安部公房の短編『良識派』についての感想
「熱狂的シトロエニストのBMW生活(笑)」という題名のブログを書いていらっしゃる安部公房の読者の方がいて、そこに次のような、これもめづらしく『良識派』という短い話についての感想をお書きになっているので、お伝えします。
この方は、シトローエンというフランスの自動車の好きなかたとお見受けします。自動車についてのブログです。
この作品は、1958年10月の発表。全集第24巻、310ページにあります。
さて、この作品を読みますと、『箱男』脱稿後の講演で話をしているのと同じ動機(モチーフ)についての話だということが、よくわかります。
「2012年09月06日
突然、安部公房のこと
安部公房は私の好きな作家のひとりです。
中学生の頃からのめり込んでいたので、それを目にしたウチの父親は母親に『あいつは赤くなったのか?』と尋ねたと、大人になってから母に聞きました。
確かに昔は左翼作家という評もあったのでしょうが、今にして思うと大江健三郎などと並べてしまってはちょっと違うし、プロレタリア文学というわけでもないし(←そういうニュアンスの作品もありますけどね)、読書好きとして読んで面白いから読んでただけなんですけどね。
なんだかんだで、新潮文庫の作品は全部買って読んだのですが、全集を全て読み込むほどでもなく、全ての作品を知っているというわけでもありません。
こんなことを書き始めたのは、最近のあるブログで、安部公房の『良識派』という作品のことが取り上げられていたからです。
このブログは、ブロゴスに転載されたため多くの人の目に触れました。(私もそのブログはブロゴスで知りました)
(略)」
以下、次のURLへ:
このブロガーの結尾の言葉に逆らって、この短編を一言でまとめると、それは、この話は、
自由と閉鎖空間と、そこから如何に脱出するかという18歳の『問題下降に拠る肯定の批判』以来の話である
ということになるでしょう。
以前、この「安部公房の広場」に書いた『何故安部公房は自動車が好きだったか』についての論考です。
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