安部公房にとっての詩と小説の関係について
安部公房全集第1巻に「第1の手紙ー第4の手紙」という作品がある。これは、1947年の作品。
これは、安部公房が詩について書いた文章です。手紙の体裁をとっていて、いつも誰か見知らぬ相手、あるいはもっと言えば安部公房自身の中のもうひとりの読者に向かって書いている手紙体、または手記の形の作品です。
そうして、その安部公房の典型的な手記の形式を以て、詩について書いているのです。
第1の手紙を少し読み進めますと、次の一節があります。
驚かないで下さい。此の僕の取った未知と云うのは、<詩以前の事>について書く事だったのです。勿論それにこだわる事は止しましょう。だが、<詩以前の事>は、森に包まれた山路の様なものです。
この一文で明らかなことは、安部公房にとって、手記という形式の散文は、その言葉をそのまま信じると「詩以前の事」を書いているものなのである。そうして、これは、その通りだと信じてよいと思われる。
この「詩以前の事」の「詩以前」とは、時間の中で詩の生まれた先後をいうのではなく、むしろ全くその逆で、時間を捨象して(これが安部公房らしい)、「詩以前」と言っているということなのです。
詩の前にある事、そうして詩の基礎になっている物事を書く事、それも手紙や手記の形式でそのような「詩以前の」物事を書く事、これが安部公房にとっての散文の意味であり、それがひとに小説と呼ばれるものになった最初の姿なのだということがわかります。
従い、安部公房にとって、詩と小説の関係は、詩は詩、「詩以前の事」を書いたのが小説ということになるでしょう。
安部公房がこのように考えて小説を書いたということは、とても大切な事だと思います。
安部公房は無名詩集をとても大切にしていて、小説家として名をなしてからも、自分のよき理解者には、この詩集を手渡して、そのこころを表していました。
追記:
第1の手紙は、詩と「詩以前の事」について、
第2の手紙は、歩道について[これは既に「問題の下降に依る肯定の批判」(1942年)という10代のエッセイでは、遊歩道として出て来たものと同じイメージのものです。]
第3の手紙は、顔と手について[仮面と手袋を装着することについて]
第4の手紙は、やはり顔と手について[装着した後の顔と手について]
遊歩道や顔や手は、安部公房がその種子から大切に育て、はぐくんだイメージ、形象のひとつです。
これらについては稿を改めて論じたいと思います。
〔岩田英哉〕
〔岩田英哉〕
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