ジョハリの窓と安部公房
あなたは、ジョハリの窓をご存知でしょうか。
これは、ひとのこころを自己と他者の関係の中で、知ると知らぬ(未知)との関係を考えるために表した4つの心理、人間心理の深層と表層のマトリクスのことです。Wikipediaがあります。
http://goo.gl/DYcVaO
このジョハリの窓をみますと、安部公房の読者であるあなたは、多分間違いなく、他人にわかっていない窓であるIIIとIVの、即ち秘密の窓(hidden self)と未知の窓(unknown self)を知りたくて、安部公房の作品を読んでいるのではないでしょうか。どうでしょうか。
それでは、作者たる安部公房は、この4つの窓のうちいづれを知りたいと思い、知って(或いは巧まずして知らぬうちに、未知のままに)その領域、即ち無意識と自己の領域を形象(イメージ)として表現したいと思ったのでしょうか。
それは、間違いなく、IVの未知の窓(unknown self)だと思います。
このジョハリの窓を考えるのに、誠に興味深いことは、安部公房にとっては、窓というものは実に、普通の人間とは全く異なる深い意味を有していたということです。窓がどのような意味を安部公房にとって、小学生のときから持っていたかは、詳細に『もぐら感覚5:窓』(もぐら通信第3号)で論じましたので、お読みいただければと思います。:http://goo.gl/5pwuuB
他方、安部公房の、性格の反対の双子の兄弟の片割れ、三島由紀夫は、安部公房との対談『二十世紀の文学』(安部公房全集第20巻、55ページ)において、「おれは、だけれどももう、無意識というのはなるたけ信じないようにしているのだ。」といい、自分には無意識はないのだといい、自己を明晰に知りたいし、知っているのだと言いたい三島由紀夫にとっては、安部公房とは全く対照的に、IVの未知の窓の領域の面積は限りなくゼロに近かったのでありませう。
今この文章を書くために『二十世紀の文学』を読み返してみましが、実に多彩な主題について縦横無尽に二人は論じております。あなたも、お読みになってはいかがでしょうか。
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