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2012年11月30日金曜日

月刊誌もぐら通信(第3号)を発行しました。




日本で唯一の安部公房ファンのための月刊誌もぐら通信(第3号)が発行されましたので、お伝え致します。

以下のいづれかのアドレスにてダウンロード下さい。

お読みになったあとの感想など戴けると誠にありがたく思います。

また、積極的なご寄稿もお願いを致します。



または、


2012年11月29日木曜日

「もぐら通信」第3号を発行しました。


安部公房ファンのための無料月刊誌「もぐら通信」第3号を発行し、登録会員にはすでに送付しました。


登録していない方は、30日にDL出来るようになります。できるだけ、予約購読をおすすめします。登録は、安部公房の広場から。

 
http://abekobosplace.blogspot.jp/


DLについては、またあらためて告知します。


第3号目次


1。東鷹栖安部公房の会結成 

2。もぐらの安部公房/友田義行 

3。安部公房、映画に行く―ルイス・ブニュエルの「忘れられた人々」/頭木弘樹 

4。『燃えつきた地図』について/清末浩平 

5。安部公房の愛の思想2/OKADA HIROSHI 

6。『鉛の卵』小論/w1allen 

7。安部公房の変形能力/岩田英哉 

8。もぐら感覚5:窓/タクランケ 

9。安部公房の未発表作品「天使」を読んで/Mian Xiaolin

10。「天使」を読み解く/岩田英哉 

11。18歳、19歳、20歳の安部公房/贋岩田英哉 

12。読者感想 
 
13。合評会 

14。主な献呈送付先 

15。第2号の補足と訂正

16。バックナンバー 

17。編集方針 

18。編集者短信 
 
19。編集後記  

20。次号予告

2012年11月23日金曜日

マルテの手記と安部公房



マルテの手記と安部公房

この投稿は、Google+というSNSで交流のあるMian Xiaolinさんの文章の転載です。

日本の、そうして多分海外の、安部公房の読者にはまだまだ知られておりませんが、安部公房は、その10代で、リルケという詩人に圧倒的な影響を受けました。そうして、そのことは生涯を通じて、作品に現れております。

マルテの手記は、そのリルケの唯一の散文作品であり、リルケの散文の代表作でもあります。

「名もなき夜のために」という小説を、安部公房はその初期に書いておりますが、この小説も、もっと詩から散文へ移行してゆく時期の安部公房の作品として、リルケとの関係で論ぜられるべき作品だと思っています。

リルケを、安部公房はどのように嚥下咀嚼して、自分のものとなしたのか。

時間を捨象して空間的な世界を造形すること、意識と無意識、内部と外部の空間の交換の問題、隠して表すという藝術上の技法等々、その他ここでMianさんが言及しているような顔というモチーフ、倒壊した建物を外から眺めるという(繰り返しになりますが)内部と外部の問題、それから、個人の死を死ぬということ、詩は感情ではなく経験であるということ等々。


以下、MianさんのGoogle+からの引用です。あなたにも、是非この機会に「マルテの手記」をお読みになることを強くおすすめいたします。 安部公房をより深く理解するために。


             ********


リルケ,『マルテの手記』

ある特定の国で有名な詩人というのは多数いるだろうが、世界中どこに行っても知られている詩人というのは、ごく少数だろう。もしかすると10本の指で足りるほどの人数かもしれない。リルケは間違いなく、そのごく限られた最高峰の詩人の一人である。

そのリルケが書いた唯一の小説が『マルテの手記』である。しかもこれはいわく付きの作品で、執筆に6年もの歳月をかけ、この小説の執筆が終わった後、リルケは創作ができなくなり、次の詩集を出すまでに15年のブランクが必要だったという。僕はリルケの詩集を鑑賞できるほどの詩情を持ち合わせていないので、『小説ならばなんとかなるか?』という軽い気持ちでこの小説を紐解いた。

『マルテの手記』はマルテ・ラリウツ・ブリッゲという若き詩人の手記という体裁をとっている。手記の断片を寄せ集めたような不思議な小説で、ストーリーというものがまるでない。小説である以上、リルケとマルテをそのまま同一視するわけにはいかないものの、マルテにはリルケの内面が投影されていると見るのが自然だろう。僕のそれまでのリルケ像は、とても安定した内面をもった詩人というイメージだったのだが、『マルテの手記』を読み、リルケが多くの不安を抱えていたことがわかった。

断片的な小説である以上、まとまった感想を書くのは難しい。そこで、いくつか印象に残った箇所を引用しよう。ネタバレの心配はないのだが、礼儀として最初の50ページ以内の範囲で紹介する。

都会的生活への不安。マルテは、都会的な生活が、個々人がもっている特性を埋没させてしまい、まるで既製服のような画一的で押し付けの生をもたらすと感じている。

<ここから引用>
人々は、生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。
(中略)
このような巨大な機構の中では、一つ一つの死などてんでものの数にならぬのだ。まるで問題にもされぬのだ。むろん、それは大衆というものがなさせるわざに違いない。入念な死に方など、もう今日の時勢では一文の価値もなくなってしまっている。
(中略)
どんな最期の決算もみんな疾病のせいになり、その人その人の持ち味などはまるでなくなってしまった。ただ病人は手をこまねいていて、もう何一つすることがなくなってしまったのだ。
<ここまで引用>

マルテは、パリという都会で一から出直そうとしている。その心情は、今まで築きあげてきたものを捨て去り、新たに生まれ変わろうとしていたリルケの心情を感じさせる。マルテは「見ること」から始めようと宣言する。

<ここから引用>
僕はまずここで見ることから学んでいくつもりだ。なんのせいか知らぬが、すべてのものが僕の心の底に深く沈み込んでゆく。ふだんそこが行き詰まりになるところで決して止まらぬのだ。僕には僕の知らない奥底がある。すべてのものが、いまその知らない奥底へ流れ落ちてゆく。そこでどんなことが起こるかは、僕にはちっともわからない。
<ここまで引用>

ここに出てくる「僕の知らない奥底」というのは、どんなに内省しても届かぬ無意識の領域のことを言っているのだろう。言語化が不可能な領域があり、そこがある種の力を持っているという認識だが、この認識はどこか安部公房を想起させる。『マルテの手記』には他にも安部公房に通じるような記述が散見される。たとえばこんな箇所がある。

<ここから引用>
僕は顔というものがいったいどのくらいあるかなど、意識して考えたことはなかった。大勢の人がいるが、人間の顔はしかしいっそうそれよりも多いのだ。一人の人間は必ずいくつかの顔を持っている。長い間一つの顔を持ち続けている人もある。顔はいつのまにか使い古されて、汚くなり、シワだらけになってしまう。
(中略)
しかし彼らだって、やはり幾つかの顔を持つとすれば、いわば余分になった顔をどう処分するのだろう。彼らはその顔をただしまっておくのである。
<ここまで引用>

(以下は、パリの町で、外壁を壊され、柱と部屋割りが通りから見渡せるようになってしまった家を観た時の感想である。その外観を数ページにわたって詳細に描写した後、マルテは最後に次のように書いている)

<ここから引用>
外壁という外壁は、最後の一重だけ残して、みんな打ち壊されてしまっている、と僕は書いておいたはずだ。僕はこの外壁のことばかり書き続けている。きっと人々は僕がずいぶん長い間ぼんやり家の前に立っていたと思うだろう。しかし本当は、僕はそんな落ち崩れた壁をみると、足が自然に走るように急ぎ出していた。ひと目で、なんとも言いようのない恐ろしさを感じたのだ。僕は一度にすべてがわかってしまった。落莫たるすがれた風物は、一度に僕の心に飛び込んで来た。それはむしろ、そのまま僕の心の内的風景であるかもしれなかった。
<ここまで引用>

この小説には、実にたくさんの事が詰まっている。マルテの死生観(たとえば死は人間が持つ最後の力なのだとか、死が生の形状を型どるとか)なども大変興味深いのだが、いささか引用が過ぎたようだ。興味を持った読者には実際に本を手にとっていただくとして、最後に、マルテの詩論を紹介して感想を終わることとする。

<ここから引用>
僕は詩もいくつか書いた。しかし年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。
詩は人の考えるように感情ではない。
(中略)
詩はほんとうは経験なのだ。
<ここまで引用>

ウィキペディアによると、リルケはミュンヘン時代すでに一定の文名を得ていたが、若さに任せて模倣的な恋愛詩を多数描いたことを悔やみ、『旧詩集』以前の初期の詩集は生前に再刊を許さなかったという。


[Mian Xiaolin/岩田英哉]

2012年11月21日水曜日

奥野健男著「素顔の作家達 現代作家132人」の中の安部公房



奥野健男著「素顔の作家達 現代作家132人」の中の安部公房

先だって、横浜に行く用事があり、ひとと待ち合わせをして時間よりも少し早く到着したので、その界隈を散策がてら見物していると、一軒の古本屋を見つけた。

ワゴンセールスで十把ひとからげの本の中に、奥野健男の「素顔の作家達」という本があり、副題が現代作家132人とある。版元は集英社。定価は1800円。1978年の初版である。

当時の安部公房についての記述があるので、面白いと思ったところを抜き出してみたいと思います。

安部公房を当時の、戦後の様々な思潮や流派とは全く関係のない作家3人のひとりに、その名前を上げています。ひとりは三島由紀夫、もうひとりは、斯波四郎、そして、安部公房です。

「彼は昭和二十三年に真善美社のアプレゲール叢書の一冊として「終りし道の標べに」を出版している。このアプレゲール叢書は野間宏の「暗い絵」や中村真一郎の「死の影の下に」などを出したいわば第一次戦後派の牙城であった。」

「そして安部は『綜合文化』という当時極めて新鮮で魅力的だった前衛藝術の雑誌で、佐々木基一、花田清輝などと大活躍をしていた。だからぼくたちは、安部公房は野間や花田などと同年輩の作家だというような印象を何となく抱いてしまったのだ。

 ところが安部公房は大正十三年生(1924年)生まれで、もう四十を過ぎた第一次戦後派どころか、昭和二十七年、八年頃登場した第三の新人よりも若い。つまり、ぼくよりふたつ年上なだけである。とすると安部は、ぼくや三島由紀夫、吉本隆明、井上光晴、北杜夫などと同じ、戦争世代の一員であるわけだ。けれど安部の作品や評論には、戦争や敗戦の挫折を原体験にして、そこから熱っぽく戦争体験論を展開するという、戦争世代特有の発想は殆どみられない。彼はそういうものを、巧みにすり抜けて、世代から超越した一般者、普遍者として、発言している。」

「その頃工業大学の学生であたぼくたちは、文芸部の後援会兼座談会に、安部公房氏と堀田善衛氏とを呼んだ。堀田さんは例の口べたな調子でボソボソつぶやくだけで殆どしゃべらなかったが、安部さんは猛烈な早口で、次から次へと論点を飛躍させながら、宇宙の森羅万象にちて尽きることなくしゃべりまくった。ぼくたちはそのエネルギーと、いかなる教養体系によって得たか知れない、がいはく(4文字傍点)で珍奇な知識にすっかり毒気を抜かれ、圧倒されてしまった。そこで隣りで聞いていた吉本隆明としめし合わせ、「芥川賞の銀時計はどうしましたか」などと、いささか水をかける体の質問をしてみた。すると安部さんは急に照れ臭そうな顔をして、「なくしてしまったよ」と答え、芥川賞受賞を知った時のエピソードを話した。
それは旅先の旅館で夢を見ていると、ラジオが、芥川賞は安部公房氏に決まったと放送している。目がさめて芥川賞なんて日頃考えてもいなかったのにそんな夢を見るとは我ながら情けない、そんな願望が心の中に潜んでいたのかと苦笑していると、それは夢ではなく、隣りのラジオがほんとに放送していたのだというような話だった。彼独特のつくり話かも知れないが、戦後派作家たちが芥川賞など問題にせず、もらうことをむしろ不名誉なような、照れ臭いような感じを持っていた、その頃の雰囲気をよくあらわしている。実際そのくらい安部さんと芥川賞は似つかわしくない取合せだった。」

「昨今安部とは、しばしば会い、飲み、語る機会が多い。人間的に彼は大きくて柔らかく、成長した。あたたかく、親切でよく気がつく、たのしい友人である。けれどもぼくは、時々、彼の隠された内面の孤独に、敢えて残している荒涼たる砂漠をそのものやわらかい言動のかげに見出だす。安部公房は世界の現代文学の最先端を行く文学者である。

 ぼくは傑作の戯曲「友達」を、青年座文芸部長として数年間粘り、ついに書いてもらったことを自慢にしている。この現代のあらゆる共同体の虚偽をあばいた戯曲は、日本共産党、新興宗教、組合、学校のクラブさらには労演まで主観的善意の組織を批判していた。
それだけではくソ連はこれをアメリカのベトナム戦争の風刺と受けとりモスクワで公演の予定だったが、その夏、チェコに対する社会主義兄弟国の戦車による進攻というまさに「友達」的事態が起り、今度はチェコがソ連への痛烈な風刺として上演を計画した。国際作家安部の面目と先見性の躍如たるものがあるが、それだけに安部は国内においては孤立せざるを得ない。最近の文学や言語を否定した上の空間や音楽や写真を通じての新しい文学への模索は、誰にも理解されない、しかし栄光にみちた冒険の道である。」



[岩田英哉]

2012年11月18日日曜日

Essay about Kobo Abe's unpublished short story titled "Angel".



Essay about Kobo Abe's unpublished short story titled "Angel".

Kobo Abe's "Angel", which was written at his 22, unpublished, has been published today, November 7, 2012 by Shincho, which is a monthly magazine of Japanese literature.

I have purchased it immediately and have read it. Following is my essay about this novel.

A hero of this novel is living in regular hexahedron, that is, in a cube.
(Kobo's favorite readers may immediately think associated with The Box Man.)

(This regular hexahedron represents one dimension which contains one time, as such, one unlimitedness. The hero knows this fact quite well through thinking logically, mathematically and geometrically as well as through deep insight of what time is. 

Therefore, this regular hexahedron is expressed as " it borders the world by six gray planes which mean the unlimitedness or rather better to say, five and half planes and a half, the latter of which means the future while the former five and half planes mean the unlimitedness." 

This is an expression which reveals what Kobo Abe feels really and it is his reality.

The same truth is thought through and through and written in his intensive, philosophical  essay titled "Poetry and Poet (Consciousness and Unconsciousness) - refer to page 109 and 110 of volume 1 of Kobo Abe's Complete Works - and the part here where such a cube does exist is only an expression of the fact which he thought is truth utterly and deeply at his 20 year old when he wrote that essay.

This reality is the mathematical, logical and language-theoretical truth and 
not any others and it is just a truth as it shows. It is not some metaphor of expression at all. This is characteristic with Kobo Abe's words. Mathematical, logical and language-theoretical words about the truth.

This dimension in which the hero is living is said in later years more plainly, for readers, not by using mathematical formula, but by transforming his thought into written words as follows in his The Ruined Map.

「The city - a closed unlimitedness. Labyrinth where you are not at a loss. It is a map only for you, with quite same address numbers allocated to any address.
As such, you cannot be at a loss even if you lose your way.」

The hero is satisfied with his living in such a closed space which is unlimited because of it being so closed.

Every day, "Angel of Life" comes to him to give him a meal which he needs to eat to live.

One day, something extraordinary happens. Angel of Life does not appear and leaves a meal for him.

By this chance, the hero is going out of his cube and is sure that he is an angel. Outside is a land of angels.

While he wanders through the land of angels, he eventually found out, at a certain fence,  "a scarlet rose which is there a sole rose having no distance and is made abstract by it being pressed out of a space and is burning cold" and picked it up and put it on his breast.

This rose is a rose which Rainer Maria Rilke loved so much. Rilke's rose contains many class-structured cosmos inside, being in bloom , well balanced and represents such a cosmos as a rose. It can be said that his rose is a world of the death since there is not time there and only a space. He loved it so much that his grave has, as an epitaph,  his poem about this cosmological rose. I translate it from German into English.

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter
soviel Lidern.

Rose, oh, paradox in its purity, delight,
to be nobody's sleep under so many eyelids.

The hero sees many angels passing and give a greeting, laughing and laughing very loud and much  to each other at every time he see them and they see him.

The angels laugh at him because his scarlet rose on his breast causes them to feel extremely surprised at the death he has and he laughs at them because he knows the distance,  which is made by his scarlet rose, between angles and him. They both are laughing and laughing and cannot bear stopping it, departing from each other. 

Here, and there is already born here the distance between him and angels living in this angel's land.

Kobo Abe wrote an essay titled "Rilke" at his 43 in 1967 - refer to page 436 of volume 21 of his Complete Works.

I have just remembered this essay when I came to read this part of laughing between the hero and other angels.

One evening Kobo Abe was in a certain restaurant in Roppongi, Tokyo with one of his friends who said him, suggesting a certain direction, to let him see a certain foreign man who was said to be a son of Rainer Maria Rilke. All of sudden, Kobo was attacked by laugh and laughed and laughed and could not stop laughing, laughing loudly.

When I read this essay, I wondered why he must laugh so much and could not stop laughing. And I can know now, after I have read this novel, "Angel", why he laughed so much at sight of Rilke's son. Why it was so?

It was because it was a fake-Rilke, that is, a fake-father, which is one of the most important motives and images which his literature has.

And it was because Rilke lived so much deeply inside of Kobo Abe's mind and soul, so much deeply as he must laugh so much. (I will write about his Rilke separately later.)

Why the hero of "Angel" laughs and laughs, seeing and greeting other angels on the road and vice versa? It is because he comes to know that there is a father angel who governs the land of angels, when he see one small angel eventually, wandering, who cries "Oh, father!" and rejects his coming closer to him to communicate with him.  

Therefore, he can be ware that all the angels seeing him laugh, surprised at his scarlet rose of the death and laugh because he is not an angel who belongs to this angel's land while the hero angel see other angels laugh, knowing a reason of their laughs unconsciously. It means that the angels of angel land are fake-angels, that is, they are angels who can become fake-fathers.

The death of that rose on his breast is utterly different from the death of other angels.

Father is a being who governs a family or a tribe and does not spare his life to throw for his family or tribe once there is a war.

There is a father in angle's land and that small angel seeks the refuge and asylum to be given by his father for rejecting the hero for his securing himself against horror of the death.

However, the hero is an angel who does not become a father and who does not die such a death as a father and who is with the death which is different from that of other angels. He dies, sleeping nobody's sleep.

Now, the novel ends there where the hero is going to a window of the angel's land in order to know the world outside since he feels that this land is not a land in which he should live.

The window is one of the most important motives and images he has since he was a schoolboy at elementary school until like in his Kangaroo Note in his last years. It is a place of conjunction which connects a space where he lives, with the dimension which exists outside.

Where the hero is going to the window, there is a poem written by Kobo Abe like in the same way as Kangaroo Note. The poem must be here at the window inevitably. Kobo Abe always writes his poems at window.

I will write about Koboe Abe's window in this coming 3rd issue of Mole Gazette this month as titled "Mole Sense 5 : Window".

I am glad if you may read this my article.

Best regards,

[Eiya Iwata]




2012年11月7日水曜日

安部公房の未発表作「天使」を読んでの感想: Essay just after I have read Kobo Abe's unpublihsed work, "Angel"



安部公房の未発表作「天使」を読んでの感想

今日文藝月刊誌新潮誌上で、安部公房が22歳のときに書いた「天使」という短編が未発表の作品として発表されました。

ここで発表した「天使」論を「『天使』を読み解く」と題して、一冊のキンドル本に編集し直し、上梓しましたので、これをお読み下さると、誠にありがたく思います。

http://www.amazon.co.jp/安部公房論『天使』を読み解く-ebook/dp/B00BHK74H4/ref=sr_1_9?ie=UTF8&qid=1361335125&sr=8-9


さて、最後の場面に立ち至って、主人公の天使は、この天使の国も自分の棲むべき世界ではなく、その外の世界のことを知ろうと、その天使の国の窓へと歩むところで、小説は終わっています。

この窓という、外界の次元と接続する場所というモチーフは、小学生のころからカンガルーノートの晩年に至るまで、安部公房が深く大切にし、徹底的に概念化をした重要な形象のひとつです。

この窓辺へ主人公の天使が行くところでは、そうしてカンガルーノートと同様に、詩が歌われています。この詩は必然的にこの場所におかれなければならなかったものなのです。安部公房は窓辺で詩作をするのです。

この安部公房の窓については、今月号、第3号のもぐら通信に「もぐら感覚5:窓」と題して論じる予定です。もぐら通信のバックナンバーのダウンロードは、次のところです。

http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html

是非、お読み戴ければと思います。


[岩田英哉]



安部公房の未発表の作品「天使」が発見された


今朝あるビルの液晶TVのニュースの画面で、安部公房の未発表の作品「天使」(22歳のときの作)が発見されたとの報道を見ました。

これは、この題名からいって、明らかにリルケです。

2003年の世田谷文学館の安部公房展の図録によりますと、安部公房は、リルケの晩年の二つの大作、ドィーノの悲歌とオルフェウスへのソネットのうち、前者を岩波文庫で持っており、間違いなくその作品を読んでおりました。

このドィーノの悲歌の天使は、それまでのリルケの歌った優しい天使と大きく違い、恐ろしい威力を持った天使です。この天使については、以前わたしの詩のブログ、詩文楽で論じましたので、お読みくださるとありがたく思います。:http://shibunraku.blogspot.jp/2009/07/blog-post.htmlhttp://shibunraku.blogspot.jp/2009/07/blog-post.html

安部公房の天使がどちらの天使なのか、ドィーノの悲歌の天使なのか、それ以前の詩集の、例えば形象詩集のような天使なのか、そうしてリルケの詩の中の天使から何をどう変形させて、自分の世界を構築したのか、遺稿が発表されたら、またもぐら通信で論じたいと思います。

今月号のもぐら通信の連載の第1回目はエドガー・アラン・ポーで、安部公房の変形能力の3回目がリルケですので、それまでに遺稿がどこかの雑誌に発表されることを願っています。

報道によれば、12月号、今日発売の新潮に掲載されるとのことです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20121107-OYT1T00179.htm?from=ylist


[岩田英哉]

2012年11月4日日曜日

もぐら通信第2号の合評会のお知らせ


明日2012年11月5日(月)午後7時より、安部公房のヤフー掲示板にて月刊「もぐら通信」第2号(http://upub.jp/books/8138)の合評会を開きます。どなたでも参加できます。


面白かった記事、興味深かった記事、一言言いたい記事・・・などあると思いますので、この機会にぜひ掲示板にコメントをお願いします。

執筆者のみなさんにとって、読者の感想はとてもありがたく、そして励みになります。

この合評会は、編集して、次号のもぐら通信に掲載をしたいと思います。

事前にメール(書面)にて、あなたのご了解を戴きますので、安心して、ご投稿下さいませ。

よろしくお願い致します。

2012年11月3日土曜日

The Grave of Kobo Abe



The Grave of Kobo Abe


I have visited the grave of Kobo Abe today, Oct 13, 2012.

I have uploaded the photos as below. I am pleased if you may take a look at them.

His grave is at Kamikawa Reien or Kamikawa Cemetry which is located in the northern suburb of Hachiohji City, Tokyo.

You take a bus with 23 or 03 bound for Kamikawa Reien at bus stop number 7 just in front of Hachiohji Statation of JR or Japan Railway. It takes about 45 minutes to reach the cemetery which is just in front of a last bus stop of the bus. You take then a small bus which runs around within the cemetery regularly and get off at bus stop number 13. It takes then only 20 seconds by foot to come to his grave at address of number 140 in number 8 place of number 2 section.

The photos are in following order. I have also uploaded the photo of Jun Ishikawa, a mentor or teacher whom Kobo Abe respected. (I have also visited the grave of Mitsuharu Kaneko, a famous poet, who sleeps also in the same cemetery. Please refer to his grave at http://shibunraku.blogspot.jp/2012/10/blog-post_13.html

1. Gate of Kamikawa Reien
2. View over number 8 place of number 2 Section
3. Overview of Kobe Abe’s grave
4. Closeup of his grave from front position
5. Side view of his grave
6. Grave stone close up
7. Direction board for his grave
8. Overview looking at his grave’s section 8, looking down from the grave of Jun Ishikawa on the hill
9. Jun Ishikawa’s grave, only inscribed with Ishikawa, his family name.
10. A part of the cemetery map which I have got at administration office. His name is listed up with other famous writers.

It took me 30 minutes to reach his grave since I did not simply find it at all. I have thought, “Hum, I could not find his grave as I had anticipated” since I have had this kind of experience of looking for something in vain despite of my intensive efforts. I have thought that I look like myself and that it is acceptable to me, turning and walking toward the grave of Jun Ishikwa, his mentor. Then, unexpectedly, I saw the direction board standing where I was walking by.

Without my having a mind to pray at and for Jun Ishikawa’s grave, I could not have found Kobo's grave. I should thank Jun Ishikawa for his guide.

So, yes, I have certainly found the grave of Kobo Abe.

It is a small green stone, the name of which kind I can not say, 40cm in hight, 30cm in width, with a lot of lines of white color crossing like kneaded into the stone. It is a small stone with no name and no inscription.

It is exactly Kobo Abe, his taste. I have thought how much deeply his family has understood his literature.

What I have felt at this stone at sight is the spirit of wabi-sabi, which is a traditional spirit and aesthetic sense of Japanese people and folk.

Despite of Kobo Abe's reputation being not Japanese like but being multi-national, I am sure that his literature does really exist in the tradition and history of Japanese literature which leads to the wabi-sabi. (refer to Wikipedia on this word: http://en.wikipedia.org/wiki/Wabi-sabi)

It is because he lived utterly his anonymous life since when he was in his teens, being familiar with the essence of what the language is. Remember that all of his heroes are anonymous and inept or foolish.

That is, saying this in one word in Japanese, it is Fuhkyoh, i.e. directly translated into English, wind and insanity.

If you think in this way, you can see how Kobo Abe is positioned in the orthodoxy of Japanese literature, though he maybe does not like this positioning and the word, orthodoxy.

(In this sense, one of his ancestors is Yoshida Kenko or Kenko Yoshida in English order, who lived in 13th century. And also, Zen-buddist, Ikkyuh, who lived in 14-15the century. Further, Matsuo Basho, a famous poet, a Haiku-master in 17th century.)

Their world was born by keeping the spirit of living their life anonymously through and through.

It seems that if one decides to choose the life of anonymity , our Japanese mind carries one to wabi-sabi world or fukyoh, wind and insanity.

Professor Donald Keene says that Kobo Abe is quite a Japanese writer. It has a firm relationship with this deeply.

Yes, on the other hand, when we read his works that were written in his 18, 19 and 20 years old, we are aware that he thought very logically and uniquely about the essence of all the things existing before him and was thinking as one person independent, which thoroughness to perform certainly led to the fruits of all his novels and dramas in later years.

It is Kobo Abe who wove the words systematically by keeping himself to himself, self-referencing as a simple being as only a man.

If you would like to visit his grave, I will guide you there since I am living in Hachiohji City where his graveyard is located. Please do not hesitate to contact me.

Following are photos I took.

Eiya Iwata

                                   1. Gate of Kamikawa Reien or Kamikawa Gravejard


2. View over number 8 place of number 2 Section


                                      3. Overview of Kobe Abe’s grave

                                      4. Closeup of his grave from front position

                                      5. Side view of his grave

                                      6. Grave stone close up

                                       7. Direction board for his grave

8. Overview looking at his grave’s section 8, looking down from the grave of Jun Ishikawa on the hill

                9. Jun Ishikawa’s grave, only inscribed with Ishikawa, his family name.

10. A part of the cemetery map which I have got at administration office. His name is listed up with other famous writers.


(*) Monthly Mole Gazette for Kobo Abe's Readers, 1st issue: http://upub.jp/books/7937
(*) Monthly Mole Gazette for Kobo Abe's Readers, 2nd issue: http://upub.jp/books/8138 



















2012年11月1日木曜日

ヤマザキマリさんのホームページの絵ともぐら感覚


ヤマザキマリさんのホームページの絵ともぐら感覚


古代ローマの浴場設計技師ルシウス・モデストゥスが現代日本の銭湯にタイムスリップして数々の着想を得て古代ローマの浴場設計に活かして活躍するという映画「テルマエ・ㇿマエ」の原作者ヤマザキマリさんがもぐら通信に来年寄稿してくださることになりましたので、あなたにお伝えいたします。

テルマエ・ㇿマエのWikipediaです。


ヤマザキマリさんは、安部公房の愛読者で、特に方舟さくら丸は、東京、シカゴ、ポルトガルの3居所に常備してあるほどです。

既に「ヤマザキマリのジャコモ・フォスカリを読む」(http://abekobosplace.blogspot.jp/2012/10/blog-post_27.html)で、その傾倒振りはお伝えした通りです。

ヤマザキマリさんに、その公式ホームページがあることを教えられ、そこに行ってみると、これはご自分でお描きになったのでしょうか、まさしくこれはバロックの感覚、安部公房の感覚でした。次のURLアドレスの絵をご覧ください。


怪奇(グロテスク)であり、迷宮であり、立体造形的であり、異界であり、バロックであり、日本語でいうならば風狂です。

この絵をみると、ヤマザキマリさんが安部公房の好きな理由がよくわかります。

「テルマエ戦記」というご著書を読みますと、文字通りの戦記という題名の通り、テルマエ・ㇿマエの大当たりになってからの猛烈な忙しさと奮闘の様子が書かれております。

来年のヤマザキマリさんに閑暇のあらんことを、安部公房の読者ともぐら通信のために祈り、あなたと共に、ご寄稿を楽しみに待つことに致します。

[タクランケ]