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2016年7月29日金曜日

安部公房と三島由紀夫の超越論:「明日の新聞」と死後の子供達への誕生日プレゼント

安部公房と三島由紀夫の超越論:「明日の新聞」と死後の子供達への誕生日プレゼント

安部公房と三島由紀夫は、ヨーロッパの哲学用語でいう超越論を共有していました。そして、その論理について通暁しておりました。

三島由紀夫については、既に12歳の時の詩『硝子窓』が、超越論の思考論理と形象による詩であることをお伝えしました。詳細は『三島由紀夫の十代の詩を読み解く31:12歳の超越論 『窓硝子』https://shibunraku.blogspot.jp/2015/12/blog-post.html)をお読みください。

ここでは、三島由紀夫が自分の死後、子供達の誕生日に未来の時間から毎年誕生日のプレゼントが届くように手配をし、そのような配慮をして、この世を去ったという逸話が、三島由紀夫の論理が最後まで、いや死後もまた、超越論であることを示しています。

安部公房の場合には、安部公房の読者ならば皆ご存知のように、小説の中には往々にして「明日の新聞」という新聞が、主人公が世界の果てに至った時に、即ち主人公の死が身近に迫っている時に、「いつの間にか」「どこからともなく」、未来から配達されて、今日現在只今此処にあり(若い安部公房ならば哲学用語で、例えば処女作『終りし道の標べに』では「現存在(das Dasein:ダス・ダーザイン)」とい言いました)、主人公は「明日の新聞」を読むわけです。

安部公房全集全30巻を眺めますと、「明日の新聞」の初出は、短編小説『飢えた皮膚』(1951年10月1日)、安部公房27歳の時の此の作品の最後に「一週間後に、おれは北の国境に近い田舎町にいた。ここではもう厚い氷がはっていた。三日後れの新聞で、おれは女が発狂し、金が謎の破産をとげたという記事を見た。」とある「三日後れの新聞」が、これです(全集第3巻、72ページ下段)。

国境の傍の田舎町という境界域、国と国との隙間のごく近くにいるか、または隙間という差異にいる時に、即ち主人公が世界の果てにいる時に、三日という時差を以って、即ち「既に起こってしまっている」新しい事実として今日現在只今此処に配達されるのです。

このように、「明日の新聞」とは、「既に起こってしまっている」事実として、今日という(昨日から見れば)未来にやって来るのです。

もっとわかりやすく言えば、今日は明日の昨日、今日は昨日の明日というものの考え方であり、これは1日という時間の単位を過去と未来に及ぼして、過去の1日も未来に、未来の1日も過去に、現在の1日を未来にも過去にもするという論理、即ち時間の単位の交換ですから、この交換によって一次元の時間は存在しなくなり、消滅するのです。

これが、超越論の考えかたです。

三島由紀夫の贈る子供たちのための「明日の誕生日プレゼント」とは、「既に起こってしまっている」事実として、今日という誕生日の(昨日から見れば)未来にやって来るのです。

安部公房の読者ならば、この「明日の新聞」が、三島由紀夫が絶賛した戯曲『友達』(1967年初演)の最後に、舞台の上で役者が殺した主人公に向かって最後に読み上げる其の上演の日に現実に配達された実際の新聞であることを思い出すでしょう。何故当日の実際の新聞でなければならないのかは、この通りの理由でそうなのです。この筆を此の儘進めれば、戯曲『友達』の、超越論の視点での、作品構造論になります。

また、他にも出てまりましょうが、思い出すままに挙げれば、後期20年の長編小説の傑作『密会』(1977年)の最後に、やはり、主人公が世界の果てにまで逃走していたる閉鎖空間、即ち病院の地下室の中で、溶骨症の娘(幼い少女)を哀切に掻き抱きながら読む、「いつの間にか」「どこからともなく」未来から配達されて今日現在只今此処にある新聞が、「明日の新聞」であることを知っているでしょう。それは、次のような結末です。最後の段落を引用します。

「 ぼくは娘の母親でこさえたふとんを齧り、コンクリートの壁から滲み出した水滴を舐め、もう誰からも咎められなくなったこの一人だけの密会にしがみつく。いくら認めないつもりでも、明日の新聞に先を越され、ぼくは明日という過去の中で、何度も確実に死につづける。やさしい一人だけの密会を抱きしめて……」(傍線は原文傍点)

明日の新聞に先を越され」とは、上に述べた『飢えた皮膚』の最後に登場する「三日後れの新聞」と同じ論理であることがお判りでしょう。そうして、主人公は「明日という過去の中で」生きるが、その生きること、生き続けることが、「何度も確実に死につづける」ことだと言っているのです。

超越論にあっては、生きることは死ぬことなのです。三島由紀夫も同じです。

しかし、安部公房は現実と虚構の世界を峻別しました。そのかわりに、安部公房が自分の妹や弟や、また親族に書いた手紙は誠に情愛細やかで、世俗に生きる人間の愛情に満ちております。しかし、一旦藝術の世界に入りますと、世俗の人間から見れば、人非人と呼ばれるべき人間に、即ち藝術家に変貌します。しかし、これは同じ一人の人間の全体なのです。人間が二つに分裂しているわけではありません。

このような人間になる決心を、若き日の安部公房は、詩人から小説家になるに際して書いたエッセイ『牧神の笛』において論じ、その最後に(世俗の人間の目には)半獣半身の化け物である牧神(フォーン)に変身する覚悟、即ち人非人になる覚悟を、次の言葉を以って締めくくっております。

「 結局、ぼくのいきどおりも、その凍りはて裏がえったフォーンの快活さにたいしてであり、それは同時に、ほかでもないぼく自身の足どり、ぼくの血を吸おうと待ちかまえるぼく自身へのいきどおりにほかならなかったのではなかろうか。ぼくもまた、フォーンの笛を吹かねばならぬのだ。」(全集第2巻、202ページ下段。傍線原文傍点)

文中「ぼくの血を吸おうと待ちかまえるぼく自身」とあるように、安部公房は再帰的な人間であり、再帰的な人間であればこそ、このように「明日の新聞」の論理と其の論理の日常的な感覚への理解は誠に自明の如くに容易なのです。三島由紀夫についても同様に再帰的人間であることは言うまでもありません。

今思うままに思い出せば、三島由紀夫の場合には、例えば『鍵のかかる部屋』という小説がありますが、主人公が『誓約の酒場』または「誓約の酒場」へ行き帰るたびに、向こうから(前をではなく)後ろを向いて、外人が「歩いていたのである。それも前へ進んで歩くのではなく、ゆるゆると足をうしろへ運んで、後退しているのだ。」とあるように、この外人は主人公とは逆方向からやって来ることと、後ろへ後退する歩行を毎回主人公に向かって繰り返すことにより、主人公の時間と外人自身の時間を交換して、上に述べたように相殺をし、ここに時間は消滅するのです。

こうして、主人公の児玉一雄は、時間の存在しない『誓約の酒場』または「誓約の酒場」で、世俗の人間たちからは倒錯としか思われない話を同種同類の人間たちとすることができるのです。

この作品でも、三島由紀夫は記号を正しく使いわけて、『誓約の酒場』または「誓約の酒場」と書いており、前者は直接話法の会話の中で、後者は間接話法の地の文の中で描かれております。『午後の曳航』の中で首領が子分であるタグボートたちに言う「世界は単純な記号と決定で出来上がっている」という言葉は、ここでも正しいのです。前者は、1954年(昭和29年)の、後者は、1963年(昭和38年)の作品です。三島由紀夫が既に7歳の時に此の記号を定義していたことは、既に次の文章で詳細に論じましたので、ごらんください。

三島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)(https://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post.html)

三島由紀夫の十代の詩を読み解く16:イカロス感覚2:記号と意識(6):「《 》」(二重山括弧)(https://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_21.html

三島由紀夫の十代の詩を読み解く17:イカロス感覚2:記号と意識(7):「『 』」(二重鍵括弧)(https://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_86.html


『誓約の酒場』または「誓約の酒場」が一体どのように異なるのかは、稿を改めて論じます。

また、『鍵のかかる部屋』にも顕著ですが、主人公やその他の登場人物の姓名が、上半分の姓だけの場合、下半分の名だけの場合、また上半分が漢字で、下半分がカタカナの場合と、作者は見事に使い分けております。『憂国』の主人公の名前は姓名としてfull nameで書かれているのに、何故親友たちは上の名前だけで呼ばれているのか、また何故『絹と明察』の主人公駒澤善次郎と其の敵対者の若者の婚約者である美しい娘だけがfull nameで呼ばれ、その他の人物は、話者である岡野を始めてみな、そう、聖戦哲学研究所の嘗ての所員も含めて、何故上の名前だけで下の名前がないのか、またはただ下の名前しかないのか、または場面に応じて、これらの混淆として名前が文字で書かれるのか、これらのことを論ずることが、そのまま三島由紀夫の作品の構造を知ることに通じています。つまり、このことを考察すれば、三島由紀夫の小説の作り方と其の様式化に関する考え方(論理)を知ることができることになります。

さて、超越論の話でした。

私たちは普段何気なく(これが「既にして」超越論です)超越論で物を考えて生きております。

上に挙げたような「いつの間にか」「どこからともなく」という言葉を使うと、あなたは「既にして」時間を捨象して、無時間の世界を想像している。これが言葉の力です。類似の言葉には、12歳の三島由紀夫が『硝子窓』という詩で使って作品を構造化した接続詞「すると」があります。それから、他には、「ほら」「既にして」「説明抜きに」「最初から」「そもそも」「いつの間にか」「知らぬ間に」「気がついたら」「不図」「理屈抜きに」「有無を言わさず」「余計な講釈抜きに」「四の五の言わずに」と、あなたが言いたくなった時には、間違いなく、あなたは超越論者なのです、ほら「既にして」「説明抜きに」「最初から」「そもそも」「いつの間にか」「知らぬ間に」「気がついたら」「不図」何気なく「理屈抜きに」「有無を言わさず」「余計な講釈抜きに」「四の五の言わずに」……


追記:

同じことを、道元禅師がおっしゃっております。以下もぐら通信第27号に掲載した梨という名前の天国への階段、天国への階段という名前の梨~従属文の中の安部公房論~』より引用してお伝えします。

しかし、これ(筆者註:言語機能論)は別に安部公房の独創ではありません。安部公房が自分の頭で物事と言語の本質を考えて、その結果10代でこの思想に至っていたということが独創的なことなのです。

安部公房が時間の空間化といったのと同じことを、道元禅師が『正法眼蔵』の最初に述べております。『正法眼蔵第一 現成公案』(げんじょうこうあん)に次の言葉があります。この道元禅師の言葉を読むと、言語機能論は、時代も人種も民族も個別言語も国も宗教もどの領域も何も問わないということが、お解りでしょう。

ここで論じているのは、時間と言葉と人間の思考による物事の機能化(函数化)ということ、単位化ということ、位ということです。道元禅師は禅のお坊さんですから、宇宙のこの法則の単位を、法位と呼んでいます。

「たき木はひ(火)となる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといへども、前後際断せり。灰ははいの法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひ(灰)となりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり、このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり死も一時のくらゐなり。たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏といはぬなり。」

一次元の時間の中にいるわたしたちは、平凡普通に時が流れてゆくと思い、春は夏に、夏は秋に、秋は冬に、そして冬は春になり、移り変わってゆくと思っておりますが、道元禅師はそうではないとはっきり言うのです。

そうではない、春には春の位があり、夏には夏の位があり、秋には秋の位があり、冬には冬の位がある。即ち、春と夏の前後は際断せり、夏と秋の前後は際断せり、秋と冬の前後は際断せり、冬と春の前後は際断せり。時間の中の前後ではないという思想なのです。そして、これは宇宙の真理であるから、それを法位と言うのだと、そうおっしゃっております。灰と薪の関係も然り、従い、生と死の関係も然り。これは単位ですから、この位(単位)は互いに交換可能なのです。この考えで、安部公房は今日配達される「明日の新聞」を発行し、『第四間氷期』の電子計算機は未来を予言して、今日という現実としての事実を実現するのです。












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