人気の投稿

2016年7月18日月曜日

安部公房と寺山修司の関係を論ずるための素描(2):1980年代の方舟と箱舟

安部公房と寺山修司の関係を論ずるための素描(2):1980年代の方舟と箱舟

1970年代の安部公房スタジオの10年に相当する時代の時間は、サーカスとテントの時代と命名できるかも知れません。これは、後日安部公房文学サーカス論と題して論じます。

1980年代は、さてどうかといえば、これは、安部公房の作品『方舟さくら丸』の用字を用いて、「方舟」の時代と命名できるかも知れません。

この1970年代と1980年代を繋ぐのが、「イエスの方舟」です。

Wikipediaによれば:
1975年頃、会の名称を「イエスの方舟」と改めた。またこの頃から、家庭には居場所がないと感じていた信者が千石の活動に共感し、家庭を捨てて共同生活を始めるようになる。信者の多くは若い独身女性だったが、男性や既婚女性も含まれていた。その後、千石の体調が悪化したことと満足な布教活動ができなくなったことを理由に、1978年から千石は信者26人と共に全国を転々としはじめる。

1984年11月に、安部公房は『方舟さくら丸』を出版。

1984年9月8日に、寺山修司は、ドナルド・キーンさんに薦められて読み安部公房も高く評価したガルシア・マルケスの小説『百年の孤独』を映画化した作品『さらば、箱舟』を発表。:https://www.youtube.com/watch?v=_XZodPr9UlA

西村幸祐著『幻の黄金時代 オンリーイエスタデイ’80  1980年代から透視する21世紀の日本』の前書が1970年代と1980年代の日本についての簡潔な叙述になっていますので、そこから後者を引用して、この時代を思い出すことにします。1980年代は確かにこのような時代でした。

「一九八〇年には自動車の生産台数と鉄鋼の生産高が米国を抜いて世界一となり、日本が〈ジパング〉として、西側陣営の経済、文化の中心となり、世界をリードするようになった。そして、活気に満ちていた日本から、絶えず新しい情報が世界中に発信されていたのである。それまで地球上の誰もが考えつかなかったようなウォークマンや CDという製品をソニーが世に送り出し、世界の家電業界やエレクトロニクス産業をリードする。日本人のデザイナーの斬新なファッションが話題を呼んで世界のモード界を席巻し、島田順子、山本耀司、川久保玲の三人が揃ってパリコレにデビューしたのも一九八一年だった。〈同時代文化〉の日本文化として世界に認知されていくのである。

(略)

八〇年代の東京では、いつからか平日でも夜の十一時過ぎにタクシーを拾うことが困難になり、週末になれば午前三時過ぎになってもタクシーが見つからないという状態が続いていた。明るく、そして猥雑で、透明感と開放感があった時代。躁状態で動き回り、片っぱしから仕事をこなし続けても、それでも、次々と新しい仕事が舞い込んで来る。そんなトランス状態の中で、未来がどこまでも開けていたと、誰もが錯覚した時代、それが八〇年代の日本だった。

〈ルンルン〉、〈バブル景気〉、〈お立ち台〉、〈ボディコン〉……、数え上げればきりがないほど、軽さと拡散志向の記号に囲まれたギラギラ輝く八〇年代に、じつは、ポッカリと大きな暗い穴が見えない場所に空いていた。それを見落としていた日本人は、平成を迎えてから〈黄金時代〉を一瞬の〈幻〉にしてしまう。絶頂期の日本の裏側に、現在の日本の危機を読み解く鍵が隠されていたのである。

 なぜ、日本人はそれに気づかなかったのだろうか。実際、その時代を生きた私もそうだったが、未来への確かな実感も、過去への追憶も、躁状態の中で思いつくことさえしなかった。つまり、歴史感覚が完全に失われていたのである。

 平成二十三年(2011)の東日本大震災を経て、私たちは日本の〈黄金時代〉を築き上げていた八〇年代の中から、日本の復興と再生、そして新しい日本を創生する手掛かりを、きっと、探し出せるはずだ。」

「イエスの方舟」は、「歴史感覚が完全に失われていた」という此の「ポッカリと大きな暗い穴」の一つを埋めようとした活動ではなかっただろうか。即ち、「平成二十三年(2011)の東日本大震災」を機に、私たち日本人が思い出した人間同士の絆、家族の絆、社会の絆、国としてある絆、このような絆と一言でいうあらゆる絆を求める運動です。

安部公房ならば、他者への通路といったでしょう。この通路は、安部公房の思考論理からいって、人間(person)同士の贋の絆ということになるでしょう。

それまでよく使われていた連帯(solidarity)という紐帯の名前は、思想的論理的なもので、それはヨーロッパの白人種に必要な絆のあり方の一つであったのでしょう。この、ひところ流行した言葉は、1970年代から1980年代のポーランドの自主的な(という意味は共産党の支配を受けないという意味の)労働管理組合に発した言葉です。:http://www.y-history.net/appendix/wh1702-020.html

2011年3月の東日本大震災からの10年は、絆の10年ということになるでしょう。

しかし、その間の、1990年からの10年間、2000年からの10年間は一体何という、どのような時代であったのか。一考を要しますが、時代を振り返って、反省することには意義も意味もあることでしょう。

最後に、話が戻りますが、ここまで書いてきて、漫画家梅津かずおに漂流教室という作品のあることを思い出しました。:https://ja.wikipedia.org/wiki/漂流教室

週刊少年サンデー1972年23号 - 1974年27号まで連載。1974年に刊行が始まった少年サンデーコミックスに初めて収録された作品である。楳図かずおの元々の持ち味である恐怖漫画のテイストがある。楳図はこの作品も含めた一連の作品で1975年に第20回小学館漫画賞を受賞している。

冒頭で、私は1970年代はサーカスとテントの時代と言いましたが、こうして考えて参りますと、確かに1970年代は、漂流の時代であり、仮住まいの時代であり、してみると、サーカスとテントは漂流という言葉を介して、1980年代の安部公房と寺山修司それぞれの方舟と箱舟に繋がっております。

以下安部公房文学サーカス論』で論じます。これは、こうしてみますと、『二十一世紀の安部公房論』という安部公房文学バロック論の一部を構成することになります。

追記:
寺山修司は、1969年(昭和44年)天井桟敷第9回公演として『時代は象に乗って』を初演している。1984年(昭和59年)にはパルコスペースパート3にて、再び演出。

遅くとも1969年から、更に1970年代を通じて、1980年代まで、寺山修司の中でも、サーカスとテントは生きていたのです。

象とは、もちろんサーカスの動物です。以下、寺山修司の詞に高取英が曲をつけた作品の歌詞を掲げます。小さいショットで申し訳ない。クリックすると大きくなります。







追記2:

もぐら通信第47号(2016年7月31日付発行)にて、更に詳細に記述を加えて論じました。ご興味のある方はお読みくださると嬉しい。






0 件のコメント:

コメントを投稿