中田耕治さん若き安部公房を語る5:小さな出来事
ありがたきことに、中田耕治さんの投稿が続いています。
近代文学のみならず、先の戦争の後の(ということは戦前からということになりますが)、日本の作家たちの外国語の能力は、やはり、素晴らしいものがあるということがわかる貴重な証言です。
また、謎の、東大仏文出の秀才作家は一体誰なのか、興味津々の22回目です。
【22】
いまさらながら、「近代文学」の同人に私は多くを負っている。
1946年、「近代文学」の人たちについてあまり知らなかった。
戦後になって、シュヴァイツァーの「文化の再建」を読んだ。これは山室静の訳だった。トーマス・マンの「自由の問題」や、イーヴ・キューリーのロシア紀行、「戦塵の旅」なども読んだ。トーマス・マンは、高橋義孝訳。イーヴ・キューリーは、坂西志保、福田恆存共訳。
山室静は、翻訳家として知られていた(というより、私がたまたま翻訳を読んでいただけのことだが)。高橋義孝も、福田恆存も、まだ無名だったに違いない。
しかし、こうした本を読みつづけているうちに、はじめて翻訳という仕事に興味をもつようになった。
「近代文学」の人たちは、いずれも外国語に造詣が深い。
荒さんは英語の本を訳しているし、埴谷さんはドイツ語でカントを読んでいる。佐々木基一さんも、後にルカーチを翻訳するほどの語学力を身につけている。
ただし、私は語学を勉強する気はまったくなかった。
これまで一度も書いたことはないのだが、私が外国語を勉強する気を起こさなかった小さなできごとがある。
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