安部公房の手 2
安部公房全集第1巻に「第1の手紙~第4の手紙」という作品(1947年。安部公房24歳)にある手について、引き続き知ったことを書いてみたい。
第3の手紙に書かれた手、手袋をした手は、その手袋を持参した男の言葉によれば、のっぺりしているばかりではなく、また「若し手相見が見たら何と思うでしょうね。過去にも未来にも全く運命を持たないて……人相観なら定めし腰を抜かして了うでしょうよ。」といわれる手です。
のっぺりといい、またこの時間の無い手、時間を捨象した手ということからいっても、これは何か存在(das Sein)という以外にはない何ものかなのでしょう。
こののっぺりとして時間のない状態、これを後年安部公房は劇団を立ち上げて演技指導するときに、俳優に要求して、neutralな状態と呼んだものではないかとわたしは思います。
それは、確かに「詩以前の事」です。
この手袋の手が「詩以前の事」であるということは、また同じ第3の手紙の中に引用されている次の詩の後半部分、第2連によって明らかです。
心にもなく招かれて
想ひのほとり ほころべる
冷たき花の 涙かな
名も呼ばず 求めもせじに
たそがれの 面(おも)に画ける
宿命(さだめ)の花の 散りしかな
「名も呼ばれず 求めもせじに」とあり、「たそがれの 面」というのは、のっぺりとした時間の捨象された手のイメージを含んでいます。
面白いのは、この詩の前半部の「心にもなく招かれて」というところです。
安部公房の小説や劇の主人公は、みな「心にもなく招かれて」別世界の迷路を彷徨うのではないでしょうか。
さて、このように考えて来ますと、前回書いた
安部公房らしいのは、この手の出現が、「それは新しい手の出現の為ではなく、元の見順れた、私の手の喪失の為の悲しさだった様に想う。」と書いているところです。
と書きましたが、「元の見順れた、私の手の喪失」とは、個別のだれそれさんの手が、のっぺりと時間の無い手になってしまうということ、存在の手になること(die Hand des Seinsというだろうか)を意味しているのであり、その喪失の感情が悲しみだということになるでしょう。
わたしはここまで書いて来て、荘子という支那の古典にある次の話を思い出しました。それは、荘子の第7 応帝王篇にある話です。
渾沌の住んでいる土地に、ふたりのものが行って、饗応を受けた。感激したふたりはお礼に混沌という生き物(これは自然の象徴でしょう)に7つの穴を開けて、目や鼻の穴やらをつくったら、渾沌は死んでしまったというものです。
渾沌を存在と言い換えてもよいと思います。
従い、道ばたに落ちている手というものも、確かになりは手なのですが、今まで実はだれも見た事のない手であって、存在の手であるからには、名前を呼ぶ事ができずに、ぎょっとすると安部公房は、娘のねりさんに言いたかったのだと思います。
それは、手ではない手、名辞以前の何ものか、なのです。
次回は、安部公房の顔について、同じ「第1の手紙~第4の手紙」から論じてみたいと思います。
(この稿続く)
(この稿続く)
〔タクランケ〕
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