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2016年11月26日土曜日

安部公房の世界から1970年11月25日の三島由紀夫の死を観る

安部公房の世界から1970年11月25日の三島由紀夫の死を観る

私が常々不思議に思ふことは、三島由紀夫の読者が其の死に方を自裁といつたり、割腹自殺といつたり、凡そ此の言語藝術家の死に方を、注意めされよ、死ではなく死に方をである、自殺の方向へと説明したがる意識のあることです。

それは、三島由紀夫の読者自身が死を恐れてゐる証左です。何故三島由紀夫は死んだのか、自ら死を選んだのかといふ問ひは、無意味ですし、問ふ値のない問ひです。三島由紀夫の世界にあつては、さう問ふ読者は、自らの死を恐れてゐることを聡明にも自覚すべきことであり、もつと云へば 、自らがいつ死ぬべきかを良く考へるといふことだと、私は思ひます。私は辛辣なことを申し上げてゐるのでせうか?

三島由紀夫の死は切腹である、これは決して自殺ではないと、安部公房ならばはっきりといふでありませう。

安部公房が二十歳の時に書いた『詩と詩人(意識と無意識)』の思想と論理は、その一生を貫く創作の方法論であり、実作を実践篇と呼べば、これは其のための理論篇ですが、先の敗戦前に青春を生きた旧制高校生の間で問はれた死活の問ひ、即ち生か死かといふ問ひに苛烈にも徹底的にも、さうして此れ以外の問ひもまた皆この一番は激しい問ひの前にあつては其の従属的な問ひになつてしまふ程の其の問ひとは、AかBかといふ問ひでありました。

旧制高校生でありますから、当然に其の問ひはeither A or Bといふ英語ではなく、Entweder A oder Bといふドイツ語によつて、若者たちは、この二者択一の選択的問ひを巡つて真摯に議論を交わしたことが、安部公房全集の第1巻に収められた作品を読むと、よく解ります。

安部公房が、成城高等学校で哲学談義を親しく交はした友、中埜肇と議論を交はした重要な問ひの一つが此の問ひでした。当時当然の事ながら、戦時といふことからも世情世相の論理として大人たちも此の問ひに答へようとしてゐたことは、この問ひの形式が、安部公房の学んだ成城高等学校の尋常科の教授職にあつた、三島由紀夫の発見者蓮田善明もまた校友誌『城』に寄稿した論文『純粋技術への決意』の中で論理展開の骨格として位置してゐて、明らかです。(この論文については稿を改めて論じます。)

十代の安部公房の結論は、AでもなくBでもなく、第三の客観を求めることでした。そのための方法論(Methodologie)を論じ確立したのが、上の『詩と詩人(意識と無意識)』です。

生でもなく死でもない第三の客観とは、安部公房の場合には、自らが存在自体になることでした。全集第1巻所収の中埜肇宛の書信に其のことが述べられてをります。存在が第三の客観であり、このAかBかといふ問ひの形式を否定して、その二者択一の問ひの二者の間の向かうへ、その問ひを超えて其の向かうへと果てしなく「次元展開」を繰り返して其の度に自己喪失し記憶を喪って、存在たる第三の客観に至つて、自己を存在自体ならしめること、これが戦時下を生きた安部公房の生涯に亘り変わらぬ結論だつたのです。

そのやうな安部公房であつてみれば、三島由紀夫の死は、自殺でも他殺でもなく、明瞭明白に切腹なのであり、最後者のこれは、その三島由紀夫と共有してゐる選択的問ひの形式からいつても、安部公房の第三の客観、即ち切腹なのです。

二人がドイツ語とドイツ文学を共有してゐて気心が通じ、誠に其の真情の通じてゐたことは、『二十世紀の文学』(安部公房全集第22巻、55ページ)といふ二人の対談を読めばよく判ります。安部公房がドイツ語を使つてMethode(メトーデ)、即ち方法といふ言葉を口にすると、二人は其の儘旧制高校時代の親友になるのです。

恐らくは、先の敗戦後になつて、戦前戦中時代の大人たちが鬼籍に入るにつれ喪われた文化の最たるものの一つが、ドイツ語とドイツ文学なのであり、読者に此の大事な教養の欠落してゐることが、二人の文学の理解を一層難しくさせてゐる大きな理由の一つであると、私は思ひます。二人が10代以来共有してゐたリルケとヘルダーリン、即ちリルケを読めば安部公房が解り、ヘルダーリンを読めば三島由紀夫が解るのです。「豊饒の海」ですら、少年時代より後者の一生愛唱した詩『追想』(『Andenken』)に誠に象徴的に美しく深く様式化されて歌われてゐて、大きな河が山巓の源泉より流れ流れ来つて遂には流れ入る海を「豊饒の海」と呼んでゐるといふのに、さうして西暦1964年、昭和39年39歳の作品『絹と明察』でヘルダーリンの此の詩を含み複数の詩を自ら翻訳して引用し、何度も岡野の口を借りて語らせてゐるといふのに、三島由紀夫の読者は此の詩を読むことはないのです。私は辛辣な批評をしてゐるのでせうか。かうして私の云ひたいことは、私の此の強く否定的なものの言ひ方で貴方の胸に伝はつて辛辣に感じた筈の、それほどのドイツ的教養の欠落といふことなのです。

これほどに、戦後に二人があつて話あふリルケ、ヘルダーリン、ニーチェ、ハイデッガー、トーマス・マンの話は、尽きないものがあつたでありませう。

閑話休題

安部公房は戯曲『榎本武揚』で、この主人公がAでもなくBでもない、即ち幕臣でもなく明治新政府の人間でもない、第三の客観たらむとする道を、第三の道と呼んで、安部公房の読者に示してをります。現実の三島由紀夫の死に対して、反対に安部公房は虚構の中で主人公を存在たらしめる道を選ぶのです。三島由紀夫の死後、大江健三郎との『 対談』によれば、 安部公房曰く「彼との接点は、全部うらがえしになっている。」(全集第29巻、73ページ下段)、即ち二人はあらゆる接点を共有していながら互いにすべての接点で正反対の方向、或いは接点そのものの陰陽が裏返っているのですが、しかし、接点は共有してゐる。その重要な接点の一つが、安部公房の上述の論理です。

数学的には、安部公房の得意であつた数学の世界の用語を使へば、否定論理積といひます。この二進数の論理の一つに拠って、安部公房の作品のすべての主人公は、最後に其のさ迷う閉鎖空間から失踪し、または脱出するのです。

これに対して、三島由紀夫は現実の中で自分自身を藝術作品にしてしまつた。三島由紀夫の切腹といふ死に方には、これ以外の解釈は、安部公房の世界から観ますと、あり得ない。

この三島由紀夫の意図と想像力の向かふ方向を、安部公房は写真集『薔薇刑』と映画『憂国』の批評文の中で既に見抜いてをり、親情と感嘆の情と心配の心とを書き残してをります。

ネットの記事に三島由紀夫の生と死、悠久の時を越えた美少年との出会い』と題した無署名記事があり、記事中澁澤龍彥による弔辞と『アポロの杯』」とした中見出しの元に、その筆者が次のやうに書いてゐるのを拝見したので、本題の元に引用して、更に以下に論じます。

親しかつた友、澁澤龍彦の斎場での弔辞は、その通りの三島由紀夫の切腹について、即ち第三の客観、即ち安部公房のいふならば存在になり、ならうとし遂に存在自体となり作品自体になつた三島由紀夫の藝術上の行為について次のやうに述べてをります。(以下傍線筆者):

「私は亡くなったばかりの三島由紀夫氏の秘密の内面に、やくざな分析家の泥足を踏 み込ませているのだろうか。そうは思わない。なぜなら、氏にとって、内面などはどう でもよかったにちがいないからである。そんなものは、もともと他人に勝手に分析さ せておけばよいものだった。「希臘(ギリシア)人は外面を信じた。それは偉大な思 想である 」(『アポロの杯』)と氏自身が書いている。最後まで形をなして残るもの は、作品だけだからである。そして氏は、みずからの肉体、みずからの死をも、傍若無人な一個の作品たらしめたのである。」(『三島由紀夫おぼえがき』) 

イタリアを発つ最終日に、再度ヴァチカンを訪れた三島。それは、アンティノウスに別れを告げるためでした。 「私は今日、日本へかえる。さようなら、アンティノウスよ、われらの姿は精神に蝕まれ、すでに年老いて、君の絶美の姿に似る べくもないが、ねがわくはアンティノウスよ、わが作品の形態をして、些かでも君の形態の無上の詩に近づかしめんことを。」この日から18年後。45歳になった三島は、鍛え上げた輝かしい肉体に刃を突き立て、自ら命を絶ちました。澁澤龍彦の弔辞は、三島の死の本質を見事に言い当てていたように思えてなりません。 「 氏にとって、内面などはどうでもよかったにちがいないからである。そんなものは、もともと他人に勝手に分析させておけばよ いものだった。(中略)最後まで形をなして残るものは、作品だけだからである。そして氏は、みずからの肉体、みずからの死を も、傍若無人な一個の作品たらしめたのである。」 [註]

[註]
イタリアへの此の出発は三島由紀夫の人生の二つ目の出発です。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く9:イカロス感覚1:ダリの十字架(1):三島由紀夫の3つの出発』と題して、三島由紀夫の人生の3つの出発について、ブログ『詩文楽』にて詳細に論じましたのご覧下さい。(https://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_23.html

また、自らがならうとした藝術作品としての死と切腹については、三島由紀夫は繰り返しワットオの絵画を論じて、特にその林檎の表皮と芯の関係を論ずることによつて詳細に説明をしてをります。これもまた上の『三島由紀夫の十代の詩を読み解く9:イカロス感覚1:ダリの十字架(1):三島由紀夫の3つの出発』にて幾つもの文脈と観点から詳細に論じましたので、お読み下さい。又、同じ主題を、私は『剣』論(1)及び(2)と題して論じましたので、これもお読みくださると有難い。

『三島由紀夫の十代の詩を読み解く27:『剣』論(1)』https://shibunraku.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html
『三島由紀夫の十代の詩を読み解く28:『剣』論(2)』https://shibunraku.blogspot.jp/2015/11/blog-post_3.html


この45歳の時の切腹といふ第三の客観になる第三の道の選択を、既に二十歳の三島由紀夫は、天皇陛下の詔勅の発せられたあの昭和20年8月15日、西暦1945年8月15日の日本を照らした太陽の日から2ヶ月前に、上の澁澤龍彦が正しく引用し解釈してゐる三島由紀夫のものの考へ方、即ち内面などどうでも良いこと、外面こそが信ずるに値する偉大であるといふ同じ認識を、次の詩に書いてをります。『 三島由紀夫の十代の詩を読み解く9:イカロス感覚1:ダリの十字架(1):三島由紀夫の3つの出発』より引用してお伝へします。(https://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_23.html)(傍線筆者)

「もはやイロニイはやめよ
 イロニイはうるさい
 巷には罹災者のむれ
 大学は休講つゞき
 大学生はやたらに煙草を吹かす
 湊の霧のなかで数しれぬ帆柱にまたたく
 檣灯のやうに
 来ぬ教授を待ちながら
 大学生は煙草を吹かす
 もはやイロニイはやめよ
 もはやイロニイは要らぬ 
 急げ今こそ汝の形成を
 汝の深部に於いてより
 汝の浅部に於いて
 ああ汝の末端に
 急げ汝の形成を
(決定版第37巻、749~750ページ)

さうして、この詩の意味するところを知って戴くために、更に同じブログの同じ記事より『太陽の含羞(はぢらひ)』と題した十五歳の三島由紀夫の詩 (決定版第37巻、500ページ)についての解説と解釈に付した以下の註釈をお読み下さい。三島由紀夫の外面と縁(へり)について、浅部と末端について、よりよく知る事ができませう。

「[註4]
もつと、この蛇のことを続けますと、次のやうに44歳の三島由紀夫は、15歳の「黄色い丸」を、F104搭乗記の最初の一行で「私には地球を取り巻く巨きな巨きな蛇の環が見えはじめた。すべての対極性を、われとわが尾を噛みつづけることによつて鎮める蛇」と散文で書いてをります。

さうして、次のやうに続けます。傍線筆者。

「すべての相反性に対する嘲笑をひびかせてゐる最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた。
 相反するものはその極致にをいて似通い、お互ひにもつとも遠く隔たつたものは、ますます遠ざかることによつて相近づく。蛇の環はこの秘儀を説いてゐた。肉体と精神、感覚的なものと知的なもの、外側と内側とは、どこかで、この地球からやや離れ、白い雲の蛇の環が地球をめぐつてつながる、それよりもさらに高方にをいてつながるだらう。
 私は肉体の縁(へり)と精神の縁、肉体の辺境と精神の辺境だけに、いつも興味を寄せてきた人間だ。深淵には興味がなかつた。深淵は他人に委せよう。なぜなら深淵は浅薄だからだ。深淵は凡庸だからだ。
 縁の縁、そこには何があるのか。虚無へ向つて垂れた縁飾りがあるだけなのか。」

この散文を書いた三島由紀夫は44歳であり、1970年に亡くなる1年前の文章です。この同じことを、20歳の三島由紀夫は、次のやうに、『もはやイロニイはやめよ』と題した詩で歌つてをります。最後の7行に注目下さい。傍線筆者。

「もはやイロニイはやめよ
 イロニイはうるさい
 巷には罹災者のむれ
 大学は休講つゞき
 大学生はやたらに煙草を吹かす
 湊の霧のなかで数しれぬ帆柱にまたたく
 檣灯のやうに
 来ぬ教授を待ちながら
 大学生は煙草を吹かす
 もはやイロニイはやめよ
 もはやイロニイは要らぬ 
 急げ今こそ汝の形成を
 汝の深部に於いてより
 汝の浅部に於いて
 ああ汝の末端に
 急げ汝の形成を
(決定版第37巻、749~750ページ)

先の戦争の終わつたのが、1945年、昭和20年の8月15 日とすると、この詩は、6月と日付があるので、その2ヶ月前に書かれたことになります。

大学の授業に出席しても、授業が成り立たなかつたのでありませう。何か少し捨て鉢な、やけっぱちな気分のある詩です。

しかし、いづれにせよ、何があつたにせよ、三島由紀夫はが決心したことは、若いくせに大人の真似をして煙草を吸ふやうな、世間に楯突いて嫌ふやうな態度、即ちイロニイはやめて、何故ならそんなことは、煙草の煙で自分の周りに煙幕を張つて人を遠ざけて「湊の霧のなかで数しれぬ帆柱にまたたく/ 檣灯のやうに/来ぬ教授を待」つやうなものであるから、さうやつて煙幕をはつて、待てど来ぬやうな知識をあてどなく待つのではなく、もっと現実に触れて、現実を見て、即ち「急げ今こそ汝の形成を / 汝の深部に於いてより/汝の浅部に於いて/ ああ汝の末端に /急げ汝の形成を」と、20歳の三島由紀夫は決心したのです。

この20歳の決心は、F104搭乗記の冒頭を読む限り、このときまで、全く変はることがなかつたことを意味してゐます。即ち、『三島由紀夫の人生の見取り図』による下記の25年の間、この二十歳(はたち)の決心は、変わることがなかつたのです。この間、三島由紀夫は散文家であつたといふことになります。

. 2 1946年~1949年:21歳~24歳:詩人から散文家(ザインからゾルレンの言語藝術家)へと変身する時代:4年
この時期に安部公房に初めて会ふ。
(1)1947年:22歳:エッセイ『重症者の凶器』
(2)1948年:23歳:小説『盗賊』
(3)1949年:24歳:小説『仮面の告白』、最初の戯曲『火宅』

. 1950年~1963年:古典主義の時代(ゾルレンの時代:太陽と鉄の時代):25歳~38歳:14年間

. 1964年~1970年:晩年の時代(ダーザインの時代:ハイムケール(帰郷)の時代:10代の抒情詩の世界へと回帰する時代):39歳~45歳:7年間


この縁と縁の探究者であるといふ三島由紀夫の考えと実践は、その方向が正反対であつたとはいへ、全く安部公房と共有する接点でありました。何故ならば、これは、安部公房の思考論理でもあるからです。それ故に、後者は「彼との接点は、全部うらがえしになっている。」(「『対談』[対談者]大江健三郎、安部公房」安部公房全集第29巻、73ページ下段)と回想してゐるのです。どのやうに「全部うらがえしになっている」かは、三島由紀夫の十代の詩を論ずる中で、自づと出て参りませう。 」


十九歳の安部公房もまた、次のやうな認識を得たことをメモのやうなエッセイに書いてをります。

「よく考えてみれば僕達が普段内面と言っている様なものは、全て外面から来る想像に過ぎなかったのではないだろうか。(略)一体僕達の知り、そして感じ得るものに外面でないものがあったであろうか。『僕』がと云う事が既にもう外面のしるしだったのではないだろうか。(略)僕達の立つ所総て、僕はそれを外面と呼ぶのだ。」(『僕は今こうやって』全集第1巻、88ページ)



この一文を、安部公房の文學世界の読者の一人として、安部公房の親しき友、癩王のテラスで見事に切腹した三島由紀夫の霊に捧げます。

2016年11月25日金曜日

安部公房と寺山修司を論ずるための素描(3):安部公房によって描かれた寺山修司の「恐山」by 番場寛教授

安部公房と寺山修司を論ずるための素描(3):安部公房によって描かれた寺山修司の「恐山」by 番場寛教授

些か旧聞に属する紹介ですが、2014年7月に大谷大学の番場先生が、『安部公房によって描かれた寺山修司の「恐山」―『カンガルー・ノート』を読んで―』と題して、エッセイを同校のブログに掲載してをりますので、これを一部抜粋して、お伝へします。安部公房と寺山修司を論ずるための貴重な考察です。本文全体は以下のURLへ:


次のやうに、安部公房と寺山修司の共通性について書かれたものです。ご一読をお勧めします。引用の冒頭「この小説」とは、勿論『カンガルー・ノート』のことです。

この小説のかなりの部分、とくに「賽の河原にあつまりて 父上恋し 母恋し」という歌が出てくる、「火炎河原」と題された章がまるで寺山修司の映画『田園に死す』の舞台となっている青森の恐山を彷彿させることだ。それだけではない、『カンガルー・ノート』で、脚の脛に「かいわれ大根」が生えてしまった主人公が括りつけられている病院のベッドはまるで生き物のようにレールの上を自走するのだが、それも『田園に死す』のレールの上のトロッコを連想させる。

生前実際に二人は触れあわなかったとしても、接点はあった。それを寺山が日本に呼ぶきっかけをつくったと聞いているタディウス・カントールの劇については安部も触れている。寺山も安部もともにガルシア・マルケスを高く評価していた。寺山は彼の『百年の孤独』を最初演劇にし、のちに映画化(『さらば箱舟』)したがマルケス自身が自作との隔たりの大きさからクレームをつけたので、題名変更を余儀なくされたと言われている。

寺山も マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや と歌った。劇の『レミング』は、あらゆる部屋から壁が消えていくという話だったが、それを拡大すれば「国家」の否定ともつながる。満州で幼い頃育った安部公房がやがて「クレオ―ル」という「国語」に対立する国境を越える言語に注目したのもひょっとしてそれほど「故郷的なもの」を否定したいほどそれに捕らわれていたのでは、と考えれば、寺山と安部はひょっとして表と裏のような関係で、無視に近いほどお互いに無関心という形で、似たテーマを追求していたのかもしれないと今は思う。


2016年11月24日木曜日

安部公房の読者のための村上春樹論:「奉天の窓」から村上春樹の暗号を解読する(2)

安部公房の読者ための村上春樹論:「奉天の窓」から村上春樹の暗号を解読する(2)

今明後日の三島由紀夫の読者会での発表のために、「卵をめぐる冒険~三島由紀夫の卵と村上春樹の卵~」と題したメモを書いてゐるのですが、大変興味ふかい、面白いことに気がつきました。

それは次のことです。

1。卵といふ言葉が出てくると、その前後に必ず記憶の喪失があり、その後の覚醒がある。あるいは、この順序が逆であるにせよ、記憶の喪失と覚醒に関係した話が始まるということ、即ち、時間が逆流するのです。これが一つ、

2。二つ目には、上の1の文脈で、処女作「風の歌を聴け」の第10章の最後が、(多崎つくるの物語での沙羅やうに「年上の女」とたまたまにジェイズ・バーのカウンターで一緒に言葉を交はすことになり(そこまでの経緯は勿論、baseball gameの中継をTVで放送してゐて、女が便所に立つ回数も全てbaseball gameの規則通りに進展するわけですが)、「良い時代」だった「60年代ごろ」の話をいふ其の女と別れてジェイズ・バーを出てから「家に帰る途中、ずっと口笛を吹いていた」主人公が「ずっと昔の唄だ」と思って、記憶の中から思い出す歌が、この章の最後に一行でてきます。

この歌はディズニーランドでの夜の催事の行進曲で歌われる(明るい昼ではなく夜に歌われるといふ事が肝要)「ミッキー・マウス・クラブの歌」と呼ばれてゐて、英語の正式名称は”Micky Mouse Club March”であるにもかかわらず、村上春樹は意図的に此の題名を変えて、それは丁度此の作品全体の最後に意図的に自分のためにニーチェの一行をそれらしく模作したやうに、次のやうに英語で書くのです。そして読者は国の内外を問はず、騙される。主人公の思ひ出した其の歌は、

「みんなの楽しい合言葉、
 MIC・KEY・MOUSE(エムアイシー・ケーイーワイ・エムオー  
 ユーエスイー)
 確かに良い時代だったのかもしれない。」

といふ暗号の歌なのです。

確かに「職業としての小説家」に語るやうに、この文章を書く作者は楽しい、読者も楽しい、そして読者は騙される。何故ならば、作者の書いた暗号に気づかないから。その暗号とは、

MIC、KEYはMOUSEだよ。MOUSEはKEYなんだよ。KEY-MOUSEは、MICだよ、MICは、KEY-MOUSEのKEYを知つてゐるんだよ、これは、みんなの楽しい合言葉さ。

「確かに良い時代だったのかもしれない。」こんな暗号化ができるのだから。

MICよ、鼠が鍵だよ。鼠は鍵なんだよ。鍵を持つてゐる鼠は、MICだよ。MICは、鍵鼠の鍵を知つてゐるんだよ、これは、みんなの楽しい合言葉さ。エムアイシー・ケーイーワイ・エムオーユーエスイー。

さて、この鼠は、いふまでもなく、ジェイズ・バーでだけ(と云つても良いでせう)出会ふ鼠です。

それでは、MICは?

ここにも、baseball gameが旧約聖書の贋の創世記のgameであることを見抜き、baseball game stadiumが贋の方舟であることを見抜いてゐて、読者には決して此れを伝へない村上春樹がゐます。

今Webster Onlineを引くと、MICとは、旧約聖書の中に登場するMicahといふ、預言者の一人である名前の略称通称です。この預言者がどのやうな役割を旧約聖書の世界で果たしたのかを知れば、預言者としての鼠の役割もまた、私たちは知る事ができるでせう。

さう、この預言者のMicahは、日本語の表記ではミカと呼ばれてゐて、鼠の書いてゐる小説は、実は此の預言の書であるのです。旧約聖書のミカは「ミカ書」を著した。さて、さうして、鼠の書く小説といふ名前の預言者の書の「優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なない事だ」と主人公に言はれる、そのやうな小説または予言の書を書いてゐる。何故この二つの無い、それが書物であるのかは、鼠がミカであることから自明です。あるいはまた、ミカが作者の、またネズミの、愛する女性であるならば、作中で其のやうな振る舞ひに及ぶことは書くことができない。つまり、

鼠はミカである。

既に鼠は村上春樹であることを、私は諸処に書きましたが、同時に(同時にとは何か?です)、鼠はミカといふ預言者であつた。しかし、普通の日本語でミカとカタカナで書けば、聖書の世界に生きない私たちにとって、それは女性の名前に他なりません。

恐らく、これが、『ノルウエーの森に出てくる学生寮である阿美寮の、阿吽の阿といふ宇宙の始めといふ意味の言葉と美といふ文字で構成される、the first beautyと暗号化された女性の本名でありませう。このthe first beautyの寮に住む男たちの、少し大袈裟に言へば、謂はば春秋が描かれてゐるのが、ノルウエーの森』といふ小説なのです。

この名前の元に、また下に、全ての人間が、現実の虚構、虚構の現実の中に、生きてゐる。ここでは、封印作の冒頭にある二行「お客さん、列車が来ましたよ!/そして次の瞬間、ことばは死んでいる」事は(封印作街と、その不確かな壁)、決して無いのです。即ち、村上春樹の言葉は、現実の虚構、虚構の現実の中に、生きてゐる。

読者は時間の中で村上春樹の死者の「ことば」を、生きた「言語」として読み、村上春樹は、この二つの種類の言葉を読者のために、読者が地上と地下の世界を互ひに往還する事ができるようにして小説といふ虚構の物語を書く。村上春樹は「言語」生者(『職業としての小説家』)の、「ことば」を死者の(街と、その不確かな壁)、それぞれの言葉だとして文字によつて書き分けてをります。

既に諸処で論じたやうに、二者の関係は、換喩であり、この二つの世界は、小説の中でも、また現実の中でも、隣接関係にだけあつて、作者と読者は正解しあふ事はなく、さう意味では誤解しあふ以外には無い。これが、今までの村上春樹の文学の世界です。アンデルセン文学賞を受賞した後には、その受賞スピーチに言はれたことを信ずれば、この後に変はる事があるかも知れませんけれど。

閑話休題。

鼠は僕であり、ミカである。

恐らく、この女性が、十代の村上春樹が本当に愛し、そして喪失した、肌の色の白い、そして水の中に入水して自殺をした、美しい女性の名前であるのでありませう。「ノルウエーの森」では、「奇妙な」時間と空間に存在する庭に現れる「かもめ」(と主人公によつて名付けられる猫)として、繰り返しまたそのほかの作品では白い色と関係して呼ばれる全ての女性たちの、これが喪はれた本名なのです。

この「僕=鼠=ミカ」の方程式を、如何に変形させて、より高次の代数的な方程式にするかに腐心し苦心したか、即ち文法的には人称と話法の問題の解決に如何に心を砕き精進したか、その間8年がかかつてやつと書簡の形式を導入することによつて二人称の呼称を登場させることに成功したノルウエーの森に至つたかといふ事は、作者が職業としての小説家に書いてゐる通りです。

一流の作家のテキスト(texts)を読む事は、暗号を解読することに他ならないといふ感慨を深くします。何故ならば、私の解読したHart Craneといふアメリカの男色詩人の世界でも、安部公房の世界でも、また三島由紀夫の世界でも、結局考へてみれば、私のして来た事は、暗号の解読であつたからです。

このやうに文字を使つてテキストを暗号化する藝術の世界の人間をなんと呼ぶのでせうか。

それは、詩人です。

この意義に於いて、村上春樹がアンデルセン文学賞受賞のスピーチで、アンデルセンの小品を取り上げて、やはり村上春樹の常ながら作中の本質的な役割を果たす女性の名前は隠して決して口にしなかつたけれども、この女性の名前は作品を読めば読者に冒頭に直ちに明らかなやうに、女性であつて、poetry(詩)と呼ばれ、更には女性であれば、ヨーロッパの文藝の歴史の文脈(context)の中で読めば、これが詩の女神であり、Museである事は、多崎つくるの後の、現在執筆中の作品の展開に大きな意味を持つてゐるでありませう。何故ならば、作者自身が、登壇して、初期の、読者からみれば魅力的な叙情のある、作品に回帰するといつてゐるからです。自分も年をとつたのだと云ひながら。

「みんなの楽しい合言葉、
 MIC・KEY・MOUSE(エムアイシー・ケーイーワイ・エムオーユーエスイー)
 確かに良い時代だったのかもしれない。」

 「確かに良い時代だったのかもしれない」時代に回帰しようといふのです、村上春樹は。

MICはKEYなんだよ、KEY MOUSEなんだよ、MOUSEはKEYなんだよ、だから「MIC・KEY・MOUSE(エムアイシー・ケーイーワイ・エムオーユーエスイー)なんだよ、多崎つくるの物語の4人の仲間の、これは「みんなの合言葉」なんだよ、だからシロといふMICは密室で死んだんだよ、密室といふ時間の存在しない閉鎖空間の中で。

と、安部公房ならば、さう云ふことでせう。

三島由紀夫ならば鍵のかかる部屋で内側から自分で鍵を掛けて殺されたんだよ、と云ふことでせう。

わたしならば、次回作は、MICといふ預言者であつて、「僕=鼠=ミカ」である以上、両性を往来することのできる男性か女性かが、しかし多分やはり女性が、密室である世界の外へと脱出して、浦島太郎と乙姫さまの(現代の人々にはほとんど忘れられてゐる)結末のやうに、蓬莱山といふ無時間の高い山の上、超越論的な高地で、二人でめでたく暮らしましたとさ、めでたしめでたし、と云ふことでせう。

追記
今、以上のことを読解した上で、処女作風の歌を聴けを読み直しますと、このミカといふ白い肌の美しい白鼠の女性は、どこかの土地の高台に家のある医者の娘さんでありませう。かう考へてみれば、白い肌の女性の病を得てにせよ何にせよ理由はともかくとして、何故MICはいつも高地へゆき、または高地にゐるのかの、その理由を知ることになるのではないでせうか。









2016年11月23日水曜日

『魔法のチョーク』論

『魔法のチョーク』論

「『箱男』論~奉天の窓から8枚の写真を読み解く~」(もぐら通信第34号)より、シャーマン安部公房の儀式の式次第は、次のようなものでした。

1。差異(十字路)という神聖な場所を設けて、
2。その差異に向かって、また其の差異で呪文を唱えて、
3。その差異に、存在を招来し、
4。主人公と読者のために、存在への方向を指し示す方向指示板たる立て札を存在の十字路(差異)に立て、または案内人か案内書を配し、
5。存在を褒め称え、荘厳(しょうごん)して、
6。最後に、次の存在への方向を指し示す方向指示板たる立て札を立てる。

という、このような、安部公房の秘儀の式次第でありました。

安部公房の読者が、安部公房の作品を読むための便覧として役立つように、もう少し簡略にしてお伝えすると、

1。差異を設ける。
2。呪文を唱える。
3。存在を招来する。
4。存在への立て札を立てる。
5。存在を荘厳(しょうごん)する。
6。次の存在への立て札を立てる。

ということになります。

『魔法のチョーク』の6つのプロセスを見て見ましょう。『赤い繭』と同じく1950年12月同月に発表の作品ですので、また発表時期を問はずとも、同じプロセスを踏んで作品は成つてゐる筈です。

簡単に6つのプロセスを要約すれば、次のやうになります。

1。差異を設ける。:冒頭の場所(便所)と時間(夕食が近づく)
2。呪文を唱える。:名前の列挙と3度立て続けにする欠伸
3。存在を招来する。:記憶喪失、自己喪失と引き換えに存在の部屋が現れる。部屋が存在の部屋になる。夜の部屋である。詩と詩人の部屋であり、もつと遡れば小学生の時の奉天の「クリヌクイ」の詩に歌われた部屋である。
4。存在への立て札を立てる。:「明日の新聞」
5。存在を荘厳(しょうごん)する。:「ポケットの中でカサっと鳴る」「最初の晩、買ったまま忘れていた」「明日の新聞」=超越論的な新聞=時間が存在しない空間を創造する=存在を荘厳する事。
6。次の存在への立て札を立てる。:壁→この壁はそのまま『S・カルマ氏の犯罪』の最後の壁になる。果てしなく(時間のない)垂直方向に成長する壁である。

一つ一つのプロセスをみてみませう。

1。差異を設ける。:冒頭の場所(便所)と時間(夕食が近づく)

冒頭の一行は次のやうに始まります。

(1)空間
「雨もりと料理の湯気で、ぶよぶよに成った場末のアパートの便所の隣で、貧しい画家のアルゴン君が住んでいた。」

ここで既に便所といふ、安部公房の読者にはお馴染みの凹の形象が登場します。これは一番有名な長編小説の作品で云へば、勿論前期20年の『砂の女』の砂の穴でありませうし、後期20年の『方舟さくら丸』の地下世界の、あの何でも嚥下咀嚼する便器でありませう。

便器もまた、安部公房の世界認識である差異の形象なのであり、確かに便器の穴である凹といふ形は、二つの壁の間の隙間であり、壁の間にある3次元の空間なのです。3次元の空間といへば、初期の短編の『天使』の主人公が冒頭に閉ぢ籠められてゐる、あの正六面体の立方体を思つて下さつても結構です。この立方体も閉鎖空間ですから、いはば、便器と閉鎖空間は別のものではなく、同じ論理に発した形象だといふ事になります。つまり、便器もまた閉鎖空間なのです。そして、共に窓または窓に相当する開口部を有してゐる筈の空間です。

この論理と、この論理の生み出す感情を(或いは、安部公房の感情が此の論理を生み出したといふ事も出来ますが)、安部公房は『シャボン玉の皮』といふ、『箱男』を上梓した直後のエッセイで、次のやうに言つてゐます。

「川や橋や道路や鉄道が交差し合つているような所で、構造上どうしても人間が住めない空間があり、しぜんゴミ捨て場として利用されることになる。さいわいそういう空間は、あまり人目につかない場所にある。街のなかの、影か穴ぼこのような位置に当たっているので、人はそのかたわらを通り過ぎても、めったに立止ったりすることはない。(略)いわば世間にとって未登録の空間なのである。
(略 ぼくもそんな場所に、わざわざ立止ってみたりするわけではない。(略)しかし、通りすがりざま、何か呼びかけてくる声を聞く。」(『シャボン玉の皮ー周辺飛行23』全集第24巻、416ページ)

このあと子供の頃の奉天でのゴミ捨て場である「堤防と鉄道線路がまじわるあたりに」あつた「大きな沼」の話が続きます。さうして、この謂はば何でも飲み込んでしまふ此の「沼のはずれ、ちょうど鉄道に面した位置に常設されていた、晒し首用の台のせいで」、安部公房の中では、この沼は死と結びついてをります。それを、「未来に待ちかまえている過去。人間を咀嚼する大地の口。」と言ひ、この表現で、読者は既に此沼が、後年小説家になり戯曲家になつてから作品に登場する「明日の新聞」であり、『第四間氷期』の陰の主役である予言する電子計算機(コンピュータ)であることを知るのです。

『第四間氷期』といふ題名もまた、氷期と氷期の間にある隙間の空間なのです。ここに「明日の新聞」である予言機械が登場する。この「明日の新聞」の論理が(ヨーロッパの哲学用語でいふ)超越論であるとは、既に論考の諸処にてお話ししてゐる通りです。

さて、このやうな隙間に存在する便所であつてみれば、「貧しい画家のアルゴン君が住んでいた」「三メートル四方の小さな部屋」は、「既にして」「いつの間にか」「何はともあれ」「言ふまでもなく」「四の五のいはずに」「つべこべ言はずに」「説明抜きで」「最初からそもそも」存在である空間なのです。即ち、時間を捨象した、リルケの詩にあるならば純粋空間である存在の部屋なのです。

といふことであれば、この隙間にある存在の部屋には、当然ながら箱男と同じ人間が住んでゐる筈で、後年1969年に安部公房は此の主人公について、次のやうに語つてゐます。

「アルゴン君という、この作品の主人公の名前の由来、一見バタ臭く、奇をてらったように見えるかもしれないが、じつはしごく無味乾燥、単なる化学的命名にすぎないのである。
 アルゴン――すなわち、Ar。空気中に約一パーセント含まれている、一原子一分子、原子価0(ゼロ)の稀元素であり、無色無臭、沸点低く、化学的に不活性。
 現代の芸術は、芸術そのものの自己否定からしか成立ちえないのだ。涙は失われた芸術の句点である。」(全集第22巻、446ページ)

最後の段落の「現代の芸術は、芸術そのものの自己否定からしか成立ちえない」といふ安部公房の考へを、『魔法のチョーク』の最後で、いや、その他のすべての作品に於いて、失踪や行方不明や、この世での主人公の死といふ形で、読者は見る事になります。

(2)時間
時間は『赤い繭』と同じ「夕食時」であり、昼と夜の時間の間(はざま)、時間の隙間です。

そして、いつもの安部公房の書き方らしく、生理的な感覚に訴へて読者に生々しい感覚を惹起します。ここでは、臭覚に訴求してをります。つまり、お腹が空いて「なんて鼻が敏感になつたんだろう」といふアルゴン君に「いつの間にか」なつてしまふのです。

(3)安部公房の家と存在の部屋

『赤い繭』で、無名の貧しい主人公は、家々の隙間を通る位相幾何学的な、従ひ変形へと通じる道をさ迷つて家々の窓を見上げて自分の家か否かを問ふて歩くのでした。これが、安部公房の家であり窓です。図に示して、次のやうに表す事にします。これを「安部公房の家」と呼びませう。



安部公房が子供の頃から玄関からではなく2階から入ることのある子供であつたこと、また仙川の家も箱根の仕事場の山荘も玄関といふべきものがないことは、前者は『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する~安部公房の数学的能力』(もぐら通信第32号及び第33号)にて、後者は『安部公房の箱根の仕事場とご贔屓のレストラン「ブライト」を尋ねる~存在の部屋 と『もぐら日記』の中のレストラン~ 』(もぐら通信第49号)にて、お伝へした通りです。

安部公房は窓から入る。読者もまた窓から入る。入つてみませう。この部屋を「存在の部屋」と呼ぶ事にします。この部屋については、上記2つの論考のみならず、『もぐら感覚5:窓』(もぐら通信第3号)にても、窓との関係で論じてをりますので、これもお読みになると、存在の部屋と窓と、これらの言葉を巡る安部公房の存在概念がよくお分かりになる筈です。

上述の複数の論考に書きましたやうに、安部公房の存在の部屋には、家ならば玄関に当たる扉(ドア)がなく、窓しかありません。1946年、安部公房が引き揚げ船の中で起稿した『天使』の冒頭に描かれた存在の部屋を図示すると、次の通りになります。



さて、存在の部屋の中に、このやうに「既にして」存在してゐるアルゴン君は、存在を招来するために呪文を唱へなければなりません。さうしなければ、存在の部屋は存在の部屋にならないのです。


2。呪文を唱える。:名前の列挙と3度立て続けにする欠伸
そこで、アルゴン君は、次の呪文を唱へます。これらの動作はみな繰り返しである事にご注意下さい。呪文は繰り返しであるのです。例へば『砂の女』の第2章の冒頭が、次の呪文で始まるやうにです。この呪文で始まる第2章である故に、この章に於いて、砂の穴が存在の穴(存在の部屋と言つても同じです)になるのです。その象徴であるラジオが、穴の中にやつて来るといふ事実なのです。ラジオが穴の中にやつて来て、外部と内部が交換されて、その凹が存在になる。

「ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ
 何の音?
 鈴の音

 ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ
 何の音?
 鬼の声」
(全集第16巻、156ページ)

この砂の女の歌ふ(直接話法による)呪文と同様に、アルゴン君の呪文は(ここでは間接話法を使つて)、この物語の話者によつて、次のやうに唱へられてゐます。

「蒼い顔、額の皺、上ったり下ったりする喉仏、まがった背、くぼんだ腹、ふるえる膝頭。アルゴン君はポケットに両手をつっこみ臭い生あくびを三度たてつづけにした。」(全集第2巻、499ページ下段)

上の引用で「皺」、「上ったり下ったりする喉仏」、「ふるえる膝頭」、「臭い生あくびを三度たてつづけにした」ことは、みな繰り返しの呪文です。

また、かうしてみると、「蒼い顔」も、震えや、たらたらと垂れる脂汗や冷や汗やに通じてゐて、繰り返しの形象を連想させるといふことから、呪文になつてゐると考へることが出来ます。

そして、「まがった背」は、いつも私が書きますやうに、安部公房はバロックの作家ですから、バロックといふ語の語源が歪んだ真珠であるといふ通りに、物事を連続体(連続量)としてみれば、それは歪みであり(バロックの語源は此れに当たります)、非連続体(非連続量)としてみれば、それは隙間であり、共に総称すれば差異といふ事になりますので、「まがった背」は、連続体(連続量)としての歪みなのであり、「くぼんだ腹」は、確かに空腹によつてさうなりませうけれども、これは其の自然体の姿を装つて、明らかに、かうしてみれば、非連続体(非連続量)としての差異、即ち凹の隙間なのです。

これで、これらのすべての表現が、呪文となりました。

さて、これで、この空間は存在の部屋になりました。差異にあつて呪文を唱えれば、その空間は存在の部屋に変ずるのです。

アルゴン君の部屋が存在になつたからには、時間は捨象されて、純粋空間だけになり、時間は存在せず、超越論的な世界が現出します。そこで、3つ目のプロセスとして「存在を招来する」ことになります。


3。存在を招来する。:記憶喪失、自己喪失と引き換えに存在の部屋が現れる。部屋が存在の部屋になる。夜の部屋である。詩と詩人の部屋であり、もつと遡れば小学生の時の奉天の「クリヌクイ」の詩に歌われた部屋である。

そこで、アルゴン君は、「おや、なんだろう?」といふ時間の無い超越論的な問ひを心の中で立てて、記憶喪失の状態になつて「おぼえがないな」とつぶやき、またもや「赤いチョークを」(この赤い色は『赤い繭』の赤と同じく共産党の赤色でありませう)繰り返しの呪文として「指の間でなぶりながら」、「もう一度大きな生あくび」を呪文の駄目押しとしてしてから、次の段落で、無時間の空間の壁に向かつて超越論的に、

「 思わず、そして何げなく、アルゴン君はそのチョークで壁にいたずら書きはじめていた。」(全集第2巻、499ページ下段)(傍線筆者)

といふ事になるのです。

「赤いチョーク」が、「何か棒切れ」であるのは、チョークもまた、安部公房にとつては棒の一種であり、小説と戯曲の『棒』に登場する棒と同様に、謂はば「存在の棒」であるからです。としてみれば、前の号の「『赤い繭』論」でみたやうに、縄もまた「存在の縄」と云へませう。何故ならば、位相幾何学的に見れば、相違は硬いか柔らかいかの違ひだけで、棒も縄も同じ形、同じ性質のものであるからです。短編小説『なわ』の最後にあるやうに、「「なわ」は、「棒」とならんで、もっとも古い人間の「道具」 の一つだった」のであり、「「棒」は、悪い空間を遠ざけるために、「なわ」は、善い空間を引きよせるために、人類が発明した、最初の友達だった。「なわ」と「棒」は、人間のいるところならば、どこにでもい」るからなのです。(全集第12巻、253ページ)

悪い空間を遠ざけるために棒を使ふと、小説と戯曲の『棒』がさうであるやうに、自分自身が棒になり、善い空間を引きよせるために縄を使ふと、『赤い繭』がさうであるやうに、内部と外部が交換されて、自分自身が繭になる。チョークといふ棒を使つて、アルゴン君が結局壁になるやうに、さうして壁が上に述べたやうに超越論的な空間を創造する素材であるのであれば、それを食べたアルゴン君は当然に壁といふ存在になり、また『赤い繭』の主人公も、位相幾何学的に見れば縄は繭の糸も同然であれば、当然に存在の繭になるといふ訳です。

存在が二者択一の否定による第三の客観であることは、『詩と詩人(意識と無意識)』で詳細に、安部公房が論じてゐるところです。つまり、存在の棒や縄は、AでもなくBでもなく、善でもなく悪でもなく、第三の客観として存在するのです。繭も、また壁も、同様です。

さて、二つの作品に共通してゐることは、最後に、存在になつた主人公が、小説の『棒』の場合であれば、「誰かが私を踏んづけけ」て、「雨にぬれて、やわらかくなった地面の中に、私は半分ほどめりこんだ」のであり(『方舟さくら丸』にある通りに、地下世界もまた存在の世界。但し其処に隙間があり呪文を唱へたらといふ事ですけれど)、戯曲の『棒』の場合であれば、やはり存在の棒になるので、時間の流れる世界といふ交換関係の世界の外へと出る事になるので、主人公は、地獄の男が観客に向かつて話しかける通りに「罪なき人々」の一人になるのであり、従ひ「裁かれることもなければ、罰せられる気づかいもない」といふ(文字通りに)存在になるのです。(全集第22巻、397ページ)

これは、このまま芥川賞受賞作『S・カルマ氏の犯罪』の重要な動機(モチーフ)であり、最後に罰や裁きを超えて時間のない果てしなく成長する壁になることは、読者ご存知の通りです。以下、『S・カルマ氏の犯罪』から、交換関係といふ時間の中に生きて分化した社会的な役割を演じることと、存在の部屋にゐて無時間の純粋空間にあつて未分化のままにあることとの関係を歌つた詩を引用して、この事をお伝へします。

「すると、ロール・パン氏が悲痛な調子で詩の朗読をはじめました。

 これがおまえの部屋でないというのなら
 私は色鉛筆を食べて死んでもいい
 一ダース百二十円の色鉛筆
 半分食べれば確実という証明書つきのやつを
 いっぺんに全部食べて死んでもいい

 これがおまえの部屋でないというのなら
 私は魚の骨を千本喉につきたてて死んでもいい
 一匹百円の黒鯛を三匹
 思う存分猫にしゃぶらせたかすを
 いっぺんに全部飲込んで死んでもいい

 しかしこれは確におまえの部屋なのだから
 私は色鉛筆を食べなくてもいいのだ
 黒鯛の骨も飲まなくいいのだ
 私は合計四百二十円もうかった
 しかしおまえだって別に損したわけではない

 確にこれはおまえの部屋なのに
 私は決しておまえから四百二十円もらおうなどと思わ
  ないのだ
 不思議なことだと思うかもしれないが
 よく考えて見ればそうでもない
 私は決して恩にきせたりはしないだろう」
(全集第2巻、435~436ページ)

存在の部屋の中にゐれば、時間は存在せず、空間だけですので、私は死ぬことはない。しかし存在の部屋の外へ一旦出ると、そこには時間が流れてをり、交換関係の中に入つて行かねばならず、従ひ、時間の中で私は死なねばならない。前者の私は存在の私であり、社会から見れば(時間の外にゐるのですから)およそ死者に等しく、後者の私は、存在の部屋を知つてゐながら、即ち存在としての私として時間のある社会の中に生きねばならない以上、死ぬ事を覚悟して生きる、いつ死んでも良い覚悟以って生きる、即ち死ぬ覚悟さへあれば、十代の安部公房の認識の至った「未分化の実存」となるのです。

前者の私と後者の私の関係が、すべての安部公房の作者と読者の関係であり(例えば三島由紀夫との対談『二十世紀の文学』の中の「作者の中の読者」、全集第20巻、79~83ページ)、私と私の関係であり、「私は私である。」といふ文の意味するところであり、この認識は、そのまま安部公房のハイデッガーの主著『存在と時間』に関する理解なのです。安部公房は、この哲学者の思想の理解を、ハイデッガーのリルケ論とヘルダーリン論に依つて得たのです。前者は『欠乏の時代の中の詩人』であり、後者は『ヘルダーリンと詩の本質』他の講演や論文です。安部公房のハイデッガー理解については、稿を改めて論じます。

ハイデッガーもまた20歳の時に安部公房の著した『詩と詩人(意識と無意識)』の思考論理の中に見事に収まつてゐるのです。

閑話休題。

さて、隙間である空間に存在が招来されて、その空間は存在の部屋になりました。


4。存在への立て札を立てる。:「明日の新聞」

次にアルゴン君の為すべきことは、存在への立て札を立てることです。

その目的は、冒頭に書きましたやうに、主人公と読者のために、存在への方向を指し示す方向指示板たる立て札を存在の十字路(差異)に立て、または案内人か案内書を配し」て、さうするのです。

立て札を立てるまでの間に、アルゴン君は、存在の部屋の中で自己喪失と記憶喪失を繰り返します。小学生の安部公房の書いた「クリヌクイ」の詩の通りに、部屋の中は暗闇です。さうして、昼と夜の交代、覚醒と夢見ることの交代、チョークで描いた物の現実化と消滅の繰り返し、これらの繰り返しの間に挟まれる超越論的な、アルゴン君が存在と化するための契機が、次のやうに表されます。これらは皆、アルゴン君が、これらの交代と繰り返しの間、その隙間に、即ち存在に存在してゐること、即ち境界域にゐること、周辺飛行をしてゐることの表れです。

「次第に意識が暗闇の中にめりこみ」、「まさか……」、「気がつくと」、「……描きあげたと思うと同時に」、「……神様、私は睡くなりました。」(傍線筆者)、「ベッドからおっこちた……のではなかった。」、「まだもやにつつまれて明けきらぬ寂しい街」(傍線は原文傍点)、「再び夕暮時がちかづいた時」、「日没とともに」(全集第2巻、500~502ページ)

さて、これらの経験を積んで、主人公は「今ではこの魔法が太陽の光の前では無効であることが明瞭である」と知ることに至ります。この太陽の光を避けるために、アルゴン君は「窓をふさいで闇の中にとじこもろう」と「ふと思いつく」のです。(全集第2巻、503ページ上段)(傍線筆者)

さて、存在の部屋を暗闇にするために、アルゴン君はその材料を買い出しに行きますが、最後に新聞を買います。そして、新聞以外の材料で部屋の扉をぴったり釘漬けにし、その上にラシャ紙二枚と毛布をはりつけて、「残りの材料で窓をふさぎ、縁を角材でとめて」密室を作ります(全集第2巻、503ページ下段)。

部屋の扉は釘を打つて閉ざしましたが、しかし、安部公房の部屋には窓が必要です。そこで、アルゴン君はチョークで部屋の壁に窓を描きますが、しかし「窓はいつまでも絵のままで、本物の窓にならない」のです。その理由をアルゴン君は、「その窓が(外)を持たないため、つまり窓として十分な条件を備えていないために、実体を獲得できないのでいるのだと気付」きます。

しかし、外部を描かうとしても、時間の流れてゐる、人の住む外部を思ひ描くことができません。何故ならば、

「この仕事は窓を窓にするためにする附属的な仕事じゃない。世界の創造に関わることなのだ。これの一筆が世界を決定するのだ、そんな偶然にまかせていいものだろうか?そうだ、うかつに窓に(外)を与えるようなことをしてはいけない。おれは、まだどんな人間も描いたことがないような絵を描かなければならないのだ。」と考えるからです。このために「もんもん」の一週間を過ごし、「酒と飽食」「狂気に似た絶望」を日いちにちと過ごして、「やけくその結果」、「窓に自分の手で(外)を与える責任からのがれるため」「壁にドアを描き、ドアの外によって(外)を決定しよう」として、実際にドアを描いて開かうとしますが、安部公房の部屋にドアはありませんので、「ドアの外」は「とにかく未知の」「ドアの外」なのであり、存在の部屋の窓からの出入りではありませんから、「そこには代償として死が待ちうけているかもしれぬではないか」と考へます。ドアを開けると、「見渡すかぎり地平線以外、影一つない」「恐ろしいような曠野がぎらぎら正午の太陽に輝いてい」るだけだつたのです。

「チョークは結局なんの解決にもならなかったの」です。

「やはりすべてをはじめから創らねばならないのだ」と思ひ直し、旧約聖書の創世記に書いてある通りに山や水や雲や草木や鳥や獣や魚を描いて、自らが創造神となつて、その「曠野に与えねばならぬのだ」、「それにもまして、再び世界を描かねばならぬのだ」と決心しますが、「次から次へと涙があふれて止まらなかった。」この「あふれて止まらなかった」多量の涙は、小説の最後に存在と化したアルゴン君のたつた一滴の涙となります。ここに作者の小説作法上の、対称性を用ゐた工夫があります。

さて、この時に、「ポケットの中でカサっと鳴るものが」ありました。それが、部屋を密閉するために買い出しに出た時に最後に買った「明日の新聞」です。さて、従ひ、この新聞が登場しますと、明日と今日の関係、今日と昨日の関係が、それぞれが1日といふ単位化された時間として無時間の単位となり、単位は無時間であり交換可能ですから、それらが互いに交換されて、今日は昨日の明日、今日は明日の昨日でありますから、この新聞は明日といふ昨日に今日配達され、また昨日といふ明日に今日配達されることになります。

その様子を次のプロセスで見て見ませう。


5。存在を荘厳(しょうごん)する。:「ポケットの中でカサっと鳴る」「最初の晩、買ったまま忘れていた」「明日の新聞」=超越論的な新聞=時間が存在しない空間を創造する=存在を荘厳する事

「ポケットの中でカサっと鳴」ったものは、「最初の晩、買ったまま忘れていた」「明日の新聞」でした。

そこに「半裸のミス・ニッポン」の写真があり、アルゴン君は此の女性の「ガラスの」肉体を見て、「激しい郷愁」を覚えます。

安部公房の詩も小説も、その最後に(リルケに学んだ)透明感覚が出てきます。この透明感覚が現れると、主人公は現実の世界での死を迎えることになります。例を挙げれば、『砂の女』の最後の濾過装置の水の透明感覚、『他人の顔』の最後の電話ボックス(のガラス)、即ち透明な箱、『燃えつきた地図』の最後の電話ボックス(のガラス)である透明な箱、『箱男』の最後の「じゅうぶんに確保」されてゐる余白と沈黙の「……」のある「落書きのための」透明な箱、『密会』の最後の(『砂の女』の最後と同じ)「コンクリートの壁から滲み出した水滴」(と「明日の新聞」)、『方舟さくら丸』の最後の手が透けて見え、景色も透けて見える透明感覚、『カンガルー・ノート』の最後の透明感覚を巡る会話(「君には見えているの?」/「見えていないと思う?」)[註1]

[註1]
安部公房の透明感覚については、『もぐら感覚7:透明感覚』(もぐら通信第5号)にて詳細に論じてをりますので、これをお読みください。


アルゴン君が「激しい郷愁」を覚えて、「ガラスの」肉体を見た以上、アルゴン君の死は確定したのです。そして、自分の死を代償にして、世界の復活と蘇生を祈り、存在たる壁の中へと、「激しい郷愁」を覚えて、消えて行くのです。それは、時間の流れてゐる現実世界から見れば、死。しかし、最後には、壁の中から「世界をつくりかえるのは、チョークではない」といふ呟きが聞こえ、「丁度絵になったアルゴン君の目のあたりから」「壁の上に一滴のしずくが湧き出した」のですから、存在になつた主人公は、(世間の現実の世界から見れば死者として)永遠に、しかし、生きてゐるのです。

神々しい美しい若者の自己犠牲としての死によつて宇宙が蘇生し脈動するといふ主題は、安部公房がリルケから学んだ主題です(例えば『ドィーノの悲歌』や『オルフェウスへのソネット』など)。

何故天地創造のための男性である主人公が、その半身である筈の女性であるイヴとしてのミス・ニッポンによつて、そして此のイヴが自ら魔法のチョークで壁に描いて現実化したピストルによって、殺されねばならないかといふと、現実の世界での性愛の交換を、もし時間の外にゐる存在たる主人公がすることになれば、この小説の結末にあるやうに、イヴによつて暴力的にドアを開扉されて時間が流れ込み光が射し込み、存在の部屋の闇が雲散霧消して、主人公は死ぬことになるからです。時間の中の性愛の交換はその度に死であることは、リルケもまた其の詩に繰り返し、詩人と乙女の遥かなる(性交不可能なる)距離として常に歌ひ、また決して交はることのない、永遠にまみえることの不可能な詩人(花婿)と花嫁としても歌ふところを見ればお判りでせう。[註2]

[註2]
このことは「リルケの『形象詩集』を読む」(もぐら通信第32号以降の連載)に詳細に論じてをりますので、これらの号をご覧ください。


このことは、イヴがアルゴン君に向かつて云ふ言葉と、それに答へるアルゴン君の言葉によく表れてをります。

「死……死をつくるの。世界をつくるには、まず物事のけじめが大事でしょう。」(原文は傍線は傍点)
「駄目だ。そりゃ終りだよ。およしよ。一番必要のないものだ。」

かうして、アルゴン君は、イヴによつて暴力的に開けられたドアより流れ入つた時間と光の中で死に、「死よりも強くなにものかが」「招いている」、やつて来ることを「強制している」当のものである壁に呼びかけられて、今や壁の素材で体が組成されたアルゴン君は、同じイヴとともに、その中に吸い込まれてしまひます。

後年安部公房が述懐して云ふ「現代の芸術は、芸術そのものの自己否定からしか成立ちえないのだ。涙は失われた芸術の句点である。」と此の作品について語る通りに[註3]、最後にはアルゴン君といふ藝術家は(ほかの全ての主人公と同様に)「芸術そのものの自己否定」によつて存在の壁になり、その目の辺りから流れる一滴の「涙は失われた芸術の句点」となるのです。何故ならば、句点とは、文の最後に打たれて、次の文との間にあり、二つの文の隙間にあつて、即ち存在の宿る此の余白に棲む「一原子一分子、原子価0(ゼロ)」の、即ち存在になつて無名となつたアルゴン君にほかならないからです。

[註3]
覚え書ー魔法のチョーク』」(全集第22巻、446ページ)


6。次の存在への立て札を立てる。:壁→この壁はそのまま『S・カルマ氏の犯罪』の最後の壁になる。果てしなく(時間の無い)垂直方向に成長する壁である。

さて、こうして、壁になつたアルゴン君が、いや、アルゴン君の消えて行つた壁が、次の存在への立て札となるのです。

この壁が其のまま『S・カルマ氏の犯罪』の主人公、S・カルマ氏の壁となるのです。

存在となることが、何故社会から見れば犯罪になるのか、何故原因なく裁かれねばならないのかは、上記「3。存在を招来する。」で、同作中のロール・パン氏が悲痛な調子で詩の朗読をするところでお話した通りです。

このことに関して未だ尚論ずべきは、安部公房の作者・読者論であり、主観・客観論であり、謂はば『僕の中の僕』論であり、『私は私である』論の構造、安部公房の『主語・述語』論の構造なのですが、これについては、安部公房のハイデッガー理解と併せて、稿を改めて論じます。安部公房の此の主観・客観論をご理解になれば、安部公房の作品を全てに亘つて一層楽しく理解することができるでせう。これは、結局「奉天の窓」[註4]の豊かさ、基礎的な概念の組み合わせの複雑さを単純に論ずることになるのです。

[註4]
「奉天の窓」については、『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する~安部公房の数学的能力について~』(もぐら通信第32号及び第33号)をお読み下さい。安部公房の文学の全体が解ります。


追記

最後に付記すべきことがあります。

それは、この『魔法のチョーク』の存在の部屋に関する考へ方と描き方は、安部公房スタジオの演技論として、安部公房が若い役者たちに1970年代を通じて教へたことと全く同じだといふことです。つまり、

存在の部屋の中には、『魔法のチョーク』の冒頭に「三メートル四方の小さな部屋に似合わず、ひろびろと見えるのは、壁ぎわによせて置かれた椅子が一つあるだけ、ほかになんにもなかったからで」あり、そして其の椅子に座つて凝然として動かぬ死刑直前の死刑囚がゐるのです。これがアルゴン君であり、そのほかの作品の安部公房の主人公にとつての理想の人間の姿なのです。

この存在の部屋にこのやうにゐることが、安部公房の演技概念である「ニュートラル」の状態に、その役者がゐることなのです。以下『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する~安部公房の数学的能力について~』(もぐら通信第33号)より引用します。

『魔法のチョーク』に関する以上の説明をお読みになれば、「ニュートラル」といふ演技概念も全く同様に其のまま理解することができる筈です。アルゴン君は、存在自体になつたのです。[註5]

7。安部公房のニュートラルという概念

安部公房は、ニュートラルという概念について、次の文章を書いております(全集第24巻、146~147ページ)。以上述べ来たった奉天の数学的な窓を念頭においてお読みになると、安部公房の言っている言葉は少しも難しくないことがお判りでしょう。(強調赤文字は筆者。傍線は原文は傍点)

「 演技におけるニュートラルという概念は、ぼくが思いついて命名したもので、かならずしも一般的なものではない。それだけに、誤解の可能性も大きいので、今回は多少こまかくその定義づけをしてみよう。

 前回であげた例題---聞こえている多数の音の中から、比較的聞き分けやすく、持続的な音を選び出し、それに集中することで、他の感覚を排除する(読者もこの場で、ぜひ一度こころみていただきたい)---は、ニュートラルの重要な原型の一つはあるが、すべてではない。比喩的に言えば、ニュートラルにおけるゼロの状態、もしくは、ゼロのニュートラルにすぎないのである。
 この、ゼロのニュートラルを基点にして、無数のニュートラルの変形が存在する。

 だが、その説明に入る前に、演技---肉体表現---の意味や構造をさぐるに当たって、なぜぼくがニュートラルという概念をとくに必要としたのか、まずその理由から説明しておく必要があるだろう。

 たとえば、次のような情景を思い浮かべていただきたい。開幕を告げる二ベルが鳴る。客席の明かりが消え、期待と疑惑が入り混じった、多少意地の悪い静寂が劇場を包み込む。そっけない音をたてて幕が上がる。舞台は空白で、あいまいな光がその全景を平板に照らし出している。その中央に、なんの特徴もない木の椅子が一つおかれている。俳優がひとり、ぽつねんと掛けている。刻々と時間が過ぎていく。こういうときの時間は、一秒が十秒にも感じられるものだ。俳優は無言である。無言であるばかりか、動こうともしない。身じろぎもせず、ただじっと坐りつづけている......
 さて、一般的には、これほど退屈な場面もないだろう。退屈の見本とさえ言えるかもしれない。
 (略)
 もっとも、そのための演技力は、いわゆる名優による名演技とは、あまり関係のないものだ。前にも書いたことだが、俳優が自分の想像のなかで描いた理想の演技をなぞったり、再現したりするほど、無意味なことはない。いわゆる名優の名演技にしばしば伴う陳腐さは、もっぱらその手の自己模倣のせいなのだ。誤解を覚悟のうえで、あえて極端な例をひいてみよう。たとえば、処刑十分前の死刑囚の独房を、秘密の覗き穴からのぞく機会を得たとして、君はその十分間を決して長くは感じないはずである。たぶん、いくら眺めつづけていても、見飽きることはないだろう。しかし、その同じ設定を俳優が舞台で演じた場合、はたして十分間の凝視に耐えうるだろうか。つまり、ぼくが問題にしているのは、俳優の上手、下手ではなく、この死刑囚と俳優の間にはだかっているあまりにも深い溝のことなのである。

 むろん、俳優が死刑囚になり切ることは不可能だし、また必要なことでもない。見る側の要求にも当然違いがある。俳優に求められているのは、あくまでも演技としての表現だし、死刑囚が見る者をとらえて離さないのは、その存在自体であって、表現ではない。にもかかわらず、共通しあうものがあるのも確かなのだ。ともかく、そこにそのように存在しているということ。さらに、そのことによって、見る者を捉え、その日常から引離し、目撃ちおう体験の中で、相手に自己の再創造を強制するという点なのである。
 言いかえれば、俳優に必要なのは、雄弁術ではなく、存在術だということだ。すでに何度か繰返したことだが、意味や筋書の運搬人(説明役)としてだけでなく、その瞬間々々における状況との関係自体を、(ちょうど死刑囚のように)表現として自立させることが大事なのである。少なくも、演劇が---したがって俳優が---現代の観客の要求にこたえて生きのびていくためには、欠かすことの出来ない条件であるはずだ。

 ニュートラルというのは、要するに、存在自体が表現として成立つための、基本条件なのである。
 (略)

例題
 
 心理的に、怒り、あるいは恐怖として表現されるものの、生理的対応点をさがせ。極端な生理反応においても、ニュートラルの原則はそのまま適用される。ある生理的集中の方向をつかみ、それを多少変形させることによって、怒りと恐怖の、かなりの部分が(心理を介さずに)表現できるはずである。」(傍線は原文傍点。強調文字は筆者)(『再び肉体表現における、ニュートラルなものの持つ意味について。ー周辺飛行18』全集第24巻、146~147ページ

この最後の例題の「方向」という言葉を目にすると、この役者への例題はこのまま、安部公房が書斎の中で全く孤独に執筆して、安部公房独特の文体を創造するための例題だと言っても同じだと思われます。つまり、安部公房自身が、その交点に存在して執筆するわけですから。そうして、そのことが、リルケに学んだ自己喪失という行為の実践であることは、これまでも私の諸論で繰り返し述べたところです。[註12]

[註12]
この俳優への存在術としての「方向」と「変形」と自己喪失、即ち存在と化することは、すでに19歳の安部公房がリルケに学び、その『マルテの手記』を読んで自得した詩の骨法なのです。『〈僕は今こうやって〉』と題したエッセイに、次の言葉があります。傍線筆者。

「 僕はマルテこそ一つの方向だと思っている。マルテが生とどんな関係を持つか等と云うことはもう殆ど問題ではないのだ。マルテの手記は外面から内面の為の窪みをえぐり取ろうとする努力の手記なのだ。マルテは形を持たない全体だ。マルテは誰と対立する事も無いだろう。
 例えば、ヘルデルリーンをマルテと比較する事が出来るであろうか。それは不可能な事に異いない。第一マルテは方法なのだし、ヘルデルリーンは素材なのだ。これを一緒にして考える事等出来るだろうか。」(全集第1巻、89ページ下段)

これは、安部公房が方向という言葉を使うとき、それは時間を一元の直線的な時間では考えているのではないことを意味しています。この方向という言葉と安部公房が若い時に道と呼んだ(例えば『問題下降に拠る肯定の批判』で18歳の安部公房の提出した遊歩場という道。全集第1巻、12~13ページ)と、そして時間の関係をどのように考えていたかの一端は、『株の道と安部公房の道』と題して、もぐら通信第24号で論じましたのでお読みください。

(以下略)


[註5]
この「存在自体」について、またこの言葉で言ひ表してゐることが、どんなに金山時夫の死に直結してをり、その死に起因してゐるかを、『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する~安部公房の数学的能力について~』(もぐら通信第33号)(もぐら通信第33号)によつてお読み下さい。

『終りし道の標べに』:
この表紙裏にある言葉、亡き金山時夫への鎮魂の献辞は、やはり自己と金山時夫との差異についての言葉で始められていることに、改めて、気づきます。

「亡き友金山時夫に

 何故そうしつように故郷を拒んだのだ。
 僕だけが帰って来たことさえ君は拒むだろうか。
 そんなにも愛されることを拒み客死せねばならなかった君に、
 記念碑を建てようとすることはそれ自身君を殺した理由につな
 がるのかも知れぬが......。」

これは未分化の実存(性の分化しない年齢)である時代からの親友の死と自己の生の差異を書いた鎮魂の献辞ですから、その差異を埋めるための安部公房の感情は、鎮魂の、弔(とむら)いの感情ということができます。

この鎮魂と弔意の感情は、この後の小説の冒頭の全てに立ち現れていると理解することができます。中埜肇に当時金山時夫の訃報に接した安部公房は、高校時代以来の親しい友人、高谷治に次のように書いています。

「 尚ほ、今の計画としては、金山の伝記を書き度いと思つてゐる。これは容易な仕事ではない。詩であつてもならないし、伝説であつてもならない。やはり、悩み、生き、そして最后に、存在に対決する為に、永遠の孤独に消えて行つて、人知れず夜の中に潜入して、悲しみでもない悦びでもない歌を信じながら死んで行つた一人の友を、此処で再び永遠に生かさねばならないのだとしたら......」(『高谷治宛書簡』全集第29巻、277ページ)

ここに書いてある23歳の安部公房の思い、親友への鎮魂と弔いの念は、この処女作も含み、遺作『飛ぶ男』と『さまざまな父』までの全ての著作に及んでいます。何故ならば、これらの作品の主人公は皆「存在の中に姿を消した」主人公、即ち金山時夫であるからです。

更に、何故ならば、安部公房の造形する主人公たちは皆、「やはり、悩み、生き、そして最后に、存在に対決する為に、永遠の孤独に消えて行つて、人知れず夜の中に潜入して、悲しみでもない悦びでもない歌を信じながら死んで行つた一人の友」であるからです。

そうして、この鎮魂と弔いの念は、この「一人の友を、此処で再び永遠に生かさねばならないのだとしたら」一体どういう「詩であつてもならないし、伝説であつてもならない」そのような散文を書くべきかという問いに答えることを安部公房に要求し、そうして安部公房は、その死者を「此処で再び永遠に生かさねばならない」という鎮魂と弔いのこころで、作品を書いたからです。

従い、このように、安部公房は、その物語の最初に死者を蘇生させ、復活させ、その物語の空間に呼び出し、招来するための差異という数学的な認識に裏打ちされた呪文をまづ唱えてから話を始めるというこの儀式を誰にも、読者にも知られぬように姿を隠して唱えている透明なるシャーマンなのです。

『終りし道の標べに』の表紙裏にある言葉、亡き金山時夫への鎮魂の献辞は、この奉天の親友の霊魂を呼び出す、実は呪文であったのです。

安部公房の語り批判するシャーマンは、公共の儀式の場では、祖国の詩を歌いますが(『シャーマンは祖国を歌う』全集第28巻、229ページ)、他方、実はシャーマンである安部公房自身は、認識された差異に在る存在を歌うことによって、死者と其の霊魂を招来して、神話の世界である存在を、やはり詩として歌うのです。[註37

かうしてみますと、安部公房は、実は隠れたシャーマンなのです。

シャーマンですから、安部公房は、古代的な感覚を持った人間であり、古代的な感覚を持った存在であるといっていいでしょう。『カンガルー・ノート』に至って、遂に賽の河原の歌が登場することは、少しも不思議ではないのです。賽の河原で御詠歌を歌う子供たちは、『終りし道の標べに』の表紙裏にある言葉、奉天以来の親友であり子供である亡き金山時夫への鎮魂の献辞と同じこころで歌われているからです。見事に、処女作と最後の作品が照応しております。従い、この間にあるすべての作品も、同じこころで書かれたと理解することができます。


また、1946年12月23日付で成城高校時代に親しく哲学談義をした友、中埜肇宛に次のやうに語つてゐます。安部公房は存在自体になりたかつたのです。


「 詩人、若しくは作家として生きる事は、やはり僕には宿命的なものです。ペンを捨てゝ生きると言ふ事は、恐らく僕を無意味な狂人に了らせはしまいかと思ひます。勿論、僕自身としては、どんな生き方をしても、完全な存在自体――愚かな表現ですけれど――であれば良いのですが、唯その為に、僕としては、仕事として制作といふ事が必要なのです。これが僕の仕事であり労働です。」(『中埜肇宛書簡第8信』全集第1巻、188ページ)

追記2
以上の論考を更に註を付して明細にしたものを、もぐら通信第52号に掲載しましたので、これをごらんください。当時の安部公房が如何様に詩人から小説家に変貌したか、その努力の跡を知ることができます。