安部公房と谷崎潤一郎
山口果林著『安部公房とわたし』を読んでいて、つぎの記述があった。思うところがあるので、わたしの考えを述べてみたい。
女優がテレビ番組でおとなう土地を舞台にした小説ということで、谷崎潤一郎の『吉野葛』を読んでいたときの話である。
「マンションで「吉野葛」の文庫を読んでいる最中に安部公房がやってきた。お茶の支度をしている間、安部公房は本を取りあげ読んでいた。初めて読んだのだろう。「谷崎って僕の文体に似ている」と感心したように言った。」
最初に安部公房と谷崎潤一郎の共通点を挙げて、次に、何故安部公房が『吉野葛』を読んで、自分の文体に似ていると感心したのかを述べることにする。
まづ、安部公房と谷崎潤一郎の共通点を、思いつくままに挙げると、次のようになるだろう。
1。便所が好き
2。反自然主義、反写実主義
3。女性の体のある部位へのフェティシズム
4。自分を異端者だと規定していること
5。特定の女性への崇敬のこころ
6。生理的な感覚を大切にしたこと
谷崎の著作に『陰影礼賛』という作品がある。これは、文学史でも、表立った評論家の言葉の上でも、陰影豊かな日本の美を語った本だということになっている。
しかし、わたしにはそうは見えないのである。最初のページを繰って、数ページと行くか行かぬかというところで、便所の話になるのだ。
そうして、延々と和式の便所の話が続くので、わたしはこの作品を読むと、いつもその先へ行く事ができずに、便所の記述の中で行き倒れるのである。
中央公論の文庫版の『陰影礼賛』には、複数の随筆が収められているが、その最後に『厠のいろいろ』という題の随筆があり、厠(かわや)とは、便所のことであり、その話が実に、これもまた延々と続くのである。
これは、上に6つ挙げた共通点のうちの、6番目の感覚を大切にしたことに深く通じていると、わたしは思う。1と6は脈絡があるのだ。
4については、谷崎には、そのものずばりの『異端者の悲しみ』という作品があり、この中にも便所が複数回出て来るのであるが、主人公、又は話者は、小説の最後の余白に、次のように独白するのである。
余白に書くということといい、独白といい、これは安部公房の世界に充分過ぎる位に通じている。
「それから(筆者註:妹が死んでから)二た月程過ぎて、章三郎は或る短編の創作を文壇に発表した。彼の書く物は、当時世間に流行して居る自然主義の小説とは、全く傾向を異にして居た。それは彼の頭に醗酵する怪しい悪夢を材料にした、甘美にして芳烈なる芸術であった。」
谷崎を『刺青』という短編小説で発見したのは、永井荷風であるから、次のような文学的な系譜を書く事ができるだろう。
江戸文学→永井荷風→谷崎潤一郎→安部公房
それに加えて、安部公房の師であった石川淳も江戸文学に深く根を下ろした作家であったから、この系譜は次の様になるだろう。
谷崎に荷風がいるように、安部公房には埴谷雄高がいるのである以上、埴谷雄高を加え、そうして更にこの系譜は、外国文学との関係で安部公房がその深い影響を明言している作家達の名前を加えて完成させると、次の様になるだろう。
さて、話を、江戸文学の系譜に戻して、安部公房の文学を考えると、明治以降の作家で、19世紀の写実主義を否定して自分の芸術を完成させた作家の系譜にあり、安部公房は、その独自の位相幾何学の文学ということからであるにせよ、江戸文学からの文学的脈絡の中に位置づけることができるということがわかる。
江戸の文学に造詣の深い石川淳に発見され、逆に同様の谷崎の文体に自分と似たものを発見する安部公房。石川淳も谷崎潤一郎も、ともに江戸っ子である。
江戸っ子が安部公房を発見し、同様に安部公房が江戸っ子の文学に文体の類似性を発見したというのは、実に面白いことだ。
さて、谷崎との共通点の話である。
4の異端者という自分自身の、社会に対する位置の設定、いや文壇に対してもの位置の設定については、論をまたないだろう。安部公房は、内なる辺境といい、周辺飛行といい、同じ考えを、谷崎の場合とは違い全く論理的にであるが、その思想と志操を述べていることは、読者周知のことである。
3の女性の体の特定の部位についてのフェティシズムは、谷崎は女性の足に、安部公房は女性の脚に、特に膝小僧に嗜好があったというところが、フェティシズムとして共通している。
5の特定の女性への崇敬のこころといえば、谷崎は前夫人と別れてから、松子夫人への、安部公房は1970年代、箱男以降は、真知夫人と別居して、山口果林への愛情を隠さなかったことは、女優の著作によって、今ようやく明らかになった。
6は、安部公房が、自分の文体に似ていると喝破した通りである。
何故『吉野葛』を読んで、安部公房が、そう言ったのかを以下に論じたい。
それは、『吉野葛』の話の構造と道具立てが、安部公房の手紙体、手記体の小説と同じだからである。曰く、『終りし道の標べに』、『他人の顔』、『箱男』、『密会』。
初期の作品『白い蛾』に明らかであるけれども、安部公房は、話中話、劇中劇を、ひとつの話の中に設ける。そうして、その話中話、劇中劇の媒体として、手紙や手記を使うのである。
谷崎の『吉野葛』は、まったく同じ話の構造と道具立て(手紙)を使った作品である。
『吉野葛』は、主人公(話者)は、その友人津村という男に誘われて、吉野の山深い地を尋ねる話であり、この友人は子供の頃亡くなった若い母親の面影を求めて母の地を尋ねるという話である。そうして、この作品の全体には、伝説や歴史的故事がふんだんに引用され、言及されて、読者を古い時間、しかしれっきとした物語の時間の中へと誘(いざな)うように出来ている。
この作品の中心にあるのが、津村という友人が見つける、母親が父親に宛てて書いた手紙なのである。その手紙が、話中話、劇中劇となって、読者を更にその先の世界へと誘(いざな)い、遊ばせてくれる。
手紙又は手記は、安部公房が愛用し、愛好した媒体であるが、谷崎は、この作品で同じ媒体を使って、話を構造化している。
『吉野葛』の出だしの数ページは、安部公房の『榎本武揚』を彷彿とさせるものがある。それは、この話が、津村という友人の話ばかりではなく、その外側にある結構は、主人公(話者)が小説家であって、この小説家が昔の資料を読んで、現代に資料の中の話を再解釈する作品でもあるからだ。
最後の生理的な感覚に忠実であったということも、ふたりの共通性であると思う。見かけ上、文体が全く異なる二人であるが、安部公房が「僕の文体に似ている」と感想を漏らしたその理由は、やはり、一言で言えば、物語を語るということと、その語り口が、よく似ているという意味なのであろう。その物語の媒体(手紙)を使ったことといい、また物語の結構(構造)も、同じであることといい。
このような理由から、19世紀の写実主義を徹底的に否定した、その意味では自分にそっくりな江戸っ子の先達が、石川淳の他に、いたということを、安部公房は、このとき、直覚的に知ったのだと思われる。
[岩田英哉]
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