安部公房の窓
安部公房は、10代のころから、窓というものに特別の注意を払っておりました。
今、ざっとわたしの記憶にある、安部公房の窓の出てくる資料を挙げると次のようになります。
1。中埜肇宛書簡(第4信)の窓氏(1943年)
2。「詩と詩人(意識と無意識)」の窓(1944年)
3。「君が窓辺に」という詩の窓(1944年)
4。「第一の手紙~第四の手紙」の窓(1947年)
5。「箱男」の窓(1973年)
6。「カンガルー•ノート」の窓(1991年)
これ以外にも、もっとたくさんの安部公房の窓があると思います。ご存じの方は、ご教示下さい。
さて、最初の中埜肇宛書簡(第4信)の窓については、次のように書かれています。
ニーチェは僕の目に益々偉大に、物苦しくうつつて来ます。
没落は、実は今の所ある非常に大きな暗礁にさしかかって居るのではないでせうか。十九世紀の歴史的意義は果たして何だつたでせうか。……新しい登場人物。別離と窓氏。
中埜君、どうかニーチェが気が狂ったと云う事と、最後迄ワーグナーの悪口を云ふのを忘れなかつた……あきなかつたと云う事に御注意下さい。人間はあの悲しい反照なくしては自己証認すら足場をなくするのです。……僕がふと見上げる時、人々はつめたく窓をとざす。「これは君の趣味ではないのかね」
とある通りを読むと、ニーチェの名前があるように、そうしてニーチェの創造した主人公、ツァラツストラがそうであかjのように、概念の山の戴きから下界の詳細な現実へと下降して来る、その意識のもとに書いた「問題下降に依る肯定の批判」(1942年)で書いたことを意識して、10代の安部公房は、この手紙を書いたのだと思います。
没落の生活をする中で、どうも窓は、他者との通路のようです。また、この当時の安部公房は、窓ということと別離を一緒に考えていたということがわかります。
「詩と詩人(意識と無意識」(1944年)の中に次の文章がありますので、引用します。この作品は2部構成になっていて、第1章が「1。真理とは?」、第2章が「世界内在」と題されていて、考察が書かれています。窓が出て来るのは、この第2章です。少し長い引用となります。
自己の内面に心をはせて、あの心の部屋と自分に全く無関心な外界との分裂に気付く人は、その間を隔てている永遠の窓を幾度も押し開けようと試みる。けれど何時でも、その窓を押し開けようとして差しのべられた手は力無く、実体を伴わぬ幻影のように侘しく目的を放棄して終わらねばならない。その窓は永遠にと閉ざされているのだ。
しかし、その分裂の悩みの裡に憧れたその窓の外には、果たして今吾等が見ているが儘の姿が現存するのであろうか。果たして此の窓ガラスは透明に外界の形象をありの儘に我等の孤独の部屋の中に送り込んで来るのであろうか。若しかして此の色とりどりの外界は単に窓ガラスに巧みに画き出されて行く幻ではないのか。それとも此の窓は吾等の心の反照たる鏡なのではなかろうか。
(省略)
此の窓が、これも亦やはり人間の在り方であると言う事は誰しも認める事だろう。それならば、その窓を通して(と思われる)見えるあの外界の形象も亦、その窓に属するものと考えなければいけないのではないだろうか。と言うのは、その外界は実存すると否とに不拘、既に窓を通して見たと云う特殊の制約を性格として附加されていて、しかも其の窓は人間の在り方と云う体験的解釈である以上、その外界は明かに吾等の体験的解釈を通じてのぞき見たものに他ならないのである。それ故にこそ外界は、<<かく見ゆる>>のである。
この窓は、安部公房の一生を通じて、大切なモチーフ(動機)のひとつとなっています。
安部公房は、カメラがとても好きで、写真をたくさん撮っています。安部公房にとってのカメラ、写真撮影という行為の意義は、この10代に思考して得たこの窓に、その淵源があるのだと、わたしは思います。
そうして、それは、上の引用にもありますが「のぞき見」るという行為は、カメラを通じて行われる、犯罪的な、一種の共犯者としての感情に通じていると思います。
箱男の段ボールの窓を思って下されば、それはひどく自明のことのように思われることでしょう。
そうして、安部公房の撮影する写真が、共同体の内側ではなく、その外側にある塵捨ての場所であったり、また建物の間にある、薄汚れたような、薄暗い、また人の知らぬ隙間の空間、いってみれば、空間と空間の接続部分であるということが、深い意味を持っていると思います。
「第一の手紙~第四の手紙」では、語り手である主人公に仮面と手袋を置いて去った人物が窓辺にいたところで、その人物に仮面と手袋を渡す(その前の)人間が姿を表すのです。
「君が窓辺に」という詩の窓は、次のように歌われています。詩の全体を引用します。
光より 光の方へ想ひ流れて
静かなる胸の動きを 君が窓辺に聴き給へ
我が立つ声 嘆きも忘れ
黙すかの如く 君が窓辺に
石の如(ごと) 面をふせ ひそかに偲びて
麗しの陰影は君が姿を居かこみぬ
語るも忘れ もだしためらひ
なげくが如く 君が窓辺に
歩み給へ別離こそ まことの愛ぞ
涙の始め 笑ひの始め
ほのかなる 天使の姿
吾れなえはてし 君が窓辺に
一人して うまし木の実を
なさけだに おとししものを
一人居の天使 吾れに許さじ
涙せし如く 君が窓辺に……
これは、一人称(わたし)の窓辺ではありませんが、わたしと君との間に窓があります。
「詩と詩人(意識と無意識」の窓の文章を読むと、この窓が二人称である君を理解する、君を反照する窓であるのでしょう。そうして、一人称であるわたしもまた窓を持っている。
最後に「カンガルー•ノート」の窓を、その小説の最後からひいいてみたいと思います。もう、ここはほとんど「箱男」の世界と同じ情景です。
箱が窓の下に据えられ、ランニング•シャツの一群が、ぼくを窓から引き下ろそうとする。(省略)
北向きの小窓の下で
橋のふもとで
峠の下で
その後
遅れてやってきた人さらい
会えなかった人さらい
わたしが愛した人さらい
遅れてやってきた人さらい
会えなかった人さらい
わたしが愛した人さらい
(オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテヨ)
この晩年の詩には、10代の安部公房には願っても得られなかった軽味、ユーモアがあります。
そうして、窓といい(それも北という方向を向いている)、橋といい、また峠といい、いづれも接続する場所だということが、共通していることで、安部公房のセンス(感覚)、生きているという感覚と、生き生きとしたイメージは、これらの接続する場所から生まれて来たのだということがわかります。
これは、10代の散文「問題下降に依る肯定の批判」では「遊歩道」といい、「第一の手紙~第四の手紙」では「歩道」といった場所、通路と全く同じものを意味しています。
このような安部公房の思想を一言でいうと、それは、
物事の本質或は意味は、関係にあり、従い、普通ひとが二義的だと思っている領域に、それは存在する
という思想です。
これが、そのまま晩年のクレオール論(言語機能論)の骨格であり、また、アメリカ論の骨格であった筈です。
これらの論文を是非読みたかったと思うのは、わたしひとりではないと思います。
〔岩田英哉〕