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2013年12月29日日曜日

取り壊される、安部公房『砂の女』の生まれた家



京王線仙川駅にある安部公房の家が既に売却され、この冬に取り壊されることになりました。そのことを報じる記事です。


仙川駅南口下車、徒歩10分程の距離にあります。武者小路実篤記念館の傍です。


2013年12月23日月曜日

安部公房のお墓を訪ねるためのガイドブック



安部公房の広場に掲載した、安部公房のお墓の訪問記を、ガイドブックとして、英語と日本語の両方でアマゾンのキンドル本として出版をしました。

英語の世界の読者にも届けばよいと思って製作しました。日本語の世界の読者については、言うまでもありません。

日本語版:

英語版:

2013年12月11日水曜日

急告:アマゾンのキンドルでの無料キャンペーン



急告


わたしが『もぐら通信』に連載をして来た「安部公房の変形能力」シリーズを、これまでの10回分を10冊、それに「安部公房誕生の秘密~安部ヨリミの『スフィンクスは笑う』」を加えて、只今アマゾンのキンドルで無料のキャンペーンをやっております。

アマゾンへ行って、(安部公房、岩田)というキーワードにて検索下さい。

期間は5日間だけですので、御興味のある方は、急ぎダウンロード下さい。

また、現在は、第1巻から第3巻、それから第5巻までですが、明日以降順次残りの巻も無料となって店頭に並びます。

第5巻だけは有料のままとします。既にこの巻をお買いになって下さった方がいらっしゃるので、公平を欠いてはいけないと思い、リルケのこの巻のみ有料のままとします。ご了解下さい。

[岩田英哉]

2013年12月8日日曜日

安部公房の書いたエッセイ2つの初出の雑誌が判明しました



安部公房の書いたエッセイ2つの初出の雑誌が判明しました

これも岩崎努さんの調査により、安部公房の書いた次の作品二つの初出の雑誌が明らかになりました。

1。仮説•冬眠型結晶模様
2。授乳するマリア

1は、安部公房全集第7巻、77ページに収録
2は、安部公房全集第7巻、84ページに収録

『仮説•冬眠型結晶模様』は、原題が『冬眠型結晶模様』と題して、『リビング デザイン』(昭和31年10月1日発行)の第22号、1956年10月号に、『授乳するマリア』の初出は、『リビング デザイン』(昭和32年1月1日発行)の第25号、1957年1月号に、それぞれ掲載されていることが発見されました。






安部公房の全集に収録されていない3つのテキストが発見されました



安部公房の全集に収録されていない3つのテキストが、岩崎努さんにより発見されました。

一つ目は、「アサヒカメラ」(1963年7月号、同誌184ページ)に掲載されている『わが町ー調布』と題した文章で、安部公房の撮影した調布の写真とともに掲載されています。

この記事によれば、安部公房の使用したカメラは、ペトリハーフ7•ペトリ28ミリF2.8•露出EEです。

文章の内容は、甲州街道に沿って散策した折に、安部公房の住むこの町、この地域の見せる昔の姿に言及し、昔の姿を今の感覚で写真撮影する気持ちを書いたものです。この雑誌の読者はカメラ愛好家であることから、光線の微妙な具合やら、EEカメラの感度のよさやら、近景と遠景の関係やら、安部公房のカメラ好きのこころの横溢する文章となっています。

二つ目は、「週刊朝日」(1965年、2月26日号)に掲載された『強烈な現実愛が生む混沌 ヘンリー•ミラー著『ネクサス』他』という題の書評です。

集英社の出した世界文学全集第6巻にヘンリー•ミラーの『ネクサス』を含む巻があり、それを、安部公房が書評したものです。

このアメリカの作家の一行一行には音楽があり、無限のドラマがあると論じ、その様を異様な混沌と呼んでいます。そうして、その混沌の理由をこの作家の優しさに求め、その過剰な現実を愛するこころと、同時に救済を、従って絶望をも拒絶するそのこころの両立を論じ、その勇気を褒めております。

三つ目は、師石川淳の著作『あらたま』(新潮社刊)の帯に書いた安部公房の推薦文です。

この作品の持つ毒を宝石に譬(たと)え、その魅惑を現代の神話と呼んでいます。

2013年12月5日木曜日

月刊もぐら通信(第15号)を発行しましたので、お知らせ致します。

月刊もぐら通信(第15号)を発行しましたので、お知らせ致します。

次のURLアドレスからダウンロードして下さい。



今号も見どころが沢山です。
安部公房の美術評論に対する秋川久紫さんのエッセイ
ドナルド・キーン様からのお葉書
嵐志保さんの卒業論文である『密会』論
などをお楽しみください。


お読みになったあとの感想など戴けると誠にありがたく思います。

また、積極的なご寄稿もお願いを致します。


メール購読して頂くと、一番早くお手元に届きます。

ブログでの公開は、あえてメール配信より遅らせています。

メール購読の方法は、このブログ「安部公房の広場」(http://abekobosplace.blogspot.jp)の右上の登録ボタンをクリックして、氏名(ニックネーム可)とメールアドレスを登録して頂くだけです。もちろん、無料です。



2013年12月3日火曜日

[テスト][ニュース&記録]

[ニュース&記録]

 『テアトロ』12月号に「安部公房」特集

総合演劇雑誌『テアトロ』の201312月号に、「安部公房没後20年によせて」特集が掲載されました。内容は、大橋也寸「孤独・詩的想像力」(4ページ)、丸山善司「ノーベル症症候群に御用心」(2ページ)、岩波剛「日本アバンギャルドの第一走者」(2ページ)、山口果林「演劇人・安部公房」(4ページ)です。


 日本近代文学館に「もぐら通信」が収蔵されています

公益財団法人・日本近代文学館に「もぐら通信」が収蔵されています。大学図書館検索CiNiiで検索できます。http://ci.nii.ac.jp/ncid/AA12603574


 コロンビア大学図書館に「もぐら通信」が収蔵されます

別掲のドナルド・キーン先生のお葉書およびキーン誠己氏のご連絡により、キーン先生がコロンビア大学東アジア図書館に「もぐら通信」をご寄贈下さり、先生の貴重な「安部公房資料」の中に含めて収蔵されることになりました。先生のご配慮に深く感謝いたします。


 国立国会図書館に「もぐら通信」を納入することになりました

国立国会図書館オンライン資料収集制度に基づき、「もぐら通信」では納入の申請をしていましたところ、1120日に国会図書館より「当館の収集対象であることを確認しました。」と「受付完了」のご返事をいただきました。今後は定期的に「もぐら通信」の掲載サイトを巡回・収集されます。


 関西安部公房オフ会(KAP)の読書会が開かれます

関西安部公房オフ会の第5回読書会は、1214日(土)午後1時~5時、JR花園駅近くの京都市右京ふれあい文化会館にて開かれます。課題は『密会』です。前回同様の活発な交歓が期待されます。http://w1allen.seesaa.net/article/377944769.html





2013年11月13日水曜日

『砂の女』がAmazonのオールタイムベスト小説100に選出されました

新潮文庫の100冊の常連だった『砂の女』がAmazonのオールタイムベスト小説100に選出されました。新潮文庫だけでなく、Amazonで取り扱っている書籍の中から選ばれたので、いかに『砂の女』の人気が高いかを示したになります。

なお、オールタイムベスト小説100のkindle版無料小冊子を購入すると、今なら本(和書、洋書、Kindle本は対象外)に使える300円クーポンが付いてきます。11月30日まで。※3,000円以上の注文時に利用可能。

ちなみに、今年の新潮文庫の100冊は、『砂の女』ではなく、『壁』でした。 採用作品の変遷(1961~2013)

2013年11月4日月曜日

東京リブロ池袋で安部公房の連続講座が開催(池袋コミュニティカレッジ)




東京リブロ池袋で安部公房の連続講座が開催されます

池袋コミュニティ・カレッジ公開講座「安部公房のジャンル横断 文学―演劇 ―映画・ドラマ」として、奈木 隆「安部公房の演劇」・友田義行「安部公房 の映画」• 鳥羽耕史「安部公房の文学」 が、11月16日(土)以降3回の講義 として再開されます。どれか一つでも、個別に申込ができます。詳細とお申し込みは:http://cul.7cn.co.jp/programs/ program_651650.html 

2013年11月2日土曜日

もぐら通信(第14号)をお届けします。

もぐら通信最新号、第14号をお届け致します。

お読み戴ければ、幸いです。次のURLです。


ホッタタカシさんによる、『友達』の劇評、また
その公演をした笛井事務所プロデューサーにして
女優の奥村飛鳥さんによる上演の苦労話など
今号も、いろいろなご寄稿を戴きました。

寛いで、閑雅な時間にお読みいただければ幸いです。

ご感想などお聞かせ下さると、ありがたく存じます。

では、安部公房とのよいひとときをお過ごし下さい。

もぐら通信
編集部一同

2013年10月7日月曜日

安部公房の読者を英語で何と呼ぶか?



安部公房の読者を英語で何と呼ぶか?

シャーロック•ホームズならば、シャーロッキアン。ルイス•キャロルならば、キャロリアン。

さて、それならば、安部公房ならば、何と呼ぶのでしょうか。

英語圏のウエッブサイトで、安部公房ファンの主宰するAbe Kobo Fan Club(https://www.goodreads.com/group/show/109871-abe-kobo-fan-club)の掲示板に投稿をして、英語で安部公房のファンを何と言うのかを問いかけたところ、次のような回答が参りましたので、あなたにお伝えします。


結論を言いますと、

1。Kobophile
2。Kobee - similar to "devotee" 
3。Kobie - similar to "groupie" 
4。Kober - similar to "follower" or "admirer" 

また、安部公房の作品を言う時には、AbeからAbeanという形容詞を作り出して使っているとのことです。安部公房の、とか、安部公房的なとか、そのような意味です。


[参照URL]

message 2: by Asma

https://www.goodreads.com/topic/show/1521026-how-to-name-the-readers-of-abe-kobo:

When people describe the works written by Abe Kobo, they use "Abéan", as in
" What would become a crucial Abéan theme -- the application of the scientific method in an attempt to understand the underlying purpose to human life -- is in its infancy in The Woman in the Dunes, which, like Camus' The Stranger, is primarily concerned with describing the existentialist condition." 
In the instance you mention, Eiya, readers who admire Abe Kobe, the suffix "-phile", which denotes a liking as in "bibliophile" (person who likes books) or "Francophile" (person who likes France), is a possibility - "Kobophile"

Also: 
Kobee - similar to "devotee" 
Kobie (as you mention) - similar to "groupie" 
Kober - similar to "follower" or "admirer" 


安部公房と谷崎潤一郎



安部公房と谷崎潤一郎

山口果林著『安部公房とわたし』を読んでいて、つぎの記述があった。思うところがあるので、わたしの考えを述べてみたい。

女優がテレビ番組でおとなう土地を舞台にした小説ということで、谷崎潤一郎の『吉野葛』を読んでいたときの話である。

「マンションで「吉野葛」の文庫を読んでいる最中に安部公房がやってきた。お茶の支度をしている間、安部公房は本を取りあげ読んでいた。初めて読んだのだろう。「谷崎って僕の文体に似ている」と感心したように言った。」

最初に安部公房と谷崎潤一郎の共通点を挙げて、次に、何故安部公房が『吉野葛』を読んで、自分の文体に似ていると感心したのかを述べることにする。

まづ、安部公房と谷崎潤一郎の共通点を、思いつくままに挙げると、次のようになるだろう。

1。便所が好き
2。反自然主義、反写実主義
3。女性の体のある部位へのフェティシズム
4。自分を異端者だと規定していること
5。特定の女性への崇敬のこころ
6。生理的な感覚を大切にしたこと

谷崎の著作に『陰影礼賛』という作品がある。これは、文学史でも、表立った評論家の言葉の上でも、陰影豊かな日本の美を語った本だということになっている。

しかし、わたしにはそうは見えないのである。最初のページを繰って、数ページと行くか行かぬかというところで、便所の話になるのだ。

そうして、延々と和式の便所の話が続くので、わたしはこの作品を読むと、いつもその先へ行く事ができずに、便所の記述の中で行き倒れるのである。

中央公論の文庫版の『陰影礼賛』には、複数の随筆が収められているが、その最後に『厠のいろいろ』という題の随筆があり、厠(かわや)とは、便所のことであり、その話が実に、これもまた延々と続くのである。

これは、上に6つ挙げた共通点のうちの、6番目の感覚を大切にしたことに深く通じていると、わたしは思う。1と6は脈絡があるのだ。

4については、谷崎には、そのものずばりの『異端者の悲しみ』という作品があり、この中にも便所が複数回出て来るのであるが、主人公、又は話者は、小説の最後の余白に、次のように独白するのである。

余白に書くということといい、独白といい、これは安部公房の世界に充分過ぎる位に通じている。

「それから(筆者註:妹が死んでから)二た月程過ぎて、章三郎は或る短編の創作を文壇に発表した。彼の書く物は、当時世間に流行して居る自然主義の小説とは、全く傾向を異にして居た。それは彼の頭に醗酵する怪しい悪夢を材料にした、甘美にして芳烈なる芸術であった。」

谷崎を『刺青』という短編小説で発見したのは、永井荷風であるから、次のような文学的な系譜を書く事ができるだろう。


江戸文学→永井荷風→谷崎潤一郎→安部公房


それに加えて、安部公房の師であった石川淳も江戸文学に深く根を下ろした作家であったから、この系譜は次の様になるだろう。



谷崎に荷風がいるように、安部公房には埴谷雄高がいるのである以上、埴谷雄高を加え、そうして更にこの系譜は、外国文学との関係で安部公房がその深い影響を明言している作家達の名前を加えて完成させると、次の様になるだろう。





さて、話を、江戸文学の系譜に戻して、安部公房の文学を考えると、明治以降の作家で、19世紀の写実主義を否定して自分の芸術を完成させた作家の系譜にあり、安部公房は、その独自の位相幾何学の文学ということからであるにせよ、江戸文学からの文学的脈絡の中に位置づけることができるということがわかる。

江戸の文学に造詣の深い石川淳に発見され、逆に同様の谷崎の文体に自分と似たものを発見する安部公房。石川淳も谷崎潤一郎も、ともに江戸っ子である。

江戸っ子が安部公房を発見し、同様に安部公房が江戸っ子の文学に文体の類似性を発見したというのは、実に面白いことだ。

さて、谷崎との共通点の話である。

4の異端者という自分自身の、社会に対する位置の設定、いや文壇に対してもの位置の設定については、論をまたないだろう。安部公房は、内なる辺境といい、周辺飛行といい、同じ考えを、谷崎の場合とは違い全く論理的にであるが、その思想と志操を述べていることは、読者周知のことである。

3の女性の体の特定の部位についてのフェティシズムは、谷崎は女性の足に、安部公房は女性の脚に、特に膝小僧に嗜好があったというところが、フェティシズムとして共通している。

5の特定の女性への崇敬のこころといえば、谷崎は前夫人と別れてから、松子夫人への、安部公房は1970年代、箱男以降は、真知夫人と別居して、山口果林への愛情を隠さなかったことは、女優の著作によって、今ようやく明らかになった。

6は、安部公房が、自分の文体に似ていると喝破した通りである。

何故『吉野葛』を読んで、安部公房が、そう言ったのかを以下に論じたい。

それは、『吉野葛』の話の構造と道具立てが、安部公房の手紙体、手記体の小説と同じだからである。曰く、『終りし道の標べに』、『他人の顔』、『箱男』、『密会』。

初期の作品『白い蛾』に明らかであるけれども、安部公房は、話中話、劇中劇を、ひとつの話の中に設ける。そうして、その話中話、劇中劇の媒体として、手紙や手記を使うのである。

谷崎の『吉野葛』は、まったく同じ話の構造と道具立て(手紙)を使った作品である。

『吉野葛』は、主人公(話者)は、その友人津村という男に誘われて、吉野の山深い地を尋ねる話であり、この友人は子供の頃亡くなった若い母親の面影を求めて母の地を尋ねるという話である。そうして、この作品の全体には、伝説や歴史的故事がふんだんに引用され、言及されて、読者を古い時間、しかしれっきとした物語の時間の中へと誘(いざな)うように出来ている。

この作品の中心にあるのが、津村という友人が見つける、母親が父親に宛てて書いた手紙なのである。その手紙が、話中話、劇中劇となって、読者を更にその先の世界へと誘(いざな)い、遊ばせてくれる。

手紙又は手記は、安部公房が愛用し、愛好した媒体であるが、谷崎は、この作品で同じ媒体を使って、話を構造化している。

『吉野葛』の出だしの数ページは、安部公房の『榎本武揚』を彷彿とさせるものがある。それは、この話が、津村という友人の話ばかりではなく、その外側にある結構は、主人公(話者)が小説家であって、この小説家が昔の資料を読んで、現代に資料の中の話を再解釈する作品でもあるからだ。

最後の生理的な感覚に忠実であったということも、ふたりの共通性であると思う。見かけ上、文体が全く異なる二人であるが、安部公房が「僕の文体に似ている」と感想を漏らしたその理由は、やはり、一言で言えば、物語を語るということと、その語り口が、よく似ているという意味なのであろう。その物語の媒体(手紙)を使ったことといい、また物語の結構(構造)も、同じであることといい。

このような理由から、19世紀の写実主義を徹底的に否定した、その意味では自分にそっくりな江戸っ子の先達が、石川淳の他に、いたということを、安部公房は、このとき、直覚的に知ったのだと思われる。


[岩田英哉]







2013年10月6日日曜日

『もぐら感覚シリーズ2』を発刊しました。

『もぐら通信』に連載して来た『もぐら感覚』シリーズをまとめて、『もぐら感覚シリーズ2』として発刊しました。

お読み下さると、嬉しく存じます。

http://goo.gl/khHqR5

目次は、次の通りです。



VIII 笑い
IX 顔
X  かいわれ大根
XI 自走するベッド
XII ひとさらい
XIII 放蕩息子
XIV 夜




2013年10月1日火曜日

Abe Kobo's Place(安部公房の広場): もぐら通信最新号第13号をお届け致します。

Abe Kobo's Place(安部公房の広場): もぐら通信最新号第13号をお届け致します。: もぐら族のみなさん、 もぐら通信最新号第13号をお届け致します。 お読み戴ければ、幸いです。 次のURLでダウンロード下さい。 http://w1allen.seesaa.net/article/376244320.html 頭...

もぐら通信最新号第13号をお届け致します。

もぐら族のみなさん、

もぐら通信最新号第13号をお届け致します。

お読み戴ければ、幸いです。

次のURLでダウンロード下さい。



頭木弘樹さんによる、安部公房が好きだった映画「眼には眼を」の紹介
ホッタタカシさんによる、「安部公房とわたし」評と『FRIEND』評
東鷹栖安部公房の会 澤井さんによる朗読会報告
TAPの読書会報告(『無関係な死・時の崖』)
KAPの読書会報告(『箱男』)
滝口健一郎さんによる『もぐら通信』

ご感想などお聞かせ下さると、ありがたく思います。

では、安部公房とのよいひとときをお過ごし下さい。

もぐら通信
編集部一同

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   もぐら通信掲示板:http://8010.teacup.com/w1allen/bbs
   バックナンバー:http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html

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2013年9月23日月曜日

便所飯は安部公房の世界だ

便所飯という言葉あり、その言葉通りの世界があるというのは、面白い。

方舟さくら丸の世界である。

http://ddnavi.com/news/163621/?utm_source=ddnavi&utm_medium=rss

この便所飯の作法など、全く安部公房の世界に通うものがある。

http://dic.nicovideo.jp/a/便所飯

2013年9月19日木曜日

生物学者、福岡伸一さんによる『安部公房とわたし』のネット書評です。

わたしもファンである生物学者、福岡伸一さんによる『安部公房とわたし』のネット書評です。

バランスのよくとれた、このかたが職業としては文学の世界のひとではないのに、人間の男女の機微と、女性に関する洞察の深いことに驚きを覚えました。

次のURLです。

http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013091500006.html?ref=comtop_rnavi

2013年9月17日火曜日

鴻上尚史さんの『安部公房とわたし』についての書評です。:“特別な人”の存在が集団全体を動かしていく【鴻上尚史】


“特別な人”の存在が集団全体を動かしていく【鴻上尚史】



鴻上尚史さんの『安部公房とわたし』についての書評です。

演劇の現場を知るひととしての発言は、今までのネットの書評にはなく、出色です。

2013年9月16日月曜日

安部公房の読者への3つの本質的な質問



安部公房の読者への3つの本質的な質問


1。安部公房が何故三島由紀夫とあのように親しく、肝胆相照らす仲であったのだろうか?

2。位相幾何学を文学の中心に据えた安部公房が、敵対すると世間で思われる対象を拒否し、拒絶して、その位相幾何学的な世界の構築ができただろうか?

3。あなたは、『無名詩集』を編んだ安部公房のこころを、『無名詩集』を読んで、理解しようとしたことがあるか?



[岩田英哉]

安部公房の読者への3つの質問





安部公房の読者への3つの質問

1。安部公房が何故三島由紀夫とあのように親しく、肝胆相照らす仲であったのだろうか?

2。位相幾何学を文学の中心に据えた安部公房が、敵対すると世間で思われる対象を拒否し、拒絶して、その位相幾何学的な世界の構築ができただろうか?

3。あなたは、『無名詩集』を編んだ安部公房のこころを、『無名詩集』を読んで、理解しようとしたことがあるか?


[タクランケこと岩田英哉]

2013年9月11日水曜日

SUNDAY LIBRARY:梯 久美子・評『安部公房とわたし』『海辺の生と死』


『安部公房とわたし』に関するネット書評です。


SUNDAY LIBRARY:梯 久美子・評『安部公房とわたし』『海辺の生と死』2013年09月10日




http://mainichi.jp/feature/news/20130910org00m040011000c.html

2013年9月8日日曜日

幼少期過ごした東鷹栖に記念碑を 安部公房没後20年、地元の有志ら計画

東鷹栖安部公房の会の記念碑を建立するネット新聞の記事です。

『笑う月』に、催眠的な支配力を安部公房に及ぼした従兄弟、飯沢英彰さんの家の玄関前にある庭石を、当時安部公房が通学していた近文第一小学校の校庭に移して、記念碑とするものです。

この石は、当時小学生だった安部公房が上り下りして遊んだ石です。


http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/490336.html

2013年9月7日土曜日

石川淳について



石川淳について

丸谷才一の『思考のレッスン』(文春文庫)を読んでいると、石川淳に言及した個所が幾つかあり、その中の一つには安部公房の名前も登場するので、ここで紹介をして、安部公房が師と呼んだこの作家について、この作家がどういう作家であるのか、その知見を共有したいと思います。

1。石川淳と『曽我物語』(95~96ページ)
―レッスン1に、レトリックがない文明という話が出ましたが、それと関連しそうですね。

丸谷 そうそう。様式がある文学ならば、たとえいやなことを書いても、いやな感じの迫り方が違うわけ。ところが近代日本文学は様式がないから、生な不快感になっちゃうんだね。
 そういう生な言葉を避けようとして、石川淳さんは江戸に学んで、あの文体をつくったんでしょうね。
 淳さんのあの文体のことを、女の小説家が、長唄か清元の詞章みたいにずらずら続いて行くと評したそうだけれど、これは森鴎外『そめちがへ』の弟分みたいなあの文章の、うまい形容であるだけじゃなくて、出所をかなり言いあてていますね。そして長唄や清元のかなり川上のところにはたぶん『曽我物語』がありそうな気がします。いつか僕が『曽我物語』を読んでいますと言ったら、
「文章がいいでしょう」
 と一言だけだったけれど弾んだ返事が返ってきたことがありました。石川淳と『曽我物語』というのはいい主題だと思いますよ。

2。石川淳と「一冊の本」(114ページ)
石川淳さんが朝日新聞から「一冊の本」という題のコラムに原稿を依頼されたことがある。その書き出しがたしか、「本来なら一冊の本といふことはあり得ない」という文章でした。たくさんの本の中にあって初めて、一冊の本は意味があるのだ、というようなことを書いてらした。

 僕は、その通りだと思うんですね。孤立した一冊の本ではなく、「本の世界」というものと向かい合う、その中に入る。本との付き合いは、これが大切なんです。

3。石川淳とホーム•グラウンド(143ページ)
 石川淳さんの場合には、江戸がホーム•グラウンドと言えるでしょうね。もちろんこれにフランス文学が加わります。つまり石川さんという人は、西洋の文学を読んだ目で江戸を見ていた。その体験がすべてにわたってものを言うんですね。
 石川さんは「パリに出かける金がないから江戸へ遊学した」なんて言ってますが、あれは生半可な勉強じゃないですね。硬いものも軟らかいものも、よく読んでます。荻生徂徠、本居宣長、蜀山人はもちろんですが、平田篤胤も一通り目を通してました。僕が、為永春水は『梅ごよみ』だけ読みましたと言ったら、「あとを引かなかった?」とけげんそうにしてた。つまり、『辰巳園』(たつみその)も『梅見船』も『英対暖語』(えいたいだんご)もと、続けて読まないのが不思議なんでしょうね。でもね……(笑)

 以前、中村真一郎さんが、「石川淳さんは江戸の漢詩をよく読んでるし、その感想がいちいちツボを外れない」と感心してたけど、その通りなんだろうと思います。

 その石川さんが最晩年、こんなことをおっしゃった。「このあいだ小説で江戸を書こうと思って、江戸について何を自分が知っているか考えてみたら、驚いたことに、何も知らないということがわかった」とね。

4。石川淳と忠臣蔵(185~186ページ)
 もう一つ例をあげます。忠臣蔵論。
 僕は忠臣蔵が御霊信仰だということは、前々から考えていました。一九八〇年に石川淳さんと対談したときも、そのことを話したことがあります。そのときは、石川さんから「うん。あれも御霊信仰だといえば御霊信仰だな」と、名人に青二才が軽くいなされるような結果になった。ああいう返事をされると、その先は続かなくなっちゃう(笑)。

5。石川淳と推敲(228ページ)
 たとえば石川淳さんは、推敲ということを絶対にしないらしいね。石川さんが安部公房さんと一緒にロシアを旅行したとき、向うの作家と三人で話をしたんだそうです。ロシアの作家が、自分はいかに念入りに文章を推敲するかということを長々としゃべったら、淳さんが「それはいけない、私は推敲なんかしない。書き終わったら書きっぱなしである」と言ったんだって(笑)。
 安部さんからその話を聞いてびっくりしてね、僕は石川さんに聞いてみたんです。
「どうすればそういうことができるんですか」
 そうしたら石川さんは、
「それはゆっくりゆっくり書くんだよ」
とおっしゃった。

―石川さんの文章は、ものすごいスピードで書いているような印象がありましたけど、意外ですね。

丸谷 石川さんについては、いつだったか奥様からこんな話をうかがったことがあります。
「石川も最近は年をとってくたびれてきて、一回書斎にこもると二時間ぐらいしか持ちません」
 二時間持つなんてすごい、とびっくりしてね(笑)。晩年で二時間だから、以前はもっと長かったに違いない。すごい集中力だなあ(笑)。
 

2013年9月3日火曜日

『密会』の時間の構造(話法について)



『密会』の時間の構造(話法について)

安部公房が10代から、言語の話法について興味を深く持っていたことは、その10代の論文『問題下降に依る肯定の批判』や20歳のときの『詩と詩人(意識と無意識)』によってよくわかります。

安部公房が1977年、53歳のときの作品『密会』を読んで考えたことを備忘のように書く事にします。

この小説の形式は、時間という観点からは、実に単純に出来ていて、それは、得体の知れない馬(病院の副医院長)から受け取る録音テープを再生する自分の時間と、その録音テープに録音された時間の後に起きている(見かけ上)現在(というべき)録音テープを文字に起こす時間のふたつの時間から成り立っています。

そうして、録音された時間を再生する主人公の意識の在る時間は、現在の小説の地の文の時間の在る場所とは異なり、見かけ上過去の時間から現在の地の文の中の時間を眺めるようになっています。

他方、現在の地の文の時間は、その地の文の中に(一見過去の時間と見える)過去の録音の記録の時間を持っているわけですから、現在の時間から過去の時間を眺めるようになっています。そうして、この過去の時間の中には、実は現在の時間に生きている主人公の感想の言葉も混じっているので、明瞭には過去と現在というようには時間を区切ることができない構造になっています。

ひとことで言い換えると、過去から見た現在の時間と、現在から見た過去の時間が、地の文の中の( )によって(この( )の中には過去の録音テープの音声に関する主人公の感想が入っている)、交換されていて、あるいは時間を捨象されて、幾何学的に交換されていて、過去は現在(或いは未来)、未来は過去(或いは現在)という状態になっているのです。

この現在にいるのが、いつも話者です。そうして、この話者がどこに存在しているのか?というのが、安部公房の、特に『箱男』以降の小説の根本的な問いになります。

他方、この問いには、既に安部公房は10代で答え、1948年(24歳)のときに出版した『終りし道の標べに』で既に答えているのだとわたしは考えています。


そのことに関する直裁な答えは、『密会』の( )の中の独白と、地の文の中の言葉とが、言わば、内部と外部の関係で、交代し、交換される関係にあるということなのです。

さて、この論は、もう少し後日に結論を持ち越すとして、『密会』の話です。

この小説の最後に、丁度戯曲『友達』がそうであるように、最後に『明日の新聞』が登場します。

この新聞は、安部公房の思考の中心にある、以上言及した時間の構造の、即ち構造という以上は、時間を捨象した、小説の構造の空間の骨組みなのです。

『明日の新聞』が今日発行されるのです。このこころ慰められる、優しい残酷な世界。

安部公房は、演劇論をいうときにも、これを時間の空間化と呼んでおります。

何故安部公房はそう考えるのか?これは、10代に耽読し、耽溺したリルケの世界を読む以外にはない、それを日本人の10代の少年がどのように命がけで自分のものとしたか、即ちそのリルケの思想を生きたかということを知ること以外にはないのです。わたしはそう思います。

どうか、あなたもリルケをお読み下さい。安部公房の読者として。



2013年9月1日日曜日

2013年8月27日火曜日

山口果林著『安部公房とわたし』についてのネットの書評です

山口果林著『安部公房とわたし』についてのネットの書評です。

公正、公平な書評です。わたしも全く同感しました。

次のURLです。ご覧下さい。

http://ddnavi.com/news/159673/

今日、丁度『箱男』を読了したところです。

もう、この作品を何回読んだことでしょうか。読み終えるのは何故かいつも電車の中です。

『安部公房とわたし』を読みますと、安部公房は果林さんに、『箱男』は果林さんへの恋文だと言っていたそうです。確かにそう思って読みますと、終わりのところ《開幕五分前》は、全くその通りだと思います。

「だれにも邪魔されない秘密の空間。部屋では、ほとんど裸にガウンで過ごす。この部屋から「箱男」の「開幕五分前」など後半のエピソードが生まれた。」

とある通りです。

しかし、勿論安部公房は事実を高次の意識の見る世界へと変形させて書いております。

さて、英語圏のGoogreadsという電子書籍読者のためのウエッブサイトに、安部公房ファンのためのクラブ、Abe Kobo Fan Clubがあるのを発見しました。次のURLです。

https://www.goodreads.com/group/show/109871-abe-kobo-fan-club

9月10日『箱男』、英訳名『The Box Man』についての読書会をネットで行います。

わたしも参加をします。

出来たばかりのファンクラブで、今のところ会員は13名です。

安部公房が好きならば、英語なんぞは何のその、クレオールの精神で、あなたも会員になって、読者会の議論に参加しませんか?

2013年8月25日日曜日

「安部公房とわたし」の真実 女優・山口果林に聞く大作家の実像




「安部公房とわたし」の真実

  女優・山口果林に聞く大作家の実像


山口果林さんのインタビューがネットに載っておりましたので、お知らせ致します。



http://toyokeizai.net/articles/-/18226

2013年8月1日木曜日

もぐら通信(第11号)を発行しました。

もぐら通信(第11号)を発行しました。

ダウンロードは、次のURLからです。今月も、よろしくお願いいたします。


http://w1allen.seesaa.net/article/370781603.html

笛井事務所、奥村飛鳥プロデューサーのプロデュースする安部公房戯曲『棒になった男』のポスターが出来ました







笛井事務所、奥村飛鳥プロデューサーのプロデュースする安部公房戯曲『棒になった男』のポスターが出来ましたので、ご覧下さい。

日程は、9月26日から9月29日まで。場所は前回の『友達』上演と同じ、明石スタジオです。詳細は、次のURLアドレスから。


また、笛井事務所のFacebookページは、次のところです。


更に、プロデューサー、奥村飛鳥さんのWikipediaです。


是非、劇場に脚をお運び下さい。

2013年7月30日火曜日

もぐら通信(第11号)の目次が決まりました

もぐら通信(第11号)の目次は、以下の通りです。

ご購読の予約は、このブログの向かって右上の登録の窓からすることができます。




1.表紙記事(ニュース&記録
(1)旭川東鷹栖安部公房の会による朗読会と講演会
(2)友田義行先生の『フェンスレス』誌掲載論文がonline公開されました
(3)安部公房『内なる辺境』が英訳出版されました
(4)京都で安部公房脚本『永久運動』が公演されます
(5)東京リブロ池袋で安部公房の連続講座が9月に開催
(6)山口果林著『安部公房とわたし』が7月30日に刊行
(7)東京•安部公房•パーティー(TAP)によるオフ会が開催
(8)関西安部公房オフ会(KAP)による読書会が開催
(8)10代の安部公房を読む読書会が開催
2.目次
3.「安部公房の本」との出会い:滝口健一郎
4.私の本棚より
(1)パンフ『ウエー』:岡田裕志
5。質問箱
6.ポストコロニアル文学と安部公房:OKADA HIROSHI
7。私と安部公房とインターネット:w1allen
8。滝口さんと編集部の往復メール
9.安部公房の変形能力9:ハイデッガー:岩田英哉
10.もぐら感覚13:放蕩息子:タクランケ
11。花谷紫月さんの『安部公房「鞄」』の連載中止について
12.読者からの感想
13.合評会
14.本誌の主な献呈送付先
15.編集方針
16.バックナンバー
17.編集者短信
18.編集後記
19.次号予告

2013年7月25日木曜日

安部公房が前立腺の癌であったことの記事が同日即座に英語圏の読者にも伝えられました。

安部公房が前立腺の癌であったことは、今朝の朝日新聞朝刊に掲載されておりました。

同じ記事が同日即座に英語圏の読者にも伝えられました。その記事です。

http://pinterest.com/pin/103371753920438827/

2013年7月23日火曜日

友田義行先生「フェンスレス」誌論文がonline公開されました


去る3月20日発行の占領開拓期文化研究会機関誌『フェンスレス』創刊号に掲載された、

友田義行先生の論文「文学と映画の〈偶然性〉論――花田清輝・安部公房を基点に」が

PDF化され、online公開されました。全文読めます。

http://senryokaitakuki.com/fenceless001/fenceless001_07tomoda.pdf

2013年7月11日木曜日

『箱男』読書会のお知らせ

第4回関西安部公房オフ会(略称KAP)の読書会の開催が決まりました。

日時:9月7日(土) 午後1時ー5時
開場:12時50分
場所:京都市右京ふれあい文化会館
   アクセス http://www.kyoto-ongeibun.jp/ukyo/map.php
   地図   http://goo.gl/Lly1k
読書会のテーマ:『箱男』
司会・進行:未定
主宰人:hirokd267・w1allen・takranke
広報:w1allen

内容:(1)開催までの簡単な経緯の説明
   (2)自己紹介
   (3)『箱男』という作品が書かれた背景やトピックなどの簡単な説明
   (4)発表形式とフリートーク形式の両方で進めます。(発表者と問題提起を募ります)

その他:途中参加も歓迎です。飲み物(酒類は不可)は各自で用意してください。軽食の持ち込みもできます。

二次会:懇親を深めるため、二次会で和気あいあいと飲み、語りあいたいと思います。学生さんにも気軽に参加していただけるように設定します。二次会のみの参加も歓迎です。
会場:餃子の王将 花園店二階(予定)
http://www.ohsho.co.jp/shop/index.php?a=shop_detail&shop_id=19
費用 3000円以下(コース料理ではなく、自由に注文する形式です)
注意:喫煙不可

なお一次会の費用は 会場費分200円-400円の予定です。

申し込み:ここでも申し込みできますが、できればでツイッターで@hirokd267宛にツイートまたはRT(リツイート)で「参加申し込み」と書いてください。

ツイッターの会員登録は無料です。この機会に是非アカウントを取得されることをお勧めします。読書会の情報をそちらでたびたび発信していますので。
万一、アカウント登録に失敗した場合は、w1allenまで連絡して下さい。

では、皆さまのご参加を心からお待ちしています。
不明の点がありましたら、遠慮なくお尋ね下さい。

2013年7月6日土曜日

10代の安部公房を読む会(第1回)『問題下降に依る肯定の批判』(安部公房18歳の論文)の読書会のご案内です。

10代の安部公房を読む会(第1回)『問題下降に依る肯定の批判』(安部公房18歳の論文)の読書会のご案内です。日時が確定しました。消閑のつもりでゆるゆるとお越し下さい。詳細は: http://eiyaiwata.wix.com/mogura

2013年6月24日月曜日

6月29日(土曜日)の日経新聞朝刊に安部公房特集が

6月29日(土曜日)の日経新聞朝刊に安部公房特集が掲載されます。

大きなニュースがあれば別とのことですが、どうか29日の朝刊をお買い求め下さい。

2013年6月16日日曜日

ジュリー•ブロックさんによる『安部公房伝』の書評

ジュリー•ブロックさんによる『安部公房伝』の書評が発表になりましたので、そのURLアドレスを掲示し、お伝え致します。

http://repository.lib.kit.ac.jp/dspace/bitstream/10212/2119/1/AbeKobo-den_houkoku.pdf

2013年6月11日火曜日

日本経済新聞が安部公房特集を




昨日、日経新聞の取材を受けました。

安部公房の現代性その他について答えました。

今月末、土曜日の版に、安部公房特集が掲載されるとのことでした。

楽しみに待つことに致しましょう。

2013年6月1日土曜日

もぐら通信(第9号)を発行しました





お待たせしました。

もぐら通信(第9号)を発行しました。


下記ブログ記事から最新号をダウンロード願います。


また、直リンクは、次のところです。


です。

今号から、「私の本棚より」という安部公房にまつわる書籍の紹介コーナー
が始まりました。
番場寛先生、花谷紫月さん、滝口健一郎さんのご寄稿をお楽しみください。
また、水島英己さん、清末浩平さんのレポートも注目です。
さらに、森田庄一さんの連載「安部公房と東鷹栖3」も資料価値が高いものです。

ご感想などお聞かせ下さると、ありがたく思います。

また、ご寄稿も随時受け付けております。
お気軽に、ご連絡願います。

では、安部公房とのよいひとときをお過ごし下さい。

もぐら通信
編集部一同

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   安部公房の広場:http://abekobosplace.blogspot.jp/

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2013年5月6日月曜日

ドナルド•キーン先生にお会いする




ドナルド•キーン先生にお会いする

昨日、5月3日(金曜日)、池袋リブロ、池袋コミュニティ•カレッジにて、16:00より、ドナルド•キーン先生の講演会があり、行って参りました。

この会は、先生の著作集の刊行を機に催されたものです。事前に出席者より質問票を集め、新潮社の先生ご担当の編集者の方が、質問を整理して、先生に問い、先生が答えるという体裁で、およそ45分の時間が、あっという間に過ぎました。

日本文学と日本語を愛する気持ちが率直に伝わる、よいお話でありました。

話の終わったあと、著作集第2巻の『百代の過客』を入口のところで買い求め、サインの列に並びました。

もぐら通信のお言葉を戴いたことと、毎号お送りしてご負担にならないかを案じておりますと申し上げ、お読み下さっていることにお礼の言葉を申し上げました。毎号読んでいますと言われて、本当にうれしい心地がしました。有難いことです。

キーン先生の隣りで、落款を押す役割を演じていた宮西さんにもご挨拶をし、日頃のお礼を申し上げることができて、本当に、よい1時間でありました。

キーン先生から名刺を頂き、また握手もして戴いて、幸せなことでした。

一緒に行った詩人水島英己さんのFacebookの記事から、怠惰にもそのまま引用して、先生のご発言の一端をお伝え致します。


【春の宵 想はぬ人を想ひけり  荷風】
 
 ドナルド・キーン先生の話を聴きに出かけた。池袋のリブロで、「荷風句集」(岩波文庫・加藤郁乎編・2013年4月16日 第1刷発行)を買った。この上の8階でキーン先生の話がある。岩田さんと同じフロアーの喫茶店で会う。二人で聴きに行こうと約束していたのだ。

 新潮社の著作集担当者の方の司会。キーン先生が参加者から、あらかじめ出されている質問に答えていくというスタイルで50分ほどだったが素晴らしい話を聴くことができた。nhkのキーン先生特集のテレビ番組でも聴いたことがあるが、直接に先生の姿を目の前にして、同じような話でも聴くことができているというのは格別の思いがした。

 中央公論の嶋中鵬二社長と永井荷風宅を訪ねたときの話をされた。これは、「一番好きな日本語何ですか」という質問から派生していった話だったと思う。「荷風さんの家に入ったときは、その汚さに喫驚した。しかし、荷風の日本語の美しさ、リズムあるそれに陶然とした。そして荷風のような日本語ができたら死んでもいい!と思った」というようなこと。2年間の日本での勉強を終えて、当時住んでいたイギリス(多分ケンブリッジ?先生はどこで教えていたなどと言う話は一切されない人だ)に帰るとき、たまたま空港で買った荷風の「すみだ川」を飛行機の中で読んで、感動して泣いたという話など。

 この国の芸能から、古典文学、中世のそれ、近世のそれ、近代、戦後(安部公房・三島由紀夫なども含めて)文学のすべてに通暁している偉大な人間。しかし、もっとも小さな人々の哀歓にこそ、すべての文学の基本があるということを誰よりも深く考えている人間(日記の研究を見よ)。

 僕のようなものが、いくら讃辞を重ねてもと思うけれど、でも、こんな人、日本人で見たことがないよ。
 
 キーン先生と握手した。その手は柔らかだった。先生、ご自愛下さい。啄木伝はゆっくりと書いて下さい、などと心で呟いたのだった。
 
 キーン先生の一番好きな日本語の(音)の連なりは「徒然草」の文のそれ。
キーン先生の一番好きな源氏物語の女性は「六条御息所」。
 キーン先生の一番好きな「能」の曲目は「松風」と「野宮」。

「日本人」であるということだけで、それだから、「美しい国」などと、一体だれが言えるのか?キーン先生の少年のような笑顔が問いかけてくる。

2013年4月30日火曜日

【もぐら通信】第8号をお届けします



次のURLアドレスからダウンロードして下さい。


注:メール購読して頂くと、一番早くお手元に届きます。
ブログでの公開は、あえてメール配信より遅らせています。
メール購読の方法は、ブログ安部公房の広場の右上の
登録ボタンをクリックして、氏名(ニックネーム可)とメールアドレスを
登録して頂くだけです。
もちろん、無料です。

今号も、池田龍雄氏のエッセイ、清末浩平氏の『終りし道の標べに』論、ホッタタカシ氏の『友達』の劇評、森田庄一氏の「~地域の人が語る安部公房~」など、盛りだくさんの内容となっております。

ご感想などお聞かせ下さると、ありがたく思います。

では、安部公房とのよいひとときをお過ごし下さい。

もぐら通信
編集部一同

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   安部公房の広場:http://abekobosplace.blogspot.jp/

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2013年4月28日日曜日

もぐら通信(第8号)目次が決まりました。





もぐら通信(第8号)目次は、次の通りです。



1。表紙記事
2。蜻蛉の夢:池田龍雄
3。安部公房と東鷹栖:森田庄一(東鷹栖の会の資料)
4。パフォーミング•アート•センター公演『友達』評:ホッタタカシ
5。夢の中にあらわれる安部公房1:滝口健一郎
6。『終りし道の標べに』真善美社版について:清末浩平
7。旭川訪問記2:編集部 タクランケ
8。「二つの文学館を訪ねて」:OKADA HIROSHI
9。『方舟さくら丸』小論:w1allen
10。安部公房の空間と時間(1):OKADA HIROSHI
11。安部公房の変形能力6:リルケ3:岩田英哉
12。もぐら感覚10:かいわれ大根
13。読者からの感想
14。合評会
15。本誌の主な献呈送付先
16。ご感想、お励ましをいただいた方々
17。もぐら通信の編集方針
18。編集者短信
19。編集後記
20。次号予告

2013年4月22日月曜日

エリアス・カネッティについての著作の紹介

頭木さんがFacebookで紹介をしていらしたので、あらためて、ここでも紹介をしたいと思います。

『カネッティを読む―ファシズム・大衆の20世紀を生きた文学者の軌跡-』(宍戸-節太郎著)

安部公房が晩年称揚して止まなかったエリアス・カネッティについての著作です。

カネッティの一連の自伝的作品は、実に面白いものがありますし、また『群衆と権力』と題した、人間が集団(マス)になるときの契機を洞察した作品は、実に面白く、深いものがあります。

日本にカネッティを読むひとがいるということは、有難く(文字通りに)、うれしいことです。

あなたも、カネッティを、是非ご一読下さい。

http://www.amazon.co.jp/カネッティを読む―ファシズム・大衆の20世紀を生きた文学者の軌跡-宍戸-節太郎/dp/4768456987/ref=sr_1_13?ie=UTF8&qid=1366598623&sr=8-13&keywords=カネッティ

2013年4月2日火曜日

もぐら通信(第7号)ができました


みなさま、

もぐら通信(第7号)ができましたので、お知らせ致します。

目次は、次の通りです。


もぐら通信(第7号)目次

1。表紙ニュース
2。目次
3。旭川訪問記(w1allen)
4。戯曲『友達』を観る(岩田英哉)
5。『友達』問答(ホッタタカシ)
6。何十年ぶりで初恋の人にあったかのような読書会(番場寛)
7。『燃えつきた地図』について(w1allen)
8。『燃えつきた地図』の構造(岩田英哉)
9。MEMO「安部公房現象2」(滝口健一郎)
10。続 安部公房の写真(marmotbaby)
11。『終りし道の標べに』覚え書き(ロータス)
12。安部公房の都市論―愛の思想(4)(OKADA HIROSHI)
13。安部公房に捧げる歌(睡蓮)
14。安部公房の変形能力5:リルケ2(岩田英哉)
15。もぐら感覚9:顔(タクランケ)
16。安部公房と東鷹栖(森田庄一)
17。読者感想
18。献呈送付先
19。編集者短信
20。編集後記
21。次号予告


下記ブログ記事から最新第7号をダウンロード願います。



ご感想などお聞かせ下さると、ありがたく思います。

では、安部公房とのよいひとときをお過ごし下さい。

もぐら通信
編集部一同

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   安部公房の広場:http://abekobosplace.blogspot.jp/

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2013年3月30日土曜日

『安部公房の詩を読む1』を刊行しました


アマゾンのキンドルで『安部公房の詩を読む1』を刊行しました。お読み戴けると、幸いです。

http://goo.gl/2SSn4


I 内容

全くといってよいほど、詳細に読まれることのない、安部公房が10代から20代初期までに書いたふたつの詩集、『没我の地平』と『無名詩集』から3編の詩を選択して、その詩を読み解きました。

これらの詩集を読む為には、10代の安部公房が考え抜き20歳で書き上げた論文『詩と詩人(意識と無意識)』を読み、理解している必要があります。

この論文と、ふたつの詩集は、理論篇と実践篇の関係にあるからです。この本をお買い求めになる方には、別途上梓している『18歳、19歳、20歳の安部公房』も併せて、お読みになることをお薦め致します。一層深い、安部公房の理解を得ることができる筈です。

次の詩を、詳細に読解しております。

1。詩人(『没我の地平』)
2。理性の倦怠(『没我の地平』)
3。倦怠(『無名詩集』)

このように丁寧に、微に入り細を穿って、理論篇のいうところに従い、そうして同時に詩を読むとはどのようなことかを考えつつ、安部公房の詩を論じたものは、過去になかったと自負しております。

II 目次
目次は、次の通りです。

0。はじめに
1。詩を読むということ
2。「詩人」(『没我の地平』より)
3。「理性の倦怠」(『没我の地平』より)
4。「倦怠」(『無名詩集』より)

お読み下されば、幸いです。



http://goo.gl/2SSn4


[岩田英哉]

2013年3月25日月曜日

本日2013年3月25日朝日新聞朝刊に掲載の安部公房特集のウエッブ版


本日2013年3月25日朝日新聞朝刊に掲載の安部公房特集のウエッブ版です。もぐら通信も載っています。読者登録しなければならないのが、難です。

2013年3月21日木曜日

もぐら通信、朝日新聞に掲載される


もぐら通信、朝日新聞に掲載される


来週3月25日(月曜日)の朝日新聞の朝刊文化欄が、安部公房特集で、その記事の中に短行ではありますが、もぐら通信のことが掲載されるとの連絡が、朝日新聞社よりありました。

勿論、掲載内容がこれでよいかという確認のための電話でもありました。

是非、お近くの駅のスタンドにて、お買い求め下さい。

今後とも、もぐら通信を、よろしくお願い致します。

2013年3月20日水曜日

西脇順三郎と安部公房




西脇順三郎と安部公房

大阪の詩人、冨上芳秀さんから詩集を二冊戴いた。これについては、また紙を改めて書きたいと思うけれども、その一冊に葉書が入っていて、曰く、若い自分に安部公房の小説が好きで相当読んだ事、そして西脇順三郎の詩を後年読んで、それが何故かがわかったこと、その訳は、自分が言葉が好きだからだと知ったということが書かれてありました。

これを読んで、わたしはなるほどと思いました。

西脇順三郎は、芭蕉が好きでした。安部公房も芭蕉が好きでした。芭蕉は日本の誇る詩人の一人です。

この詩人は、俳諧という言語芸術の形式を定めた詩人です。

俳諧の精神とは何かと言えば、一行と次の一行に飛躍のあること、同じところに留まらないこと、そして、一行と次の一行でひとつのコンテクストを創造し、次の一行ともうひとつ次の一行で全く別のもうひとつのコンテクストを創造することです。

この意味において、西脇順三郎の詩は、俳諧に通じておりますし、安部公房の文体もまた俳諧に通じております。

つまり、文章を書く楽しさ、殊に詩を書く楽しさは、ここにあるということを冨上さんはおっしゃっているのです。

言語、言葉ということから、芭蕉を媒介にして、西脇順三郎と安部公房の関係を言って置きたいと思った次第です。

安部公房の好きだったピンク•フロイドの製作したショート•ムーヴィー。


安部公房の好きだったピンク•フロイドの製作したショート•ムーヴィー。

これをみると、安部公房という芸術家は、本当に真の芸術家だったのだと思います。

自由があるなあ。表現の。対極を含まない表現は、ゴミである。対極を含まない表現は、蛆虫である。と言っているかのようです。

題名が、waiting for wormsだというのがよい。待つということは、安部公房の生涯の態度でした。(これはリルケから学んだ。)そうして、便所と便器が好きだったことも。最後のショットにちらりと見えるようである。

http://www.youtube.com/watch?v=yD_vgqT_QPo

2013年3月16日土曜日

大菩薩峠と安部公房


大菩薩峠と安部公房

昨日Kindle Fire HDにて大菩薩峠を読んでいたら、カンガルー•ノートに出て来た賽の河原で歌われる和讃が歌われていました。

安部公房を、このような従来の文学の線の中に措いて、その文学の評価をするということは、存外大切なことではないでしょうか。

安部公房自身は、自分で言っている様に、自分の小説を多種多様な情報の宝庫、ひとつの地図に依ればこうもみえ、別の地図を頼りにすればああも見えるというように製作しています。

和讃という視点から、そして武芸者小説との関係で、安部公房の小説を読むとは、これ如何に。

安部公房のヒーローたちは、みなアンチ•ヒーローですから、陰画としてのヒーロー、甚だ格好の悪い主人公たちですが、この主人公達を武芸者、武士に見立てると、腰抜けの、甚だ滑稽な侍の姿に変じることでしょう。

そのように、安部公房の小説を読んでみることも、一興かも知れません。

2013年3月6日水曜日

何十年ぶりで初恋の人にあったかのような読書会

大谷大学の番場先生が、先日3月2日の関西安部公房オフ会(読書会)への参加の感想をブログに書いて下さいましたので、感謝を申し上げつつ、ここにそのURLアドレスを参照するものです。

http://otaniis.wordpress.com/2013/03/05/何十年ぶりで初恋の人にあったかのような読書会/

2013年3月1日金曜日

三島由紀夫の『愛の処刑』と安部公房


三島由紀夫の『愛の処刑』と安部公房

これは、男色者の小学校体育教師の恋愛とその割腹自殺による死を書いた小説である。

ここにあるのは、男の純情と純潔、無垢な恋愛感情である。

この恋愛は、年上の20代と思われる筋骨隆々たる若者と、小学生の美少年の恋である。

年端もゆかぬ、美少年の命令に服する感情は押さえ難く、それは絶対命令として主人公に働き、主人公は、恋情を覚えて、その対象としていた美少年の凝視する前で、切腹をして、快楽と苦痛の中に血を流すのである。

美少年は、まだ男になる前の、性的に未分化の状態の男子である。このことは、作者、三島由紀夫にとって、深い意味があったのだと思われる。

男と交わる、あるいは男の言葉に忠実に男が服従するということは、男の快楽の極地なのであろう。

それは、女性の言葉に従う男の感情とは、別天地の感情なのであろう。ましてや、男の言葉に従う、女の感情とも全くに異なった世界である。

『二十世紀の文学』で、三島由紀夫と安部公房が対談をしているが、開口一番、三島由紀夫が安部公房に、「性の問題だね、結局、二十世紀の文学は。」といって、性のことを口にするのは、相手の懐に深く踏み入る、三島由紀夫らしい洞察に満ちた導入部である。

何故ならば、安部公房もまた、三島由紀夫と同じく、性の未分化の状態である男と女をというものを理想の人間として念願し、それを主人公にして小説を書いて来た作家であるからだ。

この対談を読むと、安部公房と三島由紀夫は、心が互いに通じ合い、肝胆相照らす仲であるということがわかります。

2013年2月20日の安部ねりさんと加藤弘一さんのトークライブをレポートしてくれたホッタタカシさんの文章「安部公房に缶切りを!ー安部ねり&加藤弘一トークライブ報告」によれば、安部ねりさんの言として、「本当にウマの合った二人だった」とその「幸福な交友関係」に触れているというのも、むべなるかな。

見かけ上は、左翼と右翼のように見られているふたりですが、人間というものはそのような皮相なものではありません。

同じレポートによれば、安部ねりさん曰く、「安部公房の友達は右翼が多かったな」とのことは、わたしには、如何にも安部公房らしいと思われるのです。

追記:

更に詳細に、二人の未分化の性を論じ、アマゾンにてキンドル本として出版しました。

http://goo.gl/qa97S3