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2012年10月7日日曜日

もぐら感覚1


普通ひとは、咲いた花しかみない。咲いた花をみて愛で、嘆賞するものです。

しかし、安部公房というひと、あるいはその読者、もっと云えばそその愛読者であるひとは、花などよりも、その花の生まれる土壌とその土の中にある根っこがどうなっているのかということの方に興味のある人間なのだと思います。

種を土の中に播(ま)き、播いた種がどのように発芽するのか、そうして発芽して、それが地上を目指して伸びて行くのか、そのことに興味がある。その瞬間とその場所だけに興味津々たるものがある。

これは、まあ、人間がもぐらになってようなものです。あるいは、もぐら人間です。

安部公房の亡くなった後、遺稿のひとつに「もぐら日記」と題された日記がありますが、日記をそう命名した安部公房の心中は、上のようなものではなかったかと想像します。

土の中に穴を掘って、その穴の中で生活する。

このような人間の、日本語の世界での割合と遠い先達は、吉田兼好だと、わたしは思っています。

花は盛りを、月は隈(くま)なきものを見るものかは

富士山や桜の花の嫌いだった安部公房の言葉と発想に実によく似ているではありませんか。


[岩田英哉]

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