安部公房の小説の名前と、その構造について
安部公房の名付けたすべての小説の題名は、そのまま小説の内容を表している。
『箱男』を例にとると、この小説は、箱男という、箱と男からなっていて、普通に考えると、男が主語であり、箱が述語である。即ち、ある男がいて、その男の性質を表すと、その男は、何か箱に関係のある男である、箱を被っている、箱の中で暮らしている男であるということになる。
しかし、安部公房の10代の詩の持っているその思考論理に忠実に従って、安部公房のすべての作品では、戯曲もエッセイも含めてすべて、この述語にあるものが、主語を剋する又は克する、即ち、超越するのである。
これは、このまま安部公房の言語論と、その下位の言語論であるクレオール語論の論理である。しかし、上述したように、安部公房の論理の展開では、言語論という一般的な論理に従属していた筈のクレオール語論が、主語である言語論を超えて、クレオール語論が、その主題となってしまい、これが普遍的な言語の在り方だという結論になるのである。
さて、話を『箱男』に戻すと、従い、最初は『箱男』という小説は、箱男を書いてた筈であるのに、最後には、それは男箱を書くことになっているのだ。つまり、この小説は、箱男が主題なのではなく、男箱、即ち箱が主題なのである。
安部公房は、箱男で何を書いたのかといえば、箱のことを書いたのである。
この箱のことを、10代の詩人の安部公房は、そしてその後も20代での処女作『終りし道の標べべに』では、存在と呼んだのである。箱は、存在なのである。勿論、安部公房のことであるから、陰画としての存在である。
同じ論法で、主要な小説の名前を挙げて、その主題を列挙してみよう。
1。壁
(1)S・カルマ氏の犯罪→犯罪のS・カルマ氏=壁
(2)バベルの塔の狸→狸のバベルの塔
(3)赤い繭→繭の赤、又は繭の赤さ
2。砂の女→女の砂
3。他人の顔→顔の他人
4。燃えつきた地図→地図の燃え尽きないこと、又は地図の燃え尽きの無さ
5。箱男→男箱:男の箱
6。密会→会密:会うことの秘密→会うことの秘密の公然(『笑う月』というエッセイ集に「公然の秘密」という題名の哀切な作品がある。)
7。カンガルー・ノート→ノートのカンガルー:カンガルーという有袋類のネスト(入れ籠)構造の袋が主題
8。飛ぶ男→男の飛翔
壁、塔、赤さ(又は繭でもよい)、砂、他人(顔でもよい)、地図、箱、秘密、カンガルー、飛翔、これらはみな、存在なのである。
すべての作品において、安部公房は、一生、存在を陰画で書いた。
舞台で使った布もまた存在であり、棒もまた存在であり、縄もまた存在であり、鞄もまた存在である。存在とは、変形自在のその大元であるのだから。
1970年代に創設した安部公房スタジオの俳優たちにも、陰画の存在になることを教え、これをニュートラルという言葉で説明をし、伝えた。
10代の詩人、安部公房が、未分化の実存と呼んだ状態のことである。
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