マルテの手記2:父親
マルテの手記の最初の数ページを読み進めて、やはり、この作品は安部公房に強烈な印象と影響を与えたのだなと思うところにまた至りました。
それは、マルテの祖父を書いたところです。このグロテスクなまでの祖父の像は、孫が描いた祖父親像とは言えない位に、デフォルメされ、即ち誇張と歪曲と戯画化がなされています。
これは、祖父とはいえ、やはり、リルケ自身と父親の関係に関するリルケ自身の抱いている形象(イメージ)なのではないかと思いました。たとえ、どのように仮構しても。そうして、その形象を抽象化して、自分自身の経験を離れようとしても、やはりそうして至った父親像は、普通に考える父親像とは、相当違ったものになっています。
リルケと父親との関係で、安部公房を論ずるときのキーワードは、ふたつあります。
1。贋の父親
2。放蕩息子
このふたつです。
前者については、後々の小説で、贋の父親が登場します。その萌芽は、既に10代の小説にもありますが、最初に登場するのは、芥川賞をもらった「壁」ではないかと思います。
後者については、23歳のときに書いた「様々な光を巡って」(全集第1巻、202ページ上段)の冒頭に言及されています。
この作品の冒頭によれば、放蕩息子とは、「絶えず脱皮し逃亡し、復た復帰しながら」歴史を生きるものです。様々な光を巡って。
この放蕩息子は、安部公房の数あるモチーフのひとつですが、これはまた稿を改めて論じたいと思います。
以下、このマルテの祖父がどのような男であるかを引用します。これは、確かに言葉の藝によって、成り立っている祖父像、いや父親像であると思います。そうして、父親は死と直結しているのです。
父親が死と直結しているという考えそのものは、平凡なものです。いつも、どの時代でも、どの民族でも、そのように無意識に、その関係が理解され、社会に受け容れられてきたのではないでしょうか。それは、父親の死と共同体の関係における死についての理解であり、受容です。さて、そうだとして、リルケによる父親の死についての文章です。以下、わたしの好きなドイツ語の翻訳者、望月市恵さんの訳です。
「 その死には、古いが屋敷もせますぎて、側翼を建て増さなくてはならないようであった。侍従官のからだは大きくなる一方であった。そして、彼はたえず一つの部屋からほかの部屋へと運ばせ、夜になる前に、その日まだ寝なかった部屋が残らなくなると、いきり立った。そして、召使いと小間使いといつも身辺から離したことのない犬とをぞろぞろと従え、階段を運び上げさせ、家扶の先導で、祖父の亡き母親が息をひきとった部屋へ運びこませた。どの部屋は、母親が二十三年前に亡くなったときのままで残されていて、常はだれも足を踏み入れることを許されなかった。そこへ一団はどっと闖入したのであった。(略)
なぜこういうことになったのか、なぜいつもは立ち入りを厳禁されていた部屋が、こうして荒らされるようになったかを聞きたい者があったら - それは死のせいであったと答えるほかはない。
ウルスゴールのクリストフ•デトレフ•ブリッゲ侍従官の死であった。彼は侍従官の紺青色の制服からはみ出そうにふくれて、床のまん中に動かずに寝ていた。だれにも見わけがつかないほどに面変わりをしたよそよそしい大きな顔は、目をとじて合わせていた。まわりのすべてに無関心であった。初め人々は彼を寝台へ寝かせようとしたが、彼はそれを肯んじなかった。(略)
敷物の上に寝かされて、もう死んでしまったとも見えた。(略)
しかし、それでもまだ生きている部分があった。声がまだ生きていた ― 五十日ほど前にはだれも知らなかったような声が。それは侍従官の声ではなかった。その声の主は、クリストフ•デトレフではなく、クリストフ•デトレフの死であった。(略)
夜が来て、不寝番でない召使いたちが疲れきった体をベッドにっ横たえて眠ろうとすると、きまってクリストフ•デトレフの死はわめき始めた。。わめき、うめき、いつまでもうなりつづけ、犬は始めたそれに和してほえたが、ついには黙って、寝るのをこわがり、細い長いあしをふるわせながら立って、おびえていた。夏のデンマークの銀色に光る広漠とした夜、クリストフの死がうめくのを聞いて、村人たちは嵐がおそって来たように起き上がり、着物を着て、無言でランプのまわりに集まり、聞こえなくなるのを待った。
」
リルケは、このようなグロテスクな、村人に恐怖を与える死を、その世俗の地位に在った権力者にふさわしい、その人間の、暴君らしい個性のある死として、上に引用した以上に、他のところでも描いております。
(この稿続く)
[岩田英哉]
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