マルテの手記10:手紙という形式
安部公房は、その主要な作品で、手紙という形式、或は手記という形式を多様して、その作品世界を構築しました。
マルテの手記と呼ばれるこの作品も、主人公が読者を想定して書かれている告白体、独白体の手紙の形式です。
このマルテの手記の中に更に、敢えて「手紙の下書き」(或は、「手紙の構想」)という題の小節を、リルケは書いています。
言わば、手紙の中の手紙です。これも、安部公房の意識の中にある、話中話、劇中劇という構造に同じです。
この「手紙の下書き」のような書き方は、安部公房の手記体の小説によく見られる追録、後書きに似ていると思います。附属的な場所を設けて、註釈的に書くことが必要な場合と、必要な言葉があるのです。
望月訳には、何故か、この「手紙の下書き」という一語、Briefentwurfという大事が言葉が訳されておりません。その文章は次のようなものです。
「ああして別れるべくして別れたのだから、君に書くべきことはほんとうはなにもないが、やはり書いてみよう。やはり書くことにする。いや、どうしても書かなければならないと思う。偉人廟(パンテオン)であの聖女の絵を見たからだ。(略)彼女は眠っている町を護っているのだ。僕は泣いた。一枚の絵のなかに思いがけなくそういうものを見たので涙が流れた。僕はその絵の前で嗚咽をした、泣かずにはいられなかった。」
(この稿続く)
[岩田英哉]
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