ガルシア•マルケスの窓
書棚にある『百年の孤独』を不図手に取って、ひょっとしたら、安部公房の主題と同じ主題をマルケスも書いているのではないかという気がしたので、数ページを読み進めると、果たしてそのような箇所がありました。
それは、主人公が窓を介して、その外を眺める箇所です。
「ホセ•アルカディオ•ブエンディーアは妻の言葉をまともに受けとめた。窓の外に視線をやると、日なたの野菜畑を駆まわっている子供たちの姿が目に映ったが、それが彼には、ウルスラの呪文によってその胎内に宿った子供たちが、まさにこの瞬間から地上に存在し始めたのだという印象を与えた。そのとき、彼の内部で何かが起こった。神秘的でしかも決定的なその何かは、現在という時間から彼を根こそぎにして、まだ足を踏み入れてあことのない記憶の世界のあてどない旅へと彼を誘った。」
これは、まさしく10代からの安部公房の世界です。
ここで、はっきりしていることは、マルケスは、
1。外部と内部の交換をしているということ。
2。それによって初めて、この世で時間が生まれるということ。それも、この世という一次元で。
3。この交換が、神話的な世界を創造するということ。
以上のことを言っているということです。
以上のことを言っているということです。
安部公房は、この思考、この論理、この感性を、全く自分と同じものだと思ったに違いありません。
この箇所は、『百年の孤独』(新潮社。鼓直訳)の14ページ下段にあります。
安部公房の窓については、既に「もぐら感覚5:窓」(もぐら通信(第3号))と題して論じておりますので、それをご覧下さい。
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