安部公房の父、安部浅吉はどのやうな人間であつたか
昨日国会図書館へ行き、京都の分館より取り寄せた安部公房の父、安部浅吉が京都帝国大学で博士号を取得した当の博士論文を拝見した。
その章立ての数字を手書きで、赤いインクの細書きのペンで、文字を添えるやうにして訂正しているのは、多分浅吉本人の手であろう。その細書きのペン先の選択といい、その文字は実に気の優しい人間の手になる文字だと思はれた。
さうして、複写のために目次と内容を読んでゐて、驚く。
その行間から、『羊腸人類』や『緑色のストッキング』が立ち現れるやうに思われるほどに、その論文は現実と結びついた科学論文であるからだ。
安部公房の文学世界と其の骨太の骨格(構造)をなす物の考え方は、間違いなく、父浅吉からも受け継いだものであることが、よく判る。
誠に興味ふかいことは、安部浅吉といふ人間は、既に京都帝国大学で此の博士論文をものした時には、思考の領域で、また自分の人生観に於いても、若年にして既に完成していたといふことである。
これは、安部公房と全く同じである。
(これと同じ型(タイプ)の思想家に、ショーペンハウアーがゐる。ショーペンハウアーも期せずして、バロックの哲学者である。また、奉天は、日本人が大陸で建設した、人工の、バロック様式の町である。)
さて、それが一体どういうことか、それがどのように安部公房の小説の構造に反映しているかは、既に『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する~安部公房の数学的能力について~』(もぐら通信第32号及び第33号)で十全に論じたところですが、更に再度浅吉との関係で、浅吉の視点から、次号以降のもぐら通信にて論じます。乞ふ御期待。