何故川端康成は安部公房の『S・カルマ氏の犯罪』を芥川賞に推したのか
最近ある理由があって、それに前々から素晴らしい文章だと思っておりましたので、川端康成の作品の幾つかを読みました。
そのひとつ『伊豆の踊り子』を読んで、この若い人を発掘する名人であった言語藝術家は、安部公房のこの作品に、自分と同じ孤児の文学を見たのだなと思いました。
この見立ては間違っていないと思います。
そして、わたしが驚いたのは『片腕』という短編でした。
これは、男の主人公がある美しい女性の片腕を持って彷徨し、その片腕と生きた会話をする話です。あまつさへ、最後のところでは、自分の 右腕と入れ替えてしまうのです。実にシュールレアリスティックの作品です。
Wikipediaにその解説がありますので、URLを示します:http://ja.wikipedia.org/wiki/片腕_(小説)
「『片腕』(かたうで)は、川端康成の短編小説。ある男が、ひとりの若い娘からその片腕を一晩借りうけて、自分のアパートに持ち帰り一夜を過ごす物語。官能的願望世界を、シュール・レアリズムの夢想で美しく抒情的に描いている。」
「『片腕』について筒井康隆は、シュール・レアリズムを日本の感性で書いていることに感心したと述べ、特に驚いた箇所は、主人公が娘の腕を雨外套の懐に入れ、夜のもやの町を歩く中、近所の薬屋の奥から聞こえてくるラジオの天気予報の内容が描写されているところだとし、「さすが東京帝國大學文學部、シュール・レアリスムの精神をよくぞここまで日本に写し変えたものだとぼくは嘆息した。現実と非現実すれすれのはざまで勝負していて、踏み出し過ぎることがない。この芸当を学ばねばと思い、以後これはファンタジイを書くときのぼくの目標となった」と語っている。」
「主人公が娘の腕を雨外套の懐に入れ、夜のもやの町を歩く中、近所の薬屋の奥から聞こえてくるラジオの天気予報の内容が描写されているところ」という指摘は、安部公房の世界にまっすぐに通じています。
『砂の女』のラジオであり、『友達』や『密会』の「明日の新聞」の意味を、川端康成も孤児としてよく知っていたということなのです。
このような川端康成であるからこそ、安部公房を認めることができたのです。
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