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2014年11月11日火曜日

三島由紀夫の新作歌舞伎と安部公房の仮説設定の文学


三島由紀夫の新作歌舞伎と安部公房の仮説設定の文学


三島歌舞伎 「鰯賣戀曳網(いわしうり こいのひきあみ)」という新作歌舞伎があります。

昭和29年の作品ですので、1954年。この歌舞伎作品の上演に当たって、三島由紀夫を次のように、その上演プログラム(昭和二十九年十一月歌舞伎座プログラム)に書いています。

「新作歌舞伎を作るに当たって次の二条件を考えた。

(一)従来の新作歌舞伎は、歌舞伎の技術的財産を十分に利用しないで、かえってそれを無視したり、歪曲しようとばかりして来ている。歌舞伎の技術的財産、特にその天才的な様式美は、現代の作者といえども、百%あるいは百%以上に利用し活用しなければならぬ。

(二)歌舞伎の内容は、現代のわれわれには共鳴できぬ部分がたくさんある。封建道徳しかり、これでもかこれでもかと哀れっぽく持ちかける涙の乱用の劇作法しかり。義理人情のしがらみでしめつけてかかるやり方しかり。そこで悲劇からは封建道徳と義理人情を、喜劇からは低俗さをとりさって、すべてを人間的動機だけから組立て、人間的な悲劇、人間的な喜劇を創造すること。」

以下同様に、「『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)平成26年(2014)11月11日(火曜日)通巻第844号」より引用します。

「三島は生涯に六本の歌舞伎を書き上げている。時系列に挙げてみると、
地獄変       昭和二十八年
鰯賣戀曳網      昭和二十九年
熊野         昭和三十年
芙蓉露大内実記    昭和三十年
むすめごのみ帯池取  昭和三十三年
椿説弓張月      昭和四十四年

三島にとって二作目の歌舞伎である本作は、三島作品としては珍しい笑劇(ファルス)である。ファンタジック・ラブコメディーのハッピーエンドで、事実この日の歌舞伎座にも終始明るい笑い声が満ちていた。

作品は室町時代のお伽草子「猿源氏草子」と、平家物語のパロディーとして書かれた「魚鳥平家」を典拠とし創作されている。「ダフニスとクロエ」から「潮騒」が生まれ、「浜松中納言物語」から「豊饒の海」が生まれたように、「近代能楽集」も「三島歌舞伎」も、古典を自由に翻案することで、それが三島の才能によってまったく新しい作品といってもよい新たな命を吹き込まれたといえよう。

最初に物語の粗筋を記しておく。上演時間一時間ばかりの一幕物である。舞台は京・五条橋ならびに東五条洞院の場。
鰯売の猿源氏(さるげんじ)は、輿の御簾が風で巻き上がった隙間から、都一の美しい遊女・傾城蛍火の姿を見たとたんに一目惚れ、恋に惑って仕事にも身が入らず、鰯を売る掛け声も調子はずれとなり、父親・海老名なあみだぶつに、そんなことでは「鰯がくさる」と怒鳴りつけられる。

だが、かつては自分も廓通いに明け暮れていた父親は、そんな息子の恋を何とか成就させてやりたいと考えてある策略を立てる。猿源氏を東国の大名(宇都宮弾正)になりすませて郭へ送り込み、見事蛍火を座敷に呼び込むことに成功する。その遊興の座敷で蛍火は猿源氏に合戦の軍記を聞かせてほしいとねだるが、猿源氏の話に登場するのは鯛、平目、赤貝、蛸といった魚介類の合戦譚。その内猿源氏は酒の酔いが回り、うとうとするうちに寝言で、「伊勢の国に阿漕ヶ浦の猿源氏が鰯かうえい」と、鰯売りの掛け声を上げてしまう。蛍火があなたは鰯売りか問うと、古歌を引いての苦しい弁解を繰り返す。
その猿源氏の苦しい弁解を聞いた蛍火は、こんなにも歌道の道に優れているお方なら、殿様に間違いないといって泣き伏しながら、自分の身の上話を語り出す。

蛍 「鰯賣りと思ひしに、正眞たがはぬ殿様とは、これが泣かずにゐられうかいなア。」蛍火はもともと紀国丹鶴城の姫であったが、高城で鰯売りの声を聞いて魂を奪われ、城を抜け出して後を追ったという。しかし、追いつけず道に迷ったところを人買い商人に騙され、郭に売られて今の身の上となったのであった。
姫は、猿源氏が寝言で発した売り声を聞き、その会いたいと思っていた鰯売りの男に今日会えたと思ったのに、猿源氏がやはり別人で殿様だったこと落胆し、懐刀を抜き自害しようとする。猿源氏はあわてて引き留め、自分は贋者の殿様で、本当は鰯売りであると明かし、刀を天秤棒のように担いで、華やかな座敷を歩き回ったりする。

そこへ丹鶴城からの密偵がやって来て、身請金も整い、蛍火は郭から自由になる。しかし、姫は威厳をもって城へ戻るのを拒否し、猿源氏と夫婦になって鰯売りをすると宣言し、その場で売り声の稽古を始める。姫はその場にいる者たちにも、「見習やいなう」と命じ、皆も一斉に、「伊勢の国に阿漕ヶ浦の猿源氏が鰯かうえい」と声をあげる。

幕切れは韻を踏んだ短い台詞の応酬によって、二人の門出を祝し華やかに閉じる。

軍記物語といって海の生物が次々と登場するくだりでは、ナンセンスな話の展開と、駄洒落の連続に観客席は多いに盛り上がっていた。このお芝居は一種の貴種流離譚ともいえるのだが、その手の物語によく見受けられる悲劇性はまったくない。全編を通して流れるおおらかなユーモアと、紆余曲折を経て二人が夫婦の契りを結ぶという大団円は、その予定調和によって見ている者を実に晴れ晴れとした気分にさせてくれるのだ。」

「初演時、この作品は好評をもって迎えられたが、三島はその実その舞台にかなり不満を持っていたことが、種々の対談や評論で明らかになっている。

後年、歌右衛門がこんなことをいっている。

「三島さんが会うたんびにブーブー言ってみえたのは中村屋さんの鰯売りなんです。全然自分の思っている鰯売りじゃないと言って。『そんなら先生、どういう風にしたらいいと、あなた言ったらいいじゃの』って言ったことがあるんです。『だけどもうそこに入っちゃった』と言ってらした。あれだけですよ、中村屋のことを気に入らなかったのは。この鰯売りはダメでした。それはもう、会うたんびに言ってましたよ。初演の時からずっと」これだけでは少しわかりにくいだろう。三島を嘆かせたものとはいったいなんだったのか。別の発言を引用してみたい。

「歌舞伎界は現在どちらかと言うと、大ざっぱな言い方だが、リアリズムに憧れている状態である。新劇界は逆に、様式の摂取を志してきた段階にある。私の歌舞伎新作は、やはり新劇界のこういう志向を背景にして様式美に対する憧憬から生まれたもので、そのために歌舞伎俳優からはあまり喜ばれていないのではないかと思っている」

「僕がつくづく思うのは、ぼくらはすっかり近代人的生活をしてるから、僕がいくら擬古典主義的なことをやっても、新しいところが出て来る。最大限度の努力を払ってもそれがどうしても出てくる。それで、そいつを隠してくれるのが役者だと思っていたんですよ。ところが向こうは逆に考えているんですね。いやになっちゃう。(笑)ここは隠してほしいというところが逆に彼らにとっての手掛かりになるんだな。」(雑誌「演劇界」での座談会:「三島由紀夫の実験歌舞伎」・昭和32年5月号)

「要は諸君がルネサッス人になることである。諸君自身が歌舞伎のオルソドックになって、諸君自身に対立することだ。この対決に血路を見出して、その上で本当の新さを発見することだ」昭和二十五年芸術新潮1・2月号「歌舞伎評」
 例えば、蛍火が猿源氏の寝言をとらえて問い詰める次の場面。ここは全劇中でもっとも可笑しい場面でもある。

蛍「コレ、チャッとお目をさまされませ。おまへの寝言が京洛中にひびきわたってを  りますぞえ。」
猿「(愕然と起き上がり)エ、身共が寝言を申したとナ。」
蛍「それについて問ひたいことがござりまする。」
猿「(ビクビクして)問ひたいことはエ?」
蛍「こなさんまことは鰯売でござんせうわいなア。」
猿「エ、鰯売。コレサこの東路にも名も高き、宇都宮の弾正に向かって何を申す。」   (中略)
蛍「ハテそんなら猿源氏とは?」
猿「ムウ、その猿源氏とは、ソレソレ猿沢の池の柳や我妹子が寝乱れ髪の形見なるらんといふ歌の心、他愛もない寝言にかこつけ、テモむつかしい詮議よなア。」
蛍「さればおしまひに問いますぞえ。(トこらへかねて笑い出しつつ)あの鰯かうえ  いと仰言る寝言は、どんなゆかりでござんすわいなア。」
猿「ムウ。(と言句詰りて、冷汗を拭ひ)サアその鰯かうえいという寝言は。」
蛍「サア鰯かうえいとはエ?」
猿「サア」
猿「サア」
猿「サア」
猿「サアどうでごわんすわいなア」

三島氏の不興は、例えばこの場面であれば、ここでのテンポと心理描写にあったと思われる。つまり、現代喜劇風の颯爽として表情豊か、リアリズムあふれる演技など歌舞伎には求めていなかったのではないかということだ。滑稽さが瞬時に客席に伝わって、観客からも反射的に笑いが返ってくるようなせせこましい芝居など三島は認めたくなかったのではないだろうか。歌舞伎とはもっとおおらかで骨太の、現代のわれわれからすれば、一歩も二歩もゆったりとした、それだからこそのんびりとした味わいがあるという芝居を求めていたのではないかと。」

「「三島の芝居日記の後書きにおいて、織田紘二はこう記している。
「作者自らにもそして役者にも、いやすべての歌舞伎に携わる者に、氏は「職人芸的完成された技術」を求め、その総合体としての「神聖な演劇」を希求してやまなかった。その求め続けた一事に関しては、いかなることがあっても最後の最後まで姿勢を変えることがなかったのである。」

歌右衛門も同書においてこう語っている。

「歌舞伎に対して一貫して持ち続けたものがおありになったと思います。このジャンルだけは最後まで大事にしてくださっていた、と私も感じておりました。若い、というか、幼い、というか、小さな頃に感じた歌舞伎に対する何か(原文下線部傍点付)を、そのままお持ちになっていらした、そんなことを感じたこともございました。」
「その故郷を失っちゃってるわけさ。(笑)」

先に引用した対談で、もはや失われちゃってると三島が半ば自嘲気味に嘆いているこの故郷こそ、三島が死を賭して守ろうとしたものだったと、今なら理解できる。文化防衛論の源泉が、すでに二十代の三島の中に見出されるのである。」」

このような三島文学の研究者の言葉を読んで、非常によくわかることは、安部公房が何故三島由紀夫を深く理解し、後者もまた前者を深く理解して、肝胆相照らす仲となったのかということである。

安部公房全集全30巻の贋月報のとこかに、三島由紀夫が安部公房の『終りし道の標べに』を批評して、今正確な引用ではないが、この小説はロマネスクが邪魔をしているが、しかし、それ以上にその哲学思弁的な論理の骨格が優れていて、素晴らしい小説になっているという賞賛の言葉があった。

これに対して、全集第2巻の贋月報(第2号)の中田耕治さんの、安部公房と三島由紀夫の最初に出会った光景を見ての思い出として、安部公房が三島由紀夫の『夜の仕度』を徹底的に批判をして、この作品には可能性が無いということを言い、三島由紀夫は安部公房を凄い奴だと思ったようだという回顧談があります。

何故三島由紀夫の『夜の仕度』を批判したか、可能性のない作品と言ったかは、また稿を改めて論じます。そして、二人は実に親しくなったのです。

今、これらのことを併せて考えますと、安部公房と三島由紀夫は、次のような接点を正反対に共有しております。

1。三島由紀夫は、日本の演劇の古典(過去)、歌舞伎の中にロマネスクを求めたということ。
2。安部公房は、仮説設定の文学の中に、敢えて言えばSF文学(未来)に、ロマネスクを求めたということ。

この二つです。

更に共通しているのは、やはり、笑いということ、ユーモア(humor)ということでせう。

この新作歌舞伎の笑いで言えば、三島由紀夫の笑いは、率直に単純に肯定的に、他方反対に、安部公房の笑は複雑に、黒い笑いとして。前者の笑いが陽画であれば、後者の笑いは陰画であること。

以上を、まづ以って、ふたりのための備忘として記録に留め、後日の論考の下敷きと致します。

二人を、それぞれ、過去と未来に関係して整理したことは、勿論少々軽薄であることは、重々承知で、そうしたのです。そうしたいほどに、二人はよく似通っております。

ほとんど年齢の違わない二人が、大東亜戦争敗戦後に、日本語圏の文学に登場したことは、何か深い意義と意味のあることだと、わたしは思っております。

安部公房が、三島由紀夫没後6年を経て、ようやく言葉になったのでしょう、『反政治的な、あまりに反政治的な…』という題のエッセイを書いております(全集第25巻、374ページ)。

このエッセイで、実に本質的な三島由紀夫観を、安部公房はさりげなく、率直に語っております。曰く、

「ぼくらに共通していたのは、たぶん、文化の自己完結性に対する強い確信だったように思う。文化が文化以外の言葉で語られるのを聞くとき、彼はいつも感情的な拒絶反応を示した。しかもそうした拒絶反応が、しばしば三島擁護の口実に利用されたり、批判や攻撃の理由に使われたりしたのだから、ついには文化以外の場所でも武装せざるを得なくなったのも無理はない。それが有効な武器だったかどうかは、今は問うまい。安易な非政治的文化論の臭気に耐えるほど、鼻づまりの楽観主義者になるには、いささか純粋すぎたのだ。文化的政治論も、政治的文化論も、いずれ似たようなものである。
 反政治的な、あまりに反政治的な死であった。その死の上に、時はとどまり、当分過去にはなってくれそうにない。」1976年1月25日。

この引用だけでも、三島由紀夫を、安部公房がどのように考えていたのかが、とてもよく解ります。

三島由紀夫の、現代歌舞伎の役者に対する不満の言葉を読むとわかる通りに、三島由紀夫もまた、故郷を求めたということ、それを失った日本人に不愉快を感じていることがわかります。他方、安部公房については、言うまでもなく、誠に通俗的に、猫も杓子も、とってつけたように、故郷喪失の文学と言って空騒ぎをしてきたことは、読者周知の通りです。

そして、三島由紀夫の次の言葉。これは、全く安部公房のことを言っているようではありませんか。

「要は諸君がルネサッス人になることである。諸君自身が歌舞伎のオルソドックになって、諸君自身に対立することだ。この対決に血路を見出して、その上で本当の新さを発見することだ。」

これを、安部公房の読者のためにparaphrazeすると、

「要は諸君がジャンル横断的な人間になることである。諸君自身が仮説設定の文学の異端になって、正統であると思っている諸君自身に対立することだ。この対決に血路を見出して、その上で本当の新しさを発見することだ。」












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