安部公房の手
安部公房は、手というもの、この人体の一部について、若いころから特別な注意を払っていました。
リルケは10代にリルケに没頭していて、リルケというひとも手に深い意味を見つけたひとですから、その影響でしょうか。
しかし、影響とは一体何でしょうか。
リルケの手は、晩年の大作2つのうちのひとつ、オルフェウスへのソネットを読みますと、その第2部のソネットXXIV(http://shibunraku.blogspot.jp/2010/01/xxiv2.html)において、粘土は手で壷を創り、壷はその前提として、そこに入れる小麦や酒やら共同体の生産を組織的にして、そのような社会的な役割を持っている壷を、人間の手がつくると歌っています。
手が壷をつくり、そうして壷には水と油が満ちて、共同体が栄える。手の仕事は定住に関係があるのでしょう。
しかし、仮にリルケの手に想を得たとしても、安部公房の手は、全く独自の手になっています。
安部公房の娘さんの安部ねりさんの著した「安部公房伝」(196ページ)には、次のような会話が父と娘の間にあったことを伝えています。
「ねり、手って何か特別な感じがしないか」と父は私に話しかけた。私が「どう特別なの?」と言うと、父は「たとえば道に、手が落ちているとするだろう。そうしたら、とてもびっくりするじゃないか」と脱線をし、「それなら足首が落ちてたってびっくりするし、首が落ちていたらもっと驚くじゃない」と、親子らしいすれ違いをしてしまった。
このような手は、もうリルケの手とは全然違うという感じがします。
道ばたに落ちている手、です。
安部公房全集第1巻に「第1の手紙ー第4の手紙」という作品がある。これは、1947年の作品。
第3の手紙は、顔と手について[仮面と手袋を装着することについて]
第4の手紙は、やはり顔と手について[装着した後の顔と手について]
さて、この第3の手紙に書かれた手、手袋をした手は、「のっぺりとして、しわ一つない、真上から明かるい電燈で輝らされた手のひらは、まるで何かなめくじの腹の様な不気味さ」のある手になっているのでした。
安部公房らしいのは、この手の出現が、「それは新しい手の出現の為ではなく、元の見順れた、私の手の喪失の為の悲しさだった様に想う。」と書いているところです。
従い、道ばたに落ちている手というものも、何か本来人間の一部であった手が、その手の機能、働きを喪失することになる、そのような手であるのかも知れません。
このあとに書かれる様々な小説にも、果たして、手が出ているのかどうか。出ているとすれば、それはどのように書かれているのか。
ご存知の方は、お教え下さい。
(この稿続く)
〔タクランケ〕
(この稿続く)
〔タクランケ〕
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