夏目漱石とグレン・グールド、グレングールドと安部公房について
もぐら通信の今月第45号を編集していて、仙台にお住いの、文章を拝見いたしますと、間違いなく安部公房を深く読まれている方なのだと思いますが、行政書士の坪内さんという方のブログに掲題のご投稿あり、ここに紹介いたします。
グールドが、漱石と安部公房を大変好んだという記述の後の、後者とグールドの関係に言及した次の意見には、わたくしも全くその通りだと思いました。
「漱石も公房も自我の発現をとことんまで突き詰めていく動機の段階では同じである。異なるのは、自我の発現が貫徹され、その過程をありのまま私小説として示す漱石に対して、公房が自我の発現の過程を一切見せず、一気に他者化して交感を許さない点である。この他者化こそが公房の強さであり、グールドは憧憬を抱いたのではないだろうか。」
この方のブログです:
グールドの求めたものは、静寂であり、静謐な空間でしたから、一度『梨という名前の天国への階段、天国への階段という名前の梨~従属文の中の安部公房論~』(もぐら通信第27号)でグールドと安部公房の共通する関係、即ちバロック様式とバロック感覚の共有を論じた通りなのです。(アマゾンにキンドル本として上梓しました:https://www.amazon.co.jp/梨という名前の天国への階段、天国への階段という名前の梨-~従属文の中の安部公房論~-岩田英哉-ebook/dp/B00QBG4CGK?ie=UTF8&keywords=安部公房%E3%80%80梨&qid=1464316049&ref_=sr_1_1&sr=8-1)
岩田様、取り上げていただき心から感謝致します。これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。坪内啓
返信削除こちらこそ、よろしくお願いいたします。ブログのご投稿を楽しみにしております。
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