中田耕治さん安部公房を語る4:「おもちゃ箱」から
「安部君のエッセイ、「おもちゃ箱」が書かれてからも、さらに長い歳月がながれている。
私にしても、「戦後」の思い出などは、自分でももはや実態のない、茫漠とした、ときには混沌としたものになっている。
当時の埴谷さんの印象を書いている。
洞窟のような寛容さをもった口をしていた。口が印象的なのは、たぶんあの笑い方のせいだろう。それは、まことにデモクラチツクな笑い方で、どんなに臆病な相手でも、さりげなく対話の勇気を与えてくれたりしたものだ。
という。
私は、埴谷さんにいろいろな質問をしては、その一つひとつを心に刻みつけようとしていた。
一方、安部君は、「近代文学の連中」とは、それほど親しみをおぼえなかったと見ていい。「近代文学」のなかでは、「埴谷雄高だけが、不思議に鮮明な印象を残している」のは、いつもきまって埴谷さんと話をしていたからだろう。
(略)」
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