中田耕治さん若き安部公房を語る15:安部公房と『近代文学』での人々
この回想を拝見すると、安部公房の生きた時代とその周囲の様子がよくわかります。非常に貴重な証言ばかりです。
この回で埴谷雄高が花田清輝を言う批評の言葉は、正しいと、私には思われる。
その他、非常に貴重な記録が満載の回想をお読みください。
(略)
会のあとで本郷三丁目のバーに寄った。美人姉妹が経営していたバーで、駿河台下の「らんぼお」の美女と並んで、戦後文学者や、東大仏文の人達が集まっていた。ここで、花田清輝と大論争になったことがある。埴谷雄高、安部公房がこの論争に加わった。
埴谷雄高は、論争がはげしくなると、その間に割って入って、すかさず別の論点を投げ出す。だから、討論が堂々めぐりにならない。
さらに、加藤周一と花田清輝の論争がハイライトに達したと見るや、それまで遠く離れて論争を見ている美しいホステスたちに目をやる。まるで、格闘技のチャイムのような効果で、一時、休憩。(はるか後年、「茉莉花」でも何度かおなじようなシーンを見たことがある。)
この休憩のときに、埴谷さんは、安部公房と私にむかって、
「なにしろ、カルテジアンとヴォルテリアンの論争だからね。レフェリーも必要だよ」
花田清輝が薄笑いをうかべた。
この論争の直後に、埴谷雄高が花田清輝にあてて出したハガキがある。(これは偶然私が手に入れたもので、このブログに掲載しようと思ったが、残念ながら見つからなかった。)
そのハガキで、埴谷雄高は、花田清輝を「戦後」という時代にあらわれた「狂い咲き」と評していた。
こうした論争をそのまま速記して、いまの雑誌に発表したら「戦後」の貴重な記録になったに違いない。
(略)
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