義による、同じ対談の、安部公房とファシズムの関係を言い当てた発言も実にその通りで、安部公房の弱点をついて、十分にそれを説明しているものです。この発言は実に安部公房の文学の核心の問題への正鵠を射た鋭い指摘です。これはこれでまた別に論じたいと思います。これらのことは、この安部公房の広場で『安部公房の発明空間とファシズム』と題して触れましたので、お読み下さると、嬉しく思います。:http://abekobosplace.blogspot.jp/2014/11/blog-post_69.html
最後に、最初に戻りますと、21世紀にも残る作家として、三番目に名前を挙げずに言葉を発しはしなかったけれども、三番目の作家、それはやはり宮沢賢治や太宰治と同類の作家である自分自身の名前であったのではないかと思います。
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