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2014年11月13日木曜日

安部公房の発明空間とファシズム


安部公房の発明空間とファシズム


1969年の『ユリイカ』(昭和44年8月号)で埴谷雄高が安部公房について、次のように語っていることは、全く安部公房の文学の本質を言い当てている。

何よりも、この短いエッセイの題名が『安部公房の発明空間』というのである。

安部公房の発想は、全く発明家や起業家の発想と同じです。発明家や起業家が、何か新しい発明の着想を得たり、また新しいビジネスモデルを着想して商売に乗り出すそのそもそもの発想は、時間の無化に依るからです。

時間の無化というと何か難しいことのように思われるかも知れませんが、実はそうではなく、例えば安部公房が『第四間氷期』のコンピュータの未来予言の根底にある論理がそうであるように、今この現在という時間を捨象して、それがないものと思い(これが無化ということ)、即ち英語でいうならば非現実話法で、ドイツ語でいうならば接続法II式という、ともに過去形から創造する時間の無い主文と従属文を生成するということなのです。

今これこれのものは存在しないが、しかし、もしそれが存在していたとしたら、一体社会はどのように変わるだろうか、と考えるのです。

英語の授業で典型的に教わったような、次の文を思い出してください。この文には時間が無いのです。そして、この文は過去形から生成されるのです。

If I were a bird, I would fly to you。

即ち、現在を、未来から見た過去と考え、現在を過去から見た未来と思うこと、そして、一次元に並んでいるどの時間も、このように考えて交換関係の中に置くこと。

これが、安部公房の発明家としての発想のもとになっている論理、それも時間が無いということから言っても、幾何学的な数学の論理なのです。複数の時間を無化して、捨象して、お互いに交換し、一種の構造体(モデル、模型)を創造するわけです。

わたしは現在鳥ではないので、愛するあなたのところへは飛んで行けない。これが、現実です。

しかし、もし私が鳥であったならば、わたしはあなたの所へ真っ直ぐに飛んで行くことができるのに。

実は詳細な説明は省きますが、このような文をドイツ語でKonjunktive(接続法)というように、これは英語で言うならばconjunctionという、二進数の世界の用語でいうならば論理積(conjunction)という掛け算を、わたしたちは頭の中で演算しているのです。掛け算であり、論理積でありますから、当然この思考の過程には時間は存在しないのです。これが、何故上の文が祈願文と呼ばれ、同じ形式でそのまま、命令文になるのかという理由なのです。後者の場合、わたしたちは、その命令文に時間が存在しないが故に、それが誰であれ、親であれ恋人であれ、自分の上位者だと思っている上位者の命令に、わたしたちは否応なく従うのです。

この従属接続詞を生成するif(もし~だったならば)に従属される主文と、この従属文(条件文)を否定形にして、非存在(非現実)を表すことも、勿論、できます。

この同じ論理で、安部公房が発行し、複数の作品に登場させているのが『明日の新聞』です。戯曲『友達』や『密会』にも出てまいります。

この幾何学的な安部公房の着想を、埴谷雄高は、その題名として言い当て、安部公房の「発明空間」と、その作品の世界を発明と同じ空間だと言ったのです。

「ところで、私と共通していた存在論的主題から踏みでた安部公房の飛躍の特色は、アヴァンガルドの最初の先輩にして僚友たる岡本太郎と花田清輝の点と線と面の立ちあがり運動の広い幅をもなお遠く越えて新たな変貌へ向かって飛び続けたことに存する。
 この私達から大きくかけはなれてしまったその新たな変貌とは、古い言葉でいえば、雪月花に象徴される吾国の短歌的情緒のはいりこむ一抹の余地すらまったく存せぬ幾何学的図形の極度の冷厳性、現在ふうな言葉でいえば、デジタル出現するコンピューターの無感無覚空間への敢然冷厳たる踏みこみにほかならない。そしてさらになおまた、これを最新現代風に言い換えると、モンドリアンの原始集積回路ふう図形の出発点を、超につぐ超で飛躍的に追い越してゆくところの最新空間、その冷厳な成功によって忽然たる都市の出現をもたらし、そしてまた、その冷厳たる失敗によってシリコンヴァレーの忽然たる廃墟がもたらされるところの発明空間にほかならないのである。
 安部公房は、いってみれば或る巨大空間へと向かう途上で飛び去ったが、安部シリコンヴァレーの忽然たる出現と、また、忽然たる廃墟の深く屈折した推移の仔細については、幼年時代からコンピューターの変転する画像とともに成長しきたった新しい批評家の緻密な回答を俟つべき、これからの異色ある深い分析課題である。」

「幼年時代からコンピューターの変転する画像とともに成長しきたった新しい批評家の緻密な回答を俟つべき、これからの異色ある深い分析課題である」とあるのは、全くその通りだと思います。

もぐら通信(第26号)に寄稿下さった信州の中学三年生の篠子雄太さんは、まさしくこの新人の一人であると思います。そのような公房読みが育ってきていることは、埴谷雄高の予言通り、心強い限りです。

さて、期せずして、この同じユリイカの号に、巽孝之と久間十義の対談があり、この対談は全般に亘って実に、これも安部公房の文学の本質を論じていて、誠に素晴らしいものがありますので、今そのうちの、この安部公房にとって作品とは、実は発明と同じであったということを述べているところを引用して、読者の理解に供します。

「巽 たしかに、ひとつのネガティブな視点を据えれば、六〇年代から七〇年代にかけての安部公房というのは、日本的なリアリティに対する非常に尖鋭な視点を失ってゆくように見えるわけですけれどmど、今日的な目でもう一度考え直してみるとき、それはある意味で、我々が安部公房の作品を文学として考えすぎるからじゃないか。漱石とか三島でしたら、彼らの文学研究というものが無理なく想定されるわけですけれども、安部公房の場合は、彼の文学作品に対応するのはひょっとしたら文芸評論でも文学研究でもないかもしれない……だから、書店でも目に見えないのかもしれない。
 それは、安部公房が文学を文学としてみると言うよりも、文学自体を一種の発明品、テクノロジーとして考えていたことと関係すると思います。安部公房自身、一九八六年には簡易着脱式タイヤ・チェーンで、国際発明EXPO銅賞というのを受けていますよね。彼は、文学者としてよりは発明家の視点で作品を書いていたのではないか。彼の文学作品も発明品の一種というふうに考えると、それはそのあとどんどんアップデイトされリメイクされて、我々の日常的な現代文化に浸透してしまうような何かだったのかもしれない。ひとつのテクノロジーの発明者が誰だったかという固有名詞レベルのことは、我々は普段あまり考えません。それと同じことが、安部公房にもあてはまる。文学を文学として考えるタイプの作家であれば、その作者自身の固有名詞というものがついてまわるわけですけれども、安部公房の場合は文学を発明品として考えたがゆえに、彼自身の固有名詞みたいなものは、むしろどんどん現代文化に呑まれていった。」

ここで巽先生が発言していることは、全くその通りに安部公房の文学の本質、その文学のあり方を指摘していると、わたしは思います。

それもこれも、すべて、言語の本質を教わった、あの無名に没することを教え、無名の人間の固有の死を教えたリルケに戻るのですし、それと同時に、安部公房が閉鎖空間と社会を見た18歳のときの『問題下降に依る肯定の批判』以来の、『問題下降に依る肯定の批判』という方法による、これをニーチェに学んでのその閉鎖空間からの永遠の出発と回帰、即ち閉鎖空間から一次元上の接続空間への脱出と、そしてまた再びその閉鎖空間の出発地点へと戻って来る、この安部公房流の永劫回帰によるのです。そして、やはり仮説設定の文学を学んだ、ポーのことと、この三名の先達のことを思わずにはいられません。

仮説設定という考え方こそ、安部公房の文学を、上で述べられているように、発明品のようにしている大元の考え方であるからです。そして、安部公房が数学者であったことを忘れるわけには行きません。

さて、もうひとつ、少し長い引用になりますが、実に鋭い指摘を久間十義という作家はしております。この方も、よく安部公房を深く読んでいる方だと思いました。

それは、安部公房の言う、見かけ上のコスモポリタニズムと、それと全く裏腹にある、安部公房の持つナショナリズムの関係について喝破している、『コスモポリタニズムの逆説』と題した章での次の言葉です。

「久間 誰もが知らずにアベコーボーしている(笑)つまり物象化された安部公房現象がいまではありふれた光景になっているというのは、実際ありそうな話ですね。安部公房の文学がフォルムとして受け入れされて、無意識のうちに安部公房のフォルムをなぞるようなかたちで小説が産出されてくるというのは、これは非常に当然というか、自然なことですからね。しかし、この希薄化され、出自を忘れたアベコーボーたちは、少なくとも僕自身に強くアピールしてくるわけじゃありません。仮に、安部公房のフォルムを成り立たせているある契機みたいなものについて、彼らが非常に無意識のままであるとすれば、案外、安部公房を縮小再生産している部分があるんじゃないでしょうか。
 さっきナショナリズムということをおっしゃいましたけど、安部公房の提出した文学的なシェーマは、ぐるりひとひねり回ってというか、それこそ、”メビウスの輪”的にナショナリズムの問題と重なりますね。彼一流の、ある疎外された状況を観念的にズラしていく、その状況を受け入れつつ、そうじゃないんだというふうにしていく問題というのは、普通に考えたら、非常に強い権力的なバインドがあって、我々がにっちもさっちもいかない時に、そのにっちもさっちもいかない中で自由を見出そうとする時に出てくる問題なわけです。例えば、特攻隊員が明日死んでいく、その死んでいく中に真の自由があるんだとか、そういうような言い方と重なる部分が、僕はあると思うんですよ。つまり、現実的に成就されないものを観念の中で成就するという思考パターンがあって、安部公房はその可能性と不可能性の両方を、彼の設定した物語構造の中で逆説的に示そうとした。それは、実際には我々はひとつじゃないのも関わらず、想像の共同体としてネイションというものを考えていくのと、ある部分では重なっている思考形態です。よくいわれるような安部公房のコスモポリタニズムとナショナリズムというのはだから鏡の裏表なんです。同じような土壌から出てくるんだけれども、一方では決定的に、その共同性みたいなものを嫌い抜くというか、そういう精神のかたちを取り続けたいという思い、もう一方はその共同体のために殉じようとする。根が同じだから逆の態度もでてくるわけで、徹底した安部公房の共同体嫌悪をぼくらは額面通りに受け取るだけじゃ、大事なものを取り逃がすかもしれない。
 そしてさらに言えば、そういう、現実に成就できないことを観念の世界で成就していこうという考え方というのは、一種のオポチュニズムというか、それが引き金になった政治的な熱狂へと変化しかねないものでもあるわけです。例えば経済的に非常な不況があって、我々がそこでは物質的に自己実現できない時に、何か知らないけれども我々を熱狂させるような、非常に魅力的なものが出てきたとしたら、我々はふっともっていかれる。僕はファシズムを想定して言っているんですが、そういったものと重なってくるんじゃないか。ですから、安部公房がシェーマとして立てた問題が立ち上げる場所と、それからファシズムのようなものが---ファシズムって、べつにバカな連中が考えたバカな政治思想じゃないですからね。実は非常に魅力のあるものだと思うんですよ。---立ち上がる場所というのは似ていて……。と言うか、じっさい同じ時代に安部さんも生きていたわけですよ。そこのところを忘却して、安部公房のフォルムだけを無意識のうちに再生産したり、我々自身のリアリティを安部公房に押しつけているようなかたちで彼を消費するようになったら、それはもう少し考え直したほうがいいんじゃないかと思うことがあるんですね。」

この作家のいうことは、全くその通りです。

この言葉は、何故安部公房はあんなに繰り返し、ナチスの制服と映画を観ることが好きであったのかの十分な説明になっております。

そうして、また、この言葉は、何故安部公房が日本共産党員になったのか、その安部公房最大の弱点を余すところなく指摘しております。

今詳細には、この発言を解説致しませんが、同じことを、今月末に出るもぐら通信第27号と来月の第28号の2回に亘って『もぐら感覚22:ミリタリィ・ルック』の題のもとに詳細に、その10代の詩から晩年の言葉に至るまでを通覧して、論じましたので、お読み下さればと思います。安部公房がこんな人間であったかと、あなたは驚く筈です。

また、『安部公房と共産主義』と題して、同じことをマルクス主義との関係で、即ちファシズムとの関係で、これも詳細に論じます。

あなたには、安部公房のフォルムを「縮小再生産」するような、安部公房の言葉の面(おもて)だけを鵜呑みにして、「安部公房のフォルム」をただ「消費」するだけの、自分の頭で考えないような読者であって欲しくはありません。

この作家のいうように、ファシズムとは、安部公房の立った同じ場所から生まれて来る、実に魅力のあるものだと、安部公房同様に、わたしもそう思っています。

追記:池田龍雄のエッセイに『詩的発明家---安部公房』がある。『芸術アヴァンギャルドの背中』(沖積舎刊)。この若き安部公房の親しき友人であった画家もまた、安部公房の発明家であることを普通によく知っていたということを、この標題は意味しています。同じエッセイの転載が、渡辺三子さんによる郷土雑誌あさひかわへの寄稿を集めた『安部公房を語る』(あさひかわ社)の144ページにある。


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