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2016年12月20日火曜日

来年の『新潮』に、安部ねりさんによる『茗荷谷の安部公房』が掲載

来年の『新潮』に、安部ねりさんによる『茗荷谷の安部公房』が掲載

来年1月6日発売の文藝月刊誌『新潮』に、安部ねりさんが『茗荷谷の安部公房』と題して、安部公房が5年住んだ茗荷谷での安部公房についての寄稿をします。

安部公房はこの住まひで芥川賞を受賞してゐます。娘のねりさんも此処で生まれました。

今まで伏せてゐて、敢へて公にはしてゐなかつた夫婦仲の様子も書いたといふことです。

見開きの2ページとのことです。

安部公房ファンにとつては、何よりの新年の贈り物ではないでせうか。





2016年12月12日月曜日

安部公房の読者のための村上春樹論(3):村上春樹と換喩の世界

安部公房の読者のための村上春樹論(3):村上春樹と換喩の世界

昨日今日と英文の契約書を読む機会があって、そして久し振りでアメリカの社会と文化といふものを考へてみて、アメリカ人の世界は換喩の世界だといふことを思ひました。

親のゐない孤児の世界です。不在の父親の世界をアメリカ人が譬喩で表すと換喩になる。

それ故に、換喩の文学を創造する村上春樹は、アメリカ文学、それも最も先鋭に換喩の人間関係の現れるアメリカ文学を愛好するのです。修辞学の方面から村上春樹の文学を眺めると、さういふことになります。

換喩関係を表した典型的な条項は、簡単に言ってしまへば、お互いに一つの目的に向かって二人は契約を結ぶけれども、私が此の契約に基づいて執行することから生じる問題があなたに生じても、それは私の責任ではないよといふ趣旨の条文はみな、これです。

村上春樹が換喩の人間関係、換喩の物事(と人間)の関係を見てゐる作家が、例えば、スコット・フィッツジェラルドであり、レイモンド・カーヴァーであり、サリンジャーであり、レイモンド・チャンドラーであり、トルーマン・カポーティなのです。

Wikipdeia中、「村上は「チョコレートと塩せんべい」という比喩」を使ってゐるのは、二つのものの換喩関係を述べてゐるのです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/村上春樹#cite_note-37

チョコレートと塩煎餅は、換喩関係にあるのです。これが、全ての作品中の登場人物に及ぶ関係です。

同じことを、村上春樹は『翻訳夜話』の中で次のやうに言ってゐます。

「カキフライについて書くことは自分について書くことと同じなのね。自分とカキフライの間の距離を書くことによって、自分を表現できると思う。それには、語彙はそんなに必要じゃないんですよね。いちばん必要なのは、別の視点を持ってくること。それが文章を書くには大事なことだと思うんですよね。みんな、つい自分について書いちゃうんです。でも、そういう文章って説得力がないんですよね。テキストと自分との相関関係みたいなものが掴めていれば、それなりにうまい、自然な文章が書けるはずです。自分を出そうと思うと、やっぱり煮詰まっちゃう。だから、これから文章を書こうと思ってつまったら、カキフライのことを思い出してみてください。べつにカキフライじゃなくてもいいんだけど、とにかく。」

更に、『村上春樹 雑文集』といふ文章の中で言ってゐる次の引用の方が、私の趣旨と上の「翻訳夜話」の実践篇として、具体的に村上春樹が表現してゐるので、わかりやすいのではないかと思ひます。

「僕の皿の上で、牡蠣フライの衣がまだしゅうしゅうと音を立てている。小さいけれど素敵な音だ。目の前で料理人がそれを今揚げたばかりなのだ。大きな油の鍋から僕の座っているカウンター席に運ばれるまでに、ものの五秒とはかかっていない。ある場合には──たとえば寒い夕暮れにできたての牡蠣フライを食べるような場合には──スピードが大きな意味を持つことになる。

箸でその衣をパリッとふたつに割ると、その中には牡蠣があくまで牡蠣として存在していることがわかる。それは見るからに牡蠣であり、牡蠣以外の何ものでもない。牡蠣の色をし、牡蠣のかたちをしている。彼らはしばらく前まではどこかの海の底にいた。何も言わずにじっと、夜となく昼となく、固い殻の中で牡蠣的なことを(たぶん)考えていた。それが今では僕の皿の上にいる。僕は自分がとりあえず牡蠣ではなくて、小説家であることを喜ぶ。油で揚げられてキャベツの横に寝かされていないことを喜ぶ。自分がとりあえず輪廻転生を信じていないことをも喜ぶ。だって自分がこの次は牡蠣になるかもしれないなんて、考えたくないもの。

僕はそれを静かに口に運ぶ。ころもと牡蠣が僕の口の中に入る。かりっとした衣の歯触りと、やわらかな牡蠣の歯触りが、共存すべきテクスチャーとして同時的に感知される。微妙に入り混じった香りが、僕の口の中に祝福のように広がる。僕は今幸福であると感じる。僕は牡蠣フライを食べることを求め、そしてこうして八個の牡蠣フライを口にすることができたのだから。そしてその合間にビールを飲むことだってできるのだ。…」

この最後の引用を読むと、村上春樹といふ作家が、自己を存在として考へる時に、即ち文章を書く時には、換喩を必要としてゐることが、よくわかります。即ち、

牡蠣フライの衣(ころも)と牡蠣は隣接関係にあつて、決して交はることがないのです。

さうして、「八個の牡蠣フライ」とは、アダムとエヴァが楽園にあつて、未だキリスト教のGodの怒りを買つて追放される前の状態で楽園にゐることの、baseball gameの9回ではないといふ、換喩表現なのです。



2016年12月6日火曜日

安部公房のエッセイを読む会(第8回)の開催日時が決まりましたので、お知らせします。

安部公房のエッセイを読む会ー通称”CAKE”ー(第8回)の開催日時が決まりましたので、お知らせします。

開催の要領は次の通りです。

ご興味のある方は、もぐら通信社宛、下記のメールアドレスまでご連絡下さい。:s.karma@gmail.com

(1)日時:2017年1月29日(日)13:00~17:00
(2)場所:南大沢文化会館 第2会議室
(3)交通アクセス:京王線南大沢駅下車徒歩3分:http://www.hachiojibunka.or.jp/minami/
(4)参加費用:無料
(5)二次会:最寄駅近くの安い、居酒屋という迷路をさ迷います。割り勘です。

II 課題エッセイ
(1)『平和について』:全集第2巻54~58ページ
(2)『絶望への反抗』:全集第2巻76ページ
(3)『平和について』:全集第2巻78~81ページ

ご興味のある方は、もぐら通信社宛、下記のメールアドレスまでご連絡下さい。:s.karma@gmail.com


安部公房の『城塞』を来春新国立劇場にて上演

安部公房の『城塞』を来春新国立劇場にて上演



新国立劇場にて来春「かさなる視点-日本戯曲の力-」と銘打ち、近代演劇の礎となった昭和30年代に発表された3本の戯曲を、30代の3人の演出家の手で上演することが決定した。三島由紀夫の『白蟻の巣』を演出する谷賢一、安部公房の『城塞』を上演する上村聡史、田中千禾夫の『マリアの首-幻に長崎を想う曲-』の演出を務める小川絵梨子、同劇場の芸術監督を務める宮田慶子が出席しての取材会が行われた。

3作品は、いずれも昭和30年代に発表されており、宮田はこの時代を「戦後10年以上が経って、焦土から復興を遂げ、そろそろ高度経済成長が始まる頃であるけど、戦争の跡と新しい時代の狭間で軋んでいた時代」と語る。

『城塞』は、ある一家の姿を通して安部公房が戦争責任を問うた作品だが、上村は「“戦後”をテーマに掲げて上演したい」と語る。「いま、グローバルな価値観と、民族性や国民性といったドメスティックに根付いている日本人のローカルな価値観が軋み始めている印象があり、不穏な音を立てている気がしています。演劇でそのこととどう対峙できるか? 敗戦後の再生の陰で変わらなかった日本人の精神、戦争責任の所在に目を向けることで、その軋みをひも解く糸口になるのではないか? いま、上演されて真価が発揮される作品だと思います」と自信をのぞかせた。

同世代の演出家が、同じ時期に発表された名作を演出するということで「比べられる(苦笑)」(小川)、「一生懸命、ケンカしたい(笑)」(谷)など、互いを意識する発言も。「次の時代を拓き、日本の演劇界を引っ張っていく三人」(宮田)がどのように“戦後”に挑むのか?楽しみに待ちたい。公演は3月2日(木)から5月28日(日)まで新国立劇場 小劇場にて上演。

安部公房の『城塞』は、2017/4/13(木) ~ 2017/4/30(日)の期間の上演です。

もぐら通信第52号のURLが働いてゐませんでしたので、再度アップロードして、お届けします



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2016年12月5日月曜日

これが、安部公房のユープケッチャの世界です

これが、安部公房のウープケッチャの世界です。

これは、エッシャーの騙し絵の一つ、つまりバロック的な贋の現実の一つですが、それがしかも3次元で且つ時間の中で動いてゐます。


これは、ユープケッチャの回転する永久運動の、自己閉鎖形態に棲むユープケっチャ自身の構造であり、骨格です。言ひ換えれば、

これは、シュールレアリズム です。

または、

Topology(位相幾何学)

と言ひ換へても同じです。

更に、

超越論(Transzendentaltheorie)

と言ひ換へても同じです。

同じ、といふ意味は、これらいづれの観点からも、この物体を論じ、説明することができるといふことです。何故ならば、

恰も時間の中を川が流れてゐるかのやうに見えて、永久運動でもありますから、さうして恰も川が下から上へと流れてゐるやうに見えますから、これは時間の無い、関係だけの在る、謂はば、存在の世界であるからです。

ちなみに、この立体の模型の元になつてゐるフィッシャーの原画は、次のものです。



2016年12月2日金曜日

もぐら通信第52号をお届けします


もぐら通信第52号をお届けします。


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0 目次…page 2
1 ニュース&記録&掲示板…page 3
2 安部公房と倉橋由美子…page 11
3 安部公房と寺山修司を論ずるための素描(3):安部公房によって描かれた寺山修司の「恐山」…page 13
4 S・カルマ氏作詞作曲『実存的ラジオ体操の歌』…page 14
5 『魔法のチョーク』論:岩田英哉…page 17
6 安部公房の世界から1970年11月25日の三島由紀夫の死を観る…page 41 
7 N氏とのジョルジュ・バタイユを巡る往復書簡…page 48
8 言葉の眼 10:ホーネッカーの最後の晩餐とヒットラーの珈琲クリーム…page 53
9 連載物次回以降一覧…page 56
10 編集後記…page 57
11 次号予告… page 57

今月もまた、あなたの巣穴で安部公房とのひと時をお過ごし下さい。

もぐら通信
発行人
岩田英哉


2016年12月1日木曜日

ゲームクリエイター・小島秀夫さんは安部公房に中学生時代に出逢った愛読者

ゲームクリエイター・小島秀夫さんは安部公房に中学生時代に出逢った愛読者




“いまの自分があるのは、読んできた本のおかげです”ゲームクリエイター・小島秀夫が、3万字超えの独占告白!今だからこそ語り尽くす、ボクと本(全4回)
(http://www.jiji.com/jc/article?k=000000198.000006388&g=prt)

“いまの自分があるのは、読んできた本のおかげです”ゲームクリエイター・小島秀夫が、3万字超えの独占告白!今だからこそ語り尽くす、ボクと本(全4回)

電子書籍関連事業を展開する株式会社ブックリスタ(東京都港区)は、ブックリスタが運営する本の口コミサイト「シミルボン」(https://shimirubon.jp)において、世界を代表するゲームクリエイター・小島秀夫監督の独占インタビュー(https://shimirubon.jp/columns/1675611)を、本日11月30日(水)より公開いたしました。

ゲームクリエイターとしてはもちろん、過去には雑誌で本に関する連載を持つなど、稀代の読書家としても有名な小島秀夫監督。昨年末に、自身のゲーム開発会社「コジマプロダクション」をスタートさせ、新作ゲームの開発に打ち込む多忙のなか、約2時間に及ぶロングインタビューを決行。彼の物語創りの原点には、やはり、膨大な読書量がありました。トータル3万字超えの独占記事を、全4回にわたって「シミルボン」にてお送りします。


■小島秀夫監督のインタビュー(全4回)より抜粋
“いまの日本もそうじゃないですか。若者はなかなか映画を撮れない。なので、夢破れて、ゲーム業界なんですよ。違うメディアだけれど、物語を紡ぐことができる”

“本屋の親父が「こいつ、なに買うつもりや」ってこっちを見るんで、何か買おうと思って棚を見たら、ハヤカワ文庫のSFがあった”

“田中光二さん。猛烈に愛しました! いまだに愛しているんです”

“結婚した時、嫁はんとデートしながら本読んでたんで、えらい怒られました”

“誰も命かけて撮る奴おらんですよ。みんな、進学校に行きたいだけなんで。なんで、一人でするしかないって”

“安部公房なんです! 松本清張の次に人生を変えたのが、中学の時に読んだ安部公房です”

(略)

“自分が色んな本を読んできたなかで、自分の背中を押してもらった言葉とかもあるんで、そういうものがあるゲームを作りたいな、と思ってました”


「■小島秀夫プロフィール
1963年生。ゲーム・クリエイター。コジマプロダクション代表。1986年よりコナミでゲーム・クリエイターとして活動。昨年末コナミを退社、その後新たに独立スタジオとして「コジマプロダクション」を立ち上げた。現在、ノーマン・リーダス主演の『Death Stranding』を製作中。これまでの代表作は『メタルギア』シリーズ『スナッチャー』『ポリスノーツ』『ボクらの太陽』『ZONE OF THE ENDERS』シリーズなど。