2015/07/05(Sun) 1624
【20】
この頃の安部公房が、よく話題にしたのは、フッサールだった。
いうまでもなく、エドムント・フッサール(1859~1928)である。なぜ、こんなことを書いておくのか。むろん、とりとめもない思い出にすぎないのだが――当時、フッサールの名は「フッセル」として知られていた。
それなのに、安部君はいつも、フッサールといっていた。
安部君が「純粋現象学」を讀んでいたことは間違いない。あまり、たびたびフッサールが話題になるので、私も「純粋現象学」を読む気になった。しかし、私の貧弱な頭脳では、フッサールの思想はほとんど理解できなかった。
私の頭がわるいせいだが――
デカルト普遍的懐疑試行の代わりに、我々の厳密に規定された新しい意味での普遍的「エポケー」を変わらせることが出来るであろう。しかし、われわれは十分なる根拠を以てこのエポケーの普遍性を制限するのである。何故ならば、もしかりにこのエポケーが、いやしくもその可能なるかぎりに包括的なるものであるとすれば、いかなる措定、ないし判断もまったく自由に変様され、判断
の主辞とされ得る如何なる対象性も括弧に入れられる故、変様せられざる判断に対する余地、況んや学に対する余地はもはや残されないという事になるだろうからである。しかるにわれわれのめざす所は・・・
(略)
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