安部公房の読者のための
村上春樹論(中)
Baseballとは何か?
~Baseballは旧約聖書の創世記の贋物である~
目次
(1)村上春樹論(上):安部公房と村上春樹の共通点
1。安部公房との事実に関する共通点
2。安部公房との言葉と形象に関する共通点
3。村上春樹の世界
3.1 baseball game
(2)村上春樹論(中):Baseballとは何か?
3。2 Baseballとは何か?:Baseballは旧約聖書の創世記の贋物である
3。3 地面に穴を掘るということ
3。4 Baseball:ボールとバット
(3)村上春樹論(下):村上春樹白鼠論
*********
3。2 Baseballとは何か?:Baseballは旧約聖書の創世記の贋物である
私は『安部公房のアメリカ論~贋物の国アメリカ~』(もぐら通信第22号)で、次のよ うに書きました。 と書いて、第49号においても次の箇所を引用しました。
「また、Baseballと呼ばれる、アメリカの国技ともいうべきスポーツもまた、同様な事 情を、即ち(インディアンの大虐殺や奴隷貿易といふ此れも残虐なるものの)忘却の上の神聖を表していて、そこに根差しているのではないでしょうか。(そ して、アメリカ人の発明したスポーツで不思議なことは、アメリカンフットボールという サッカーの贋物もそうですが、何故いつも攻める側と守る側という順序が規則正しく交 替するのかということです。本来のフットボール、即ちサッカーは、そうではありません。 攻守が絶えず時間の中で流動的に入れ替わります。)そして、チユーイングガム。 Baseballの選手は、何故チューインガムを噛むのでしょうか。これについて論じると、ア メリカと贋物から少し筋道が外れますので、この主題は、また稿を改めることに致しま す。」
今回は上の引用のうちの前半の( )の中の問いに答えます。後半のチューインガムの話はまた別の機会とします。即ち、「アメリカ人の発明したスポーツで不思議なことは、アメリカンフットボールという サッカーの贋物もそうですが、何故いつも攻める側と守る側という順序が規則正しく交 替するのかということです。本来のフットボール、即ちサッカーは、そうではありません。 攻守が絶えず時間の中で流動的に入れ替わります。」という問いに対する答えです。
この箇所の前段にあることが、やはりアメリカの文化を理解するための重要な鍵になります。即ち「Baseballと呼ばれる、アメリカの国技ともいうべきスポーツもまた、同様な事 情を、即ち(インディアンの大虐殺や奴隷貿易といふ此れも残虐なるものの)忘却の上の神聖を表していて、そこに根差しているのではないでしょうか。」といふ問いを事実と認めて論をなすということです。
私の結論を言いましょう。
Baseballというball gameは、旧約聖書の創世記を下敷きにしてアメリカ人が生み出したgameなのです。
つまり、
Baseballは、贋の創世記(Genesis)なのです。
ルター訳の聖書を参照しながら、何故7回に『私を野球に連れてって』が全米どの球場でも歌われ、何故9回までがひとまとまりになっていて、それ以降は延長の試合として扱われ、一点差で勝ち負けが決するのか、これらの規則はどこから来たのかの説明をします。
これらの規則は、その建国の歴史から言っても、インディアンの大虐殺やアフリカ大陸から拉致して来て黒人を人間ではなく、物として売買をして経済の繁栄を享受したWASP(White Anglo-Saxon Protestant)の罪の意識を其の根底に持ち、その残虐な行為の歴史を忘却するための、謂わば贖罪のgame、自分たちが浄化され、罪が赦される、そのような場所がBaseball Stadiumと呼ばれる神聖なる場所であり、そこで演じられるbaseballという神聖なるgameなのです。
『安部公房のアメリカ論~贋物の国アメリカ~』の中で言及し、列挙した他の典型的にアメリカの文物、コーラ、ハンバーガー、カウボーイ、スーパーマン、ディズニーランド等々も同じ淵源を持っていることは、そこで詳細に論じた通りです。コーラは、ヨーロッパの神話の世界の偽物の申請制を、ハンバーガーは(アメリカにはない)ヨーロッパの貴族性を、カウボーイはヨーロッパ旧約聖書以来の神話的な羊飼いを、スーパーマンはアメリカ人がヨーロッパと切り離された孤児であることを、ディズニーランドは訪れれば全ての罪が赦される幼児の持つ純潔と純真の世界として創造されております。
このアメリカの白人種が(ヨーロッパ大陸から見れば)此の新しい大陸に於いて犯した此のような残虐な行為をはっきりと言い、歴史と事実に基づいて正直に発言する人間に、安部公房が後年好きで、自分のクレオール論との関係で其の言語論の価値を認め、しばしば引用する変形生成文法(Transformational-Generative Grammar)の創始者、チョムスキーという言語学者がいます。[註1]
インターネット上で(Chomsky, slave)や(Chomsky, indian, massacre)といふキーワードで検索してごらんなさい、実に率直な厳格な、その意味では実に過激な意見を知ることができます。チョムスキーは自らをアナキストと自称している。
[註1]
Wikipediaから:
「エイヴラム・ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky、1928年12月7日 - )は、アメリカ合衆国の哲学者[1][2]、言語哲学者、言語学者、社会哲学者、論理学者[3][4]。 彼は50年以上在籍するマサチューセッツ工科大学の言語学および言語哲学の研究所教授 (Institute Professor) 兼名誉教授である[5]。言語学者・教育学者キャロル・チョムスキーは彼の妻である。
彼の業績は言語学分野にとどまらず、戦争・政治・マスメディアなどに関する100冊以上の著作を発表している[6]。1992年のA&HCIによると、1980年から1992年にかけてチョムスキーは、存命中の学者としては最も多く、全体でも8番目に多い頻度で引用された[7][8][9][10]。彼は人文社会科学諸分野における「巨魁」と表現され、2005年には投票で「世界最高の論客」 (world's top public intellectual) に選ばれた[11][12]。
チョムスキーは「現代言語学の父」と評され[13][14]、また分析哲学の第一人者と見なされる[1]。彼は、コンピュータサイエンスや数学、心理学の分野などにも影響を与えた[15][16]。
言語学関連の初の書籍を発行した後、チョムスキーはベトナム戦争の有名な批判家となり、政治批評の本を発表し続けた。彼はアメリカの外交政策[17]国家資本主義[18][19]、報道機関等の批判で有名になった。エドワード・S・ハーマン(英語版)との1988年の共著『Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media』など彼のマス・メディア批判は、マスメディアなどにおけるプロパガンダ・モデル理論を明確に分析した。彼は自らの視点を「啓蒙主義や古典的自由主義に起源を持つ、中核的かつ伝統的なアナキズム」と述べた[20]。 」(https://ja.wikipedia.org/wiki/ノーム・チョムスキー#.E3.82.A2.E3.83.8A.E3.82.AD.E3.82.BA.E3.83.A0)
さて、旧約聖書の創世記に話を戻します。
創世記によれば、一日は、唯一絶対の存在であり此の世界の創造者であるGottによって、次のように創造されます。Gottは英語ではGodですが、今ここでは、概念は全く異質ですが、便宜上仮に日本語の「神」を当て、以下「 」を取って、神と書くことにします。
0。人間誕生以前に神は何をしたか
人間を創造する前に、神は次の9つの手順(ステップ)で世界を生み出します。
(1)神は天と地を創造した。そして、
(2)地は荒涼としており、空虚であった。そして、
(3)深み(深淵)の上には闇があって暗かった。そして、
(4)神の霊が、水の上に浮いていた。そして、
(5)神が「光が成れ(生まれよ)」と言った。そして、
(6)光があった。そして、
(7)神は、良いものであることを見た(神は満足した)。そこで、
(8)神は、光を闇と分けて、そして、
(9)光を昼(日)と、闇を夜と名付けた。すると、
1。一日目
(10)夕方(英語ならばevening)と朝方(英語ならばmorning)から、最初の日が生まれた。[註2]そして、
[註2]
注目すべきは、夕方と朝方という二つの、昼と夜の間の時差の時間、謂わば時間の隙間から、最初の一日が生まれたということです。ここから既に、安部公房の世界であること、差異から世界がうまれていることを、安部公房の読者は気づくでしょう。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の世界は時間的な差異から生まれた。もしこれら3つの一神教が、この同じ聖典を、私が理解しているように理解し、その知識を共有しているならば。安部公房の哲学は、十分に一神教の世界に通用するのです。それ故に、その世界にも読者がたくさんいるのです。
(11)神は言った:二つの水の間に一つの大空が成れ(生まれよ)、すると、それが二つの水を分け隔ててるように成れ、と。そこで、
(12)神は、大空をつくり、そして、大空の下にある水を、大空の上にある水とから分けたのである。そうすると、
(13)その通りのことが起きた。
(14)神は大空を天と呼んだ。すると、
2。二日目
(15)夕方と朝方から、二つ目の日が生まれた。そして、
(16)神は言った:天の下の水は、特別な場所に集まれ、乾いたるものをみるために。すると、
(17)その通りのことが起きた。そして、
(18)神は、乾いたるものを大地と呼び、そして、
(19)複数の水の集まりを、神は、海と呼んだ。そして、
(20)神は、それが良いものであることを見た。そして、
(21)神は言った:大地をして、草と雑草を成長せし目よ、種子を持って来い、そして、どの樹木も自分の流儀に従って果実をつけ、その果実の中には自分たちの種子のある、その大地の上の木々を持って来い、と。そして、
(22)その通りのことが起こった。そして、
(23)大地は、種子をもたらす草と雑草をどれも自分の流儀に従って成長させ、木々もまた中に種子のある果実をつけ、どの樹木も自分の流儀でこれを行なった。そして、
(24)神は、それが良いものであることを見た(神は満足した)。そして、
3。三日目
(25)夕方と朝方から、三日目が生まれた。そして、
(26)神は言った:天の大空に、昼と夜を分ける数々の光が成れ、数々の標(しるし)、時間、日と年を分ける数々の光が成れ、そして、数々の光が、天の大空に在れ、それらの光が大地に向かって輝くように、と。そして、
(27)その通りのことが起こった。そして、
(28)神は、二つの大きな光をつくり、一つの大きな光は、昼を支配せよ、一つの小さな光は、夜を支配せよ、と。それに加えて、これらの光に合わせて、星々もまたつくった。そして、
(29)神は、これらを天の大空に据えて、大地に向かって輝くようにし、そしてこれらが昼と夜を支配し、そして光と闇を分けた。そして、
(30)神は、それが良いものであることを見た(神は満足した)。すると、
4。四日目
(31)夕方と朝方から、四日目が生まれた。そして、
(32)神は言った:水が生きている獣類の水が蠢(うごめ)き、溢れよ、そして、
(33)鳥類が、天の大空の下の大地の上で飛べ。そして、
(34)神は、大きな鯨を創造し、生きて動く溌溂とした全ての獣類を創造し、その獣類の水は獣たち自身の流儀に従って蠢き溢れ、全ての羽の生えた鳥を創造したが、それもそれぞれの鳥の流儀に従って、創造なされた。そして、
(35)神は、それが良いものであることを見た(神は満足した)。そして、
(36)神はこれらのものを祝福して、こう言った:実り豊かにあれ、そして増えよ、そして海の水を満たせよ、そして鳥たちは大地の上で増えよ、と。こうして、
5。五日目
(37)夕方と朝方から、五日目が生まれた。そして、
(38)神は言った:大地は、それぞれの流儀に従って、生きている獣類を生み出せ。家畜を、虫類を、そして野の動物たちを、それぞれの流儀に従って。そして、
(39)その通りのことが起こった。そして、
(40)神は、野の動物たちを、それぞれの流儀に従って、つくり、家畜を其の流儀に従ってつくり、そして土の中の虫類を其の流儀に従ってつくった。そして、
(41)神は、それが良いものであることを見た(神は満足した)。そして、
(42)神は言った:人間たちをつくろう、私たちに似た姿(像)をつくろう、人間たちは意味の中の魚たちを支配し、天の下の鳥たちを支配し、家畜を支配し、そして全ての野の動物たちを支配し、地上を這っている全ての虫類を支配する人間たちをつくろう。そして、
(43)神は、人間を自分の姿に合わせて創造した、神の姿に合わせて神は人間を創造した。そして、人間たちを男と女として創造した。そして、
(44)神は人間たちを祝福し、そして人間たちに言った:実りあれ、そして増やせよ、そして大地を満たせ、そして大地をお前たちの僕(しもべ)とせよ、そして海の中の魚たちを、天の下の鳥たちを、そして家畜を、そして大地の上を這う全ての獣類を支配せよ。
そして、
(45)神は言った:見よ、お前たち、私はお前たちに与えたのだ、お前たちの食事に、種子をもたらす全ての植物を、そして種子を持って来る果実をつける地上全ての木々を。しかし、地上全ての動物たちと、天の下全ての鳥たちと、そして地上に生きる虫類を、私は栄養を与えて育てるために、全ての青い雑草のために与えたのだ。そして、
(46)その通りのことが起こった。そして、
(47)神は自分の為したことのすべてについて一つ一つよく見て、そして、それが良いものであることを見た(神は満足した)。こうして、
6。六日目
(48)夕方と朝方から、六日目が生まれた。そして、
旧約聖書の創世記は、ここまでの6日間で一章となし、七日目は別の章を立てている。それは、神の安息日であり、特別な日であるからでしょう。以下第2章です。
(49)こうして、天と地は、その全ての大群を持って完成がなった。そして、
(50)このように、神は七日目に、自分でつくった作品の数々を完成し、そして七日目に、自分でつくった全ての作品から休みをとった。そして、
7。七日目
(51)神は七日目を祝福し、そして七日目を聖なるものとなした。何故ならば、神は七日目に全ての自分が創造し作った作品から離れて休んだからであった。こうして、
(52)天と地が創造された時に、天と地が成ったのである。
さて、以上の7日間を、baseballとの関係で、7回までの試合運びの順序を考えて見ましょう。[註3]
[註3]
以下Wikipediaより、このゲームの概略です:
A game is played between two teams, each composed of nine players, that take turns playing offense (batting and baserunning) and defense (pitching and fielding). A pair of turns, one at bat and one in the field, by each team constitutes an inning. A game consists of nine innings (seven innings at the high school level and in doubleheaders in college and minor leagues). One team―customarily the visiting team―bats in the top, or first half, of every inning. The other team―customarily the home team―bats in the bottom, or second half, of every inning. The goal of the game is to score more points (runs) than the other team. The players on the team at bat attempt to score runs by circling or completing a tour of the four bases set at the corners of the square-shaped baseball diamond. A player bats at home plate and must proceed counterclockwise to first base, second base, third base, and back home in order to score a run.
(https://en.wikipedia.org/wiki/Baseball#Rules_and_gameplay)
上の[註3]によれば、baseball gameは、攻撃(offense)と守り(defense)に分かれていて、それぞれの、日本語で表裏と言われている回は、単にinningと一つに呼ばれていますが、ここでは以下表裏と表記します。
1。1回目:一日目
(1)表:夕方で起算され、
(2)裏:朝方で結算されて、
一日が終わる。
この日は、神が天と地を創造した日である。荒涼としており、空虚であった地に、神が光を生み、光と闇を分けて、昼と夜にそれぞれを名付け、それぞれの隙間を夕方と朝方と名付けて、以後の一日の
始めと終わりとした。
旧約聖書の、従いユダヤ人の一日の勘定の仕方は、日本人とは異なり、夕方起算、朝方結算ということは銘記さるべきことである。時間の初めと終わりの論理と感覚が、私たちとは異なります。
一日の始まり:
日本人:朝日が出る:朝から一日が始まる。
ユダヤ人:夕方に陽が沈む前、昼の終わる後に、一日が始まる。
一日の終わり:
日本人:陽が沈む:陽が沈むと一日が終わる。
ユダヤ人:朝方に夜が終わる前、明るい日の一日の始まる前に一日が終わる。
煎じ詰めれば、今日本の国で採用している明治以来の公式の、キリスト教の太陽暦に従って一日24時間と考えた上で、日本人はお天道様と共に一日があり、ユダヤ人は、方便として日本式に考えると、お月様と共に一日がある、ということになります。
しかし、ユダヤ人のこの一日の単位の理解は、お月様ではなく、隙間から隙間の間を一日という時間単位にしたのだということ、これが眼目です。月を基準にしてはいないのです。安部公房と同じで(例えば『赤い繭』の冒頭第一行をお読み下さい)、隙間と隙間の間が一つの単位を構成するのです。ここが要注意です。
つまり、一日(夕方、朝方)は、
(1)夕方から朝方:夜
(2)朝方から夕方:昼
という夜・昼からなるということです。
2。2回目
(1)表:夕方
(2)裏:朝方
一日が終わる。
この日は、神が大地に草と雑草を成長させ、種子を作らせて、果実を実らせるように配慮した日です。
3。3回目
(1)表:夕方
(2)裏:朝方
一日が終わる。
この日は、神が太陽と月と星辰を創造した日です。
4。4回目
(1)表:夕方
(2)裏:朝方
一日が終わる。
この日は、神が鯨、獣類、鳥類を創造した日です。
5。5回目
(1)表:夕方
(2)裏:朝方
一日が終わる。
この日は、神が家畜を、虫類を、そして野の動物たちを創造した日です。
6。6回目
(1)表:夕方
(2)裏:朝方
一日が終わる。
この日は、神が、人間を自分の姿に合わせて創造し、男と女として人間を創造した日であり、そして人間たちに対して、植物や家畜や虫類や野の動物たちを、人間が支配せよと命令した日です。
7。7回目
(1)表:夕方
(2)裏:朝方
一日が終わる。
神は七日目の此の日を祝福し、そして七日目を聖なるものとなした日です。何故ならば、神は七日目に全ての自分が創造し作った作品から離れて休んだからです。こうして七日目は、天と地の全体がなった日です。
さて、次に、天地創造の完成した7日目に、ここで、『私を野球に連れてって』が全米どの球場でも歌われることになります。この歌の解釈は後述します。ここではinningの意味と創世記の関係に焦点を絞ります。
その後の8回目から9回目の聖書の日にちと試合の関係は、次のようなものです。
今旧約聖書の8回目以降、即ち8日目以降を読みますと、次のようになっています。
8。八日目:8回
8回、八日目の神の意志は楽園の創造です。
そこで、8回表で、神は人間にすべての動物植物に名前をつけさせ、8回裏で男の肋骨の骨から女性をつくります。既にその前の節で元々男女は一体の人間である事が書かれてをり、その人間は神の似姿であると説明されてゐます。
さてその上で、しかし、
9。九日目:9回
9回表には邪悪な蛇が登場して、二人に林檎の智慧の実を食わせ、9回裏には二人の男女は神によって楽園を追放されます。
ここまでが一まとまりの1gameで、baseballとは、9回裏で人類史上最初の男女が楽園を追放されるまでの神話的な世界なのです。
10。10回以降の延長戦
10回以降は?勿論、楽園を追放された男女の話です。
それを延長と言ってゐるわけです。それは余りの回ですので英語ではextra inningと呼ばれています。
ここからはもはや神に見放され、楽園を追放された世界ですから、時間の中でお互いに一点を取るか取られるか、取れば勝ち、取られてば負けという過酷なgameに、もっと言えば、お互いのチームにとってお互いの利益の相反する地獄に変ずるわけです。このextra-inningには神のご加護はないのです。このお互いの利益相反は、そのまま男女に適用され得るかと考えることは、これもまた過酷なことでしょうか。
何故各チームを構成する選手の人数は9人なのでしょう。
勿論、9回までのinningに対して、裏表それぞれの回数を攻守ところを交代しながら、それぞれのチームの9人が、天地創造完成の7回までと、そのあとの9回までの2回の裏表で、楽園を追放されたアダムとイヴの物語を演じるための9人なのです。
9人の選手一人一人は神なのであり、7回までに誰かがその1日の創造主になることができる。そうして最後の2回は蛇にそそのかされたアダムとイヴの役割をそれぞれのチームが演じ、この2回で勝ち点を得ることに貢献できない選手は、きっと非難されるのでしょう。何故ならば、楽園を追放されて延長戦に入り、一点差の普通の日常の時間の中での苛烈な競争を、言い換えれば、神話的な英雄の地位を降りて、普通の男になって戦うことを意味するからです。
10。『私を野球に連れてって』
さて、以上のやうな神話的な世界に、7回が来て天地創造が終わり、安息日になると、女の子である登場人物が其の詩の中で歌うのが、『私を野球に連れてって』いう歌です。
二つの版がありますが、一番最初の1908年版を以下に掲げます。Wikipediaによれば、この歌の来歴は次の通りです。
「『私を野球に連れてって 』(わたしをやきゅうにつれてって、 英: Take Me Out to the Ball Game)は、 アメリカ の古いノベルティソング。 1908年に作曲され、以来野球文化圏の野球ファンの愛唱歌となって いる。 」
「歌の内容はケイティ・ケイシー(Katie Casey)という野球狂の女性が、彼氏のショー観劇の誘いも断 って「野球に連れてって」と頼むというもの。歌詞は、1908年に作られたものと1927年に作られたも のとで2つ存在しており、1927年に作られたものでは、歌詞に登場する女性がケイティ・ケイシーから ネリー・ケリー(Nelly Kelly)という名前に変わっているが、実際の球場でよく歌われるコーラス部分 には歌詞の変更はない。歌詞の中に、球場で販売されることの多いクラッカー・ジャックとピーナッツ が登場する。 」
また、
「大リーグでは、ホームチームが7回裏の攻撃に入る前に観客全員で歌います。 実際に歌うのは赤字の箇所です。the home teamの部分には応援するチーム名を入れる」ということです。(http://www.allaoijr.com/takemeout.cgi)
さて、歌詞の本文です。
Katie Casey was base ball mad.
Had the fever and had it bad
Just to root for the home town crew,
Just to root for the home town crew,
Ev'ry sou Katie blew.
On a Saturday, her young beau
Called to see if she'd like to go,
To see a show but Miss Kate said,
To see a show but Miss Kate said,
"No, I'll tell you what you can do."
"Take me out to the ball game,
Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and cracker jack,
I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team,
Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and cracker jack,
I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team,
If they don't win it's a shame.
For it's one, two, three strikes, you're out,
For it's one, two, three strikes, you're out,
At the old ball game."
Katie Casey saw all the games,
Knew the players by their first names;
Knew the players by their first names;
Told the umpire he was wrong,
All along good and strong.
When the score was just two to two,
All along good and strong.
When the score was just two to two,
Katie Casey knew what to do,
Just to cheer up the boys she knew,
Just to cheer up the boys she knew,
She made the gang sing this song:
"Take me out to the ball game,
Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and cracker jack,
I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team,
Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and cracker jack,
I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team,
If they don't win it's a shame.
For it's one, two, three strikes, you're out,
For it's one, two, three strikes, you're out,
At the old ball game."
[訳詞・福島良一 ]
ケイティー・ケイシーは野球に夢中だっ た
かなりの熱を上げていた
かなりの熱を上げていた
地元チームを応援するために
お金を使い果たしていた
ある土曜日、ボーイフレンドが
映画に誘ってくれたけど
ミス・ケイトは断わってしまった
私がしたいことを教えてあげましょう
私を野球に連れてって
球場の大観衆がいるところへ連れてって
ピーナッツとクラッカージャックを買っ てくれたら
もう家に帰れなくてもかまわない
さあ、ホームチームを応援しようよ
もし彼らが勝たなかったら悔しいけど
ワン、ツー、スリーストライクでアウト
昔ながらの野球のゲームで
ケイティー・ケイシーはいつも野球を見 に行った
選手たちのファーストネームまで知って いた
アンパイアに抗議する彼女は 強気だった
試合は2対2の同点だった
試合は2対2の同点だった
ケイティー・ケイシーには手段があった
選手たちを応援するために
みんなにこの歌を歌わせた
私を野球に連れてって
球場の大観衆がいるところへ連れてって
ピーナッツとクラッカージャックを買っ てくれたら
もう家に帰れなくてもかまわない
さあ、ホームチームを応援しようよ
もし彼らが勝たなかったら悔しいけど
ワン、ツー、スリーストライクでアウト
昔ながらの野球のゲームで
(http://www.allaoijr.com/takemeout.cgi)
[解釈と註釈 ]
第一連を見て見ましょう。
Katie Casey was base ball mad.
Had the fever and had it bad
Just to root for the home town crew,
Just to root for the home town crew,
Ev'ry sou Katie blew.
On a Saturday, her young beau
Called to see if she'd like to go,
To see a show but Miss Kate said,
To see a show but Miss Kate said,
"No, I'll tell you what you can do."
ケイティー・ケイシーは野球に夢中だっ た
かなりの熱を上げていた
かなりの熱を上げていた
地元チームを応援するために
お金を使い果たしていた
ある土曜日、ボーイフレンドが
映画に誘ってくれたけど
ミス・ケイトは断わってしまった
私がしたいことを教えてあげましょう
この詩の三行目の、
Just to root for the home town crew
これを、訳詞者は、
地元チームを応援するために
と訳していますが、これは意訳です。
Crewというのは一義的には、船員に発する移動体の乗組員のことです。以下、いつものWebster Onlineから:
Simple Definition of crew
- : the group of people who operate a ship, airplane, or train
- : the people who work on a ship except the officers and captain
- : a group of people who do a specified kind of work together
上の二つ目の解説であれば、監督やコーチは含まずに、9人の選手達を指すと理解することができます。
つまり、野球チームは船の乗組員であって、もし聖書を意識するならば、これはノアの箱舟の選ばれた船員達なのです。つまり、既にご破算になった後の、洪水が世界を浸食した後に、それでも神に選ばれ、ノアに選ばれて生き残った、新しい世界のための船員達だということになります。
とすると、次の行の、
Just to root for the home town crew,
地元チームを応援するために
という一行のrootも、forという前置詞がありますから、これは自動詞です。
Definition of root
- intransitive verb
- 1
: to turn up or dig in the earth with the snout : grub
- 2
: to poke or dig about
ということから、地面を掘ること、それも上記1によれば、長い鼻で地面を掘ることという意味です。とすれは、この一行は次のようになります。
故郷(ふるさと)の船員達、神に選ばれて箱舟に乗る船員達のために
自分の鼻で地面に穴を掘るというだけのために
ケイティーは、あっという間に小銭まで使ってしまって
すっからかんになってしまった
ということになるでしょう。
この、敢えて「自分の鼻で地面に穴を掘る」と訳したところは、この表現が、応援する、声援する、励ます、探してやる、という意味に転じ、更に転じて誰々の味方をするという意味になることが、辞書には書かれていて、わかります。
しかし、rootは名詞では文字通りに根っこでありましょうから、root forとは、根っこを探すという意味なのでしょう。普通は手で地面を掘って根っこを掘るだけでしょうから、鼻で地面を掘るということは、それだけ無理をしてでも、苦労にめげずに、何があっても(例え両手が使えなくても)、鼻という少しでも尖ったものが自分の体にあれば、それを使ってでもそうする。
それが、徹底的に、それも無償で、我が身を犠牲にしても、応援したり、励ましたりするという意味になったのでしょう。
大切なことは、旧約聖書のノアの箱船の形象(イメージ)が、この歌の意識下に語彙の連想としてあることです。それから、孤児の国であるアメリカという国とアメリカ人の、カウボーイに通ずる漂流感と孤独感が
ある其のような男達への、女の側からの同情が感じられます。やはり、情緒的にも此のbaseball gameがどのようなものなのかを、この歌は暗示しているのです。
村上春樹は、baseball stadiumの選手達のためにケイティー・ケーシーが穴を掘るという此の歌の意味を知っているのです。村上春樹の主題二つのうちの二つ目が、地面に穴を掘るということであることは、この論の冒頭に挙げた通りです。
さて、そうして、
On a Saturday, her young beau
Called to see if she'd like to go,
To see a show but Miss Kate said,
To see a show but Miss Kate said,
"No, I'll tell you what you can do."
ある土曜日、ボーイフレンドが
映画に誘ってくれたけど
ミス・ケイトは断わってしまった
私がしたいことを教えてあげましょう
と続きますが、これを読むとわかるように、この若い未婚の女性は、土曜日に恋人が映画や演劇に誘っても、これを断って、baseball stadiumに行くことの方を選択するのです。何故ならば土曜日は、日曜日という安息日の前の日であり、天地創造の最後の日であるから、どうしても行かねばならない、その神話の天地創造の完成に立ち会わなければならない。とすれば、
"No, I'll tell you what you can do."
という一行の意味は、
「駄目よ、これをしてくれなければ」
と恋人の男に言って、そのあとで、次の繰り返しの連を歌うことに意味があるのです。一体何を此の乙女はして欲しいのか。
"Take me out to the ball game,
Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and cracker jack,
I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team,
Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and cracker jack,
I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team,
If they don't win it's a shame.
For it's one, two, three strikes, you're out,
For it's one, two, three strikes, you're out,
At the old ball game."
私を野球に連れてって
球場の大観衆がいるところへ連れてって
ピーナッツとクラッカージャックを買っ てくれたら
もう家に帰れなくてもかまわない
さあ、ホームチームを応援しようよ
もし彼らが勝たなかったら悔しいけど
ワン、ツー、スリーストライクでアウト
昔ながらの野球のゲームで
ここまで来れば、最初の三行は、次のような訳になるでしょう。
Take me out to the ball game,
Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and cracker jack,
Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and cracker jack,
私をbaseball gameに連れて行って、これが私の恋人であるあなたのすべきことよ
それも、私を名もない大勢の無名の人たちと一緒に其処に連れて行って欲しいの。
だから、私には高価な宝石やなんかは要らないから、そこで売っている安いお菓子の
ピーナッツやクラッカージャックを買ってほしいの。
I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team,
Let me root, root, root for the home team,
If they don't win it's a shame.
For it's one, two, three strikes, you're out,
For it's one, two, three strikes, you're out,
At the old ball game
私はもう両親の家になんか、あなたのところになんか戻らなくてもいいの、そうなっても気にしないは
故郷の、あの箱船の、神に選ばれた船乗り達のために、私の鼻で穴を掘らせて欲しいの、それ位にこの9人を、私は無償の愛を以って愛しているの
もし9人が負けたなら、それは恥よ、負けたのだから。私の故郷の選ばれた英雄達による天地創造が失敗したのだわ
というのは、ストライクが3つ続けば、お終いなのよ、9回までであれ、延長戦になって楽園を追放されたあとであれ、ストライクが3つ続けば、もうお終いなのよ
神話の世界の古代のball gameではね、そういう規則なのよ。神様の定めたことだもの、そうなれば、それは仕方がないわ。
そして、二つ目の本文の連です。
Katie Casey saw all the games,
Knew the players by their first names;
Knew the players by their first names;
Told the umpire he was wrong,
All along good and strong.
When the score was just two to two,
All along good and strong.
When the score was just two to two,
Katie Casey knew what to do,
Just to cheer up the boys she knew,
Just to cheer up the boys she knew,
She made the gang sing this song:
ケイティー・ケイシーはいつも野球を見に行った
選手たちのファーストネームまで知って いた
アンパイアに抗議する彼女は
強気だった
試合は2対2の同点だった
試合は2対2の同点だった
ケイティー・ケイシーには手段があった
選手たちを応援するために
みんなにこの歌を歌わせた
五行目の、
When the score was just two to two,
とある一行は、同点で試合が伯仲している時に、the gang、即ち「名もない大勢の無名の人たち」に、この繰り返しを歌わせて、9人の英雄達の心を励まし、緊張を解いて、心を落ち着かせるということなのでしょう。頑張ってね、私たち無名の庶民の、あなた達英雄のために生きている世俗の人間達がこうして無償の愛を捧げるケイシーの歌を歌って応援しているのだから。
この7回に歌われるこれらのことを、もう少し煎じつめて言い換えてみれば、そこにゐるのは、両親のゐない孤児としてある、カウボーイと同じ、独身の男たちばかりだからであり、そして、この独身者たちは神聖なfieldで英雄に、バットを振って塁に出て、heroと英語で呼ばれる英雄になる。そのやうな英雄たちとの神話的な象徴的な婚姻のためには、ボーイフレンドとの、街中での映画を観に行く約束など破っても良いし、咎められないし、罰も受けないのだ、これは社会の中のそんな約束などとは無縁の、そういう意味では法律や道徳の外側にある、英雄達の世界なのだといふのが、あの7回の天地創造の完成の回に歌ふ「私を野球に連れてって」の意味だということになりましょう。
Baseball game stadiumは、ノアの箱船である。アメリカ人の乙女は、baseball game stadiumというノアの箱船に乗船して、9人の神に選ばれた英雄たちと漂流して、新世界を創造するために自分を捨ててでも、無名のままに其の役に立ちたいと思っている。ということになります。
こうして、Baseballは、贋の創世記(Genesis)なのであり、baseball game stadiumは、贋のノアの方舟なのです。
(続く)
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