中田耕治さん若き安部公房を語る6:フッサール、リルケ、ニーチェ
安部公房が中田耕治さんと出逢ったころ、そうして『近代文学』に出入りをしていたころに、盛んに二人で話をしていたことは、フッサール、リルケ、ニーチェであることが分かります。
また、特に『近代文学』の同人のうち、安部公房を評価し、安部公房がよく話をした相手が、埴谷雄高であり佐々木基一であること。
また、安部公房は、山室静や中田耕治さんを相手に、リルケを語ったこと。リルケを語ることに、「救い、癒しといったものをおぼえ」ていたこと。
【24】
(略)
当時の安部君にとっては「近代文学」の人たちの話題が、「輪郭不明の朦朧体」としか見えなかったのは、止むを得ないことだった。安部君は、日本の文壇小説にまるで関心がなかったからである。
「終りし道の標べに」は、初版(1948年)のあと、どういうものか、20年間、再刊されなかった。むろん、安部君が、その20年にまったく別の世界を切柝したのだから、あらためて処女作を出すことなど考えなかったに違いない。それは、「無名詩集」もおなじことで、作家はこの詩集の再刊を許さなかった。
この詩集をまっさきに称揚したのは、佐々木基一さんだった。
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