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2015年5月16日土曜日

安部公房とノーベル文学賞

安部公房とノーベル文学賞

スエーデンアカデミーの会長であるオストベーリ氏の、安部公房とノーベル文学賞受賞の蓋然性についての発言が、スエーデン在住の大木ひさよさんの論文に引用されているので、ご紹介します。

これは、「受賞の翌年から50年経てば、毎年必要に応じて公開される、スウェーデンアカデミー所蔵の選考資料を参考にし「なぜ、川端康成が初の日本人受賞者となったのか」を、川端の作品やその時代背景、又当時アカデミーから推薦を受けていた他の作家と比較・検討しながら考察した」論考です。

論文の名前は、『川端康成とノーベル文学賞ースェーデンアカデミー所蔵の先行資料をめぐって』という題名です。次の佛教大学のウエッブサイトでpdfでのダウンロードができます。全文を読むことも、普段は知らない世界ですので、興味ふかいものがあります。あなたもお読みになっては如何でしょうか。;


「1997年からはスウェーデンアカデミー(18人のうちの1
人)の一員となり、1998年からはノーベル委員会(ノーベル賞最終選考委員)のメンバーとなった。又、2005年からはノーベル委員会の会長職を得て、現在に至る。

次に、オストベーリ氏へのインタビューの一部を記載する。

筆者:まず、川端が正式に推薦を受けて、議事録のボードに載ったのが1961年ですが、受賞したのはそれから7年後の1968年になります。この7年間の待ち期間というのは、長いのでしょうか、それとも短いのでしょうか。
オストベーリ:推薦から7年後の受賞は、ごく普通です。短くもないし、長くもないです。まず、推薦から2年経って、初めて審議のボードに載せる事が出来ますが、賞を授与するまでには、色々な角度からの考察が必要です。
筆者:何か当時の事で覚えている事や、川端の作品について感じる事を話して下さい。
オストベーリ:川端の作品から、日本の伝統美や美しい景色、又風習などを知ることが出来ました。同時に川端独自の描写表現が素晴らしいと思いました。1961年当時の審議の参考資料になったのは、『千羽鶴』等ですが、これは1959年にはじめて英訳され
たものであると思います。

この折、オストべーリ氏は、「自分としては、もし生存しているのであればノーベル文学賞に近かったのは、むしろ「安部公房」(1924―1993)ではなかったかと思います」とも、述べた。」


このような文章を読むと、安部公房にはもっと長生きしてほしかった。と、そう思います。

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