ネストロイの喜劇に二本仕立て、『昔の関係』と『酋長、夜風』を観劇する
二日前の金曜日、12月12日の夜の部で、うずめ劇場の公演する、オーストリアの19世紀の劇作家ネストロイの喜劇の二本仕立て、『昔の関係』と『酋長、夜風』を観劇することができた。場所は両国のシアターΧ(カイ)。
二作とも、面白い劇であった。
ネストロイの作劇の根本は、この二つの作品をみると、人間同士のお互いの錯誤、誤解、行き違いをその骨子として作劇するものだと思った。
人間同士の行き違いから笑いのある喜劇を生み出すのです。これが、ネストロイの作劇法なのでしょう。話は全く荒唐無稽であるのに、舞台の役者同士の行き違いが、観客にはよくわかるように作られているし、また舞台の役者がそれぞれに、観客に直接訴えて、自分の窮状を伝えて共感を得ることなど、この作者の工夫は、わたしたち観る側にとっても実に楽しいものでした。客席からは、よく笑いが起こりました。この上演は成功でした。
また、ピアノとヴァイオリンが舞台の裾で演奏されていて、役者も歌を歌うので、これはアメリカ人ならばミュージカルという劇でもありましょう。
音楽が入り、役者の歌う姿を見ておりますと、ああヴィーンという歴史のあり、文化の洗練された、ハプスブルク家の支配したこの都に住むひとたちにとって、音楽という藝術は生活の一部になっていて、生きるために欠かせない藝術なのだと、そう思われるのでした。
実は、この作家は、わたしが学生時代にドイツ文学を学んだときに、ドイツ文学史で教わり、オーストリア文学のヴィーンの民衆劇の作家として覚えている作家なのでした。
今ネットで調べると、ネストロイという作家についての日本語のWikipediaはない。日本人は、この作家を知らないのでしょう。ドイツ語と英語のWikipediaがあります。
このWikiをみると、ネストロイは劇作家であるばかりではなく、みづから舞台に立ち、オペラの歌手としても歌を歌ったとあります。さもありなむという、楽しいうずめ劇場の舞台でした。
その作家の作品を、しかも二本も、更にしかもこの日本で、それも更にしかも日本語で、お目にかかるなどとは、全く思いもかけない、これは東ドイツ出身の演出家、そうして演劇の歴史の専門家でもあるペーター・ゲスナー氏でなければ思いもよらないネストロイという、この今の日本での選択だと思います。
この、今ネストロイを選択したということが、わたしを驚かせました。
そして、期待にたがわぬ上演でした。
舞台を見ていると、おそらくドイツ語の原文では、ヴィーン訛りや、或いはヴィーン周辺の土地の訛りも香辛料にまぶして、役者はそのセリフを口にするものなのでしょう、この台本の日本語の翻訳者は、その訛りを薩摩弁や東北弁に置き換えて、そのおかしさを誘い、楽しいセリフ劇として日本語の世界で再現しておりました。
舞台をみるということは、楽しいことなのだという当たり前のことを改めて思い出した2時間半でした。あっという間の2時間半でした。
舞台が終わって、役者の挨拶が終わってから、ゲスナー氏が挨拶に立って、うずめ劇場が今年前半に上演した安部公房の『砂の女』が、テアトロ誌上による今年の演劇ベスト5に入ったということでした。これも嬉しいことで、こころの中でおめでとうと言いました。
『砂の女』で仁木順平と砂の女を熱演した荒牧大道さんも後藤まなみさんもともに、このネストロイの二つの舞台では主役を、また主役級の配役を演じていて、安定した演技で、わたしたちを楽しませてくれました。そのほかの役者のみなさんの演技も素晴らしかった。セリフ廻しもよく熟(こな)れていて、これもよかった。翻訳もよかったのです。
同じ『砂の女』の舞台に立っていた荒井孝彦さんの姿も『酋長、夜風』では拝見することができ、お元気でご活躍のこと、なによりでした。
しかし、酋長の名前が夜風とは、何という命名でありましょう。Nachtwindという名前なのでしょう。
『酋長、夜風』では、舞台を太平洋に浮かぶ島々の中の土人の世界を舞台にして、土人の酋長、夜風の科白には、当時のヨーロッパの植民地支配、その侵略に対する辛辣な科白もあって、ネストロイという人間の人間観察と時代観察も織り込まれておりました。(南太平洋の島々の土人たち、これらの人たちにとって、ヨーロッパ人のその手前勝手な文明の侵略がどのようなものであったかは、中島敦の名作『光と風と夢』に詳しい。R.L. Stevensonを描いた素晴らしい作品です。)
しかし、素晴らしいことは、これが政治劇なのでは全然なく、全く楽しい文字通りの、そしてわたしが学生時代に教わった通りの、科白と歌と踊りとから成る、ヴィーンの民衆劇(Volkstheater)であったということです。
Theaterというこの言葉の、本来の意義を久し振りで思い出した、いい師走の夜でした。
ネストロイを選んだゲスナー氏に、声をかけて下さった荒井さんに、そして役者のみなさんに、翻訳者のみなさんに、この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
追記:
ふたつの作品の幕間に、ロビーで飲食が供せられていて、これも全くヴィーンの観劇の作法の通りに工夫を凝らしていて、ゲスナーさんのヨーロッパ人であることの経験と知識を活かしたのだなあと思いました。
Theater(劇場)での幕間の飲食というこの贅沢を、これも久し振りに思い出した夜でした。観劇するとは、確かにこのように楽しい経験、贅沢な日常の経験なのです。
日本ならば、さしづめ、歌舞伎の舞台をみながら幕間に幕内弁当を広げるというところでしょうか。