人気の投稿

2013年1月21日月曜日

もぐら通信、毎日新聞に掲載される



もぐら通信、毎日新聞に掲載される


もぐら通信が、毎日新聞のウエッブ版に掲載されました。

以下のURLアドレスにアクセスして下さい。



また、紙の媒体の本紙には、21日の夕刊に掲載されます。もし最寄り駅のKioskで読めるのであれば、お買い求め下さると、うれしく思います。


編集方針にあります通りに、みなさんのために、下働きに徹して、よりよき誌面を構成して参りたいと思ます。

あなたのご寄稿、ご投稿を切にお待ち致します。

追伸:
先ほどこの記事を投稿したときに、22日の夕刊と書きましたが、本日21日の夕刊に掲載がされたとのことです。訂正を致しますとともに、ご迷惑を掛けた方にはお詫び申し上げます。

追伸2:
月刊もぐら通信の予約購読は、このブログの画面右上のところからなさって下さい。また、過去のバックナンバーは、次のURLアドレスからダウンロードすることができます。

http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html


[岩田英哉]

2013年1月20日日曜日

マルテの手記2:父親


マルテの手記2:父親

マルテの手記の最初の数ページを読み進めて、やはり、この作品は安部公房に強烈な印象と影響を与えたのだなと思うところにまた至りました。

それは、マルテの祖父を書いたところです。このグロテスクなまでの祖父の像は、孫が描いた祖父親像とは言えない位に、デフォルメされ、即ち誇張と歪曲と戯画化がなされています。

これは、祖父とはいえ、やはり、リルケ自身と父親の関係に関するリルケ自身の抱いている形象(イメージ)なのではないかと思いました。たとえ、どのように仮構しても。そうして、その形象を抽象化して、自分自身の経験を離れようとしても、やはりそうして至った父親像は、普通に考える父親像とは、相当違ったものになっています。

リルケと父親との関係で、安部公房を論ずるときのキーワードは、ふたつあります。

1。贋の父親
2。放蕩息子

このふたつです。

前者については、後々の小説で、贋の父親が登場します。その萌芽は、既に10代の小説にもありますが、最初に登場するのは、芥川賞をもらった「壁」ではないかと思います。

後者については、23歳のときに書いた「様々な光を巡って」(全集第1巻、202ページ上段)の冒頭に言及されています。

この作品の冒頭によれば、放蕩息子とは、「絶えず脱皮し逃亡し、復た復帰しながら」歴史を生きるものです。様々な光を巡って。

この放蕩息子は、安部公房の数あるモチーフのひとつですが、これはまた稿を改めて論じたいと思います。

以下、このマルテの祖父がどのような男であるかを引用します。これは、確かに言葉の藝によって、成り立っている祖父像、いや父親像であると思います。そうして、父親は死と直結しているのです。

父親が死と直結しているという考えそのものは、平凡なものです。いつも、どの時代でも、どの民族でも、そのように無意識に、その関係が理解され、社会に受け容れられてきたのではないでしょうか。それは、父親の死と共同体の関係における死についての理解であり、受容です。さて、そうだとして、リルケによる父親の死についての文章です。以下、わたしの好きなドイツ語の翻訳者、望月市恵さんの訳です。


「 その死には、古いが屋敷もせますぎて、側翼を建て増さなくてはならないようであった。侍従官のからだは大きくなる一方であった。そして、彼はたえず一つの部屋からほかの部屋へと運ばせ、夜になる前に、その日まだ寝なかった部屋が残らなくなると、いきり立った。そして、召使いと小間使いといつも身辺から離したことのない犬とをぞろぞろと従え、階段を運び上げさせ、家扶の先導で、祖父の亡き母親が息をひきとった部屋へ運びこませた。どの部屋は、母親が二十三年前に亡くなったときのままで残されていて、常はだれも足を踏み入れることを許されなかった。そこへ一団はどっと闖入したのであった。(略)
 なぜこういうことになったのか、なぜいつもは立ち入りを厳禁されていた部屋が、こうして荒らされるようになったかを聞きたい者があったら - それは死のせいであったと答えるほかはない。
 ウルスゴールのクリストフ•デトレフ•ブリッゲ侍従官の死であった。彼は侍従官の紺青色の制服からはみ出そうにふくれて、床のまん中に動かずに寝ていた。だれにも見わけがつかないほどに面変わりをしたよそよそしい大きな顔は、目をとじて合わせていた。まわりのすべてに無関心であった。初め人々は彼を寝台へ寝かせようとしたが、彼はそれを肯んじなかった。(略)
 敷物の上に寝かされて、もう死んでしまったとも見えた。(略)
 しかし、それでもまだ生きている部分があった。声がまだ生きていた ― 五十日ほど前にはだれも知らなかったような声が。それは侍従官の声ではなかった。その声の主は、クリストフ•デトレフではなく、クリストフ•デトレフの死であった。(略)
 夜が来て、不寝番でない召使いたちが疲れきった体をベッドにっ横たえて眠ろうとすると、きまってクリストフ•デトレフの死はわめき始めた。。わめき、うめき、いつまでもうなりつづけ、犬は始めたそれに和してほえたが、ついには黙って、寝るのをこわがり、細い長いあしをふるわせながら立って、おびえていた。夏のデンマークの銀色に光る広漠とした夜、クリストフの死がうめくのを聞いて、村人たちは嵐がおそって来たように起き上がり、着物を着て、無言でランプのまわりに集まり、聞こえなくなるのを待った。
」


リルケは、このようなグロテスクな、村人に恐怖を与える死を、その世俗の地位に在った権力者にふさわしい、その人間の、暴君らしい個性のある死として、上に引用した以上に、他のところでも描いております。


(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月18日金曜日

もぐら通信、毎日新聞社の取材を受ける



もぐら通信、毎日新聞社の取材を受ける


1月17日に、もぐら通信は、毎日新聞社の取材を受けました。


22日の毎日新聞に掲載されるとのことです。もし最寄り駅のKioskで読めるのであれば、お買い求め下さると、うれしく思います。

MacBook Airに映るもぐら通信の表紙を前に、わたしも一緒に撮影されました。

今年は、新年早々に、もぐらの飛躍の歳になるでしょうか。

みなさんのために、よき誌面を構成して参りたいと思う事頻りです。



[岩田英哉]

2013年1月15日火曜日

もぐら通信第4号合評会開催

もぐら通信第4号の合評会を始めました。

忌憚のないご意見を書き込んで下さい。

次の掲示板です。

http://textream.yahoo.co.jp/message/1000004/0bit8xkbc

2013年1月10日木曜日

マルテの手記1



マルテの手記1

年末年始を北海道に戻って過ごし、のんびりとしながらも、我がMacbook Airを持参して、もぐら通信の連載「安部公房の変形能力3:ニーチェ」の原稿を、ほぼ書き上げました。

そうして、次はリルケということで、今日からマルテの手記を読み始めました。

マルテの手記は、インゼル出版というドイツの出版社のペーパーバックスを20代のころから持っていて、いつも手元にあったのですが、いわゆる積ん読くでありました。

今安部公房との関係で読む事になろうとは、思ってもおりませんでした。しかも、電子書籍リーダー、Kindle Fire HDで読んでいるのです。

「安部公房の変形能力4:リルケ」は、間違いなく一回では終わらずに、連載ということになるでしょう。それほど、安部公房とリルケについては、書く事が多くあります。

あと2ヶ月ほどありますので、その間、折に触れ、読んで知ったことを、安部公房の広場に書いて、あなたと知識を共有したいと思います。

そうして、共有しながら、どうやったら安部公房とリルケの関係を一番よく伝えることができるのかを考えて参りたいと思います。

マルテの手記を、読んでみるとわかりますが、開巻即、最初の3行の文に、既にこの作品の主題が書かれているのではないかと思いました。

最初の3行を、今わたしの言葉でドイツ語から訳すと、次のようになります。

「という次第で、だから、人々は生きるために、ここへとやって来るのだが、わたしがむしろ思うには、ここでは死ぬのだ。わたしは、終わってしまった人間である。わたしは(次の物事を)見たのだ:」

と言って、コロンの次に、マルテが見た光景の叙述が続きます。

この3行の文から以下にこのリルケの描くマルテの思考の特徴を挙げます。

1。「という次第で、」と訳したように、この書き出しの前の段から意識は続いている。即ち、始まりのない始まりとなっていること。そうであれば、最後に至って、終わりのない終わりということになるのであろうか。

2。「わたしは終わってしまった人間である。」と訳したこの一行は非常に多義的で奥が深い一行なのです。この一行からの解釈は、次の様なことがあるでしょう。
(1)わたしには、もう未来という時間はないのだ。
(2)わたしは、局外者、アウトサイダーだ。
(3)わたしは、生きるためにいる人々を外側からみる人間なのだ。
(4)ということから、わたしのいる場所は死者の場所だ。
(5)「ここでは死ぬのだ。」と訳したところは、主語が非人称の主語で、敢えてその主語を具体的に言えば、死ぬのは人間、もの、こと、この3つだということになるでしょう。
(6)終わってしまった人間と訳したausseinという動詞の過去分詞形の意味のひとつに、aufと名詞の4格をとって、何かを求めて、探索中であるという意味もあること。確かに、マルテは、地図を持って、この街を冒頭から探索している。
(7)独白体であること。
(8)手記名前で呼ばれ得る形式であること。

このように列挙してみて、この8つのそれぞれの項目に、安部公房に通じるものがあります。


(この稿続く)


[岩田英哉]

2013年1月7日月曜日

「(霊媒の話より)題未定: 安部公房初期短編集」が今月発売

 先日発表された「天使」を含む初期作品群が、単行本「(霊媒の話より)題未定: 安部公房初期短編集」として新潮社から2013年1月22日(安部公房の命日、没後20年になります)に発売されます。価格は、1680円です。

 収録作品は、収録順(執筆順でもあります)に
題未定(霊媒の話より)
老村長の死
天使
第一の手紙~第四の手紙
白い蛾
悪魔ドゥベモオ
憎悪
タブー
虚妄
鴉沼
キンドル氏とねこ
の11作品となっています。

「天使」以外は、安部公房全集001-002に含まれる作品です。安部公房が作家「安部公房」に変身していく過程を観察するのに最適な一冊になると思われます。全集をお持ちの方もお持ちでない方も読まれてみてはいかがでしょうか?
なお、加藤弘一氏による記事が「もぐら通信」第5号に掲載されます。

2013年1月1日火曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
昨年は、「もぐら通信」を発行し、4号まで刊行することが出来ました。
ひとえに、温かい寄稿者の皆様とご支援いただいている読者の皆様のお蔭です。
本年も「もぐら通信」のご愛顧の方よろしくお願いします。

もぐら通信編集部一同
平成二十五年元旦

画像は、クリックすると拡大します。