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2017年3月22日水曜日

二十一世紀の三島由紀夫・安部公房論

二十一世紀の三島由紀夫・安部公房論

以下は、西村幸祐氏の「三島由紀夫と21世紀の日本」といふ題の講演を聴講し、安部公房との関係で幾つも思ふところがありましたので、それをまとめたものです。誠に気のあふ二人でありましたので、この講演の重要な論点を、以下書簡体の体裁をとり、二十一世紀の三島由紀夫論は、そのまま二十一世紀の安部公房論であることを、安部公房の読者にお伝へします。そして、三島由紀夫の読者にもお読みいただければ、誠にありがたい。

同氏の講演中の言葉を拝借して言へば、時代がやつと安部公房に追ひついたといふことになります。


西村さま、

昨日は、いい講演会でした。以下、私の感想です。いくつもありますが、貴君の演題に基づいて、次の3つに話を絞ります。

1。昭和時代のメディアとしての三島由紀夫
2。シャーマン(霊媒)三島由紀夫
3。21世紀の三島由紀夫論


1。昭和時代のメディアとしての三島由紀夫
昭和時代のメディアとしての三島由紀夫ということを言はれて直ぐにおもひ出したことは、自ら古典主義の時代と『私の遍歴時代』で名付けた時期に愛読したトーマス・マンの20歳前後の手紙と後年のエッセイの中の言葉です。

前者に、マンは小説家として身を立てる以上、自分は時代のdas symbolische Sein(象徴的な存在)になりたいと書いてをります。これを後年、後者にては、私の文学的な使命、藝術家としての使命は、十九世紀といふ時代の幕を引くこと、幕を閉じること、これが私の使命であると書いてゐます。マンの意識した時代は十九世紀でした。さて、即ち、

貴君の提示した此の「昭和時代のメディアとしての三島由紀夫」といふ新しい視点を、この三島由紀夫の愛読したマンの文学的使命と併せて考へますと、昭和時代のメディアとしての三島由紀夫とは、あるいは昭和といふ時代を観るためのメディアとしての三島由紀夫とは、マン流にいへば時代の象徴としての三島由紀夫、das symbolische Seinといふことになりませう。

三島由紀夫の意味するSeinとは、『太陽と鉄」』に文字にして書いてゐる通り、言葉の腐食作用を排したあの純粋な肉体そのもののことでありますから、あの市ヶ谷の癩王のテラスでの切腹は、全く昭和時代を象徴する存在に三島由紀夫が成つたことを意味してをります。昭和時代の幕をみづから引いたといふことになります。

他方、貴君はジャーナリストでもありますから、この職業的な視点から見れば、貴君のいふ通りに、三島由紀夫は象徴的なSeinである以上、同時に常に「今ここにかうやつて」Daseinしてをります。何故ならば、そして、ドイツ語の語構成からいつても、SeinがなければDa-Seinもないからです。

さて、以上がマンからみた、昭和時代と三島由紀夫の存在と現存在の話です。しかし、私が伝へたいのは更に先にあります。

2。シャーマン三島由紀夫
しかし、その前に、昭和といふ時代を観るためのメディアとしての三島由紀夫に話を戻しますと、この三島由紀夫についての象徴的存在論及び現存在論は、そのまま、貴君が言及してゐた「英霊の声」の川崎君が霊媒であるやうに、霊媒三島由紀夫論になるのです。

これについては、詳細に三島由紀夫の十代の詩を読み解き、また小説に同じ此の古代感覚(三島由紀夫の短文のエッセイ「夢野之鹿」を憶ひ出して下さい、この古代感覚)が20歳以降もあり、これが三島由紀夫の小説の様式に如何に深く関係してゐるかといふことを論じてありますので、次のURLをご覧くださるとありがたい。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く26:イカロス感覚6:呪文と秘儀』


即ち、貴君の昭和時代のメディアとしての三島由紀夫論は、霊媒としての、シャーマンとしての三島由紀夫論に直結してゐるといふ事がいひたいのです。これは、実は安部公房の側から見ても、同じなのです。二人が何故あんなに気が合ひ仲がよかつたか。私の21世紀の安部公房論の主要な柱の一つは、安部公房シャーマン論あるいはシャーマン安部公房論なのです。即ち、欧米白人種キリスト教徒の一神教に淵源する、そして此の一神教から逃れまた否定をして近代ヨーロッパ文明の生み出した民主主義と資本主義と共産主義(マルクス主義)ではない(これらは皆いふまでもなくglobalismです)、宗教の世界でいふならば、多神教の世界であり、哲学の領域でいふならば、汎神論的存在論です。

さて、このことについての筆は、惜しいけれども、ここで一度留めることにして、上で述べた更に先の話をします。これが、私の伝へたいことです。

3。二十一世紀の三島由紀夫論
上のやうに1、2と考へてきますと、貴君に私が期待する二十一世紀の三島由紀夫論は、次のやうなものになります。

2017年1月20日にヨーロッパ資本主義の鬼子であるアメリカ合衆国の大統領にトランプといふ人間が就任した以降の此の時代に於いて、

(1)シャーマン三島由紀夫を論ずること。即ち、大東亜戦争を戦つた日本民族、日本人の生きた戦前戦後の終始一貫した昭和時代の象徴的な存在としてある三島由紀夫を、ヨーロッパ文明の衰退または崩壊の中で論ずること。(私はシャーマン安部公房論でこれ既に論じて参りましたし、これからも論ずるつもりです。)そして、
(2)白人種キリスト教徒の植民地主義の上での三島由紀夫論ではなく、それを超えて、多神教の世界の、即ち普遍的な八百万の神々の世界の問題として、象徴的存在であり今も生きてゐる現存在としての三島由紀夫を論ずること。(この象徴的存在と現存在の関係は、三島由紀夫が安部公房と共有してゐる幾つもある接点の重要なものの一つです。その関係はいづれもreversalになつてゐますが。これについては、岡山典弘氏の著作に触発されて書いた次の文章をご覧ください。「三島由紀夫が安部公房と共有した19の主題、又は『安部公房外伝』」https://abekobosplace.blogspot.jp/2014/11/blog-post_80.html

上の(1)及び(2)の三島由紀夫の文字を安部公房といふ文字に入れ替へれば、そのまま二十一世紀の安部公房論の論旨になります。

また、白人種キリスト教徒のアジアやアフリカ大陸に於ける此の収奪と大虐殺の500年である植民地主義に基づかない新しい世紀の文学について、安部公房がどのやうに何を考へてゐたのかの言葉を引いて(先月号のもぐら通信第55号、13ページ)、次のやうに伝へたい。:

「「この前もテレビで大航海時代なんでロマンチックな特集番組をやっていたけど、要するにあれは略奪農耕なみの乱暴な植民地収奪じゃないか。血も凍るほどの第一期の植民地時代、皆殺し政策だからね、やるほうはテレビゲームはだしの面白さだろうけど、やられる側はロマンチックどころの話じゃないよ。」(『錨なき方舟の時代』全集第27巻、159ページ上段)

「けっきょく世界は植民地支配国と、被支配国の二つに分けられる。(略)ところがなぜか日本は植民地化されなかった。地政学的には当然侵略の対象になってしかるべきアジアの一角にありながら、なぜか支配をまぬかれた。偶然か必然かはさておいて、おそらくアジアでは唯一の植民地化されなかった国だろう。だからもし日本の特殊性を言うなら、文化だとか風土だとか伝統なんかではなく、きわどいところで植民地化をまぬかれたという点……[註A]
―――要するに偶然の結果だということですか。
安部 必然が意識された偶然だとすれば、やはり偶然と言ってもいいでしょう。要するにどこの国でも、植民地化の運命さえまぬかれていたら、日本と同じようなコースをたどれたかもしれないということが言いたかった。この問題に対する日本人の鈍感さはまさに西洋人なみだ。だから日本のテレビがポルトガルの大航海時代を祝う式典を中継して、ひどくロマンチックな解説をつけて、西と東の文化の交流の記念だとかなんとか一緒になって手をたたいてみせたりする。文化の交流どころか、一つ間違ったら植民地化の先兵になりかねない連中だったんだ。裸の子供のところにライオンが入ってくるようなものさ。
 そして運よく食用にならずにすんだ日本という子供は、遅ればせながらローロッパ式の近代化をとげ、遅ればせながら植民地支配の仲間入りをしてしまう。ところが先輩たちにさんざんうまい汁を吸われてしまった後だったから、戦火による略奪というひどく不器用な手段にたよるしかなかった。
 いわゆる発展途上国に見るべき文学がないのも、けっきょくは植民地収奪の結果だと思う。発展途上国にも文学があり、その民族のためのすぐれた文学が生まれていると主張する人もいるけど、ぼくはそう思わない。すくなくとも世界文学、あるいは現代文学という基準では、文学と言うにたる文学はない。
 逆説的に言えば、だから現代文学は駄目なんだとも言える。西欧的な方法をよりどころにしているから駄目なのではなく、植民地主義の土台にきずかれたものだから駄目なんだ。反植民地主義的な思想にもとづく作品でさえ、植民地経済を基礎にしていた国からしか生まれ得ない。メフィストフェレスなしにファウストがありえないようなものさ。(『錨なき方舟の時代』全集第27巻、159ページ下段~160ページ上段)(傍線筆者)

[註A]
アジアの中で、欧米白人種(キリスト教徒)諸国の植民地化による収奪を免れて、国家としての独立を維持したのは、我が日本国の他には、タイ王国だけです。アフリカ大陸についてはいふまでもありません。」


このやうな二十一世紀の三島由紀夫論の中で詳細に論じられるべきは、貴君が文章を読み上げて其の素晴らしさ美しさを褒めて紹介してくれた、鏡子の家でありませう。日本人は此の小説を理解する事が当時はできなかつた。今ならば、できるかも知れない。

鏡子の家の最初の一行と最後の一行は、正確に照応してゐる。何によつて?繰り返しの呪文によつて。最初は人間の欠伸といふ繰り返しの呪文、最後は7匹の犬の咆哮といふ繰り返しの呪文によつて。後者の犬を、安部公房ならば、人間のうちに秘められた生命そのものである、人間による統御は不可能であるが故に現実を食い破る「獣」と呼んだことでありませう。特に顕著に、十代から二十代にかけての詩と小説に、この荒ぶる神のやうな獣たちが歌はれ、書かれてゐます。

貴君の講演中の言葉を其のまま引用して言へば、時代がやつと三島由紀夫に追ひついたのです。

さうすると、この事は何を意味してゐるかといへば、実は二十世紀の日本の読者達は、鏡子の家』が理解できなかつたのであれば、これ以外の三島由紀夫の小説も、実は、本当には理解できてゐなかつたといふことを意味してゐるのではないでせうか。『金閣寺』の後に発表した此の作品の評価が最低であり、前者は最高であるといふ事が、当時の作品評価の此の大きな落差が、実は、そのことを意味してゐるのではありませんか?前者は俗耳俗心に入り易く、後者を読む事は当時の日本人には苦痛であつた。

まだまだ、他にも何故日本人の文章の読解能力が劣化したかについて、何故SNSの時代に益々日本人は公私の識別が出来なくなつたのかについても、また其の他色々の事についても思ふところあり。また次の機会にお話したい。

活躍を祈ります。

岩田


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