安部公房の世界からトランプ大統領の就任演説を読む
トランプ大統領の演説は、次のURLで読むことができます:
和訳は此のURLで読むことができます。英和対照になつてゐますので、和訳の正否も確認することができませう:
さて、以上の算段をした上で続けます。
もぐら通信第22号に『安部公房のアメリカ論』と題して論考を書きました。この論は、その続きです。
第22号では、アメリカ文化の生み出す次の贋物の文物を論じ、その起源を明らかにしました。
1。都市(町)
2。ディズニーランド
3。コカコーラ
4。カウボーイ
5。ジーンズ
6。ハンバーガー
7。ジャズ
8。インターネット
これらのことは、このブログでは次のURLで読むことができます。
安部公房のアメリカ論:贋物(イミテーション)の国アメリカ:
安部公房のアメリカ論2:ジーンズとは何か?:
更に、もぐら通信第50号に於いて、『安部公房の読者のための村上春樹論(中):Baseballとは何か?~Baseballは旧約聖 書の創世記の贋物である~』と題して、日本語で正岡子規が野球と訳したbaseballについて、その贋物性と起源について解説をしました。このURLが其れです:https://abekobosplace.blogspot.jp/2016/10/baseball-baseball.html
さて、これらの論をお読みくださることを前提に、掲題、即ち「安部公房の世界からトランプ大統領の就任演説を読む」とどのやうに見えるものかを以下に論述します。
一言でいへば、トランプ大統領は、第二の独立宣言を宣言したのではないでせうか。その独立宣言とは、就任演説その物に外なりません。
結論を云へば、トランプの主張してゐることは、アメリカといふ国家をもう一度人造国家、人工国家、即ちこの国の生み出してきたコーラやジーンズやスーパーマンといふ英雄たちと同じ質(quality)の普遍的(universal)に、従ひ贋物として世界的に通用する贋の国家に戻さうと云つてゐるのです。
日本の国に於いても複数の誰かれが指摘してゐるやうに、この演説は対外諸国との関係については言及せず、アメリカ国民、それも以下の英語の引用に言はれてゐる「the American People」が、後述するやうな「忘れられた人々」「忘れられた国民」「忘却された人々」「忘却された国民」と言ひ換へられて言はれてをり、後者たる「アメリカ国民」に向けて専ら発せられた宣言であるからです。
Today’s ceremony, however, has very special meaning. Because today we are not merely transferring power from one Administration to another, or from one party to another – but we are transferring power from Washington, D.C. and giving it back to you, the American People.
これは、アメリカ内国内での、内国独立宣言といふべき宣言ではないでせうか。
特に上記に複数のURLを以って引用した私のアメリカ論の骨子の一つが、アメリカの文化文物の贋物性が、ヨーロッパと絶縁することによつて生まれた孤児の文化であり、またアメリカといふ国家が、インディアンの大虐殺やアフリカ大陸から黒人を攫つて来て奴隷にして売買をするといふ罪深い歴史的事実と、しかし其の忘却の上になるといふことに由来する幼児性であり、無垢であり、無名性であるといふことを考へれば、トランプ新大統領が、上の引用で「忘れられた人々」といつてゐることは、アメリカの歴史とアメリカ人の精神の正統なる後継者の自覚を、当人が無意識であればあるほど象徴的に、表現してゐると思はれるからです。
本来自分たちアメリカ人が忘れ且つ「忘れられた人々」であつた筈のアメリカ人を再度思ひ出せと云つてゐる。二重の忘却を思ひ出せと云つてゐるのです。この、トランプの忘却に関する二重性が、政治的な議論をややこやしく、難しいものに、これから、政治現象としては、することでせう。
アメリカのmain streamと呼ばれる(誰がさう呼んだのかは私は知りませんが)20世紀型のTVや新聞紙といふ大量一斉同報メディアは、これを自覚することがないでせうし、同じ前世紀の大量一斉同報メディア情報をアメリカのmain streamから受けて、頭の中にresistor(抵抗器)を入れずにゐて空つぽのまま、右から左に垂れ流すだけの日本のTVや新聞紙のマスコミの業界の人間たちも、これを自覚することがないでせうし、従ひ、日本人と日本の国の重要な問題だと理解した上で、事実を報道し、批評することができないでせう。
さて、最初の独立宣言は、1776年7月4日に批准され宣言されたとは歴史の教へるところです。これに対して、また此れに継いで、2017年1月20日の此の独立宣言は、今度は内国のWashington D.C.に蟠踞して富裕になつた政治家たちと其れを取り巻いて出来上がつてゐる”establshiment”からの独立宣言といふことに、トランプの就任演説はなります。[註1]
[註1]
“What truly matters is not which party controls our government, but whether our government is controlled by the people.
January 20th 2017, will be remembered as the day the people became the rulers of this nation again.
The forgotten men and women of our country will be forgotten no longer.”
共通してゐるのは、いづれも前者はイギリスによるアメリカの富の搾取と収奪からの独立、後者もWashington D.C.の”establishment”によるアメリカの富の搾取と収奪からの独立といふことです。
この搾取と収奪を、トランプは次のやうに云つてゐます。
This American carnage stops right here and stops right now.
この主語である”The American carnage”とは、このやうに読んで来ると、アメリカ人によるアメリカ人の殺戮、Washington D.C.の富裕層、即ち自分たちのためだけの金儲けをして来た人間たちからなる”establishment”による、庶民たるアメリカ国民の殺戮といふ風に聞こえますし、実際にトランプ氏の言ひたいことは、この語彙を選択するほどに激しい怒りが其の根底にあつて、その通りの思ひなのでせう。
さて、言葉の世界で想像を逞しうして、以上のやうなことを読み、更に次のやうなことを思ひます。
1。第一次独立宣言ではイギリスからの分離独立の宣言でしたが、第二次独立宣言では、就任式の直後に日を置かずに、イギリスの女性首相をWashintong D.C.に招いて、就任後の最初の外国首脳との会議を開催してゐます。
前者は絶縁の宣言、後者は復縁の宣言といふことになります。さうであるならば、事情は強ひられたとはいへ、家出をした孤児が親と復縁したといふことになりますし、また旧約聖書の中の逸話を持ち出せば、放蕩息子(lost son)が、家に帰つて来て、父親たるヨーロッパに迎へられたといふことにもなりませう。
2。今年はフランスも大統領選挙が行はれますが、もしルペン党首が大統領になれば、アメリカの独立を祝つてフランスの送つた自由の女神像に匹敵する何かの贈り物を、フランスがアメリカに送るか、それともイギリスの首相の例のやうに、逆にアメリカがフランスに其のお返しをするといふことになるでせう。これが政治現象の上で何であるのかを注視することは、象徴的な出来事や事件をみることになるでせう。
これで、イギリスといふ島国の、アメリカ13州の支配者であつた親との復縁と、フランスといふ大陸ヨーロッパの親との復縁がともに成立するといふことになります。
この場合には、ルペン党首はEUからの脱退といふことと一式に、この復縁は、なるのでせう。
考へてみれば、この演説によつて、フランス革命の主張した、そして私たち日本人が義務教育で教はつた自由・平等・博愛が、今ヨーロッパを襲つてゐる移民・難民問題と軌を一にして、難民・移民問題がヨーロッパ近代文明の因果が巡り巡つて500年かけて地球を一周してヨーロッパに戻つて来たのと全く同様に、そのglobalismの革命理念も、2017年1月20日にアメリカで終焉したのではないでせうか。
冒頭に掲げたアメリカの贋物の文物に戻つて云へば、トランプの主張は、
1。都市(町) を再度復活させよう
2。ディズニーランドのやうな国土(ランド)を復活させよう
3。コカコーラといふ神聖なる泉の水を自国で生産し、飲むことにしよう
4。カウボーイの精神、荒野を往く孤児の不屈の魂を復活させよう
5。ジーンズを自国で生産して、身につけ、再度American Dreamを復活させよう
6。ハンバーガーも自国で生産して、これを食することをしよう
7。ジャズも盛んにして、これを大いに演奏し、アメリカを思ひださう
8。インターネットを活用して、安全保障も復活させて、自国の産業の復興をしよう
といふことになります。
そして、アメリカ人が、常に国旗を掲揚し威儀を正して国歌を斉唱するbaseballといふ神聖なるgame、即ち旧約聖書の贋の創世記については、いふまでもありません。
蛇足のやうですが、トランプ氏の就任演説を読んで感じたことを二つ以下に掲げて、この一文を終りにします。
1。トランプはAmerica Firstだけを掲げたのではない。当たりまえに、お互ひにお互ひの国益を考へやうといつてゐるのです。
We will seek friendship and goodwill with the nations of the world – but we do so with the understanding that it is the right of all nations to put their own interests first.
国益といふ言葉を見るといつも、プラトンが『国家』の中でソクラテスを讃嘆せしめて言はせる言葉、即ち国家を論ずるのに人体の譬喩(ひゆ)を使ふと何とこんなにぴったりと国家の説明ができるのだらうか、といふ此のソクラテスの言葉をいつも思ひ出します。
確かに、アメリカ人と日本人では、その骨格が異なります。
2。演説の最後に言はれる次のやうな一節はカントリーアンドウエスタンを聴いてゐるやうな気がします。やはりこれもカウボーイの、親のゐない、孤児の世界ではないでせうか。
And whether a child is born in the urban sprawl of Detroit or the windswept plains of Nebraska, they look up at the same night sky, they fill their heart with the same dreams, and they are infused with the breath of life by the same almighty Creator.
トランプといふ人間は、歴史的な、アメリカ人の父性と父権を代表してゐるカウボーイなのです。但し、上に述べたやうに、その父性と父権のあり方が二重構造、即ち内国に金にものを言はせて、アメリカ人の伝統と文化を破壊しようといふ、globalistsといふ敵が大勢ゐるといふことが、この新しい大統領の困難なのです。
トランプ大統領が暗殺されぬことを祈つてをります。
しかし、かうしてみれば、この二重構造は、日本も全く同様の状態にあることに気づくことになります。我が国の国益や如何に。
日本人の骨格と体格に戻る以外にはありません。
私はそのやうに思ひます。
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