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2014年9月8日月曜日

法律の外に棲む子供について


法律の外に棲む子供について

わたしの好きな人間達は、どういうわけか皆、法律の外にいる子供である。以下に挙げてみよう。

1。寒山拾得
2。地下鉄サム

実は、これらの人間は、後でその絵画なり、小説なりを読んでみると、子供ではなく、大人であり、地下鉄サムなどは、どうも二十代後半から三十代前半の年齢に見える。

しかし、尚、これらの人間達は、わたしのこころの中では、法律の外にいる子供の姿として鮮明に記憶され、日々わたしと共に生きているのを感じる。更に、日本語でいうならば、

3。童子、何々童子
4。何々丸

と呼ばれる子供達も、わたしの深い友人である。

椎名麟三の「神の道化師」はよかった。まさしく、法律の外に生きる子供を生々しく描いている。

このような法律の外に棲む子供達が、わたしのこころに生きているので、わたしは安部公房の読者なのであろう。何故なら、安部公房の主人公達はみな法律の外に棲む人間達であるからだ。

そのような安部公房の主人公達を生んだ安部公房を、松岡正剛ははっきりと犯罪者と呼んでいる。『砂の女』と題した松岡正剛の

2014年9月6日土曜日

椎名麟三の短編集を読む


椎名麟三の短編集を読んだ。

実にどれも面白い。少しも古くない。安部公房が椎名麟三という人間を好いた理由もわかるように思う。[註]

そうして、この共産党員であったことのある椎名麟三の小説を読んで思う事は、大東亜戦争の経験から、結局戦後の共産主義者を始めとする左翼は、戦前と同じ間違いを犯したということである。

それは、命令に絶対的に従うことが、実にその人間を陶酔させるという、この人間の弱点ともいうべき性格に盲目的であったということだ。

人間は確かに、その組織とともに、一方の極から他方の極に、振り子のように触れるものである。これは、如何ともし難い、抗い難い運動である。

大事なことは、その運動の外に居るということである。

そこが文学の世界だと、わたしは思う。それは、一言でいうと、苦しみに負けてはならないということである。苦しみの代償に他のものを求めてはならないということである。

それは、純粋に遊びの、嬉遊の、遊戯の世界である。安部公房の世界はそのような世界足り得ている。


また、その世界を知る故に、わたしは、愚かな日本国民よ、愚かな日本人よということができるのだ。勿論、わたし自身を含めてであるが。

[註]
安部公房は、インテリではない、教養のない人間に、そうして貧しい人間に愛があるということを語った後に、次のように椎名麟三について、その最晩年に語っています。

「安部 本当にそうなんだよな。日本の作家では僕は昔から椎名麟三がとても好きだったですよ。もしかして日本で作家と言えるのは椎名麟三だけだったんじゃないかなという気がするのは、その部分(筆者註:椎名麟三には愛があったということ)ですね。」(『境界を超えた世界~小説『カンガルー•ノート』をめぐって』、全集第29巻、223ページ上段)

2014年9月5日金曜日

安部公房にとっての詩と小説の関係3:マルテの手記


安部公房にとっての詩と小説の関係3:マルテの手記


安部公房全集第1巻に「<僕は今こうやって>」と題した、見開き2ページの文章があります。

そこにこう書いてあります。


僕はマルテこそ一つの方向だと思っている。マルテが生とどんな関係を持つか等と云う事はもう殆ど問題ではないのだ。マルテの手記は外面から内面の為の窪みをえぐり取ろうとする努力の手記なのだ。マルテは形を持たない全体だ。マルテは誰と対立する事も無いだろう。


「第1の手紙~第4の手紙」という作品で、手記を書く事は「詩以前の事」を書く事だと言った安部公房は、やはりマルテにならって、そうしてその手記という形式を全く安部公房流に消化し、換骨奪胎して変形させ、「外面から内面の為の窪みをえぐり取ろうとする努力の手記」としたのです。

この「外面から内面の為の窪みをえぐり取ろうとする努力」のことを、後年、安部公房は「消しゴムで書く」と言っています。

そうして安部公房は、その消しゴムを以て、顔を書き、手を書き、壷を書いたのだと思います。

その手記はみな、外面と内面の果てしのない交換のことについての手記でありました。

これが、安部公房の小説の根本にあることだと、わたしは思います。

これが一体どのようなことなのかは、安部公房全集第1巻の「詩と詩人」に詳しく論ぜられております。以下、安部公房のこの10代の散文を詳しく読み解きましたので、お読み戴ければと思います。


1。18歳の安部公房

2。19歳、20歳の安部公房


3。19歳、20歳の安部公房2


4。19歳、20歳の安部公房3



尚、これらの論考は、更に手を入れて、ひとつに纏め、キンドル本に仕立て、次のアマゾンのURLにて購入することができます。





2014年9月4日木曜日

安部公房の戯曲『友達』、小説『闖入者』とリルケの『マルテの手記』


先日の笛井事務所による『友達』再演の稽古場の訪問記を、先月号(第24号)のもぐら通信に書きましたが、あと気がついて、ひとつ書き漏らした大事なことを補記します。

『友達』や『闖入者』という作品に出て来る旅する擬似家族という主題は、リルケの『マルテの手記』に出て来ます。

この擬似家族という主題は、そのあとも安部公房の小説に繰り返し、表立ってはいなくとも、出て来るものです。

安部公房が10代で、リルケをどのように読み、換骨奪胎したかということを考えると、その読みの凄まじさに驚く以外にはありません。そうであればこその、後年の安部公房が居るのです。

2014年9月3日水曜日

蘇る恐怖の名作、安部公房『友達』上演へ:笛井事務所



笛井事務所による『友達』再演の記事が、次のURLに掲載されましたので、お伝えします。



演出には文化庁新進芸術家海外留学制度によってブロードウェイ研修を積み、今年2月に嶽本野ばら原作・いしだ壱成主演の「破産」を演出して好評を博した文学座注目の若手・望月純吉、プロデュースは無名塾出身の女優でテレビドラマ等に出演の後、単身渡米し、ニューヨーク留学中に演劇プロジェクト・笛井事務所を立ち上げた奥村飛鳥が手掛けます。


【上演詳細】

日程 2014年9月18日(木)~21日(日)
劇場 明石スタジオ(東京・高円寺)
出演 土田卓 山本祐梨子(劇団俳優座)奥村飛鳥 桂憲一(花組芝居)、他
チケット 3500円~4200円

※タイムテーブル等は笛井事務所Facebookページ(http://www.facebook.com/FeyOffice)を参照


【作品について】

1967年に発表された「友達」は数ある安部公房戯曲の中でも、最も人気のある作品であり、不変の人間社会を描いています。

近年では2012年に起きた尼崎での事件に酷似していると言われ、衝撃が走りましたが、安部公房ファンマガジン「もぐら通信」を発行するコアなファンからは、インターネットやSNSなど情報やツールが溢れる中で他人との付き合い方に悩んだり、コミュニケーション不足によるトラブルに苛まれる私たち現代人の日常にこそ、安部公房が「友達」によって提起した問題が潜んでいると考えられています。

安部公房にとっての詩と小説の関係2:愚者の文学


安部公房にとっての詩と小説の関係2:愚者の文学


安部公房の詩集の題名は「無名詩集」という。


前回書いたように、安部公房の小説はすべて「詩以前の事」を書いたものである。特に手記の形式の小説では、そのことがはっきりと出ていると思う。

さて、そうだとして、またそうであれば、安部公房の小説の主人公はみな、無名の人、無名子であるということができる。

そして、主人公は無知の人間として描かれている。

これは、そのまま愚者の文学と呼んでよい領域の文学のひとつが、安部公房の文学だといってもよいと、わたしは思う。

無知な人間ということは、世間的に見れば、役立たず、無能な人間ということであり、馬鹿者、阿呆者ということである。

イワンの馬鹿(ロシア)や、阿呆物語(ドイツ)等々、他にも色々と世界中に、多分民話のような形であるのではないだろうか。

また、無知な人間ということから、そのような人間は成長して行くわけであるから、安部公房の小説は、無知な主人公の成長を描いた一種のBildingsroman、ビルデゥングス•ロマーン(教養小説)と見る事もできると思う。哲学的な、人間の意識の成長と変化、変貌を描いた相当抽象的で、その意味では相当変わったビルデゥングス•ロマーンではあるけれども。

こう書いて来て、このように考えるのであれば、トーマス•マンの魔の山も愚者の文学だということに気がついた。主人公は、なんということのない平凡な名前ハンスという名前の主人公である。


2014年9月2日火曜日

安部公房にとっての詩と小説の関係について



安部公房にとっての詩と小説の関係について

安部公房全集第1巻に「第1の手紙ー第4の手紙」という作品がある。これは、1947年の作品。

これは、安部公房が詩について書いた文章です。手紙の体裁をとっていて、いつも誰か見知らぬ相手、あるいはもっと言えば安部公房自身の中のもうひとりの読者に向かって書いている手紙体、または手記の形の作品です。

そうして、その安部公房の典型的な手記の形式を以て、詩について書いているのです。

第1の手紙を少し読み進めますと、次の一節があります。


驚かないで下さい。此の僕の取った未知と云うのは、<詩以前の事>について書く事だったのです。勿論それにこだわる事は止しましょう。だが、<詩以前の事>は、森に包まれた山路の様なものです。


この一文で明らかなことは、安部公房にとって、手記という形式の散文は、その言葉をそのまま信じると「詩以前の事」を書いているものなのである。そうして、これは、その通りだと信じてよいと思われる。

この「詩以前の事」の「詩以前」とは、時間の中で詩の生まれた先後をいうのではなく、むしろ全くその逆で、時間を捨象して(これが安部公房らしい)、「詩以前」と言っているということなのです。

詩の前にある事、そうして詩の基礎になっている物事を書く事、それも手紙や手記の形式でそのような「詩以前の」物事を書く事、これが安部公房にとっての散文の意味であり、それがひとに小説と呼ばれるものになった最初の姿なのだということがわかります。

従い、安部公房にとって、詩と小説の関係は、詩は詩、「詩以前の事」を書いたのが小説ということになるでしょう。

安部公房がこのように考えて小説を書いたということは、とても大切な事だと思います。

安部公房は無名詩集をとても大切にしていて、小説家として名をなしてからも、自分のよき理解者には、この詩集を手渡して、そのこころを表していました。

追記:

第1の手紙は、詩と「詩以前の事」について、
第2の手紙は、歩道について[これは既に「問題の下降に依る肯定の批判」(1942年)という10代のエッセイでは、遊歩道として出て来たものと同じイメージのものです。]
第3の手紙は、顔と手について[仮面と手袋を装着することについて]
第4の手紙は、やはり顔と手について[装着した後の顔と手について]

遊歩道や顔や手は、安部公房がその種子から大切に育て、はぐくんだイメージ、形象のひとつです。


これらについては稿を改めて論じたいと思います。