中田耕治さん若き安部公房を語る12:敗戦直後の凄まじき世相
中田耕治さんが、敗戦直後の凄まじき世相を語っています。
若い安部公房の生きた時代がどのような時代であったのか。この文章を読んでから、二十代前半の安部公房の作品を読むことは、無駄ではないでありましょう。以下、中田耕治さんのウエッブサイトからの引用です:
敗戦直後から冬にかけて、激烈なインフレーションと食料難が襲いかかってきた。
大森でも、敗戦の翌日には、駅前から入新井、いたるところに闇市ができた。この闇市に無数の人が押し寄せた。焼け跡にゴザやサビついたトタンをしいて、古新聞やボール凾の上に板戸を載せただけの場所に、戦時中にはまったく見なかった隠匿物資、配給ルートにはのらない食料、衣料品がならべられて、むせ返るような活気があふれていた。
二、三日もすると、この闇市も、ボロ布や、軍用毛布、テントの囲い、よしず張りなどが多くなって、ヤクザや第三国人が勝手に土地を占拠しはじめ、あっという間にバラック建ての店が出はじめる。
(略)
戦後の食料難の実態は、もはや想像もつかないだろう。
誰もが飢えていた。食料の配給も欠配がつづく。
敗戦直前までは、僅かな配給量にせよ、なんとか主食のサツマイモ、大豆などが配給されたが、敗戦後は、1本のサツマイモ、ひとにぎりの大豆さえも配給されなくなった。
(略)
1945年12月、アメリカ兵が颯爽とジープをはしらせる町に、おびただしい数の浮浪者があふれていた。浮浪児もいた。そして、若いGI(アメリカ兵)めあてにあらわれたパンパンと呼ばれる街娼の群れ。大森の駅近くにバラックの映画館が急造されたが、そのすぐ前は京浜東北線の土手で雑草が生い茂っていた。そこに、若い女の子がつれ込まれて強姦された。女の子の悲鳴が聞こえたが、誰も助けようとしなかった。
これが敗戦国の現実だった。明日のことは誰にもわからない。それでも、奇妙な解放感がみなぎっていた。
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