マルテの手記6:方舟さくら丸の切符
マルテは、パリにいて、図書館を訪ねます。
このとき、図書館の大きなホール、大広間の空間の中で、つぎのようなことを空想するのです。望月訳です。
「これは、二週間前のことであった。しかし、このごろではそういう人間にあわない日がほとんど一日もない。日暮れどきばかりではなく、白昼の雑踏した街上でも、小さな男か老婆がフィに現れて、僕にうなずいて見せ、なにかを示し、それで役目が終わったかのように姿を消してしまうのである。今に僕の部屋まで押しかけて来ることを思いつくだろう。僕がどこに住んでいるかももう知っているにちがいない。門番にとがめられずに通ることぐらいは朝飯前だろう。しかし、君たち、僕がこの図書館にいるかぎり僕は君たちにつかまる心配はない。ここへはいるには特定の入場券が必要なのだ。君たちが持っていいないその入場券を、僕は持っているのだ。僕は街路をお察しのとおりいくぶんびくびくしながら歩いて、ついにあるガラス戸の前へ来て、家へ帰ったようにその扉をあけて、つぎのドアの前で入場券を示し(君たちが鉛筆や針を見せるのと同じようにではあるが、僕の気持ちがすぐに相手にも通じ、僕の意思がすぐにわかってもられる点だけがちがう―)、そして僕はこの本にとりかこまれ、あの世の人間のように君阿たちの手にとどかなくなり、安心してすわって詩人の作品を読んでいる。
君たちは詩人がなんであるかを知らないだろう。(略)」
上に引用した大部のところは、ドイツ語でいう接続法II式、英語でいう非現実話法でかかれてて、マルテという主人公の、現実ではない、願いとしての空間を想像しているのです。
その空間に出入りするための切符をマルテは持っている。この前後の文脈から言えば、それは詩人だけが出入りできる特別の空間のための切符であり、入場券だということになります。
そうして、安部公房が概念化した詩人とは、「詩と詩人(意識と無意識)」(20歳の論文)に書いたように、己をむなしうして転身をし、次元変換をする無名の人間像でした。
ですから、そのような人間のための切符として、方舟さくら丸では、あの石切り場の空間への出入りの切符があるのです。
この切符というモチーフも、安部公房はリルケに学んだに違いありません。
この切符というモチーフも、安部公房はリルケに学んだに違いありません。
[註]
「詩と詩人(意識と無意識)」については、もぐら通信のバックナンバーで、「18歳、19歳、20歳の安部公房」の記事をお読み下さい。ダウンロードは次のURLアドレスから:http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html
(この稿続く)
[岩田英哉]
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