もぐら通信第48号(第五版)の発行
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修正箇所:14ページ
安部公房と成城高等学校
(連載第5回)
安部淺吉の論文について
訂正前:
1。昭和5年、西暦1930年:33歳
学位論文「患者食研究」で京都帝国大学より医学博士の号を授与される。
この論文の表紙には、「滿洲醫科大學榮養部 講師 安部淺吉」とあり、その印刷と製本は、「日新醫學 第十九年第1號(昭和四年九月發行)別刷」とあります。
2。昭和12年、西暦1923年:26歳
『兒科雜誌』(第283号。日本小兒學會。大正12年12月20日発行)に「幼兒「テタニー」症ノ一例」を寄稿。肩書なし、本名のみ。
3。昭和2年、西暦1927年:30歳
『滿洲醫學雜誌』(第7巻第6号。東洋醫學社。昭和2年12月11日発行)に「支那食品ノ硏究」を寄稿。肩書は、満洲醫科大學榮養部とのみあり。
4。昭和3年、西暦1928年:31歳
(1)5月
『『滿洲醫學雜誌』(第8巻第5号。東洋醫學社。昭和3年5月11日発行)に「支那食品ノ硏究(第二囘報告)粉條子竝ニ炒米ニ就テ」及び「支那食品ノ硏究(第三囘報告)奶豆腐波ニ炒米ノ「ヴイタミン」Bニ就テ」を寄稿。肩書は、満洲醫科大學榮養部とのみあり。
(2)6月
『滿洲醫學雜誌』(第8巻第6号。東洋醫學社。昭和3年6月11日発行)に「「ヴイタミン」B製劑「オリザニン」ト大腸菌「インドール」產生ト關係ニ就テ」を寄稿。肩書は、満洲醫科大學榮養部とのみあり。
訂正後:
1。大正12年、西暦1923年:26歳
『兒科雜誌』(第283号。日本小兒學會。大正12年12月20日発行)に「幼兒「テタニー」症ノ一例」を寄稿。肩書なし、本名のみ。
2。昭和2年、西暦1927年:30歳
『滿洲醫學雜誌』(第7巻第6号。東洋醫學社。昭和2年12月11日発行)に「支那食品ノ硏究」を寄稿。肩書は、満洲醫科大學榮養部とのみあり。
3。昭和3年、西暦1928年:31歳
(1)5月
『『滿洲醫學雜誌』(第8巻第5号。東洋醫學社。昭和3年5月11日発行)に「支那食品ノ硏究(第二囘報告)粉條子竝ニ炒米ニ就テ」及び「支那食品ノ硏究(第三囘報告)奶豆腐波ニ炒米ノ「ヴイタミン」Bニ就テ」を寄稿。肩書は、満洲醫科大學榮養部とのみあり。
(2)6月
『滿洲醫學雜誌』(第8巻第6号。東洋醫學社。昭和3年6月11日発行)に「「ヴイタミン」B製劑「オリザニン」ト大腸菌「インドール」產生ト關係ニ就テ」を寄稿。肩書は、満洲醫科大學榮養部とのみあり。
4。昭和5年、西暦1930年:33歳
学位論文「患者食研究」で京都帝国大学より医学博士の号を授与される。
この論文の表紙には、「滿洲醫科大學榮養部 講師 安部淺吉」とあり、その印刷と製本は、「日新醫學 第十九年第1號(昭和四年九月發行)別刷」とあります。
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