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2015年1月26日月曜日

安部公房の『砂の女』と三島由紀夫の『金閣寺』の結末の反対方向の相同について

安部公房の『砂の女』と三島由紀夫の『金閣寺』の結末の反対方向の相同について

金閣寺の結末を読みましたが、これは砂の女の結末と反対方向に全く同じでした。

前者は、金閣寺の最上階の小部屋(美中の美の存在する)の扉を叩いて、その扉は開かず、その美たる小部屋に拒否されたと思って諦め、炎の中を階段を下におりて外にでて、その後金閣寺は目にみえない状態で(場所にいて)、金閣寺はみえないものの、燃え上がる炎を目にするわけですが、そこで、自殺のために用意した小刀とカルチモンを投げ捨てて、陽画である社会の中に生きて行こうと決心します。

他方、後者、即ち安部公房の砂の女は、地上の上の建築物ではなく、地下に掘られた穴の中で、扉があるわけではなく(強いて言えば縄梯子で)、砂の穴は最初から天が開いていて、その梯子は主人公を拒否することはなく、炎ではなく砂の壁を(縄ばしごで)降りて穴の中に入って、その後は、砂の穴の外はみえない状態で、穴の外側の世界はみえないものの、砂の穴の内側にいて、陰画として流動する(垂直には燃え上がらない)砂を目の当たりにして、発明した留水装置を(捨てることなく)大切にして、砂の穴の外ではなく陰画としての社会の中に生きて行こうと決心します。

こう書いてきても、実に三島由紀夫と安部公房は、同じ接点を共有していながら、お互いに反対方向を向いていると、安部公房がいっている通りの結末だと思いました。

『金閣寺』は昭和35年、1960年の刊行、『砂の女』は昭和37年、1962年、安部公房が日本共産党を除名された翌年の作品です。

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