安部公房にとっての詩と小説の関係3:マルテの手記
安部公房全集第1巻に「<僕は今こうやって>」と題した、見開き2ページの文章があります。
そこにこう書いてあります。
僕はマルテこそ一つの方向だと思っている。マルテが生とどんな関係を持つか等と云う事はもう殆ど問題ではないのだ。マルテの手記は外面から内面の為の窪みをえぐり取ろうとする努力の手記なのだ。マルテは形を持たない全体だ。マルテは誰と対立する事も無いだろう。
「第1の手紙~第4の手紙」という作品で、手記を書く事は「詩以前の事」を書く事だと言った安部公房は、やはりマルテにならって、そうしてその手記という形式を全く安部公房流に消化し、換骨奪胎して変形させ、「外面から内面の為の窪みをえぐり取ろうとする努力の手記」としたのです。
この「外面から内面の為の窪みをえぐり取ろうとする努力」のことを、後年、安部公房は「消しゴムで書く」と言っています。
そうして安部公房は、その消しゴムを以て、顔を書き、手を書き、壷を書いたのだと思います。
その手記はみな、外面と内面の果てしのない交換のことについての手記でありました。
これが、安部公房の小説の根本にあることだと、わたしは思います。
これが一体どのようなことなのかは、安部公房全集第1巻の「詩と詩人」に詳しく論ぜられております。以下、安部公房のこの10代の散文を詳しく読み解きましたので、お読み戴ければと思います。
1。18歳の安部公房
2。19歳、20歳の安部公房
3。19歳、20歳の安部公房2
4。19歳、20歳の安部公房3
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