埴谷雄高論6:死霊の文体について
今手元にその資料がなく、一体何で読んだのかも記憶にないのであるが、中村真一郎が埴谷宅を訪れて、その書架に緑の背表紙のジャン・パウル全集をみて、あっ、埴谷雄高はジャン・パウルなのだと直観したことの書いてある文章を読んだことがあります。
この中村真一郎の直観は正しいとわたしも思っています。
死霊を読んでいて、その時間の無さ、物語の進行しないそのしなさは、ジャン・パウルの文体と同じであり、このような文体の根底にある精神は、ジャン・パウルに一脈通じているのだと思います。
それは、時間を捨象して、空間的な世界を造形したいという願望です。
これに加えて、もうひとつ、埴谷雄高は意識しなかったと思いますし、誰もこのことを言っておりませんが、その願いと併せて実現したそのネスト構造(入れ籠構造)の息の長い文体は、国や言語を超えて、明らかに埴谷雄高がバロック様式の作家であることを示しています。
バロック様式とは、17世紀のヨーロッパ、ドイツが諸国に蹂躙された30年戦争の起きた時代の様式で、その時代からいっても、人間が今日在ることが明日は無いかもしれない、自分は今日生きているが明日は死ぬ事があると考えたことから生まれた様式です。
その文章上の様式、即ち文体においては、ネスト構造(入れ籠構造)の重畳の息の長い文体でありました。そうして、もうひとつの特徴は、グロテスクであることを厭わないということです。
安部公房を発見した埴谷雄高は、自分と同じ主題を探究する若い作家を発見したということの他に、やはり、上に述べた死生観から言って、ともに自分自身を未分化の状態におくという、そのような物と考え方と態度に共感を覚えた筈です。
埴谷雄高には、重畳な文体が、他方、安部公房には、グロテスクネスが、日本語の世界に生まれたということになるでしょう。
安部公房とバロック様式については、次のURLアドレスへ。
http://abekobosplace.blogspot.jp/2012/10/blog-post_22.html
バロック様式とは、17世紀のヨーロッパ、ドイツが諸国に蹂躙された30年戦争の起きた時代の様式で、その時代からいっても、人間が今日在ることが明日は無いかもしれない、自分は今日生きているが明日は死ぬ事があると考えたことから生まれた様式です。
その文章上の様式、即ち文体においては、ネスト構造(入れ籠構造)の重畳の息の長い文体でありました。そうして、もうひとつの特徴は、グロテスクであることを厭わないということです。
安部公房を発見した埴谷雄高は、自分と同じ主題を探究する若い作家を発見したということの他に、やはり、上に述べた死生観から言って、ともに自分自身を未分化の状態におくという、そのような物と考え方と態度に共感を覚えた筈です。
埴谷雄高には、重畳な文体が、他方、安部公房には、グロテスクネスが、日本語の世界に生まれたということになるでしょう。
安部公房とバロック様式については、次のURLアドレスへ。
http://abekobosplace.blogspot.jp/2012/10/blog-post_22.html
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