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2012年11月23日金曜日

マルテの手記と安部公房



マルテの手記と安部公房

この投稿は、Google+というSNSで交流のあるMian Xiaolinさんの文章の転載です。

日本の、そうして多分海外の、安部公房の読者にはまだまだ知られておりませんが、安部公房は、その10代で、リルケという詩人に圧倒的な影響を受けました。そうして、そのことは生涯を通じて、作品に現れております。

マルテの手記は、そのリルケの唯一の散文作品であり、リルケの散文の代表作でもあります。

「名もなき夜のために」という小説を、安部公房はその初期に書いておりますが、この小説も、もっと詩から散文へ移行してゆく時期の安部公房の作品として、リルケとの関係で論ぜられるべき作品だと思っています。

リルケを、安部公房はどのように嚥下咀嚼して、自分のものとなしたのか。

時間を捨象して空間的な世界を造形すること、意識と無意識、内部と外部の空間の交換の問題、隠して表すという藝術上の技法等々、その他ここでMianさんが言及しているような顔というモチーフ、倒壊した建物を外から眺めるという(繰り返しになりますが)内部と外部の問題、それから、個人の死を死ぬということ、詩は感情ではなく経験であるということ等々。


以下、MianさんのGoogle+からの引用です。あなたにも、是非この機会に「マルテの手記」をお読みになることを強くおすすめいたします。 安部公房をより深く理解するために。


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リルケ,『マルテの手記』

ある特定の国で有名な詩人というのは多数いるだろうが、世界中どこに行っても知られている詩人というのは、ごく少数だろう。もしかすると10本の指で足りるほどの人数かもしれない。リルケは間違いなく、そのごく限られた最高峰の詩人の一人である。

そのリルケが書いた唯一の小説が『マルテの手記』である。しかもこれはいわく付きの作品で、執筆に6年もの歳月をかけ、この小説の執筆が終わった後、リルケは創作ができなくなり、次の詩集を出すまでに15年のブランクが必要だったという。僕はリルケの詩集を鑑賞できるほどの詩情を持ち合わせていないので、『小説ならばなんとかなるか?』という軽い気持ちでこの小説を紐解いた。

『マルテの手記』はマルテ・ラリウツ・ブリッゲという若き詩人の手記という体裁をとっている。手記の断片を寄せ集めたような不思議な小説で、ストーリーというものがまるでない。小説である以上、リルケとマルテをそのまま同一視するわけにはいかないものの、マルテにはリルケの内面が投影されていると見るのが自然だろう。僕のそれまでのリルケ像は、とても安定した内面をもった詩人というイメージだったのだが、『マルテの手記』を読み、リルケが多くの不安を抱えていたことがわかった。

断片的な小説である以上、まとまった感想を書くのは難しい。そこで、いくつか印象に残った箇所を引用しよう。ネタバレの心配はないのだが、礼儀として最初の50ページ以内の範囲で紹介する。

都会的生活への不安。マルテは、都会的な生活が、個々人がもっている特性を埋没させてしまい、まるで既製服のような画一的で押し付けの生をもたらすと感じている。

<ここから引用>
人々は、生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。
(中略)
このような巨大な機構の中では、一つ一つの死などてんでものの数にならぬのだ。まるで問題にもされぬのだ。むろん、それは大衆というものがなさせるわざに違いない。入念な死に方など、もう今日の時勢では一文の価値もなくなってしまっている。
(中略)
どんな最期の決算もみんな疾病のせいになり、その人その人の持ち味などはまるでなくなってしまった。ただ病人は手をこまねいていて、もう何一つすることがなくなってしまったのだ。
<ここまで引用>

マルテは、パリという都会で一から出直そうとしている。その心情は、今まで築きあげてきたものを捨て去り、新たに生まれ変わろうとしていたリルケの心情を感じさせる。マルテは「見ること」から始めようと宣言する。

<ここから引用>
僕はまずここで見ることから学んでいくつもりだ。なんのせいか知らぬが、すべてのものが僕の心の底に深く沈み込んでゆく。ふだんそこが行き詰まりになるところで決して止まらぬのだ。僕には僕の知らない奥底がある。すべてのものが、いまその知らない奥底へ流れ落ちてゆく。そこでどんなことが起こるかは、僕にはちっともわからない。
<ここまで引用>

ここに出てくる「僕の知らない奥底」というのは、どんなに内省しても届かぬ無意識の領域のことを言っているのだろう。言語化が不可能な領域があり、そこがある種の力を持っているという認識だが、この認識はどこか安部公房を想起させる。『マルテの手記』には他にも安部公房に通じるような記述が散見される。たとえばこんな箇所がある。

<ここから引用>
僕は顔というものがいったいどのくらいあるかなど、意識して考えたことはなかった。大勢の人がいるが、人間の顔はしかしいっそうそれよりも多いのだ。一人の人間は必ずいくつかの顔を持っている。長い間一つの顔を持ち続けている人もある。顔はいつのまにか使い古されて、汚くなり、シワだらけになってしまう。
(中略)
しかし彼らだって、やはり幾つかの顔を持つとすれば、いわば余分になった顔をどう処分するのだろう。彼らはその顔をただしまっておくのである。
<ここまで引用>

(以下は、パリの町で、外壁を壊され、柱と部屋割りが通りから見渡せるようになってしまった家を観た時の感想である。その外観を数ページにわたって詳細に描写した後、マルテは最後に次のように書いている)

<ここから引用>
外壁という外壁は、最後の一重だけ残して、みんな打ち壊されてしまっている、と僕は書いておいたはずだ。僕はこの外壁のことばかり書き続けている。きっと人々は僕がずいぶん長い間ぼんやり家の前に立っていたと思うだろう。しかし本当は、僕はそんな落ち崩れた壁をみると、足が自然に走るように急ぎ出していた。ひと目で、なんとも言いようのない恐ろしさを感じたのだ。僕は一度にすべてがわかってしまった。落莫たるすがれた風物は、一度に僕の心に飛び込んで来た。それはむしろ、そのまま僕の心の内的風景であるかもしれなかった。
<ここまで引用>

この小説には、実にたくさんの事が詰まっている。マルテの死生観(たとえば死は人間が持つ最後の力なのだとか、死が生の形状を型どるとか)なども大変興味深いのだが、いささか引用が過ぎたようだ。興味を持った読者には実際に本を手にとっていただくとして、最後に、マルテの詩論を紹介して感想を終わることとする。

<ここから引用>
僕は詩もいくつか書いた。しかし年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。
詩は人の考えるように感情ではない。
(中略)
詩はほんとうは経験なのだ。
<ここまで引用>

ウィキペディアによると、リルケはミュンヘン時代すでに一定の文名を得ていたが、若さに任せて模倣的な恋愛詩を多数描いたことを悔やみ、『旧詩集』以前の初期の詩集は生前に再刊を許さなかったという。


[Mian Xiaolin/岩田英哉]

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