マルテの手記7:壁
安部公房の有名な小説のひとつに『壁』という小説、芥川賞をとった小説があります。
マルテの手記に、まさしく安部公房がこの小説で描いた考え方を叙述した壁の話です。
10代の安部公房は、リルケがここで何を言っているのかを正確に読み取り、自分のものとしたことが解ります。
望月訳で引用します。
「 あのような家があると話しても信じる者があるだろうか。いや、だれも僕のつくり話だと考えるだろう。(略)あれは、家といえたろうか。厳密に言えば、もう謦咳をとどめなくなった家であった。上から下まで取りこわされてしまった家であった。残っていたのは、隣接している別の家、隣りの高い建物であった。その建物も、隣りの家がすっかり取りこわされたために、今にも倒壊しそうであった。タールを塗った長い何本もの柱を組み合わせたものが、取りこわされた家の地面から裸にされた隣家の壁へ斜めにかわれていた。僕はさっきから言っているのがこの壁であることをもう書いたかおぼえていない。しかし、それは残っている建物のいわば最初の壁ではなくて(略)、取りこわされた建物の最後の壁である。僕はその壁の内側を見たのであった。取りこわされた建物の各階の壁を見た。(略)ここかしこに床や天井の形骸が残っていた。各部屋の壁にそってうすぎたない白い溝が、壁全体の上から下まで走りおりてていて、その白い溝の中を便所の錆びた鉄管がいいようのない不潔な感じで、いわば蠕動(ぜんどう)する腸のようにぐんにゃりとあらわにうねりおりていた。(略)しかし、なによりも印象を与えたものは、各部屋の壁であった。各部屋で送られた強靭な生活が壁へしみこみ、踏まれても蹴られても生き続けていた。(略)最後の壁を残して、ほかの壁がみんな取りこわされていたことを僕は書いただろうか―僕が話しているのは、残っている最後の壁のことである。だれもが僕がその壁の前に長く立っていたように思うだろう。しかし、誓って言うが、僕はその壁を見わけたとたんに踵をめぐらして駆け出していた。その壁を見わけたということは恐ろしいことであった。[僕はこういったことすべてを認識するのだ。]だからそれは容易に僕の心へはいりこむのだ。僕の心に巣くっているからなのだ。」
[註][ ]の箇所はわたしの訳に代えたもの。わたしの訳は、直訳です。望月訳では、「僕はこの都会で見る恐ろしいものをどれもいつか前に見たことがあるのだ。」となっている。しかし、マルテが認識している「こういったことすべて」とは、明らかに、この壊された家の壁をみて感じ、思い描いたそこに生活していた人々や物事が壁に沁み込んで臭って離れない強烈な痕跡のことを言っています。上の引用で(略)としたところには、その雑多な生活のことの描写が列挙されるように続くのです。
この引用でリルケの書いた事、いやマルテの書いたこと、マルテのしたことは、廃墟を見て、想像の中にそこで営まれていた生活を再現することである。そして、建物と中の生きた人間を思い描いて認識するのに壁を認識することに至り、人間の生活の内外を知る事は、即ち、認識とは境界を認識することだと考えていることである。
これも、そのまま、安部公房である。
ここに書かれているモチーフは、廃墟ではなく、壁ということになる。
そして、恐怖の感情が伴うこと、その感情が自分の中にあること。正確には、感情ではなく、das Schreckliche、ダス•シュレックリッヒェ、驚くべきもの、である。(この「驚くべきもの」という言い方も全くリルケ流の言い方である。これの流儀の翻訳調は、安部公房の「終りし道の標べに」にも見る事ができます。)
この認識は大切。何故ならば、前に出て来たモチーフ、第三者(媒介者)の排除の場合と同様に、物事の本質は関係(壁)にあるという思想が、ここに語られているからだ。
こうして読んで来ると、一見体裁は、手記であり、スケッチ、素描であるが、マルテの考えようとしていることは、どのモチーフを表裏の関係にあり、相互連関ができていることがわかる。
蛇足ではあるが、この壁と一緒に、安部公房の好きな便所という対象も出て来るのは、興味深い。ここで便所を抽象化すれば、内部と外部がむき出しになり、壁(関係)の存在を認識することによって、物事の全体が露になったときに、便所もまたそこにある、ということになるだろうか。
芥川賞をとった『壁』にも、便所が出て来て、その廻りを箒で掃く、老人ほうき隊が登場します。
そういえば、『方舟さくら丸』の最後に、もぐらという名前の主人公が便器に足を吸い込まれて、身動きできなる場面があります。そのところでも、やはり「ほうき隊」が登場します。
壁(関係)ー内と外ー便所ー老人箒隊、というのは、いつも一緒に出て来るようです。
便器もまた、外部への脱出口なのでしょうか。
(この稿続く)
[岩田英哉]
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