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2013年9月7日土曜日

石川淳について



石川淳について

丸谷才一の『思考のレッスン』(文春文庫)を読んでいると、石川淳に言及した個所が幾つかあり、その中の一つには安部公房の名前も登場するので、ここで紹介をして、安部公房が師と呼んだこの作家について、この作家がどういう作家であるのか、その知見を共有したいと思います。

1。石川淳と『曽我物語』(95~96ページ)
―レッスン1に、レトリックがない文明という話が出ましたが、それと関連しそうですね。

丸谷 そうそう。様式がある文学ならば、たとえいやなことを書いても、いやな感じの迫り方が違うわけ。ところが近代日本文学は様式がないから、生な不快感になっちゃうんだね。
 そういう生な言葉を避けようとして、石川淳さんは江戸に学んで、あの文体をつくったんでしょうね。
 淳さんのあの文体のことを、女の小説家が、長唄か清元の詞章みたいにずらずら続いて行くと評したそうだけれど、これは森鴎外『そめちがへ』の弟分みたいなあの文章の、うまい形容であるだけじゃなくて、出所をかなり言いあてていますね。そして長唄や清元のかなり川上のところにはたぶん『曽我物語』がありそうな気がします。いつか僕が『曽我物語』を読んでいますと言ったら、
「文章がいいでしょう」
 と一言だけだったけれど弾んだ返事が返ってきたことがありました。石川淳と『曽我物語』というのはいい主題だと思いますよ。

2。石川淳と「一冊の本」(114ページ)
石川淳さんが朝日新聞から「一冊の本」という題のコラムに原稿を依頼されたことがある。その書き出しがたしか、「本来なら一冊の本といふことはあり得ない」という文章でした。たくさんの本の中にあって初めて、一冊の本は意味があるのだ、というようなことを書いてらした。

 僕は、その通りだと思うんですね。孤立した一冊の本ではなく、「本の世界」というものと向かい合う、その中に入る。本との付き合いは、これが大切なんです。

3。石川淳とホーム•グラウンド(143ページ)
 石川淳さんの場合には、江戸がホーム•グラウンドと言えるでしょうね。もちろんこれにフランス文学が加わります。つまり石川さんという人は、西洋の文学を読んだ目で江戸を見ていた。その体験がすべてにわたってものを言うんですね。
 石川さんは「パリに出かける金がないから江戸へ遊学した」なんて言ってますが、あれは生半可な勉強じゃないですね。硬いものも軟らかいものも、よく読んでます。荻生徂徠、本居宣長、蜀山人はもちろんですが、平田篤胤も一通り目を通してました。僕が、為永春水は『梅ごよみ』だけ読みましたと言ったら、「あとを引かなかった?」とけげんそうにしてた。つまり、『辰巳園』(たつみその)も『梅見船』も『英対暖語』(えいたいだんご)もと、続けて読まないのが不思議なんでしょうね。でもね……(笑)

 以前、中村真一郎さんが、「石川淳さんは江戸の漢詩をよく読んでるし、その感想がいちいちツボを外れない」と感心してたけど、その通りなんだろうと思います。

 その石川さんが最晩年、こんなことをおっしゃった。「このあいだ小説で江戸を書こうと思って、江戸にいて何を自分が知っているか考えてみたら、驚いたことに、何も知らないということがわかった」とね。

4。石川淳と忠臣蔵(185~186ページ)
 もう一つ例をあげます。忠臣蔵論。
 僕は忠臣蔵が御霊信仰だということは、前々から考えていました。一九八〇年に石川淳さんと対談したときも、そのことを話したことがあります。そのときは、石川さんから「うん。あれも御霊信仰だといえば御霊信仰だな」と、名人に青二才が軽くいなされるような結果になった。ああいう返事をされると、その先は続かなくなっちゃう(笑)。

5。石川淳と推敲(228ページ)
 たとえば石川淳さんは、推敲ということを絶対にしないらしいね。石川さんが安部公房さんと一緒にロシアを旅行したとき、向うの作家と三人で話をしたんだそうです。ロシアの作家が、自分はいかに念入りに文章を推敲するかということを長々としゃべったら、淳さんが「それはいけない、私は推敲なんかしない。書き終わったら書きっぱなしである」と言ったんだって(笑)。
 安部さんからその話を聞いてびっくりしてね、僕は石川さんに聞いてみたんです。
「どうすればそういうことができるんですか」
 そうしたら石川さんは、
「それはゆっくりゆっくり書くんだよ」
とおっしゃった。

―石川さんの文章は、ものすごいスピードで書いているような印象がありましたけど、意外ですね。

丸谷 石川さんについては、いつだったか奥様からこんな話をうかがったことがあります。
「石川も最近は年をとってくたびれてきて、一回書斎にこもると二時間ぐらいしか持ちません」
 二時間持つなんてすごい、とびっくりしてね(笑)。晩年で二時間だから、以前はもっと長かったに違いない。すごい集中力だなあ(笑)。
 

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