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2023年7月27日木曜日
石原慎太郎著『光より速きわれら』を読む
西村幸祐
石原氏の久し振りの長編小説である。全体が四章から成り、「甘い毒」「天体」「饗 宴」「舞踏」の各章が二年以上の間に渡って断続的に発表された。そのせいか統一的な構成には不満を残すものの、第一章の冒頭で展開される早朝の 神宮球場でのヌード撮影の場面には、妙に生々しい現実感を持ったスペクタクルとし てこの物語全体を貫く、大きなうねりを予感させるものがある。そしてそのうねりは 一瞬一瞬の閃光にも似た軽佻浮薄な現代風俗の様態を我々の前に詳かにしてくれる。 『太陽の季節』以来、石原氏の作品世界にとって〈風俗〉は殆どその滋養分になって いたと言える。考えてみればこれは驚くべき事であって、時代を捉える確かな批評精 神の証左とも言えるだろう。
クラブ経営者の良という男が主人公であるが、主人公と云っても彼は全編を通じて 登場する奇怪な前衛舞踏家、葛城東兵衛とポジとネガの関係にあり、東兵衛の前では ワキとなる。この影の主人公、東兵衛や第三章「饗宴」から登場する興行師の大影の モデルと思しき人物が実在するが、彼等を始め、この小説に多く登場する作家や写真 家と云った自由業の人間達は、大影の言う「虚業家」として尖鋭化した〈風俗〉を作 品の中に定着させる事に成功している。つまり作家が現代に何を視て、如何に書くか と云う難問に対して、石原氏は〈風俗〉の或る極限化された状態を設定し、凝縮して みせたに過ぎない。そしてその凝縮された美しい結晶が現代社会の病根を帰納しているのである。
この帰納法が成功した原因には恐らく石原氏が舞踏と云うものを持ち出し、〈肉 体〉を手掛かりに人間の蘇生を試みようとした事が挙げられるだろう。作品中の性 (セクス)の意味にしても『太陽の季節』『行為と死』に於けるそれと『化石の森』 と本書でそれが顕しく変化しているのも見逃せない事実だ。
良は仲間達と屢々マリファナ、LSDによる「トリップ」を行う。良は妻子と別居中 であり〈旅(トリップ)〉は家庭からの。そして「堂々巡り」からの脱出でもあった。 東兵衛の弟子のミキと云う踊子に良が魅かれて性交渉を持つが、「手に触れているす ぐ横のミキの感触が信じられない。」彼は「もっと確かに二人を繋ぐもの」として〈旅 (トリップ)〉を思い立ち、実際その後富士山の中腹での幻想的な性行為を通じて良 はミキと繋がれたと思うのだが、ミキは失踪してしまい、遂には死体となって良と再 会する。ここで注目すべき点は初めてミキと交った際に東兵衛の幻影が彼の前に立ち 塞がった事である。「感覚が法律だ」と言う東兵衛は舞踏を「肉体の陶酔の管理」と 定義して次のようにも言う。「人間の感覚も精神も、一度解体しようなんて思って見る間に、もう溶けてしまっているんだ。その上に薬でトリップして見ても、それは、 衛生博覧会、グロのグロだ。」こうして〈旅(トリップ)〉による幻想は舞踏による 肉体に打ち砕かれている。肉体と幻想が対峙していた時には、良や大影は東兵衛から 自由であるが、その均衡が崩れると二人は東兵衛から逃れられなくなり、彼の支配下 に置かれて行く。終章で東兵衛が見せる〈奇跡〉に何よりもそれがよく物語られてい て、ワキの東兵衛がシテに変化する経緯がドラマティックに描かれている。そして、 この結末では東兵衛が現代に蘇ったディオニュソスとして全世界に君臨し、我々に不 気味な視線を投げかけるのである。この小説は石原氏の信仰告白の書でもあり、紛れ もなく近年の問題作の一つである。(鬼悟)
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編集子による書評の書評
石原慎太郎著『光より速きわれら』は昭和51年・1976年1月15日の出 版です(『光より速きわれら』のカバーのイラストは、ハンス・ベルメール: https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・ベルメール)。
この書評は同年終刊を迎へた第七次三田文学の5月号に掲載された此の時編 集部員であつた西村幸裕の手になるものです(編集長は遠藤周作)。批評の冴えは、当時会つて私が驚いた通りにかくのごときものであつて、このことと此の驚きは、昔も今も少しも変はらない。
私は当時新宿紀伊國屋書店の5階であつたか、本店の上階にあつた編集部の 末席を文字通りに汚してゐる役立たずの学生であつた。この号の出た当月か翌 月に、いづれにせよ此の第七次三田文学の終刊の年の夏の終はりと同時に私は 東洋エンジニアリング株式会社の嘱託となり同年8月に当時の共産主義国家ド イツ民主共和国、通称東ドイツに発つたのである。その私の旅の出立を記念す べき号の記念すべき、これを期すべからざる、今思へば、西村幸裕の寄稿である。
光陰矢の如しと云ふ古典的な定型文で我が身を慰めるつもりはない。石原慎太 郎のこの作品の題名はさうではない筈だ。何故なら、それは当たり前のことだ からだ。この作品を手に入れることができなかつたので、作品論はまた別にし たい。私が此の作家の芥川受賞作『太陽の季節』を読んで驚いたことは、その 最初のページの或る一行の文が日本語の文法からいふと破格であつて、障子の みならず日本語の文法も破つてゐるほどに若いエネルギーが満ち溢れてゐるこ とであつた。私はその破格の一行が未だに理解できてゐない。『光より速きわ れら』を論ずるとしたら、やはり此の破格の処女作を同時に論じなければなら ないだらう。
私の此の時の旅は、この作品の中にいふトリップではなかつた。トリップなら 行つて戻つて来るだらう。当時流行してゐた覚醒剤とかLSDといつた麻薬の効 果のやうに。しかし、それならば、私の旅は、トラヴェルかジャーニーといふ ことになる。行きつ放なしの旅である。何故なら、正気の閾値を踏み越え踏み 出て、いつ正気を取り戻して日本に戻ることになるのか皆目見当がつかないま まに、私は日本を、即ち日本語の世界に別れを告げて、出たからである。この 意義に於いて、此処に文字にしないが、私に全く固有の記憶を呼び覚ます格別 の西村幸裕の書評なのです。然かるが故に、余計なるかな、此の献辞を呈した 次第です。
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