「終わし道の標べに」を読む5:第2のノート
I 孤児の文学
第1のノートが、ふたつめの故郷、即ち存在からの果てしない、孤独の人間としての無限の逃亡の話、遁走の話であるのに対して、今度は、第2のノートは、その第1のノートの意識の連続のままに、主人公、即ち手記の語り手が、既知の友人とのある偶然の出逢いから、ある家族の後見人になる話である。
この友人の言葉によれば、手記の語り手は、「君には、幸か不幸か、両親もいなければ兄弟もいない。後見人の役を肩がわりしてもらうには、まさにおあつらえむきの人物じゃないか」と言われるように、孤児である。
第2のノートとは、第1のノートの語り手である孤児が何の血縁関係もない家族、一族の後見人、即ち偽の父親、偽の家長になる話である。
ここに、既に後年の安部公房の小説や劇作の種子が胚胎している。壁は勿論のこと、遺稿である飛ぶ男に至るまで。
わたしは、以前、安部公房の文学は、一言でいうと孤児の文学であると書いて、その小説の特徴を列挙したことがあるので、そのページをご覧戴ければと思う。(http://sanbunraku.blogspot.jp/2012/07/blog-post_29.html)
安部公房は、1943年に書いた小説、題未定の霊媒の話で、同じプロットを書いている。安部公房全集30巻の第1巻冒頭にある作品です。
少し当時の安部公房の仕事振りを整理してみよう。理論篇と実践篇にわけて、整理してみると次のようになる。
1。理論篇
(1)問題下降に依る肯定の批判(1942年:18歳)
(2)詩と詩人(意識と無意識)(1944年:20歳)
2。実践篇
(1)詩:没我の地平(1946年:22歳)、無名詩集(1947年:23歳)
(2)小説:霊媒の話(1943年:19歳)
10代の後半から20代の始めにかけて、安部公房は、理論の思索と、それから詩と小説の実作と、これら2つのことを同時並行して行い、3種類のジャンルの作品を書いていたということになる。
これらの理論と実践の作品は、いづれも互いに大いに関係があって、 別々に独立しているわけではない。理論篇と詩作の関係については、既にこのブログで、18歳の安部公房と題し、また19歳、20歳の安部公房と題して丁寧に、その理論篇を解読し、詩作品に対してその理論の適用をして詩作品を解読したので、読者にはそれらの記事をご覧戴ければと思います。
さて、第2のノートを読むと、霊媒の話について言及せざるを得ない。それはどのような話であるのか。
この話は、子供の居ない家に、村の外から物まねの能力を持つ孤児(10代の少年。18歳)が村にやって来て、その家に入って、死んだ婆さんの依り代(しろ)の振りをして(演技をして)、霊媒として、その家の中に入り込み、偽の関係の中に住みつく話である。
この孤児には本名はなく、芸名やら何やらで、色々な名前で呼ばれる、言葉通りの無名の人間である。
そうして、偽の家族関係に入り込む人間として、それは偽善者であると呼ばれている。この偽者であるということを巡って、主人公は、社会の道徳や倫理や、家族のことを、自分が犯したかも知れない老婆の殺人のことを、夢の中や現(うつつ)の中で、苦しみの感情とともに、あれこれと考え、思いめぐらせるのだ。そうして、最後には、主人公は、やはりその家から逃亡するのである。
興味深いことは、この作品は、散文でありながら、その中に詩が入っていること、即ち散文と詩文の混交した作品であるということ、更に即ち、そういう意味では、散文と詩文の未分化の作品であるということだ。
この作品から散文が独立して、第2のノートになるまでには、4年の時間が必要であった。
[備忘]何故安部公房は無名詩集を最後に、詩から散文(小説)または劇作に舞台を移したのか。アクション:対話、会話の展開の面白さと譬喩(ひゆ)、隠喩よりも直喩の多用。これが安部公房の小説の文体の著しい特徴である。それは、何故か。
II 第1のノートの果たした奇妙な役割とは何か?
第2のノートで、語り手は、「あのノートが果たしてくれた奇妙な役割のことからでも書き始めるとしようか」と冒頭のところで述べている。
この奇妙な役割とは、次のことである。
それは、このノートが他者との意思疎通(コミュニケーション)の手段、道具となったということである。
この場合、ノートは、主人公の知らぬ間に盗まれ、読まれて、また主人公の知らぬ間に、もとの枕の下に戻されるということ、これが大事なことなのだ。即ち、他者とのコミュニケーションに、主人公の作為がないということ、その目的がないということ、その読ませたいという意志の発露がないということが、大事なことであり、第1のノートは、そのような役割を果たし、語り手は、それを奇妙な役割と呼んだということである。
これは、その後の安部公房の小説で、手記の体裁をとっている小説の中でも、ノート(手記)の果たす「奇妙な役割」なのではないだろうか。その後の手記の体裁をとる小説において、手記の持つこの「奇妙な役割」の検証が必要とされる。
また、第2のノートは、書かれざる言葉と副題が付されている。書かれざる言葉とは何であろうか。
この第2のノートの終わりの方に次のような箇所がある。
<<終点の道標>>という言葉自体が、すでに自己を裏切る、矛盾した概念だったのだ。そう、今なら分かる、わたしの逃走は、自己を占有するための実験だったらしい。(省略)そら、早く逃げ出せ、誰かがおまえの自己を盗みかけているぞ!
わたしの考えでは、この「自己を占有」することについては、言葉で表現できない、行為と、従って、経験による以外には占有はあり得ないということ、そのような言葉のありかたを「書かれざる言葉」と言ったのではないかと思う。
この「自己を占有」するということは、第3のノートの表立った主題である。そうして、この第3のノートは、知られざる神という副題がついている。勿論、第1のノートと第2のノートの延長の上に、第3のノートがあることは、いうまでもない。
III 恋愛感情
手記の語り手は、偽の父親であるがゆえに、自分の擬似的な関係にある娘に対する恋愛感情が禁ぜられ、禁欲を強いられる主人公ということになっている。
この恋愛の対象は、10代後半のまだ、成熟した女性にならぬ前の、性の未分化の状態の娘に対する感情である。この感情の丁度裏返しに、語り手は、娼婦的な成熟した女性に対する肉体的な、また偏執的な愛情を持つのではないかと、わたしは思う。その後の安部公房の主人公の、女性に対する愛情のあり方や如何に。多分、この2種類の女性が、小説の中に現れるのではないかと思われる。
また、主人公が偽の父親、偽の家長であるということは、その家族もまた偽の家族ということになる。安部公房の小説は、陰画としての家族小説、ファミリー•ロマーンでもあるということだ。
(この稿続く)
[岩田英哉]
[岩田英哉]
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