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2012年12月30日日曜日

三木富雄 in うらわ美術館

w1allenです。
もぐら通信読者の方から教えていただいたのですが、今、うらわ美術館(さいたま市)にで、企画展『日本・オブジェ 1920-70年代 断章』が開催されています。

http://www.city.saitama.jp/www/contents/1347932770789/index.html

草月の勅使河原蒼風作品も気になりますが、映画「他人の顔」でセットに使われた三木富雄の<耳>の作品が展示されているようです。

2013年1月20日(日)まで開催されています。ご近隣の方のリポートがあれば、幸いです。


月刊もぐら通信(第4号)を発行しました


月刊もぐら通信(第4号)を発行しましたので、お知らせ致します。

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2012年12月25日火曜日

「もぐら通信」第4号の目次が決まりました。

12月30日発行予定(登録者には26日配信予定)の
「もぐら通信」第4号の目次が決まりました。

トップニュース「(霊媒の話より)題未定:安部公房初期短編集」が来年発売
1.安部公房異聞:池田龍雄
2.マルテの手記と安部公房:Mian Xiaolin
3.名付けるという行為―安部公房における匿名性:田邉栞
4.私論 安部公房「天使」:岩井枝利香
5.放送ライブラリーで安部公房ドラマを楽しもう!:ホッタタカシ
6.『第四間氷期』小論:w1allen
7.もぐら感覚・手:タクランケ
8.安部公房の変形能力2・エドガー・アラン・ポー:岩田英哉
9.『R62号・鉛の卵』を読んで:Mian Xiaolin
10.18歳、19歳、20歳の安部公房:贋岩田英哉


今号も力作揃いです。
確実に早く読むには、事前に登録をお願いします。

この安部公房の広場の右上の欄から登録できます。

2012年12月20日木曜日

安部公房ファンによる、安部公房ファンのための 「もぐら通信」へのご寄稿について

*ご寄稿いただき有り難うございます
「もぐら通信」にはこれまでに多くの方からご寄稿をいただき、まことにありがたく存じます。
原稿を作成するには、大変な労力と時間を必要としましょうが、私どもは、それを超えて原稿を下さる皆さまのお気持ちを大切にお受け取りしたいと思っております。
「もぐら通信」は皆さまのこうしたお心によって支えられていることに深く感謝し、せめてものお礼の気持ちをもって、ご寄稿いただいた方に「お礼と感想」を編集部三名がそれぞれ書いてお届けするようにしています。今後ともよろしくお願いいたします。

*ご寄稿依頼はご機縁から
私どもからご寄稿をお願いする時は、ご機縁を大切にしたいと思っております。たとえばWeb上で安部公房について何か述べられている方があり「この方にこのことをもっと深く書いていただきたいな」と思えば、そんな時、ご寄稿をお願いしたりします。
この時、お願いした方も「これをもっと書いてみたい、考えてみたい」と思われていれば、両方の波長が合って、初めてかみ合うことになりましょう。
そのような一期一会のご機縁によることが多いので、実際には編集部全員の総意によるよりも、各編集員個人の出会いと感性によってご寄稿をお願いすることが多いわけです。

*原稿はどれも平等の価値があると思っています
このようにご依頼した時「私の文なんか、他の方のようなレベルにないので」などと遠慮される方もありますが、私どもは「安部公房ファンの書かれるものはどれも平等の価値がある」と考えています。
確かに世に名のある方々の原稿もあります。でもその方たちが稿料もお出しできない小誌に快く書いて下さるのは、なによりもまず安部公房ファンであられるからなのだと思います。そして安部公房ファンであるということにおいては、どなたも平等であるはずです。

*幅広い記事を載せていきたい
また深みのある研究者の原稿もありますが、なにもそのような原稿だけを求めているのではありません。むしろ、「雑誌」という語が表すように、感想文や印象記や、その他いろいろな幅広い記事も載せていきたいと思っています。それらの中にどんな宝石を見つけるかは、それぞれの読者の感性によるでしょう。そんな思いがけない出会いの機会を提供し、幅広い安部公房ファンの交流の場となることが、小誌の目指すところであります。
ぜひ安部公房ファンの皆さまのご寄稿をよろしくお願いします。

*夢のある原稿を想って
このように、いろいろなタイプの原稿を期待していますが、筆者が前から個人的に想像している原稿があります。
それは「安部公房を小学生が読んだら、どんな感想を言ってくれるだろうか」ということです。それを想像するとワクワクします。「S・カルマ氏の犯罪」や「赤い繭」や「魔法のチョーク」や「バベルの塔の狸」などを、「不思議の国のアリス」のように、読んでもらえたら! そしてその感想をぜひ聞きたい! この夢はいつか叶うのでしょうか。

           「もぐら通信」編集部 (文責・OKADA HIROSHI

2012年12月16日日曜日

白い蛾







安部公房の23歳のときの短編に「白い蛾」という短編があります。全集第1巻、212ページです。

この話は、人間の真実を安部公房の言葉で語った掌編です。

これは白蛾丸という名前の小さな客船の船長の語る話として語られます。

この船長は自分の船室に迷い込んで、そこに活けてある白い薔薇の花に止まっている白い蛾に非常にこころ惹かれて、その蛾を、その蛾の死んだ後に標本として木箱に入れ、大切に保管しています。

この客船の客になった語り手の質問に、この白い蛾についての話を船長は語るという体裁をとって、話は進行します。

そうして、誠に安部公房らしいのは、語り手の話の中で白い蛾の話を語る船長が、更に話中話、即ち話の中で更にもう一つの話を語る、それも船長の考えた、白い蛾についての虚構の話を語るという重層的な物語の体裁に仕立てていることです。

そうして、船長にとっては実際にこの白い蛾に出あったことも、そうしてそのような物語を創造したことも、自分の荒々しい性格が温厚な性格に変わってしまうという重要な契機なのですが、それ以上にこの話中話で語られる船長の話が一層重要な意味を、この船長の所有する船の名前、白蛾丸という名前の由来として、持っているのです。

それは、このような話中話です。


「或る海岸につき出た岬の、丘のふもとにある虫の世界」に、他の虫類のように保護色の無い、白い色の蛾の一族が隠れて暮らしています。この一族は、「蝶や、蜂や小鳥等の、昼の光に包まれた華やかな情景」の世界に住むのではなく、反対に闇の中に、昼間の「裡面に小さく閉じ込められた蛾の一族」なのです。

そうして、虫や小鳥たちからの迫害を受けて、逃亡の生活に一族は入ります。その中の一匹が、「絶望的な気持ちでふと遠く向うの方を見ると、港に停泊している船の中で一そう目立って白い船が在る」のをみつけ、その船、つまり船長の白い船の中へとやって来るという、このような船長の夢想の話です。

これは、この船長が拵えた、この蛾がその船室に来て、白い薔薇にとまって離れないこの蛾のそれまでの人生の話です。

そのような物語を与えられた白い蛾は、薔薇の花びらが一枚一枚と次第に落ちて行くにもかかわらず、その花に留まり続け、とうとう最後の一枚の落葉とともに地面に落ちて死んでしまいます。そうして、船長はその蛾を標本にするのです。

そうして、この話の話者、即ち客船の客は、次の港で船を降りて、沖合に出て行く白蛾丸という船を眺め、それが船長の人生に重なるあの白い蛾と同じであることを感じ、白蛾丸が見えなくなるまで見送るところで、話が終わっています。

この掌編の、安部公房らしい特徴を挙げれば、次のようになるでしょう。

1。その世界の生き物とは姿が異なるが故に、迫害され、圧迫され、場所を追われる異端の主人公(白い蛾)の話であること。
2。話の中に、更に話しのある構造になっているということ。
3。変態、擬態、更に言えば変身のモチーフ、テーマであること。
4。3を更に言い換えれば、如何に隠れるかという主人公の意識の問題でもあること。
5。対話形式、即ちドラマ(劇)があること。
6。1000トンの船という、限られた狭い空間の中の話であること。
7。登場人物(船長)の現実を、虚構の話と接続することによって、その現実に深い意味を与えることができているということ。

また、8番目の特徴として、次のようなこの話の話者、船長へインタビューする主人公のものの考え方、ものの見方を挙げることができます。こうしてみると、この話には、主人公が3名いることになります。即ち、話者、船長、そして白い蛾の三つの主人公です。

従い、この掌編小説の構造は、以下のようになるでしょう。この構造も、実に安部公房らしい。

船中の空間>話者と船長のいる船長室>船長の語る白い蛾の話

そうして、そのような船中の空間(=白蛾丸)を外から眺める場所として、港という接続の場所が最後に来るということ。これが9番目の特徴と言えることでしょう。そうして、そこが同時に、別れの場所であることが。

さて、順序が前後しましたが、8番目の特徴です。

「普通つまらないとか大人気ないとか言われている事が、案外目に見えない所で人生の大きな役割を占め、時には主題にさえなっているものです。目に見えているものは、その奥に在る大きな塊りの様々な性質を、ばらばらに示している仮の宿で、影の様なものだと言うのが私の意見です。」


[岩田英哉]

2012年12月8日土曜日

変身について






わたしは一行の文があれば、それが日本語であれ、英語であれ、ドイツ語であれ、それを眺めて、多様な解釈をすることで時間を忘れ、何時間でも一行を眺めていられる人間です。

この写真も、われを忘れて魅入られたように見入ってしまいました。幾ら見ても飽きることがありません。この写真を見て、何故こんなに惹かれるかを考えてみると、上の段落に書いた、わたしの性癖を思い出しました。

一行の文が多義的であるというのは、詩文において典型的ですが、安部公房の一行もまた詩文の値を持っていて、多義的な解釈をゆるす言葉の集合となっています。

普通散文というものは、明解であり、達意を主眼としますから、その一行は前後の関係において一意的であり、その他の解釈をゆるさないように書かれます。

しかし、安部公房の一行はそうではありません。そうである限り、安部公房の散文は詩的散文だといううことができます。

そうして、結局、一行が多義的であるということ、即ち、その一行が多次元的な宇宙を前提にしているという事実は、この擬態に何かとても深い関係があるのではないだろうかというのが、わたしの思ったことなのです。

このように考えてくると、生物の擬態というものも、何か生物の持つ多次元的なありかたのひとつの姿なのではないかと思われて来ます。

それは何か?それを言葉に変換して、この問いに答えると次のようになるでしょう。

1.それはカメレオンである。
2.それはカメレオンではない。
3.それは葉っぱである。
4.それは木の枝である。
5.それは以上のいづれでもない何ものかである。

等々と、こう考えてくると、そうして上の1から5を一般化して考えてみると、この問題は結局変身の問題なのだということがわかります。

1.それは私である。
2.それは私ではない。
3.私はそれである。
4.私はそれではない。

と、このように考えてくると、古代インドのウパニシャド哲学の核心にあるサンスクリット語の言葉、Tat Tvam Asiを思い出します。

1.汝はそれなり。
2.それは汝なり。

古代から、人間という動物も変身をするのです。

何故人間は、そのものとそっくりであるということに感嘆し、感動し、強く惹かれるのでしょうか。


[岩田英哉]

2012年12月5日水曜日

登録フォームの更新

こんにちは、w1allenです。
もぐら通信編集部員ですが、これが初投稿になります。(笑)

「もぐら通信」のメール購読の登録フォームを更新しました。
1. 「何号からメール配信を希望されますか? 」欄の追加
2.通信欄の追加
 の2点が変更されています。

なお、既に登録されている方は、再度登録する必要はありません。
以上、よろしくお願いします。

2012年12月4日火曜日

Mian Xiaolinさんの感想(20歳の安部公房)


Mian Xiaolinさんの感想(20歳の安部公房)

Mianさんが、もぐら通信第3号(11月号)を読んで、「18歳、19歳、20歳の安部公房」の読後感想、或は読書ノートを書いてくれましたので、それを転載して、お届けします。お読み戴ければと思います。

「詩と詩人(意識と無意識)」は、10代の安部公房の死力を尽くした思考の総決算の理論篇ですから、安部公房ファンには是非読んで戴きたい作品です。Mianさんの感想が、その一助となることを願います。以下Mianさんの文章です。

                     ********

20歳の安部公房」は、僕にとってはかなり難易度が高いので、感想というよりも、同時進行的にノートを作りました。間違っている可能性もありますが、一般的読者がどのように受け取るかの事例になると思い、添付します。

贋岩田英哉氏の「20歳の安部公房」
読書メモ
客観と主観について。
人は思考する時、「これは主観的」、「これは客観的」などと区別する。ところが、その区別を意識が行っている以上、主観はあくまで「主観的主観」であり、客観はあくまで「主観的客観」でしかない(僕は哲学者ではないので、敢えてトートロジー的に記す)。つまり、「これは主観だ」とか「これは客観だ」と区別をしている主体そのものが主観である以上、(意識領域には)真の客観など存在し得ないのだ。
では、内面(無意識領域)においてはどうだろうか?そこにまた別の、意識に汚染されていない客観が存在している可能性はないのだろうか?それが存在するというのが安部公房の主張となる。

無意識領域に存在する客観がどのようにして形成されるのか。それのためのツールが問題下降と無限なのだろう(予想)。

もともと、人間には無意識領域は見えない。見通せない。人間が意識できるのは意識領域のみだ。安部公房は、おそらく人の本性は無意識領域にあり、無意識領域が意識を支配していると考えている。海面に浮かぶ氷山の一角が海上に浮かんでおり、これが意識領域であるとすると、これと比較して海面下に沈んでいる無意識領域はとてつもなく大きく、また質量も巨大だ。
意識領域においてある問題に関する思考或いは思念が展開されたとする。この思念は、いつしか意識から解放され、忘れ去られるか、あるものは無意識領域へと沈んでいく(印象の薄いものは忘れ去られ、印象深いものは意識の底に沈んでいくのだろう)。あるいは心理学的には、抑圧された感情が無意識化に沈んだり、人類が共通に持つとされる基礎基盤が無意識領域にあるという説も思い浮かぶ。
より本質的なあるいは原初的な取り扱い方で、その問題が意識領域に再出現するか、あるいは意識領域に影響を与え、それをきっかけに思考あるいは思念が再展開されるというモデルを考えてみる(安部公房はこの現象をより高次元への展開だとする。一つの概念形成があって、今度はその概念を道具あるいは手掛かりとしてさらに高次元の概念が形成されるというイメージだろうか)。何が言いたいかというと、ある問題について、それがずっと意識され続けてなんらかの結論に至るだけでなく、いったんその結論が無意識領域に沈んでいき、無意識領域がなんらかの関与をすることによって意識領域だけでは成しえない問題解決(あるいは達観)が起きるのではないかというモデルの提示だ。おそらく、詩人でもあった安部公房はこのようなモデルが存在することを確信していた(またそのような捉え方は現代心理学の見地からもある程度支持され得るだろう)。
問題下降とは、必ずしも意識領域だけで達成される機能ではないということなのだろうか。ただ、これは数学の問題、なんでもいいが、たとえば幾何の証明問題を解くことを考えると、必ずしもワインの醸成のような、長い年月を経て行われるものではなく、10分、20分という短い時間に、あるいは瞬時に成される可能性がある。じっと見つめていて、どこからともなく解法が閃くことがある。その問題を継続して意識しているといえば意識しているのだが、閃きはどこか他の場所、たとえば無意識領域からの働きであるとも考えられる。このような閃きによる証明の発見は、無意識領域からの関与などあったとは思わせないように、後付けで論理だてて言語化することができる(筋道を立てて説明してしまえば全部意識領域の出来事になる)。しかし、それは閃きがあった後の言語化作業であって、言説による筋道立てた説明があったとしても、問題解決に無意識領域が関与していなかったことの証明にはならない。
次元展開と、その極限が得られるまでの時間は、ときには一瞬である事だってあり得る(仮定)

さて、このような意識領域と無意識領域の間の連携の極限として(あるいは問題下降の無限遠点に)、ある客観、主観の束縛を逃れた客観が無意識領域に生じることがあるというのが安部公房の考えだと思われる。謂わば、意識領域と無意識領域の共同作業、あるいは正のフィードバックサイクルが回って、その無限回の果てに純粋な結晶のような究極の客観が生成されるということだ。
難しいことを言っているようだが、必ずしもそうではない。主観的客観を積み重ねていくと、意識して言語化するのが難しい直観とか知恵とかが備わるというのは我々誰もが経験している。それは普段は無意識領域にあるが、なにかの事象が起きると意識領域に関与する。数学の問題の解法が閃くのも、将棋や囲碁においてある程度上達すれば、手を読む前に直感的に次の指し手が閃くのも、この種の客観と近いものだろう。このような閃きの瞬間、意識は無意識領域との境界にある「窓」から何かを得ているというのが安部公房のイメージなのだろう。「窓」を直視すれば鏡のように自分が映る。なぜなら意識領域は明るく、無意識領域は闇であるため、明るい方から見ると反射率が高くて自分がいる側の映像が反照するのだ。だが、その自分の姿に重なるようにして、何かの客観(第三の客観)が垣間見える、そんなイメージだろうか。

このような解釈からすると、無意識領域からの働きかけ、あるいは問題下降の無限の繰り返しというのは、時間をかけておこなわれるものではなく、時に一瞬のうちに行われるものなのかもしれない。


真理とは
僕の理解したところによれば、安部公房の考える真理とは、真偽の形式をとる主観のことだ。なんでもいい、主観に基づく真偽を表す命題はすべて(ひとまず)真理となる。では「1+1=3」も主観に基づけば真理なのだろうか?僕の理解によれば、これも真理である。ただし、安部公房は真理ににはレベルの低いもの(低次元)とレベルのが高いもの(高次元)があるという。
真理をいったん主観の一形態にしてしまえば、前節の「主観と客観」の関係が真理にも適用できる。すなわち、言葉遊びのようだが、前節の議論を真理に適用すれば、主観的主観の真理、主観的客観の真理、そして究極の真理(無意識領域に結晶のように作り上げられた真理)が存在するはずだ。主観が無意識領域との働きかけを経て醸成され(安部公房の表現では次元展開され)、やがては究極的な客観である真理ができあがる。

安部公房は「真理は心理の仮面である」と言っている。真理が主観の一形態である以上、その通りだろう。真理はそれぞれの人が持っている。人はそれぞれ独自の真理を持つ。どのような真理を持っているかによって人のあり方が規定される。こう書き下してみると、安部公房の小説世界に近づく。

真理が主観である以上、再帰の無限ループは発生しない。たとえば「真理は人間の憧憬である、という事の中には真理がある」という複文の内側と外側の「真理」は異なる。主観が階層構造を成している以上、それぞれの階層における概念はイコールではない。あるいは、一つの真理は次元を跨げない(真理は他次元の真理に干渉できない)とも言えるだろう。
安部公房の用いる「次元展開」の「次元」というのは我々が親しんでいる座標軸の次元とはちょっと違う。この「次元」は思考の階層のようなものを表している。ちょとした考えが1次元だとすると、その考えを材料にもうすこし深く考えて昇華した考えが2次元であり、この階層をどんどん積み重ねていくと、より高尚な真理が出現する。
ここまでを体系的に纏めると、こういうことだ。
客観は主観に従属する。ただし主観の次元展開の結果得られる究極の客観というものが存在する(当然、究極の客観が生まれると同時に、その客観を生み出した究極の主観が存在している。なぜなら客観は主観が生み出すのだから)。
真理は主観の一形態である。

安部公房の考えは、つまりこういうことなのだろう。主観がある。これは疑いようもない。主観が届かぬ場所がある。これも疑いようがない。主観=外面とすれば、主観が届かぬところを内面と呼ぼう。彼が認めるのは、この内面と外面との存在だけだ。ここから、彼は哲学を展開する。客観とは主観の一形態だ。真理も主観の一形態だ、と。じゃあ、なんで我々は今まで客観とか真理を高尚なものとして崇拝していたのか?いや、実は客観とか真理が高尚なのではなく、主観の絶えざる反復(次元展開)の結果生まれる究極のものが高尚なのだ、と。高尚な客観、高尚な真理とは、究極的な主観が生み出した結果に過ぎない。そして、この次元展開に不可欠なのが無意識領域(内面)なのだ。我々が道具として使えるのは外面に存在する主観のみだが、決して主観が届かぬ無意識領域(内面)こそが、次元展開を生み出す大いなる原動力となるのだ。

言葉が悪いが、客観も真理も、その人がどのくらい主観を次元展開したかによって、自ずとレベルが異なるわけだ。
この結論は、ちょっと厳しい側面がある。主観しか認められていない以上、借り物の知識、他人から与えられた知識などは、肥し程度にはなるものの、究極的な客観を得るためには大して役立たない。大切なのものは、自分の中にある。絶えざる主観の次元発展こそが重要ということだ。要は、自分の頭で考えなければ何も生みさせないということになる。徹底的に自分の頭で考え、思考を積み重ね(つまり次元展開を十分重ね)、その結果として我々は究極の真理を掴むことができる。

ここまでで気づいたのは、安部公房の意識は、内へ内へと向かっているということ。

安部公房は「真理は人間のあり方である」と述べる。真理は主観のうち、真偽の形態をとる命題だとすれば、さもありなんといったところだろう。何を真理とするかによって常に人間は問われている。
「第三の客観(究極の客観)とは、正しき主観の上昇的次元展開の極限であった。そして此処には一種の詩的体験が必要なのである」
この文章は、無限の主観の階層的繰り返しを成すためには、一種の閃きというか、無意識領域の助けというか、そういう主観(これは外面に存在する)の無限回の繰り返しを実時間で終える必要がある。無限の航行を可能にするには、ワープ航法というものがあるが、それと似たような役割を果たしているのが意識領域と無意識領域の境にある「窓」であろう。「窓」から何かを触発される。それを安部公房は「詩的体験」と言ってる。(贋岩田氏の解説にはそう明示的には書いてないけれど)。
「世界内ー在」と「世界ー内在」
「即ち、この世界内ー在と世界ー内在との一致した諸々の次元展開の極限に於いては、客観と真理とは、単に人間の在り方の表現的相異として認識せられるのである」

フッサール的な「世界内ー在」と「世界ー内在」という言葉が唐突に出てきて、その意味がよくわからないが、言葉の感覚から捉えられる意味は次の通り。ただし仮の解釈とする(これは僕の知識不足が原因)。

主観は世界を捉え、世界のうちに自分があると捉える。同時に世界はすべて主観の中にある(主観以外の方法で捉えることはできない)。このような構造の世界において、客観と真理は、主観の一形態であり、究極的には同一のものになる(第三の客観=究極的な真理)。ここで、「世界はすべて主観の中にある」としたが、もしかすると「世界はすべて内面(無意識領域)の中にある」という意味なのかも。
この考え方は、哲学ではどう位置づけるのだろうか?フッサール的な用語が出ているという事は、認識論的存在論に属するのだろうか?
贋岩田氏の解説によると、この「世界内ー在」と「世界ー内在」はループを形作っているという。世界の中に我があって、我の中に世界があって、その世界の中に我があって、・・・ということなのか?この理解のためには、哲学関係の知識が必要か。いずれにしても世界認識にあっても、無限が関係しているのは興味深い。

フッサールじゃなくてハイデッガーの用語とのこと。知識不足が露呈(苦笑)。

しかし、あながち僕の解釈は間違ってないのかも。主観(外面)と主観が届かぬ無意識領域(内面)から議論をスタートした以上、世界をどこに位置づけるかといえば、こうことになるはず。すなわち、世界の中に自分は存在しているという体感。この体感は主観が作り出す。そして同時にその世界とはすべて主観が捉えているといるのだという事実がある(我々は主観の存在を認めることからスタートしたのだから)。この関係がまずあって、一方で主観は次元展開によりどんどん展開していくわけだから、この「世界の中に自分は存在しているという体感、そして同時にその世界とはすべて自分が捉えているという事実」もその展開に巻き込まれてしまうわけだ。
ここまでの安部公房の結論。僕の理解とそれほど矛盾はしていないように思える:
「かくて総ての現象表象は、唯一つの人間の在り方の次元的循環に回帰するのだ。そして此の事を更に明確ならしむる為、吾等は<<人間の在り方>>を、その表象並びに内容について更に批判展開せねばなるまい。」

ここまでで思ったこと。次元展開という主観(外面)と無意識領域(内面)との構造を軸にしてより高次元に展開していくという発想は、ニーチェの超人思想と通じるものがあるのではないか。存在が静的ではなく、進むべき方向性(次元展開)を持っているという部分に、バイタリティー(生のエネルギー)を感じる。

なぜ、無意識を無意識と言わず、夜と言うのか?
「無意識」という言葉は「無・意識」なので、意識が先行して始めて存在するような語感がある。そうではないのだろう。先の氷山のたとえのように、意識領域は無意識領域なくしてはあり得ない。意識は無意識の存在を検出できたけれども、検出したものは意識が届かぬところなのであって「意識がないところ」ではない。安部公房は「夜はかくあらしめるもの」だという。つまり主観(意識)を支えていて、ときに働きかけるものということだろう。
また、「無意識」という用語が、フロイトやユングにより使用されていて、また別の意味合いを持っているために避けたという考えもできるだろう。
安部公房の議論は、主観(外面)と主観がとどかぬもの(内面)という構造から始まった。主観が観測できないものを主観で表現するというのは、論理破綻のリスクがある。だが、そのリスクを背負っているからこそ、本来観測できないものをどうにかして観測してやろうとする文学を生み出すのではないか。

安部公房の理論構築は科学的態度とも言える。「夜」の存在を仮定することにより理論を打ち立てた。この理論を使って、あらゆることが説明でき、新たな知見を提示することができるならば、科学領域においてその理論は支持され続ける。安部公房が詩人から小説家に転じたのは、直観よりも科学的態度を優先したからなのではないか。

[Mian Xiaolin]

2012年11月30日金曜日

月刊誌もぐら通信(第3号)を発行しました。




日本で唯一の安部公房ファンのための月刊誌もぐら通信(第3号)が発行されましたので、お伝え致します。

以下のいづれかのアドレスにてダウンロード下さい。

お読みになったあとの感想など戴けると誠にありがたく思います。

また、積極的なご寄稿もお願いを致します。



または、


2012年11月29日木曜日

「もぐら通信」第3号を発行しました。


安部公房ファンのための無料月刊誌「もぐら通信」第3号を発行し、登録会員にはすでに送付しました。


登録していない方は、30日にDL出来るようになります。できるだけ、予約購読をおすすめします。登録は、安部公房の広場から。

 
http://abekobosplace.blogspot.jp/


DLについては、またあらためて告知します。


第3号目次


1。東鷹栖安部公房の会結成 

2。もぐらの安部公房/友田義行 

3。安部公房、映画に行く―ルイス・ブニュエルの「忘れられた人々」/頭木弘樹 

4。『燃えつきた地図』について/清末浩平 

5。安部公房の愛の思想2/OKADA HIROSHI 

6。『鉛の卵』小論/w1allen 

7。安部公房の変形能力/岩田英哉 

8。もぐら感覚5:窓/タクランケ 

9。安部公房の未発表作品「天使」を読んで/Mian Xiaolin

10。「天使」を読み解く/岩田英哉 

11。18歳、19歳、20歳の安部公房/贋岩田英哉 

12。読者感想 
 
13。合評会 

14。主な献呈送付先 

15。第2号の補足と訂正

16。バックナンバー 

17。編集方針 

18。編集者短信 
 
19。編集後記  

20。次号予告

2012年11月23日金曜日

マルテの手記と安部公房



マルテの手記と安部公房

この投稿は、Google+というSNSで交流のあるMian Xiaolinさんの文章の転載です。

日本の、そうして多分海外の、安部公房の読者にはまだまだ知られておりませんが、安部公房は、その10代で、リルケという詩人に圧倒的な影響を受けました。そうして、そのことは生涯を通じて、作品に現れております。

マルテの手記は、そのリルケの唯一の散文作品であり、リルケの散文の代表作でもあります。

「名もなき夜のために」という小説を、安部公房はその初期に書いておりますが、この小説も、もっと詩から散文へ移行してゆく時期の安部公房の作品として、リルケとの関係で論ぜられるべき作品だと思っています。

リルケを、安部公房はどのように嚥下咀嚼して、自分のものとなしたのか。

時間を捨象して空間的な世界を造形すること、意識と無意識、内部と外部の空間の交換の問題、隠して表すという藝術上の技法等々、その他ここでMianさんが言及しているような顔というモチーフ、倒壊した建物を外から眺めるという(繰り返しになりますが)内部と外部の問題、それから、個人の死を死ぬということ、詩は感情ではなく経験であるということ等々。


以下、MianさんのGoogle+からの引用です。あなたにも、是非この機会に「マルテの手記」をお読みになることを強くおすすめいたします。 安部公房をより深く理解するために。


             ********


リルケ,『マルテの手記』

ある特定の国で有名な詩人というのは多数いるだろうが、世界中どこに行っても知られている詩人というのは、ごく少数だろう。もしかすると10本の指で足りるほどの人数かもしれない。リルケは間違いなく、そのごく限られた最高峰の詩人の一人である。

そのリルケが書いた唯一の小説が『マルテの手記』である。しかもこれはいわく付きの作品で、執筆に6年もの歳月をかけ、この小説の執筆が終わった後、リルケは創作ができなくなり、次の詩集を出すまでに15年のブランクが必要だったという。僕はリルケの詩集を鑑賞できるほどの詩情を持ち合わせていないので、『小説ならばなんとかなるか?』という軽い気持ちでこの小説を紐解いた。

『マルテの手記』はマルテ・ラリウツ・ブリッゲという若き詩人の手記という体裁をとっている。手記の断片を寄せ集めたような不思議な小説で、ストーリーというものがまるでない。小説である以上、リルケとマルテをそのまま同一視するわけにはいかないものの、マルテにはリルケの内面が投影されていると見るのが自然だろう。僕のそれまでのリルケ像は、とても安定した内面をもった詩人というイメージだったのだが、『マルテの手記』を読み、リルケが多くの不安を抱えていたことがわかった。

断片的な小説である以上、まとまった感想を書くのは難しい。そこで、いくつか印象に残った箇所を引用しよう。ネタバレの心配はないのだが、礼儀として最初の50ページ以内の範囲で紹介する。

都会的生活への不安。マルテは、都会的な生活が、個々人がもっている特性を埋没させてしまい、まるで既製服のような画一的で押し付けの生をもたらすと感じている。

<ここから引用>
人々は、生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。
(中略)
このような巨大な機構の中では、一つ一つの死などてんでものの数にならぬのだ。まるで問題にもされぬのだ。むろん、それは大衆というものがなさせるわざに違いない。入念な死に方など、もう今日の時勢では一文の価値もなくなってしまっている。
(中略)
どんな最期の決算もみんな疾病のせいになり、その人その人の持ち味などはまるでなくなってしまった。ただ病人は手をこまねいていて、もう何一つすることがなくなってしまったのだ。
<ここまで引用>

マルテは、パリという都会で一から出直そうとしている。その心情は、今まで築きあげてきたものを捨て去り、新たに生まれ変わろうとしていたリルケの心情を感じさせる。マルテは「見ること」から始めようと宣言する。

<ここから引用>
僕はまずここで見ることから学んでいくつもりだ。なんのせいか知らぬが、すべてのものが僕の心の底に深く沈み込んでゆく。ふだんそこが行き詰まりになるところで決して止まらぬのだ。僕には僕の知らない奥底がある。すべてのものが、いまその知らない奥底へ流れ落ちてゆく。そこでどんなことが起こるかは、僕にはちっともわからない。
<ここまで引用>

ここに出てくる「僕の知らない奥底」というのは、どんなに内省しても届かぬ無意識の領域のことを言っているのだろう。言語化が不可能な領域があり、そこがある種の力を持っているという認識だが、この認識はどこか安部公房を想起させる。『マルテの手記』には他にも安部公房に通じるような記述が散見される。たとえばこんな箇所がある。

<ここから引用>
僕は顔というものがいったいどのくらいあるかなど、意識して考えたことはなかった。大勢の人がいるが、人間の顔はしかしいっそうそれよりも多いのだ。一人の人間は必ずいくつかの顔を持っている。長い間一つの顔を持ち続けている人もある。顔はいつのまにか使い古されて、汚くなり、シワだらけになってしまう。
(中略)
しかし彼らだって、やはり幾つかの顔を持つとすれば、いわば余分になった顔をどう処分するのだろう。彼らはその顔をただしまっておくのである。
<ここまで引用>

(以下は、パリの町で、外壁を壊され、柱と部屋割りが通りから見渡せるようになってしまった家を観た時の感想である。その外観を数ページにわたって詳細に描写した後、マルテは最後に次のように書いている)

<ここから引用>
外壁という外壁は、最後の一重だけ残して、みんな打ち壊されてしまっている、と僕は書いておいたはずだ。僕はこの外壁のことばかり書き続けている。きっと人々は僕がずいぶん長い間ぼんやり家の前に立っていたと思うだろう。しかし本当は、僕はそんな落ち崩れた壁をみると、足が自然に走るように急ぎ出していた。ひと目で、なんとも言いようのない恐ろしさを感じたのだ。僕は一度にすべてがわかってしまった。落莫たるすがれた風物は、一度に僕の心に飛び込んで来た。それはむしろ、そのまま僕の心の内的風景であるかもしれなかった。
<ここまで引用>

この小説には、実にたくさんの事が詰まっている。マルテの死生観(たとえば死は人間が持つ最後の力なのだとか、死が生の形状を型どるとか)なども大変興味深いのだが、いささか引用が過ぎたようだ。興味を持った読者には実際に本を手にとっていただくとして、最後に、マルテの詩論を紹介して感想を終わることとする。

<ここから引用>
僕は詩もいくつか書いた。しかし年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。
詩は人の考えるように感情ではない。
(中略)
詩はほんとうは経験なのだ。
<ここまで引用>

ウィキペディアによると、リルケはミュンヘン時代すでに一定の文名を得ていたが、若さに任せて模倣的な恋愛詩を多数描いたことを悔やみ、『旧詩集』以前の初期の詩集は生前に再刊を許さなかったという。


[Mian Xiaolin/岩田英哉]

2012年11月21日水曜日

奥野健男著「素顔の作家達 現代作家132人」の中の安部公房



奥野健男著「素顔の作家達 現代作家132人」の中の安部公房

先だって、横浜に行く用事があり、ひとと待ち合わせをして時間よりも少し早く到着したので、その界隈を散策がてら見物していると、一軒の古本屋を見つけた。

ワゴンセールスで十把ひとからげの本の中に、奥野健男の「素顔の作家達」という本があり、副題が現代作家132人とある。版元は集英社。定価は1800円。1978年の初版である。

当時の安部公房についての記述があるので、面白いと思ったところを抜き出してみたいと思います。

安部公房を当時の、戦後の様々な思潮や流派とは全く関係のない作家3人のひとりに、その名前を上げています。ひとりは三島由紀夫、もうひとりは、斯波四郎、そして、安部公房です。

「彼は昭和二十三年に真善美社のアプレゲール叢書の一冊として「終りし道の標べに」を出版している。このアプレゲール叢書は野間宏の「暗い絵」や中村真一郎の「死の影の下に」などを出したいわば第一次戦後派の牙城であった。」

「そして安部は『綜合文化』という当時極めて新鮮で魅力的だった前衛藝術の雑誌で、佐々木基一、花田清輝などと大活躍をしていた。だからぼくたちは、安部公房は野間や花田などと同年輩の作家だというような印象を何となく抱いてしまったのだ。

 ところが安部公房は大正十三年生(1924年)生まれで、もう四十を過ぎた第一次戦後派どころか、昭和二十七年、八年頃登場した第三の新人よりも若い。つまり、ぼくよりふたつ年上なだけである。とすると安部は、ぼくや三島由紀夫、吉本隆明、井上光晴、北杜夫などと同じ、戦争世代の一員であるわけだ。けれど安部の作品や評論には、戦争や敗戦の挫折を原体験にして、そこから熱っぽく戦争体験論を展開するという、戦争世代特有の発想は殆どみられない。彼はそういうものを、巧みにすり抜けて、世代から超越した一般者、普遍者として、発言している。」

「その頃工業大学の学生であたぼくたちは、文芸部の後援会兼座談会に、安部公房氏と堀田善衛氏とを呼んだ。堀田さんは例の口べたな調子でボソボソつぶやくだけで殆どしゃべらなかったが、安部さんは猛烈な早口で、次から次へと論点を飛躍させながら、宇宙の森羅万象にちて尽きることなくしゃべりまくった。ぼくたちはそのエネルギーと、いかなる教養体系によって得たか知れない、がいはく(4文字傍点)で珍奇な知識にすっかり毒気を抜かれ、圧倒されてしまった。そこで隣りで聞いていた吉本隆明としめし合わせ、「芥川賞の銀時計はどうしましたか」などと、いささか水をかける体の質問をしてみた。すると安部さんは急に照れ臭そうな顔をして、「なくしてしまったよ」と答え、芥川賞受賞を知った時のエピソードを話した。
それは旅先の旅館で夢を見ていると、ラジオが、芥川賞は安部公房氏に決まったと放送している。目がさめて芥川賞なんて日頃考えてもいなかったのにそんな夢を見るとは我ながら情けない、そんな願望が心の中に潜んでいたのかと苦笑していると、それは夢ではなく、隣りのラジオがほんとに放送していたのだというような話だった。彼独特のつくり話かも知れないが、戦後派作家たちが芥川賞など問題にせず、もらうことをむしろ不名誉なような、照れ臭いような感じを持っていた、その頃の雰囲気をよくあらわしている。実際そのくらい安部さんと芥川賞は似つかわしくない取合せだった。」

「昨今安部とは、しばしば会い、飲み、語る機会が多い。人間的に彼は大きくて柔らかく、成長した。あたたかく、親切でよく気がつく、たのしい友人である。けれどもぼくは、時々、彼の隠された内面の孤独に、敢えて残している荒涼たる砂漠をそのものやわらかい言動のかげに見出だす。安部公房は世界の現代文学の最先端を行く文学者である。

 ぼくは傑作の戯曲「友達」を、青年座文芸部長として数年間粘り、ついに書いてもらったことを自慢にしている。この現代のあらゆる共同体の虚偽をあばいた戯曲は、日本共産党、新興宗教、組合、学校のクラブさらには労演まで主観的善意の組織を批判していた。
それだけではくソ連はこれをアメリカのベトナム戦争の風刺と受けとりモスクワで公演の予定だったが、その夏、チェコに対する社会主義兄弟国の戦車による進攻というまさに「友達」的事態が起り、今度はチェコがソ連への痛烈な風刺として上演を計画した。国際作家安部の面目と先見性の躍如たるものがあるが、それだけに安部は国内においては孤立せざるを得ない。最近の文学や言語を否定した上の空間や音楽や写真を通じての新しい文学への模索は、誰にも理解されない、しかし栄光にみちた冒険の道である。」



[岩田英哉]

2012年11月18日日曜日

Essay about Kobo Abe's unpublished short story titled "Angel".



Essay about Kobo Abe's unpublished short story titled "Angel".

Kobo Abe's "Angel", which was written at his 22, unpublished, has been published today, November 7, 2012 by Shincho, which is a monthly magazine of Japanese literature.

I have purchased it immediately and have read it. Following is my essay about this novel.

A hero of this novel is living in regular hexahedron, that is, in a cube.
(Kobo's favorite readers may immediately think associated with The Box Man.)

(This regular hexahedron represents one dimension which contains one time, as such, one unlimitedness. The hero knows this fact quite well through thinking logically, mathematically and geometrically as well as through deep insight of what time is. 

Therefore, this regular hexahedron is expressed as " it borders the world by six gray planes which mean the unlimitedness or rather better to say, five and half planes and a half, the latter of which means the future while the former five and half planes mean the unlimitedness." 

This is an expression which reveals what Kobo Abe feels really and it is his reality.

The same truth is thought through and through and written in his intensive, philosophical  essay titled "Poetry and Poet (Consciousness and Unconsciousness) - refer to page 109 and 110 of volume 1 of Kobo Abe's Complete Works - and the part here where such a cube does exist is only an expression of the fact which he thought is truth utterly and deeply at his 20 year old when he wrote that essay.

This reality is the mathematical, logical and language-theoretical truth and 
not any others and it is just a truth as it shows. It is not some metaphor of expression at all. This is characteristic with Kobo Abe's words. Mathematical, logical and language-theoretical words about the truth.

This dimension in which the hero is living is said in later years more plainly, for readers, not by using mathematical formula, but by transforming his thought into written words as follows in his The Ruined Map.

「The city - a closed unlimitedness. Labyrinth where you are not at a loss. It is a map only for you, with quite same address numbers allocated to any address.
As such, you cannot be at a loss even if you lose your way.」

The hero is satisfied with his living in such a closed space which is unlimited because of it being so closed.

Every day, "Angel of Life" comes to him to give him a meal which he needs to eat to live.

One day, something extraordinary happens. Angel of Life does not appear and leaves a meal for him.

By this chance, the hero is going out of his cube and is sure that he is an angel. Outside is a land of angels.

While he wanders through the land of angels, he eventually found out, at a certain fence,  "a scarlet rose which is there a sole rose having no distance and is made abstract by it being pressed out of a space and is burning cold" and picked it up and put it on his breast.

This rose is a rose which Rainer Maria Rilke loved so much. Rilke's rose contains many class-structured cosmos inside, being in bloom , well balanced and represents such a cosmos as a rose. It can be said that his rose is a world of the death since there is not time there and only a space. He loved it so much that his grave has, as an epitaph,  his poem about this cosmological rose. I translate it from German into English.

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter
soviel Lidern.

Rose, oh, paradox in its purity, delight,
to be nobody's sleep under so many eyelids.

The hero sees many angels passing and give a greeting, laughing and laughing very loud and much  to each other at every time he see them and they see him.

The angels laugh at him because his scarlet rose on his breast causes them to feel extremely surprised at the death he has and he laughs at them because he knows the distance,  which is made by his scarlet rose, between angles and him. They both are laughing and laughing and cannot bear stopping it, departing from each other. 

Here, and there is already born here the distance between him and angels living in this angel's land.

Kobo Abe wrote an essay titled "Rilke" at his 43 in 1967 - refer to page 436 of volume 21 of his Complete Works.

I have just remembered this essay when I came to read this part of laughing between the hero and other angels.

One evening Kobo Abe was in a certain restaurant in Roppongi, Tokyo with one of his friends who said him, suggesting a certain direction, to let him see a certain foreign man who was said to be a son of Rainer Maria Rilke. All of sudden, Kobo was attacked by laugh and laughed and laughed and could not stop laughing, laughing loudly.

When I read this essay, I wondered why he must laugh so much and could not stop laughing. And I can know now, after I have read this novel, "Angel", why he laughed so much at sight of Rilke's son. Why it was so?

It was because it was a fake-Rilke, that is, a fake-father, which is one of the most important motives and images which his literature has.

And it was because Rilke lived so much deeply inside of Kobo Abe's mind and soul, so much deeply as he must laugh so much. (I will write about his Rilke separately later.)

Why the hero of "Angel" laughs and laughs, seeing and greeting other angels on the road and vice versa? It is because he comes to know that there is a father angel who governs the land of angels, when he see one small angel eventually, wandering, who cries "Oh, father!" and rejects his coming closer to him to communicate with him.  

Therefore, he can be ware that all the angels seeing him laugh, surprised at his scarlet rose of the death and laugh because he is not an angel who belongs to this angel's land while the hero angel see other angels laugh, knowing a reason of their laughs unconsciously. It means that the angels of angel land are fake-angels, that is, they are angels who can become fake-fathers.

The death of that rose on his breast is utterly different from the death of other angels.

Father is a being who governs a family or a tribe and does not spare his life to throw for his family or tribe once there is a war.

There is a father in angle's land and that small angel seeks the refuge and asylum to be given by his father for rejecting the hero for his securing himself against horror of the death.

However, the hero is an angel who does not become a father and who does not die such a death as a father and who is with the death which is different from that of other angels. He dies, sleeping nobody's sleep.

Now, the novel ends there where the hero is going to a window of the angel's land in order to know the world outside since he feels that this land is not a land in which he should live.

The window is one of the most important motives and images he has since he was a schoolboy at elementary school until like in his Kangaroo Note in his last years. It is a place of conjunction which connects a space where he lives, with the dimension which exists outside.

Where the hero is going to the window, there is a poem written by Kobo Abe like in the same way as Kangaroo Note. The poem must be here at the window inevitably. Kobo Abe always writes his poems at window.

I will write about Koboe Abe's window in this coming 3rd issue of Mole Gazette this month as titled "Mole Sense 5 : Window".

I am glad if you may read this my article.

Best regards,

[Eiya Iwata]




2012年11月7日水曜日

安部公房の未発表作「天使」を読んでの感想: Essay just after I have read Kobo Abe's unpublihsed work, "Angel"



安部公房の未発表作「天使」を読んでの感想

今日文藝月刊誌新潮誌上で、安部公房が22歳のときに書いた「天使」という短編が未発表の作品として発表されました。

ここで発表した「天使」論を「『天使』を読み解く」と題して、一冊のキンドル本に編集し直し、上梓しましたので、これをお読み下さると、誠にありがたく思います。

http://www.amazon.co.jp/安部公房論『天使』を読み解く-ebook/dp/B00BHK74H4/ref=sr_1_9?ie=UTF8&qid=1361335125&sr=8-9


さて、最後の場面に立ち至って、主人公の天使は、この天使の国も自分の棲むべき世界ではなく、その外の世界のことを知ろうと、その天使の国の窓へと歩むところで、小説は終わっています。

この窓という、外界の次元と接続する場所というモチーフは、小学生のころからカンガルーノートの晩年に至るまで、安部公房が深く大切にし、徹底的に概念化をした重要な形象のひとつです。

この窓辺へ主人公の天使が行くところでは、そうしてカンガルーノートと同様に、詩が歌われています。この詩は必然的にこの場所におかれなければならなかったものなのです。安部公房は窓辺で詩作をするのです。

この安部公房の窓については、今月号、第3号のもぐら通信に「もぐら感覚5:窓」と題して論じる予定です。もぐら通信のバックナンバーのダウンロードは、次のところです。

http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html

是非、お読み戴ければと思います。


[岩田英哉]



安部公房の未発表の作品「天使」が発見された


今朝あるビルの液晶TVのニュースの画面で、安部公房の未発表の作品「天使」(22歳のときの作)が発見されたとの報道を見ました。

これは、この題名からいって、明らかにリルケです。

2003年の世田谷文学館の安部公房展の図録によりますと、安部公房は、リルケの晩年の二つの大作、ドィーノの悲歌とオルフェウスへのソネットのうち、前者を岩波文庫で持っており、間違いなくその作品を読んでおりました。

このドィーノの悲歌の天使は、それまでのリルケの歌った優しい天使と大きく違い、恐ろしい威力を持った天使です。この天使については、以前わたしの詩のブログ、詩文楽で論じましたので、お読みくださるとありがたく思います。:http://shibunraku.blogspot.jp/2009/07/blog-post.htmlhttp://shibunraku.blogspot.jp/2009/07/blog-post.html

安部公房の天使がどちらの天使なのか、ドィーノの悲歌の天使なのか、それ以前の詩集の、例えば形象詩集のような天使なのか、そうしてリルケの詩の中の天使から何をどう変形させて、自分の世界を構築したのか、遺稿が発表されたら、またもぐら通信で論じたいと思います。

今月号のもぐら通信の連載の第1回目はエドガー・アラン・ポーで、安部公房の変形能力の3回目がリルケですので、それまでに遺稿がどこかの雑誌に発表されることを願っています。

報道によれば、12月号、今日発売の新潮に掲載されるとのことです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20121107-OYT1T00179.htm?from=ylist


[岩田英哉]

2012年11月4日日曜日

もぐら通信第2号の合評会のお知らせ


明日2012年11月5日(月)午後7時より、安部公房のヤフー掲示板にて月刊「もぐら通信」第2号(http://upub.jp/books/8138)の合評会を開きます。どなたでも参加できます。


面白かった記事、興味深かった記事、一言言いたい記事・・・などあると思いますので、この機会にぜひ掲示板にコメントをお願いします。

執筆者のみなさんにとって、読者の感想はとてもありがたく、そして励みになります。

この合評会は、編集して、次号のもぐら通信に掲載をしたいと思います。

事前にメール(書面)にて、あなたのご了解を戴きますので、安心して、ご投稿下さいませ。

よろしくお願い致します。

2012年11月3日土曜日

The Grave of Kobo Abe



The Grave of Kobo Abe


I have visited the grave of Kobo Abe today, Oct 13, 2012.

I have uploaded the photos as below. I am pleased if you may take a look at them.

His grave is at Kamikawa Reien or Kamikawa Cemetry which is located in the northern suburb of Hachiohji City, Tokyo.

You take a bus with 23 or 03 bound for Kamikawa Reien at bus stop number 7 just in front of Hachiohji Statation of JR or Japan Railway. It takes about 45 minutes to reach the cemetery which is just in front of a last bus stop of the bus. You take then a small bus which runs around within the cemetery regularly and get off at bus stop number 13. It takes then only 20 seconds by foot to come to his grave at address of number 140 in number 8 place of number 2 section.

The photos are in following order. I have also uploaded the photo of Jun Ishikawa, a mentor or teacher whom Kobo Abe respected. (I have also visited the grave of Mitsuharu Kaneko, a famous poet, who sleeps also in the same cemetery. Please refer to his grave at http://shibunraku.blogspot.jp/2012/10/blog-post_13.html

1. Gate of Kamikawa Reien
2. View over number 8 place of number 2 Section
3. Overview of Kobe Abe’s grave
4. Closeup of his grave from front position
5. Side view of his grave
6. Grave stone close up
7. Direction board for his grave
8. Overview looking at his grave’s section 8, looking down from the grave of Jun Ishikawa on the hill
9. Jun Ishikawa’s grave, only inscribed with Ishikawa, his family name.
10. A part of the cemetery map which I have got at administration office. His name is listed up with other famous writers.

It took me 30 minutes to reach his grave since I did not simply find it at all. I have thought, “Hum, I could not find his grave as I had anticipated” since I have had this kind of experience of looking for something in vain despite of my intensive efforts. I have thought that I look like myself and that it is acceptable to me, turning and walking toward the grave of Jun Ishikwa, his mentor. Then, unexpectedly, I saw the direction board standing where I was walking by.

Without my having a mind to pray at and for Jun Ishikawa’s grave, I could not have found Kobo's grave. I should thank Jun Ishikawa for his guide.

So, yes, I have certainly found the grave of Kobo Abe.

It is a small green stone, the name of which kind I can not say, 40cm in hight, 30cm in width, with a lot of lines of white color crossing like kneaded into the stone. It is a small stone with no name and no inscription.

It is exactly Kobo Abe, his taste. I have thought how much deeply his family has understood his literature.

What I have felt at this stone at sight is the spirit of wabi-sabi, which is a traditional spirit and aesthetic sense of Japanese people and folk.

Despite of Kobo Abe's reputation being not Japanese like but being multi-national, I am sure that his literature does really exist in the tradition and history of Japanese literature which leads to the wabi-sabi. (refer to Wikipedia on this word: http://en.wikipedia.org/wiki/Wabi-sabi)

It is because he lived utterly his anonymous life since when he was in his teens, being familiar with the essence of what the language is. Remember that all of his heroes are anonymous and inept or foolish.

That is, saying this in one word in Japanese, it is Fuhkyoh, i.e. directly translated into English, wind and insanity.

If you think in this way, you can see how Kobo Abe is positioned in the orthodoxy of Japanese literature, though he maybe does not like this positioning and the word, orthodoxy.

(In this sense, one of his ancestors is Yoshida Kenko or Kenko Yoshida in English order, who lived in 13th century. And also, Zen-buddist, Ikkyuh, who lived in 14-15the century. Further, Matsuo Basho, a famous poet, a Haiku-master in 17th century.)

Their world was born by keeping the spirit of living their life anonymously through and through.

It seems that if one decides to choose the life of anonymity , our Japanese mind carries one to wabi-sabi world or fukyoh, wind and insanity.

Professor Donald Keene says that Kobo Abe is quite a Japanese writer. It has a firm relationship with this deeply.

Yes, on the other hand, when we read his works that were written in his 18, 19 and 20 years old, we are aware that he thought very logically and uniquely about the essence of all the things existing before him and was thinking as one person independent, which thoroughness to perform certainly led to the fruits of all his novels and dramas in later years.

It is Kobo Abe who wove the words systematically by keeping himself to himself, self-referencing as a simple being as only a man.

If you would like to visit his grave, I will guide you there since I am living in Hachiohji City where his graveyard is located. Please do not hesitate to contact me.

Following are photos I took.

Eiya Iwata

                                   1. Gate of Kamikawa Reien or Kamikawa Gravejard


2. View over number 8 place of number 2 Section


                                      3. Overview of Kobe Abe’s grave

                                      4. Closeup of his grave from front position

                                      5. Side view of his grave

                                      6. Grave stone close up

                                       7. Direction board for his grave

8. Overview looking at his grave’s section 8, looking down from the grave of Jun Ishikawa on the hill

                9. Jun Ishikawa’s grave, only inscribed with Ishikawa, his family name.

10. A part of the cemetery map which I have got at administration office. His name is listed up with other famous writers.


(*) Monthly Mole Gazette for Kobo Abe's Readers, 1st issue: http://upub.jp/books/7937
(*) Monthly Mole Gazette for Kobo Abe's Readers, 2nd issue: http://upub.jp/books/8138